だってモブなんですよ?
リハビリ作品です
むせかえるような薔薇の香り。
抜けるような青空のもと、あたり一面に咲く深紅の薔薇と、涼やかな水音を響かせる噴水。薔薇の向こうに見える白い屋根は四阿で。
目の前には片膝をつく金髪の男性。白地に金の化粧紐の上着は王国騎士団の正装で、こちらに見せている柔和な笑みには見覚えがありました。
からん、と鐘の音が響いた時、かちりと頭の中で何かがはまった気がしました。
――これ、イベントの真っ最中じゃない?
しかもシナリオ終盤の、最重要シーン。夜会を抜け出して薔薇園にやってきたヒロインに、最も好感度の高い攻略対象者が告白する。
好感度が十分であれば、手に手を取ってハッピーエンド。他に攻略対象者が同席している場合は同率一位で、その場合は片方を断っても二人目から求婚されてハッピーエンド。
足りなければ「冗談を真に受けるなんて」と笑われて、恥エンド。
そして、ある条件を満たしていれば、トゥルーエンドの道が開く。
一面の深紅の薔薇とガーデンパーティーは、トゥルーエンドの証で。つまりはこれ、トゥルーエンド、な訳なのですが。
「どうして……」
「君に惹かれてしまったから」
つい口から溢れた言葉に、男性は蕩けるように微笑む。
――いや、あなたに聞いたわけじゃなかったんだけど。
「でも、あなたには婚約者がいらっしゃるでしょう? エドワード殿下」
そう。目の前に傅いているのはこの国の第二王子。王太子を軍事面から支えるべく、騎士団に身を置く美丈夫。
でも、わたしはヒロインではなく、悪役令嬢でもない。ただのモブで地方の貧乏領主の娘で、王子に話しかけられるような身分じゃないのですよ?
先ほどの鐘の音がきっかけになったのか、欠けていた記憶が流れ込んで来ました。――ええ、攻略者としての記憶が。
もうお分かりでしょう。ええ、わたしは前世の記憶を持つ転生者です。しかもこの世界がとある乙女ゲームとそっくりであることも知っていました。だって、全シナリオコンプしたもの。それくらい、やり込んだ思い入れのある作品でした。……先ほどまでタイトルも詳しい攻略法も思い出せなかったけれど。
でもヒロインと悪役令嬢と攻略対象者の顔は覚えていたし、大体のイベント発生時期も覚えていたから、おっかけていればいずれイベントが見られるはず、と今日も追っかけて来たのです。
だから、ここでイベントが起こったのはある意味期待通りだったのですが。
……どうして相手がわたしなのでしょう。しかも、トゥルーエンド。
「婚約ならとうに白紙に戻っている」
いやいやいや、そんなはずありませんよね?
先日の夜会でファーストダンスを踊っていらっしゃったではないですか。公爵令嬢と仲良さそうになさっていましたし、白紙撤回されたようにはとても思えませんでしたよ?
それにあの方は上昇志向のお強い方。そうそう簡単に王族入りを諦めたりはしないと思うのですが。
「彼女は兄と婚約を結び直したから、私は用済みなのだよ」
「……それは」
確かに、それならわからなくもないですわね。この国の女性の最高位たる次期王妃として立てるなら、そちらを選ぶでしょう。彼女はそんな方です。
「それに、彼女にとってはあの人の弟でしかなかったからな。もしあのまま結婚していたとしても、仮面夫婦になっていただろう」
公爵令嬢が王太子しか見ていなかったのは側から見ていてもわかっていました。ヒロイン乱入で婚約者の交代劇が起こったあとも、彼女はエドワード殿下と距離を置いたままだったもの。
「その詫びとして父上が一つだけ願いを叶えてくれるというので、伴侶を自分で選ぶ権利を得たのだ」
「はぁ……」
ならもっと条件の良い女性を選ぶべきなのでは、と口に出かかったけど、殿下の雰囲気がちょっと黒くて口を閉じておく。……まさか、ヤンデレ属性持ちだったりしないですよね? そんな設定、公式にも非公式にもなかったはず。
それに、以前の婚約者はどうしたの、と思ったけれど、確かラーラ様は先日幼馴染と婚約披露していたことを思い出した。
だからって、わたし選ばなくても良いのでは?
と言うかヒロインどこ行ったの。ここには彼女がいなきゃ始まらないのに。
まさか、トゥルーエンドルート開いておいて、本人トンズラ?
