マザー・ウルブズ
ファミリーレストランで昼食代わりのパフェをほおばりながら、マキはもごもごと口を動かす。
「……ねぇ、ホントに大丈夫なの? その占い師さん」
「大丈夫だって。変なツボとか買わされたことないし。マキってば、心配症なんだから」
向かいに座るユウカは言いながら手をひらひらさせていて、顔には出さないものの、マキにはそれが少し腹立たしかった。
これから二人でユウカが最近ハマっている占い師のところへ行くことになっている。本来マキはそういった非科学的なものを好まないのだが、ユウカがあまりにもしつこくすすめてくるのでこれも仕事の一環だと腹をくくった。
マキの仕事は簡単にいうとイベントなどのプランナーの仲介役。優秀なクリエイターを紹介したり、プランナーの代わりに連絡をとって納期や依頼料などを調整するフリーランスだ。
人脈を作ることに長けているマキは業界でもそこそこの地位を獲得していて、それを維持するためにもデザイナーとして注目され始めているユウカのお誘いを断るわけにはいかなかった。
「はーおいしかった」
ユウカがフォークを皿に置いた音に驚き、仕事のプランを脳内で組んでいたマキは現実に引き戻される。
「あれ、食べないの?」
「え、あ、あぁ……」
マキが頼んだパフェはまだほとんど手がつけられていないまま、テーブルの上で溶けかかっていた。
食事中にも関わらず仕事のことを考えすぎてしまったようだ。マキは長い黒髪を揺らしながら首を横に振って、思考を中断する。
「うん、思ったよりお腹すいてなかったみたい。食べる?」
顔色をうかがうと、ユウカはまゆを寄せてうんうんうなり始めた。
「……食べたいけど、やめとくっ! 太っちゃいそうだし」
「そう? じゃあ、そろそろ行かない?」
「うん」
マキがベージュのベルトが巻かれた腕時計を確認すると、時刻は一時になろうとしていた。
ユウカが通いつめているという占い師の店は、なんと神社の脇にポツンと建てられた紫のテントだった。かすかに開いた入り口ののれんからは怪しげなピンク色の光が漏れ出ている。
「ねぇ、大丈夫、なんだよね?」
「大丈大だってば」
マキが入り口の前でためらっていると、ユウカがその背中をドンと押した。
「きゃっ!?」
押された勢いで目の前に現れた長机に手をついて顔をあげるマキ。中にいた白髪の占い師とばっちり目があってしまう。
「お困りですかな?」
中は簡素な作りで、占い師の背後の本棚には占いの道具らしき怪しげな品がいくつも置かれていた。
口調や内装こそいかにもそれっぽいが、肝心の占い師本人はどこにでもいる白髪の中年のおじさんで、雰囲気を出すために着ているらしいフード付きのローブが絶望的に似合っておらず、マキはハロウィンのコスプレのようだと思った。
「えぇ、まぁ、はい……」
戸惑った様子で歯切れの悪い返事をするマキに、白髪の占い師は対面に置かれたパイプ椅子に座るよううながす。
待ち切れないのか、中年占い師はマキが座り終わる前に長机の上の小さな赤いクッションに乗った水晶玉に両手をかざし、白く発光させる。
「おぉ」
その神秘的な光景に小さく歓声をあげるマキ。しかし、水晶玉に何か仕掛けがしてあるに違いないと思い直し、これからどんなうさんくいものを買わされるのだろうと背筋を伸ばして身構えた。
「出ました」
短くつぶやいて、占い師はマキの目を見据える。
ごくりとつばを飲むマキ。
「大凶です」
その場でズッコケそうになるのをこらえ、マキは尋ねる。
「神社のおみくじみたいなシステムなんですか?」
「いいえ。今のはわかりやすく評価しただけです。それに私は徳を積めとか努力しろとか、そういうことは言いません」
「え、じゃあ、大凶を吉にしたいときはどうするんですか?」
白髪の占い師は目を閉じて数秒悩んだあと、
「ラッキーアイテムに”おもちゃの銃”の相が出ています。それさえ手に入れればあなたは大凶の運命に抗うことができるでしょう」
なぜかドヤ顔でそう宣言した。
「そんな朝のニュースの星座占いみたいな……」
思わず本音を漏らしてしまったマキを、占い師はギロリと睨む。
