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98 嫉妬

 護符の大きさに合わせて紙を切り揃える作業に飽きてきた頃、折り目に沿わせたナイフが繊維に引っかかり斜めに切断され、ディネウは顔を顰めた。小さく切った紙の山は幾つも出来上がっているがまだまだ半ばだった。


「そうだ、これは伝えておかないと…。収穫祭に間に合うように聖都の神殿から地元に帰った神官が一定数いるらしくてな」


 『聖都』という言葉に不愉快ように目を細めたシルエは「うん、それで?」と先を促す。

奇蹟の使い手を確保しておくため、巡礼、修行という名目で聖都に招き、本人の意思に関わらず、不当に拘束されていた神官は多かった。導師が引き起こした裁きの術をきっかけに神官たちにも希望の聞き取りが行われ、無事に解放されたのだろう。

同時に、地方の小さな神殿の神官や見習いにとって憧れでもあり、招かれるのは名誉でもあった聖都の評判はどう変化するのか。彼らはこれまで通りに口を噤むのか、変革を望むのか、まだ潮流はわからない。


「それで、導師の死が地方にも伝わっているようだ。葬儀は済んでいるから哀悼の式典を執り行うべきだ、なんて声も上がっているらしい」

「えー、いらなくない? 導師の存在を利用はすれども、そんなに慕われていなかったと思うけど。僕、なるべく交流しないようにしていたし」


 神殿長をはじめ、導師に反感を持っている者は多くいた。それは神殿に帰属しない態度のため信仰心がないだとか、副神殿長による寄付金集めが導師の欲によると思われていたため、または単なる嫉妬に、力を出し惜しんでいると疑う者など。敵視する者の把握はしていたし、態度が公平で信用できる者も少数いたが、敬われていたかといえば覚えがない。


「同じタイミングでアンデッド騒ぎとお前の活躍だ。口止めするのを忘れていたせいもあるが、どちらにしろ『治癒士』の存在が露見するのは時間の問題だろ」

「僕も不可視の術が使えたら良かったのかなぁ? でもコソコソするのは性に合わないし。意思確認もせずに傷を治すのは問題あるし」

「王都の時だけなら誤魔化せたかもしれないが…。導師が死んで、消えた稀代の治癒士が帰ってきた、もう面倒くせぇことになるのは覚悟しておけ」

「覚悟って言ってもなぁ…」


シルエがつまらなそうに唇を突き出す。年齢に見合わないそんな拗ねた表情も、ほわほわの淡い麦わら色の髪をした、やや童顔のシルエがすれば違和感がない。

骨が浮き出るほどに痩せ衰え、落ち窪んでぎょろりとした目、整髪油でぺったりとした頭。実年齢よりも老けて見える、そんな導師の姿しか知らない者には今のシルエは同一人物とは思わないだろう。


「…まあ、しょうがないか。いっそ堂々と出て行こうかな。サラドだってもう隠れる必要ないんだよね?」

「王都へは行けないし、積極的に表に出て行くつもりはないよ。…疑いが晴れたわけじゃない」

「だが、そうも言ってられないだろ? サラド、お前さ、各地の自警団の代表に護符を預けに行くのに同行してくれ。傭兵や自警団のヤツらに改めて紹介する」

「えっ、でも…」


サラドはディネウの意見には消極的で気が乗らない様子だ。


「この分だと、この先、何があるかわからない。戦力を分散しなきゃならないこともあるだろうし、俺がいなくなったとしても協力体制が途切れないようにしておいた方がいい。いつまでも代理とか仲間の一人とか曖昧な存在じゃなくて、従うべき相手だって認識させたい」

「うーん…。でも、そういうの苦手だし…」

「いなくなったらって、何? ディネウ、いなくなる予定でもあるの?」

「ただでさえ傭兵を率いて実権を握ろうとしているなんて疑われているから、俺も引退を表明していたんだ。『最強の傭兵』っていう旗印がなくても傭兵と自警団が連携できる組織に育ってきているし」

「ディネウが引退? 何を? 冗談でしょ?」


さも可笑しそうにシルエがぷぷっと吹き出した。


「お前な…」


 会話をしつつもシルエは版木に赤い溶液を刷毛で塗り、紙を裏から円を描くように摺りながら術を込めていく。ぺりっと剥がしたものをサラドが受け取り、斑や欠けがないか確認して乾燥させるため重ならないように並べていく。ディネウは次々に紙を折ってナイフを沿わせていた。


