東條美玖とかくりよの姫
・・・ここは、どこ・・・
(わたしは・・・あぁ・・ナイトメアとたたかって・)
虫の音色が耳障りなほどうるさい。美玖はゆっくりと目を開ける。
(・・・ここは・・どこ?)
まだ意識がもうろうとする中、周りを見渡す。見覚えのない、漆黒の森。今いる場所は木の隙間からの光で少しみえるが、その先は真っ暗で何も見えなかった。「いたっ!」アゴと首筋に激痛が走る。ナイトメアに強打され、意識を失ったのだ。
「そうか、私・・・」
ゆっくりと警戒しながら立ち上がる。
(おかしい、なんでこんな所に?ここはいったいどこ?)周りを見渡しても何も見えない。
(とにかく、ここを出ないと。)
美玖は月あかりらしき光を頼りに歩き出した。足場を探り、木をつたいながら歩いて行く。ガサリ!と後方の暗闇から音がした。ゆっくりと振り向いたがそこには何もいなかった。安堵しながら振り返ると、ボロ布を纏った何かがいた。暗がりに慣れた美玖の目に映る異形の姿。顔は枯れ葉で覆われ、目だけがギョロリとこちらを見ていた。枯れ葉の魔人。子供の頃に見た怖い夢を思い出した。美玖は思わずのけぞって倒れてしまった。ゆっくりと間合いを詰める枯れ葉の魔人。美玖は超能力を使おうとするが発動しなかった。焦りながら後ずさる美玖。枯れ葉の魔人が手を伸ばし美玖に触れようとした瞬間、「チリリーン」と澄んだ鈴の音が鳴った。枯れ葉の魔人は凍りついた様に動きを止め、ゆっくりと後ずさると、一点を見据え逃げ出した。美玖は恐る恐る枯れ葉の魔人の見ていた方に顔を向けた。そこには人形の様に無表情な少女が立っていた。
「主人様がお呼びです。」
囁くようなか細い声で少女が話かけて来た。いつの間にか耳障りだった虫の音色はおさまっていた。
「あの・・・」
美玖がなんとか言葉を口にしたがそれ以上は出てこなかった。
「・・・茉莉と申します。」
表情を変えず少女は名乗ると、手に持った鈴を鳴らした。辺りに鈴の音が響き渡る。すると、霧が立ち込め2人の姿は森から消えていた。
美玖は何度かまばたきをした。霧が晴れると、目の前には何やら古びた屋敷の門があった。美玖は尻もちをつき、両手も地面につけたままだった。
「主人様がお待ちです。」
茉莉は美玖に立つよう促した。それと同時に門が静かに開いた。石畳みの先に屋敷がうっすらと見える。すると、脇にあった石灯籠に火が灯る。時代劇で観た武家屋敷のような建物が建っていた。「どうぞ」と、感情のこもらない声で茉莉が促し、先を歩き出した。美玖は言われるがまま茉莉について行った。能力も使えず、見知らぬ場所で唯一信じられるのは助けてくれたこの少女だった。古い作りであろう廊下は軋む事なく、綺麗に掃除されている。美玖は少し冷静さを取り戻していた。先を歩いていた茉莉が大きなふすまの前で立ち止まった。横に避けるように立つとそのまま膝まずき、両手をついて頭を下げた。
「お客様をお連れいたしました。」
茉莉は相変わらず感情の無い声だったが、うやうやしく丁寧にな感じがした。
「お入りやす。」
中から甘い感じの京言葉が聞こえて来た。茉莉がふすまを片方づつゆっくりと開ける。
「どうぞ。」
膝まずいたまま、美玖を促した。部屋には灯りが灯り目の前には人形の様な女性が着物姿で座っていた。どうしていいかわからず立ちすくんでいる美玖に、その女性は笑顔を向けた。
「そう気張らんと。まぁ座り。」
柔らかいその口調が美玖の緊張をほぐした。
「じゃあ、失礼します。」
美玖は女性の向かいに敷いてある座布団に座った。間には小さな木のテーブルがあり、美玖の前にお茶が運ばれて来た。
「茉莉、ご苦労やったなぁ。少し、休んどき。」
お茶を持って来た茉莉に声を掛けると、無言のまま頷き、そのままか下がって行った。
「えらい疲れたやろぅ。まぁ、ゆっくりしぃ。ここは安全や。」