「す、すいません」
気まずい空気に耐えられず帰ろうとすると、白髪の占い師が手のひらを開いてマキに向けてくる。
「なんですか?」
「五千円」
「え?」
「払ってね。初回は五千円、次から八千円だからよろしく」
マキがのれんをくぐってからまだ十数分しか経っていないはずだったが、外でユウカが待っているとはいえこの薄暗い空間に身の危険を感じたマキは素直に五千円札を取り出し、足早にテントを出た。
「どうだった?」
目をキラキラと輝かせて鼻息を荒くするユウカに、まさかあの中年占い師の悪口を言うわけにもいかず、マキは占いの結果だけ告げて誤魔化した。
「そっかー、おもちゃの銃かぁ」
駅に向かう帰り道を歩いていると、隣に並ぶユウカがつぶやいた。
「うん。でも手に入れたところで幸せになれるとは言ってなかったし、高いお金出して買うほどでもないかな」
「……あっ、あれは?」
聞いていたのかいないのか、ユウカは駅前の広場に乱立した出店に駆け出していく。
「ちょっと!?」
あとを追うと、出店の正体は輪投げ屋だった。見回すとほとんどが焼きそば屋だったが、ここ以外にも射的や金魚すくいなどの食べ物以外の出店もちらほらあるようだ。
「そっか、今日って焼きそば祭りだっけ?」
「そうそう。この輪投げ屋さんもほら、焼きそばのぬいぐるみが景品みたい」
「あれ見て!」
ユウカが指差したのは焼きそばのぬいぐるみの棚の一番下に置かれた景品だった。
「あ、おもちゃの銃」
エアガンやガスガンの類ではななく、幼稚園児が遊んでいそうなごてごてと可愛い装飾やフリルがついた小ぶりなおもちゃだったが、間違いなく銃の形をしている。おそらく引き金を引くとコミカルな電子音が鳴るのだろう。
「お嬢ちゃんたち、その銃が欲しいのかい?」
「え、いやーーーー」
「はい、欲しいです!」
マキを遮りぴょんぴょんその場で飛び跳ねるユウカ。マキよりも年下だが、こう見えて成人している。
「そうかいそうかい。このおもちゃ、壊れてて音が出なくてよぉ。お嬢ちゃんたちが輪投げやってくれるなら、参加賞としてプレゼントするよ」
「本当ですか!?」
子どもみたいな満面の笑みを浮かべるユウカに、店主のおじさんも嬉しそうだった。
「よかったね、マキ!」
「え、う、うん……」
マキが視線を下げると、持ってきていたハンドバックから、おもちゃの銃のピンクの銃口がのぞく。あの場の空気的に断るわけにもいかず、マキは結局焼きそばのぬいぐるみとおもちゃの銃を小さなハンドバックに押し込むはめになった。
「じゃ、今日はこの辺で。バイバーイ」
電車の時間が迫っているからとユウカは一人で改札口へ走っていった。ユウカのために空けていたマキにはこのあとの予定がないので、一緒に走る気にはなれなかった。開放感とともにドッと疲れが湧き、マキは駅の入り口付近のベンチに腰をおろす。
「はああぁぁーーーーっ」
盛大にため息をついて、マキはハンドバックから若干はみだしてしまっているおもちゃの銃を取り出し、そばのゴミ箱に入れる。
スマホを確認すると通知が山のように来ていた。
ほとんどがマキ宛てのダイレクトメッセージで、マキは木製のベンチに深く腰かけながらその一つ一つに丁寧に返信していく。クリエイターを道具としてしか見ていないプランナーにいい顔をして、納期の短さに不満を募らせるクリエイターのご機嫌取りをし、返信を待っている間SNSで知り合いたちと絡んで人脈を維持することも忘れない。
まったく持って楽な仕事ではなく、付き合いが終わった今日でさえ、マキに休む時間はない。それでも、マキはかつて務めていた給料の低いブラック企業時代と比較し、あのころよりよっぽどいいからとめげずに続けてきた。
今日このあと、とんでもない事件に巻き込まれるまでは。
「きゃーーーーっっ!!」
突然、駅前の広場でつんざくような悲鳴が上がる。マキはスマホをハンドバックにしまって立ち上がり、声のした方に視線を向ける。
大勢の人々が雲の子を散らすようにして逃げていくのが見えた。騒ぎの中心は立ち並ぶ出店のせいでよく見えないが、何か起きたに違いなかった。