ノアラは今日も地下にこもっている。音で砂が描く紋を書き写す助手にテオを連れて。一度、研究課題に集中してしまったら、それにかかりきりになるのはいつものこと。緊急時や転移が必要な時には必ず手を止めてくれることも知っているため、三人ともこちらを手伝えとは言い出さない。


「あくまで傭兵たちはディネウを慕っているんだし」

「あ? そうでもないだろ? あの村の衛兵みたいなヤツもいるし」

「自称サラドの弟子?」


からかうようなシルエの声は実に面白くなさそうだ。


「今までサラドのことはうやむやにして詮索するなって圧をかけていただけだし、あいつらもなんとなく事情を察してくれていたし。水道工事ん時も、俺は図面とか見てもよくわかんねぇし、何か質問されてもコイツのこと頼っていたから、傭兵たちからは俺の右腕って言われていたし、問題ねぇだろ」

「は? サラドがディネウの右腕?」


紙を摺るシルエの手がピタリと止まる。同時にほんわりとした光も失せ、術が途切れた。明るい緑色の目が据わる。


「俺が言ったんじゃねぇぞ。やめろ。そんな顔すんな」

「オレは嬉しいよ。ディネウの右腕だなんて光栄だろ」

「おま…、本気か? やめろ。シルエが怖ぇって」

「じゃあ、僕。僕はサラドの右腕だから!」


「頼もしいな」と言ってサラドは穏やかに笑んだ。ディネウはサラドが末の弟の執着に気付いていないのか、この射殺すような目つきを何とも思わないのか疑問に感じた。おまけに「二人は相変わらず仲がいいな」とかとぼけている。


「じゃあさ、僕も連れて行ってよ。ついでに僕のことも紹介して?」

「いいのか? お前を利用したがる人間はごまんといるぞ」

「そう易々と僕をどうにかできると思わないで欲しいね。僕には『威厳』と『慈悲』がある。うまいこと人を動かせられると思うよ」

「そのわりに一番怪しい聖都に引っかかってたけどな」


シルエがビシッとディネウを指さす。「熱っ」と悲鳴を上げてナイフを取り落とし、ディネウは手首をぶんぶんと振った。距離があるからと油断していたと恨めしく睨んでもシルエはわざとらしく肩を竦めるだけ。


「てめっ、なにするんだ」

「ちょーっと、光を集めただけじゃん。大袈裟だなあ」

「こらっ、シルエ」


 手の甲がヒリヒリする程度に極々出力を抑えてディネウに向けたのは、攻撃術のなかったシルエが自身の扱える力を活かせないかと考えて開発した、陽の光を凝縮して敵の身を焦がす技。ノアラの魔術に比べたら攻撃威力は小さく地味だと感じてしまう。脇腹を突く代わりの悪戯のつもりだったが、サラドに低く抑えた声で咎められ「…ごめん」としゅんと肩を落とした。


「…まあ、四人揃ったとなると何言われるかわかったもんじゃねぇけど」


手をさするディネウにサラドが治癒をかけるのを目にしてシルエはまた「むうっ」と口を尖らせた。



 地下から小走りで上がって来たノアラはいつもの無表情の中にも興奮した様子が窺えた。「演習室、空いたの?」と聞くシルエにも「おやつ、置いてあるよ」と言うサラドにも高速で頷き、おやつを皿ごと持って自室に急ぐ。


「ありゃ、何か閃いたっぽいね」


かなりの集中力を要したのか遅れて来たテオはへろへろだった。「おやつを食べたら昼寝するといいよ」という言葉にこくんと頷いて、疲れと眠気に目を擦り、緩慢な動きでもしっかり甘味を堪能する。