王太子の婚約者が公爵令嬢に戻ったと言うことは、ヒロインってば攻略に失敗したの? 確かヒロインは男爵令嬢だけど聖女の力が目覚めて王太子妃に内定していたはずなのに。
「あの、聖女様は」
「ああ、彼女なら神殿に入ったよ。世俗とは二度と関わらない」
「神殿」
それって唯一のバッドエンドルート……ヒロイン、やっぱり第一王子の攻略失敗したんですね。
ええー……結婚式のスチル、楽しみにしていたのに。
「だから、安心して嫁いで来て欲しい。アイリスも君が義妹になるのを楽しみにしているようだし」
アイリス嬢がわたしのことを認識していたなんて。
目を見開くわたしに、エドワード様は目を細めて微笑まれる。
これ、断っても……いいのよ、ね?
トゥルーエンドで相手の手を取らないって、ありだったっけ……?
いや、そもそもトゥルーエンドに選択肢はなかった、はず。
戻ったばかりの攻略情報を必死で脳内検索するけど、出てくる情報は役に立たないものばかり。
条件を満たした時点でルートが確定するから、あとは怒涛のようにエンディングになだれ込む、だ、け、で。
……詰んだ。
エドワード様は立ち上がると硬直したままのわたしの手をするりと掬い上げ、手の甲に唇を寄せた。
「エマ。……こうやっても逃げないということは、少しは好意を持ってもらえてると思ってもいい?」
「エ、ド、ワード、様」
ああ、だめだ。失敗した。逃げるルートがもう見当たらない。
たかが地方領主の娘が王子に逆らうことができようはずがない。強行すれば家ごと潰される。
「ふふ、狼狽えている君も可愛いね。ねえ、断ってもいいよ?」
蕩けるような笑みを浮かべながら、エドワード様はわたしの手に頬を寄せる。
「顔に書いてある。できることなら逃げたいって。……逃げてもいいよ? 追いかけてつかまえる楽しみができるから。捕まえたら二度と手放してあげられないけどね?」
それってエドワードルートのバッドエンドそのニ……。逃げ出したヒロインは捕まったのち、式も披露宴もすっ飛ばして結婚。二度と公には姿を表さなかった。裏設定では、捕まえた聖女の足を切ったとかあった気が……。あれは二次創作だった。
今のわたしにできるのは、最善のルートに落ちつかせることだけ。……ああ、胃が痛い。
「……エドワード様のお心のままに」
全攻略対象の好感度が下限スレスレでこのシーンに突入した時に出る唯一の選択肢。好感度がギリギリで全員同じだとランダムで選ばれた攻略対象者との「愛のない結婚」ルート一択になるのだった。出そうとすると結構難易度高かったんだよね。
いわば「わたしはあなたを愛していません」と宣言したようなものなんだけど。
エドワード様は目を見開いたあと、さらに嬉しそうに微笑んだ。
「嬉しいな、どんな私も受け入れてくれるんだね。ああ、君が私を選んでくれるなんて、本当に嬉しいよ」
え、そんなこと言ってませんけど。
というか、この塩対応な態度を見れば「(立場上断れないので仕方なく)お受けします」ってことくらいわかると思うんですけど?
何でそんな解釈されるんですか!
「あ、あの」
「分かっているよ、可愛い人。君の想いはちゃんと受け止めたから。じゃあ、行こうか」
えっと、どこに行くんですか。取られた手を握られたまま、どんどんと王宮の奥へと踏み込んでいく。いや、あの、わたしみたいな木端貴族が入れない場所のはずなんですけど!
せめてもの抵抗で歩みを緩めると、いきなり抱き上げられました。そのまま疾走って、何なんですかっ!
落とされないようにしがみついているうちに連れ込まれたのはなんと国王陛下の執務室で。
あれよあれよという間に何やら書類にサインさせられ。
我に帰った時には婚約者になっていました……。トゥルーエンドからなだれ込むとは知ってたけど、まさか、まさか、その日のうちに床入りするだなんてっ……。
「大丈夫、式までは本番はしないから」
なんてしれっとベッドにわたしを押し倒して言い放つエドワード様。
ななな何てこと言うんですかっ! これ、全年齢版なんですよっ!
それに何でわたしなんですかっ! ただのモブなんですよっ? 王家にとっては何の旨みもない、吹けば飛ぶような地方領主。わたしを選ぶ理由がわかりません!
「言っただろう、私の我儘だ」
「ですがっ」
「それに、私の心に沿ってくれるのだろう?」
そんなこと言ってない! いや、字面通りに受け取ればそうだけどっ、違うことくらいわかってるでしょうっ!
はめられたっ、言質取られたっ!