女性が微笑み掛ける。どう返していいのかわからず美玖は「はい」とだけ返事をした。
「あぁ、えろうすんまへん。挨拶がまだやったなぁ。ウチは玉藻の前と申します。遠慮せんと玉藻さんと呼んでなぁ。」
玉藻は色気の漂う笑みを浮かべて、ゆっくりと扇子を仰いだ。
「わ、私は東條美玖と言います。・・あのーここは一体。」
美玖は自己紹介より、現状の整理に焦っていた。ここは何処で、自分はいまどんな状況なのか知らずにはいられなかった。
「まぁ、まぁ、そう焦らんと。せやな。まずはあんさんの置かれた状況を把握せんと落ち着かんか。」
玉藻はそう言うと扇子をパチンと閉じた。
「まず今いるここはかくりよ言って、まぁあの世と現世の間にある世界や。現世はあんさんらの住む世界の事。さっきあんさんがいた森のような所はあんさんの夢の中や。夢の中は危険やさかい茉莉に連れて来てもらった訳や。」
玉藻は物語を読むかのように美玖に話した。
「今あんさんの身体は意識を失っている状態や。それで夢の中に連れ込まれたんや。夢の中はあいつらの領域やさかい。で、このかくりよに連れて来た訳や。かくりよは狭間の世界。あんたらで言う妖怪の住む世界や。」
美玖は玉藻の話しを理解しようと頭をフル回転させた。結果なんの解決も出来ず、更に混乱した。
「つまり、私は今妖怪の住む世界にいると。・・・?」
話を要約し、口にはしたものの納得はできていなかった。
「そういう事や。一回落ち着きまひょか。お茶でも飲んだらよろしい。」
玉藻はホレホレと美玖にお茶を勧める。(そうだ、一回落ち着いて考えよう。)美玖はゆっくりとお茶を飲んだ。(今私の体は意識の無い状態にあるのか・・・意識が無い?それって!)状況を整理しながらお茶を飲んでいた美玖が焦ってむせかえした。
「!え、それって死んでるって事ですか?!」
美玖はつかみかかるような勢いで玉藻詰め寄った。
「あぁ、もう騒がしい子やなぁ。心臓は動いてるはずやから、死んどる訳やない。あんたらの言葉で言う意識不明の状態や。」
玉藻は近づいた美玖の顔を扇子でパタパタと仰いだ。
「・・どうすれば、どうすれば帰れますか。」
美玖は真剣な眼差しで玉藻を見つめた。さっきまでとは別人のような凛とした姿は彼女の美しさを際立たせた。
「まぁ、うちに任せとき。細工は流流。あとはあんたの友達が手を引いてくれるのを待つだけや。」
玉藻も先ほどまでとは違って真剣な様子だった。
「今、あんさんが飲んではったお茶は特別なお茶でな。かくりよと現世を繋ぐきっかけになるもんや。本来ならかくりよの物を口にしたら現世に戻れなくなんねんけど。これは違う。せやから安心しぃ。」
美玖は母親を思い出していた。(なんかお母さんみたい。マイペースだけど安心できる。)
「・・あの、玉藻さんはなんで私なんかにこんなに良くしてくれるんですか。」
落ち着くと、美玖の頭の中は疑問に満ちていた。多分、いや確実に玉藻は人間では無い。妖怪である事は確実と言っていい。そんな彼女が自分を助ける理由が無いのだ。
「・・・私なんかって。自分を卑下したらあきまへんえ。可愛いから。と言っても信じてもらえへんやろから・・・まぁ、気ぃになったいうのが本当のところやなぁ。」
玉藻は扇子をテーブルの上に置いた。
「?私が気になるって?なんでですか?」
美玖は不思議そうにたずねた。自分は特徴の無い平凡な人間と思っているからだった。
「あんた、魂が欠けとるんよ。そんな人間珍しい。まぁ、たまに魂が夢の中やら、かくりよに迷い込む事はあるんやけど、あんたみたいに魂がかけとるのは初めてや。」
さっきまで落ち着いた感じの玉藻がクスクスと笑い出す。口元を袖で隠して笑う姿は育ちの良さをうかがわせた。
「魂が欠けてる?それってどういう意味ですか?」
美玖は笑っている玉藻を見て、ちょっと怒ったように言った。