「おい、シルエもノアラも…、あんまりテオをこき使うなよ?」

「人聞きが悪いなぁ。テオだって手伝えることがある方が嬉しいよね?」


テオはぽやっとした顔でへにゃりと笑い、頷いた。どことなくサラドの笑顔に似てきている。


「僕もおやつをもらって一休みしよっかな」シルエは首の後ろを揉んで伸びをした。



 地下の演習室の床には所狭しと摺った護符が並べられている。また一枚、サラドが摺りディネウが受け取って追加された。


「まったく、人使いが荒いな」

「まあ、そう言うなよ。さすがにあの枚数に一枚ずつ術をかけていたら疲れる」


そろそろ床面が護符で埋まるという頃、申し合わせたようにノアラとシルエがそれぞれ地下に降りてきた。


「おー、壮観だね。ここ、丁寧に並べればあと二枚は並べられるよ?」

「うるせっ」


細かい指摘にディネウが悪態をついた。猫っ毛に寝癖をつけたままのシルエは床の護符を避けて中央に進む。ぐるっと見回し「一回では無理かな…」とぽつりと呟いた。


「ノアラ、何か思いついたの?」


護符の件が優先だと遠慮して、扉の側に控えたままそわそわした様子のノアラにサラドが声をかけた。


「…音を術にしてみた」

「ホントに? もう形にしたの?」


驚き、振り返るシルエにノアラがこくりと頷く。


「まずは、魔物の攻撃の疑似だが…」

「やってみて!」


「でも…」と躊躇うノアラに「いいから!」とシルエが催促する。ノアラは片手を耳に当てて、耳を塞ぐように促した。サラドとディネウは素直に両手で耳を覆い、シルエは腕を組んで「いつでもどうぞ」とでもいわんばかりに顎をしゃくった。


 できたてほやほやの詠唱が紡ぎ終わると、特に音はなくピリッと空気が揺れた感触とツンッとした耳の痛みが走った。床に並べられた紙の端が少しだけ浮いて捲れる。

サラドは耳を押えたまま眉根を寄せてじっと痛みが去るまで堪え、全身に鳥肌が立ったディネウは「気持ち悪ぃ」と言って頭をバリバリと掻いた。シルエはほんの少し目を細めただけ。


「…うん、確かに。獣の咆哮やゴーストの悲鳴みたいな攻撃に近い。動きを縛したり、恐怖で戦意を失わせる効果の」


ノアラがこくりと頷く。


「本当は違う…補助的な術にしたかったんだが、どうしても攻撃の方が再現しやすくて。このままだと敵だけでなく味方にも害があるし」


言い訳のようにノアラはしどろもどろに答える。


「僕ら相手だからかなり手加減したでしょ? 不可視の状態でこれを使われたら音も気配もなく急に身が竦んで動けないとか、混乱そのものだろうね。まだ悲鳴でも恫喝でも、聞こえた方が何が起きたか理解(ヽヽ)はできる」


ノアラ自身は大声を出すのが苦手なため、人の耳には聞こえない振動を起こしたのだが、意図せずその方が恐怖は大きいと指摘され、気まずそうに視線を落とした。

ディネウは奥歯をぎゅっと噛んで、術の効果を振り払うように体を大きくブルリと震わせた。考え込むように組んだ腕の肘を指先でトントンと叩いていたシルエがはぁっと大きく息を吐く。


「もう…、また先を越された! なんなの? 新しい要素の術を簡単に完成させるとか! 天才なの? 羨ましい、悔しい、ずるい」


シルエが地団駄を踏むのを見て「えっ?」とノアラが顔を上げる。その様には成功への妬ましさだけでなく、ほんの少しの誇らしさも感じた。素直ではないがシルエの最上の褒め言葉であることは長い付き合いでわかる。ディネウが苦笑し「比べたってしょうがねぇだろ」と首の後ろをポリポリと掻き頭を振った。まだ逆立った毛が治まらないらしい。


「魔物が本能的に使っていた技を、今までに魔術になかった系統の力を、現わしたんだよ。凄いことなんだよ。これを嫉妬せずにいるとか…」

「ああ? 凄いよな。よくわかんねぇけど」

「ディネウは覚えられないとかいって奇蹟にも魔術にも無関心で、本当に勘だけで生きてるような単細胞だよね! 馬鹿みたいに重い剣を棒きれみたいに振り回すし、野生児みたいに敵の攻撃を見切るし、阿呆みたいに体力もあるけど、どんな武器でも手にしてすぐに涼しい顔で使い熟す人がいたら嫉妬しちゃうでしょ。実はサラドのこと『コイツなんなの』とか思っているんでしょ?」

「おい…。褒めてんのか貶してんのか、はっきりしろ」


ボリボリと頭を掻いて「俺から見たら二人共すげぇんだけどな」とディネウがぼそりと零しても、シルエはギリギリと歯ぎしりをする。


「あー、僕だってずっと奇蹟と魔術の相違と併用について研究してたのにっ」

「お前、それ、まだ諦めてなかったのか…」

「当たり前でしょ! 聖都に行ったのもそれが目的だし、ずっと調べてたよ!」


悔しさに悶えてディネウに絡んでいるシルエを余所に、サラドはノアラに近寄った。



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