「大丈夫、すぐに君も私を愛するようになる。いや、もう愛してくれているだろう? ……愛しているよ、エマ」
「どうして」
「あれほど熱い視線を向けられて気が付かないはずがない。学園に入学してからずっと、私を見ていただろう?」
「あ、あれはっ」
確かに、ヒロインが入学して来た時から、イベントを見逃さないようにずっと追いかけていました。でもそれは、スチル回収のためでっ。
「それに、愛の花を捧げてくれた」
「え」
トゥルーエンドの条件の一つ。
『愛の聖人祭りの日、攻略相手に聖人の花と呼ばれる白い花を贈り、受け取ってもらうこと』
けれど、花を渡した記憶はない。
確かに、この日はイベントが起こりやすいからと、攻略対象者の追っかけをしていたけれど、エドワード様の勘違いでは?
と言いたかったけど、現にトゥルーエンドになっている以上、わたしの何らかの行動が認定されているわけで。首を傾げているとエドワード様は眉尻を下げた。
「落としたハンカチを拾ってくれただろう?」
「あ――」
思い出した。風に飛ばされたハンカチを拾って渡す時、風に乗って飛んで来た白い花びらがふわりと乗ったのを。
あれなのっ? そんなことで認定されるのっ?
「あの花は思い合う二人でなければ舞い降りないものだ。これほど確かな愛の証はないだろう?」
そんな裏設定っ……あったわ。戻って来た記憶の中にありました。ああ……わたしはもしかして、知らず知らずのうちにヒロインの攻略を阻害していたの? だからヒロインは攻略に失敗したのか……。
でも、花じゃなくて花びらよ? 互いの思いが強ければ強いほど、大輪の花が落ちてくる設定で花びら一枚。『興味があります』程度でしょうにっ!
「まあ、私の愛にはまだまだ及ばないが、私を愛していることは間違いない」
どうだ、と言わんばかりのエドワード様の顔は年齢に似合わず可愛く見えて、うっかりときめいてしまった。
このあと、第一王子とアリシア様が飛び込んで来て九死に一生を得たり(いやまあ殺されはしないんですが、乙女の危機的な)、他の攻略対象者たちまで押しかけて来てエドワード様がブチ切れたり、エドワード様を狙っていた令嬢が突撃して来たりと、とてもとても長い一日となりました……。
ちなみにまだ王宮にいます。というかエドワード様が帰らせてくれませんでした……。
とまあ、攻略情報通りっちゃーそうなんですが、何でわたしがヒロインポジションなのでしょう。
他の攻略対象者の方々についても確かに追っかけていましたけれど、第一王子ルートに入ったとわかってからはそれほど付き纏ってなかったのですが?
ちなみに、この謎は後にヒロインと会った時に氷解しました。王妃になってしまうと聖女として動けなくなるから、ヒロインの役目を放棄したのだとか。それにしては結構スチル回収できましたけど(わたしが)?
と聞いたら、何とかシナリオを外れようとしたけどうまくいかなかった、でも愛の聖人祭り以降ルートから離れることができて、神殿ルートに乗れたのだとか。
……わたしが迂闊にトゥルーエンドルートを開いたせいですね。本当にすみません。謝罪したのだけれど逆に感謝されてしまいました。
「エマ」
「エドワード様」
エドワード様がお仕事から戻って来ました。ちょっと浮かれた様子の旦那様は、ソファに座るわたしの横に座ると頬にキスを落とし、それからそっとわたしのお腹に手を当てて、ふわりと笑みを浮かべました。
……ええ、まだ目立ちませんが、来年の春頃には家族が増える予定です。
ちなみに旦那様は結婚後、王位継承権を返上して公爵位に就きました。これならわたしが公務に出ることもないからだそうです。そういえば独占欲が強い設定でしたね。まあ、旦那様は設定よりもかなり嫉妬深い方なので、ほぼ軟禁状態ですけれど。
「エマ、どうかしたか?」
旦那様が心配そうに覗き込んでくる。本当に優しい人。あの時の俺様ぶりが信じられないくらい。
そう以前聞いたら、わたしを手に入れるために必死だったとか。ふふ、可愛い人ですよね、本当に。
「いいえ、幸せだなぁって思っていたのです」
「そうか。……お前の幸せは私の幸せだ」
そっと目を逸らして呟く旦那様。……実は強引に手に入れた結果、わたしに嫌われていると思っているそうなのですよね。
ふふ、今更ですのに。
「旦那様、愛しています」
そう告げれば目を丸くしたあと、得意げに目を細めて。
「いや、私の愛の方が深い」
いつもこう返してくる。
エドワード様の妻が木端貴族の娘なんかで良かったのかと今も思ってしまうけれど、旦那様の愛を疑ったことはありません。
物語の終わりは『そしてみんな幸せに暮らしました』で締めくくられるけれど、わたしたちはこれからも生き続けていくのです。
まさかモブのわたしがこんな結末を迎えるとは思わなかったけれどね。