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95 兄を想う人

「おーすっ。帰ったぜ」


 玄関扉を潜って入って来たディネウをシルエがつまらなそうに一瞥する。「ふんっ」と鼻が鳴らされた。

サラドとテオが出掛けようとした際に「一緒に行く」と、だらしなく着崩していたシャツを慌てて直したのだが、救援信号があった場所の事後確認に向かうというディネウに邪魔されているうちに二人はノアラにより転移されており、置いてけぼりをくらったシルエは絶賛不機嫌中だった。


「お、おう…。まだ機嫌直っていないのか…」

「べっつぅーにぃー。いつも通りですけど?」

「どこがだよ! 睨むな!」


シルエはテーブルに載せた二枚の紙上に出した砂を指先で悪戯にザリザリと擦った。

サラドから預かった緑色の粒子を含んだ砂。土の精霊が言うには片方は『黒いのと煩いの』が来て『キラキラしたものを抜いていった』のだという。


「確かにこっちは含まれる緑色の粒子が少ない。しかも、毒が抜かれている。いつ来るかわからないサラドのために、せっせと砂を集めておくとか、土の精霊は健気だねぇ」

「黒いのと煩いのって何だ?」

「僕が聞きたいよ。毒を抜く技術を持った者がいるってことだしね」

「お前には無理なのか?」


ディネウの疑問がシルエの気位を逆撫でたのか片眉がピクッと跳ね上がる。


「…考えたこともないけど。僕ができるのは毒を浄化しちゃうこと。毒を抽出はできない」

「じゃあ、その黒いのと煩いのとやらは毒を取りにきたってことか?」

「毒として、なのか、別の成分を抽出しようとしたらそこに毒が結合していたのかはわからないけどね。成分に関しては専門外としか」

「ふーむ…」

「とりあえず、これに関してはまたサラドが帰って来てからで」


指先でちまちまと避けてやっと少量集まった緑の粒子をそれぞれ薬包紙で包み、紙を丸めて残りの砂を元の瓶に戻すと、シルエはぐいっと伸びをし、肩に手を当てて首をグルリと回して解した。


「で、そっちはどうだったの?」

「ああ、粗方問題ねぇな。一晩で結論を出すのは時期尚早だろうがノアラの見解通りかもな。魔人は次は別の手を考えているかもしれない」

「サラドが行った南西の村は…。サラド、助けておいて逃げるようにして姿を隠したんでしょ。変な言い掛かりとか付けられてなかった?」


ディネウは少しだけ目を眇めた。


「ノアラはどこにいる?」

「書庫にいるよ。…それで、話、逸らしたつもり?」


シルエの冷え冷えとした声にディネウも観念して溜め息をひとつ吐く。


「そうだな…。ちょうど、あのガキ共がその村を訪ねていて。そいつらが村の恩人みたいに言われていたな。まぁ、ちょっとは役に立ったんだろ」

「へぇ…。運が良いのかな。彼ら」


シルエの声は平坦で興味もなさそうに聞こえるが酷薄でもある。サラドに接触し術の指導を求めてきた事実については伏せておいた。


「逃げるのでてんやわんやでアイツの姿を見た村人は殆どいないみたいで、火の術もそれで守られたのか攻撃されたのかもわかってなかったっぽいな。あの村はアイツの弟子を豪語するヤツが衛兵を勤めているから、助けられたんだって説明しているだろうがな」

「サラドの弟子?」

「ほら、いたろ。壊滅した村の生き残りで、すげぇ荒れていたヤツ。サラドが弓とか教えて面倒見ていた」

「うーん、そういう子、何人かいたから。どれだか良く覚えていないけど」


サラドが自分以外の誰かを目にかけているのが気に食わないのかシルエはムスッと口を歪める。


「それもいろいろ誤解があってな。サラドが村を訪問しないのは自分のせいだと思っていたらしくて。それが解けたもんだから俺たちの元で働きたいから傭兵に戻りたいって言い出すし…」

「何を勘違いしていたのさ」

「わかんねぇ。サラドは全く身に覚えがないみたいで、あいつはもごもごして答えようとしねぇし…」

「へぇ」

「衛兵を置くのも周辺の町村との関係が出来上がって落ち着くまでって話だったらしいんだが、村長の方は移住したと思ってるらしく…。サラドの話とごっちゃになっているのかもな」


村を訪ねたディネウに衛兵はショノアが王宮の騎士と気付かずに色々と喋ってしまったと平謝りした。何年もかけて信頼を築き、村を守ることに誇りも抱いていた筈だが「聖なる乙女が村を祝福してくれた」「得体の知れない骨に怯まず立ち向かう、新たな英雄の誕生だ」と囃し立て、救援に来た者が一掃したのだと説明しても聞く耳を持たない村長や村民に対し、急激にやる気が削げている。

「古傷はあるが役に立ってみせます!」とディネウに連れて行ってくれと懇願してきた。


「…その求婚したっていう女性には会ったのかな」

「いや、アイツ誰にも会わないようにしていたぞ。薬草の受け渡しも今回は衛兵に頼んでいたし」

「ふぅん…」

「そんなに気になるのか」

「そりゃあね」


兄が好意を寄せた人物、気にならないといえば嘘になる。


「俺が言うのも何だが…。そっとしておいてやれよ。当時、酔って忘れちまえって酒を飲ませたんだけど、そん時、アイツ…、恋歌…その、失恋というか、追い縋るような内容を口ずさんでた」


 落ち込んでいるというよりもやたら恥ずかしがっているサラドを、傭兵の詰所になっている酒場に連れて行き、無理矢理に飲ませたが口を割らない。「オレ、恥ずかしいっ」「なんで、あんな勘違いを…」と言うばかりで核心に迫るようなことは全く話そうとしなかった。