「そのまんまや。あんさんは今魂の状態やから覗けばわかるけど、お腹に穴あいてますえ。」
怒った美玖を見て、玉藻はさらに笑った。
美玖は恐る恐る服をめくると、お腹にポッカリと穴が空いていた。「えぇ〜」と驚く美玖を見て「もう、かんにんして〜」と玉藻がバンバンと机を叩く。その音を聞いて茉莉が部屋に飛び込んで来た。
「主人様!」
茉莉は美玖と玉藻の間に割って入った。茉莉の真剣な顔がツボに入ったらしく、玉藻は茉莉の袖でをつかみながらヒーヒーと笑った。茉莉は状況が掴めず少しの間戸惑っていたが、緊張状態では無い事を悟り警戒をといた。「茉莉、見てみ。腹に穴空いとんで。」ぐいぐいと茉莉の袖を玉藻が引っ張った。
「主人様。はしたないですよ。」
茉莉は相変わらずの無表情で玉藻をたしなめた。
「もう、つまらんのぉ。茉莉はちと真面目すぎる。」
玉藻は火照った顔を扇子で仰ぎながら口を尖らせた。
「のう、美玖よ。うちと友達にならへんか。」
玉藻は満面の笑みを浮かべた。その瞬間、茉莉の表情が強張った。なんの感情も無いと思っていた茉莉が驚いた様子を浮かべ、玉藻に向き直すと、手をつき頭をたれた。
「畏れながら、主人様に申し上げます。そのような発言は軽率かと存じます。何卒、お考え直しを。」
茉莉は畳に額がつくように頭を下げた。
「久方ぶりに笑ったのう。こんなに気分がいいのは初めてじゃ。のう、茉莉。うちが決めた事え。もう口にせんとき。」
玉藻は優しい表情で茉莉を見つめた。
「はい。出過ぎた真似をして申し訳ございません。」
茉莉は一礼をすると部屋の外に出ていった。
「大丈夫ですか?」
気まずそうに美玖が聞いた。
「なに、気にせんでええよ。それより返事を聞かせてほしい。うちと友達にならへんか。」
ワクワクしたような玉藻を見ながら(断りづらいじゃん。ってか断れない感じじゃん)美玖はそんな事を考えていた。
「私なんかでいいなら。」
美玖は恥ずかしそうに言った。
「私なんかと言うたらあきまへん。うちの友達なんやから堂々としておったらええんよ。」
玉藻が扇子をパチンと鳴らした。
「あのー。友達だから言わせてもらうんですけど、玉藻さん、キャラ崩壊してません。しゃべり方とか変わってるんですけど。」
美玖がツッコミを入れる。
「面白い事言う子やね。長いこと生きてるさかい、色んな言葉が混じってしまってるんやろ。」
お姫様のように見えていた玉藻の印象がガラリと変わった。
「玉藻さんって妖怪なんですか?」
美玖の興味は尽きなかった。
「そうや。それより、あんさんの特訓が先や。強なりたいんやろ。」
玉藻は美玖が色々聞きたそうなのをピシャリと止めた。
「ここは時間の流れが現世と違うよって、何倍も時間が早いんよ。せやから特訓の時間も沢山とれる。3年間みっちりしごいたるさかい、おきばりやす。」
玉藻は口元を扇子で隠しながらニヤリと笑った。
「さ、3年間ですか?む、無理です、無理です!」
美玖が慌てて「早く帰らないと」と言いながら玉藻の着物の袖を掴んだ。
「落ち着きの無い子やなぁ。せやから言うたやろ、時間の流れが違うって。こっちの3年はあっちの3日や。安心し。」
玉藻は美玖の手を扇子で払い落とし、9本ある尻尾を広げた。
「早速特訓や。392(みくに)、864(はるよ)相手したり。」
玉藻の尻尾の6本が消え、2人の少女が現れた。
「未来虹だ。死ぬ気でかかって来い。」
長身の少女、未来虹が上から睨みつけて来た。
「陽世です。ぶち殺してやるんで覚悟してください。」
小さな少女、陽世が顔に似合わず物騒な言葉を吐いた。
(なんなのこの子達、めっちゃ怖いんですけど。)美玖は見た目とのギャップに引いていた。
「ほな、2人とも頼みましたえ。うちは魔力つこうたさかい、休んで来ます。ほな、美玖はん、おきばりやす。」
そう言うと玉藻は軽く手を振りながら屋敷の方に歩き出した。