「マキ、僕を使え」
逃げるべきか、様子を見に行って助けるべきかと迷っていると、ゴミ箱から声がする。
「は?」
振り返っても誰もいない。そこには山盛りのゴミ箱があるだけだ。
「疲れてるのかな……」
こんな状態で助けに行っても足でまといになるだけだ。目頭を押さえながらその場を立ち去ろうとするマキの背中に、再び声をかけてくるものがいた。
「助けたいんだろ? 僕を使えっ!」
はっきりと聞こえてくるその声は、海外のドラマの吹き替えみたいだ。
マキがロボットのようにがちがちに固まった体で振り返ると、ゴミ箱の積み上がった山の上でぴょこぴょこ跳ねる物体があった。
さっきの”おもちゃの銃”である。
ピンクをベースに白のフリルや丸いダイヤのような宝石の装飾でこれでもかとデコレーションされたそのおもちゃは、相変わらず吹き替え版みたいに大げさなテンションでマキに呼びかけてくる。
「やっと気づいたね、マキ。さぁ、僕の引き金を引いて、マザー・ウルフに変身するんだ!」
「スピーカーか何か、入ってるのかな」
遠目におもちゃの銃を見つめながら、マキはなんとか目の前の非現実に理由をつける。そうだ、きっと誰かと通話がつながって喋れるようになっているに違いない。
「信じてないな、マキ? 喋ってるのは僕だ。通話なんかしてない。僕は直接君と話してるんだよ?」
言い当てられ、ドン引きしてあとずさるマキ。
「ていうかなんで私の名前知ってるの?」
「なーに言ってるんだ、君のことならなんでもわかるよ? ……そんなことより街の人たちが危ない。早く変身するんだ」
「……」
「マキ!?」
付き合っていられないと無言で立ち去ろうとするマキの耳を、ドンという鈍い音が叩く。それは紛れもなく爆発音だった。
「え?」
振り返ったマキの目に飛び込んできたのは、黒い煙をあげて炎上する広場。建っていた出店はぐしゃぐしゃになって地面に散乱していて、今はもう見る影もない。
危険だと悟った野次馬たちが慌ててこちらに逃げてくる。その波に飲まれ、転倒して泣き出してしまった小さな男の子が一人。両親とはぐれたのだろうか。
「……」
男の子の泣き声がマキの心をぐっとえぐる。胸のうちで煙のように広がるものを押し殺すことができなかった。
「マキ、すでにけが人が出ているかもしれない。早く変身しろっ!!」
「……誰かが助けてくれるでしょ、きっと」
ぽつりとつぶやいて、駅の改札へ向き直ろうとするマキの視界の端に、黒煙の中から現れた謎の集団が映り込む。
「なんだあいつら!?」「人間なの?」「特撮の撮影か何かだろ」「なんだ、じゃああの子どももエキストラか」
逃げ惑っていた野次馬たちは踵を返し、口々につぶやく。
爆発の煙から現れたのは顔までもおおう黒の全身タイツに、頭から太いひものような茶色いもじゃもじゃの塊を生やした奇妙な格好の集団だった。その姿はたしかに特撮ヒーローの敵役のようだ。だがこの場にカメラマンはいない。そして男の子は未だに地べたに座り込んで泣き叫んでいる。彼を助けるヒーローも、きっといない。
いるとすれば、それはーーーー
ゴミ箱からおもちゃの銃を拾い上げ、マキは走り出す。
「大丈夫!?」
男の子のもとへ駆け寄り、優しく声をかける。怪我はしていないようだ。抱きついてきた男の子の頭をなでてやっても涙がひっこむことはなかったが、どうやら腰が抜けて動けないというわけではなく、一人で歩けそうだ。
「ここは危ないわ。早く逃げましょう?」
「待て」
男の子の手を引いて一刻も早くその場を離れようとするマキの背中に、野太い声がかかる。
「誰?」
声がしたのは依然として立ち上る煙の中からだった。黒煙越しに、二メートルをゆうに超える大柄な人影が見えた。
『やき?』『やきやきぃー!!』『やきぃ!』
茶色いもじゃもじゃに黒の全身タイツの集団が前進しながら二つに割れ、そこから巨大な影の正体が姿を現す。
「なんなの?」
全身が黒タイツ集団の髪の毛と同じ茶色の太いもじゃもじゃのひもでおおわれていて、その上に白い鎧を着込んでいる。両肩に青のりをまぶし、頭頂部には紅生姜がちょこんと乗せられていた。手足がなければ焼きそばを積み上げた塊だと言われても信じただろう。