追加の酒と肴を取りに席を外した少しの間に、サラドはカウンターテーブルに突っ伏し、蕩けた目と赤い顔で何かを口ずさんでいた。


 満月に遮られて あなたの行方を探す星が見えない

 雨雲に隠されて あなたの影に追いつけない


 嵐よ 過ぎて あの人を遠くへ運ばないで

 雪よ 止んで あの人の足跡を消さないで

 風よ この想いを届けて――


酒場がしんと静まり返るほどの切ない旋律。恋愛と縁遠そうな者まで洟をグスリとすすっていた。サラドは何時になく酔い、歌っていた事にも聞かれていたことにも気付いてはいない。もし知ったら逃げてその酒場には二度と姿を見せないかもしれない。 


「恋歌! うそ…サラドが?」

「だろ? 俺は耳を疑ったし、驚きすぎて酒瓶を落とすとこだった。なんか…その、からかい過ぎたか、と」


驚きに固まった手が次第にわなわなと震え出す。サラドに「歌って」と強請っても躱されていたのに、不可抗力とはいえディネウが聞いたことにふつふつと怒りが湧いてくる。


「そんな…そんなに、その女性を…。ディネウは本当に相手を知らないの?」

「知らねぇ」

「その村の衛兵は? 知ってるんじゃない?」

「いや、村を避けている理由を知ったのも一昨日だから。当時、知っていたら誰だか必然でわかるだろ。だから教えなかったし…。なんか勝手に私怨持っても困るから」

「今回、知ったのなら今頃、相手を絞り込んでいるかもね」


悪い顔でシルエの目が仄暗く淀む。「転移できるその村に一番近い場所は…」と地図に目を馳せた。


「だから、止めろって。アイツ、生い立ちのせいで心の底から人に打ち解けないっていうか、どこか壁があるっていうか、そういうトコあんだろ?」

「うん、そうだね。傷つかないよう無自覚に、常に一線は引いている」

「それがさ、悪化したっていうか…。一見、平気そうな顔はしていたが。暗殺者をけしかけられたんなら、まあ、当然だよな。一時期は俺らのことも避けるくらいで、一人で過ごす時間が多くて。いち作業員に徹して旧知の傭兵たちとも関わろうとしねぇ。ノアラが二人になるかと思ったぜ。徐々に回復して、昔馴染みには正体を明かしたが…。そんな中、所帯を持ってもいいかって思ったわけだし…」

「自分はちょっと前にもからかってたじゃん。良く言うよ」

「…だって、ほら、忘れられたら次を探せるかもしれないだろ」

「っ! ディネウだって、いつまでも死人に愛を捧げていないで適当な誰かで手を打てって言われたらどう思うのさ!」

「うるせぇ! 俺はっ!」


シルエが全て言い切らないうちに怒鳴ったディネウは、急に膨れ上がった熱を鎮めるように深く息を吸い、長く細く吐き出した。シルエも冷静さを取り戻そうと額を手で押えてゆるゆると首を振る。


「…ほら、ね。…ごめん、僕も苛々してどうかしてた。安心して、藪をつついて蛇を出す気はないから。相手がサラドを想っていないならどうしようもないからね。無理強いしたってお互いに幸福にはならない」

「…そうしてやってくれ。お前も、塞ぎ込んだ一因だって自覚しろよ?」

「…ん」


険悪な雰囲気とだんだん大きくなる声を察し、地下室から上がって来たノアラが扉の影で様子を窺っていたことに、その時になって二人とも気が付いた。


「…ごめん。何でもないよ」


シルエにぎこちなく微笑まれ、ディネウに小さく頷かれ、ノアラはこくりと頷き返した。


「あの…、多分だが、サラドはその女性にそんなに未練はないと思う」


もじもじと躊躇いつつノアラが口を開いた。


「は? 何か知っているの?」

「気にしていたのは、その女性がサラドに気を使うのではないかとか、求婚の場を奪ったと男性が気に病むのではないかとか、気があると勘違いしていたなんて自意識過剰で恥ずかしいとか」

「サラドがノアラにそんなことを話したの?」


人間関係の話をサラドとノアラだけでしている図など意外すぎて思い描けない。おそらくは焦ったサラドが取り繕うとして喋ったのだろう。


「耕作地を持つにあたって肥料などの相談を受けていたのと、またこの家に居候させて欲しいと言われた流れで」

「ええー。…でも、そっか、未練…ないんだ」


ノアラがこくりと頷く。拍子抜けしてシルエはストンと椅子に腰掛け、両手に顔を埋めてしばらく顔を上げなかった。


 リンリンと微かな音に「諾」と返す声で、張り詰めた空気が緩んだ。シルエも徐に手を除ける。

屋敷に帰り着いたテオはいきなり紙を収納した画板をノアラの前で大きく掲げ「ありがとう!」と元気に声を張った。ノアラは何事かと首を捻りながらもこくりと頷く。


「テオが植物の記録に絵を描きたいっていうから道具を買ったんだよ。それで」


そう聞いてもノアラはなおも首を捻る。「ノアラのお金で買ったから」と言われ漸く合点がいったようだが、また「あれ?」というように逆に首を捻った。ノアラには自分の金だという概念がない。


「もうノアラが『どういたしまして』って納得しないとテオがそのままだよ」

「う、うん…。ど、どういたし…まして…」


なぜかノアラは照れながらしどろもどろに答えた。テオはパッと笑顔を見せて、画板を掻き抱き走り去る。返事をするように促したシルエも呆れてふぅと息を吐いた。



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