そう、焼きそばである。焼きそばなのである。
よくよく見れば下っぱらしき全身黒タイツ集団の頭の上のもじゃもじゃにも青のりがまぶされており、色合い的にも同じ焼きそばのようだ。
「その子どもを渡せ」
『やきぃーー!』『やきやきっ』『やっきぃーー!!』
リーダーらしき鎧を着た焼きそばの塊が男の子を指さす。取り囲む全身タイツ集団は奇怪な鳴き声を上げて喜んだ。
「あなたたち何者? 一体何が目的なの?」
マキがわけがわからないと言いたげにつぶやくと、鎧を着た焼きそばは重い口を開いた。
「我々はロスト・フーズ。切り刻まれ、煮込まれ、こねられ、熱せられた挙句捨てられていく食べ物たちの、踏みにじられた命から生まれた怨念だ。我々は人間と食べ物の地位を逆転させ、復讐を果たすために今ここにいる。人間の子どもは計画遂行のための重要な鍵となる。とっとと渡せ」
「嫌よ」
目を見据えてきっぱり断ると、右手に握っていたおもちゃの銃が喋りだす。
「マキ、アイツは焼きそば怪人の総帥、ソース・イ・焼きそばだ。変身せずに倒せるような相手じゃない」
「なんなのよその”変身”って」
男の子におもちゃの銃の声は聞こえていないようなので、マキも不審がられないよう小声で聞いた。
「銃を空に掲げながら、ムーンライトアップ!! って叫ぶんだ。そうすれば君はマザー・ウルフになれる」
「はぁ? こんなときに何言ってーーーー」
マキのほほを一本の極太麺が掠めた。それは鞭のようにしなってびたんとコンクリートをえぐり、縮んでソース・イ・焼きそばの左手首へ帰っていった。
「子どもを渡さなければ、次はお前の脳天をえぐる。死にたくなければ大人しく従うことだな」
「チッ」
舌打ちをした後、マキがつないでいた左手を離すと、男の子はマキに飛びついてきた。
「おいてかないで」
「大丈夫だから。私を信じて」
マキが優しくさとすと、男の子はうながされるままマキから一歩身を引く。
「それでいい。その子どもをこちらに向かって歩かせろ」
ソース・イ・焼きそばが言い終わる寸前の隙をついてマキはおもちゃの銃を空に掲げ、かけ声とともに引き金を引いた。
「ーーーームーンライトアーーップ!!」
引き金を絞ると同時に打ち出されたのは光の塊と灰色の煙だった。煙は重力に従って振り降りてきて、マキの全身を包み込む。
「何? なんなのこの煙」
不思議と咳き込むことはなかった。煙の中にいるのにやけに明るい。マキが光源である頭上を見上げると、小さな球体が青白く光り輝いていた。
その表面に刻まれた模様の美しさに目を奪われた、次の瞬間。
『ワオオォォーーーーーーーーーーーーーーーーーンッッ!!!!』
どこからか狼の遠吠えが聞こえたかと思うと、マキの体が変化し始めた。
「今度はなんなの!?」
両手の爪が獣のように太い鋭く尖った鉤爪に変わり、長い黒髪は赤茶色に変色しながらその毛量を増やし、これまた獣のようにボサボサなものになる。両サイドにあったはずの耳は引っ込んだかと思うと頭頂部から出てきて左右に分かれ、ふさふさの獣耳になった。
……そしてなんの関係があるのか、マキの控えめな胸が空気を入れたように膨らんで立派なものになる。同時にマキは甘いミルクのような、母性溢れる香りが自分の体から発せられていることに気が付いた。
「何!? なんでこんなことになるの? 変身ヒーローになるんじゃなかったの!?」
自分の体をあちこち調べていると、なんとお尻の谷間から尻尾まで生えてきていた。
「何を驚いているんだ、マキ。君は母性ある獣、マザー・ウルフに変身したんだよ。体が変化したのはそのせいだ。その体でならソース・イ・焼きそばもきっと倒せる。さぁ、行くんだ!」
「……はぁぁーーーーっっ!?」
素っ頓狂な声が黒煙の上がる駅前の広場に響わたった。
誰あろう、二十歳を超えた女性、マキのものである。
戦え、マキ。
ロスト・フーズの陰謀から、人々を守るために。
ご愛読ありがとうございます。好評でしたら連載します。




