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92 術と音の合わせ技

 手にしたペンの軸でカップの縁をコツコツと叩く。底に少し残った水面が波打つのを見るとも無しに眺め、シルエはペン先から散ったインクで汚れた手にムッと口を歪めた。


「音、音か…。打ち消すか、共鳴させるか、特定の音域に反応させるか…」

「鐘の音まで聞こえなくしては本末転倒だ」

「わかってるよ」


下唇を突き出し不機嫌な声音を漏らしたシルエは頬杖をついていた手をずらして髪を後ろに掻いた。ほわほわの猫っ毛が気持ちぺったりとしている。地肌にじっとりと嫌な汗をかいていたらしい。


隣ではノアラが術の発動を阻害する封じの魔術陣を描いては考え込み、向けられた攻撃を術者に撥ね返す術を展開して、どちらもこのままでは使えそうにないと首を捻っている。新たな効果を付加するのも、有効性を変じさせた術を安定させるのも簡単ではない。

思いつく限りの確認作業を淡々と行うノアラに対してシルエは焦燥を隠せていない。今回は特にシルエの失敗を逆手に取られため余計に結果を急ぎ、冷静さを欠いているように見える。


「鐘だけが音を伝えるものじゃないけど、今すぐできる対策はやっておくかなぁ」


考察が煮詰まり、シルエは親指と人差し指の先でペンを摘み、ゆらゆらと揺らした。残像でペンがぐにゃりと歪んで見える。手遊びに興じたところで良いひらめきは降りてこない。

手元に書き記したのは邪なるものの干渉を防ぐ護符。これを鐘に貼れば、ひとまず警鐘を鳴らしても魔人の術を広げることは防げるだろう。しかし、国内だけでもいくつ鐘があるのか、それを考えてシルエは溜め息を吐いた。


「一番手っ取り早いのは魔人の本体を見つけて叩きのめすことだけど。それはもう完膚なきまでに」


 ぐっと拳を握る。シルエの明るいはずの目が仄暗く淀んだ時、リンリンと鈴のような音が届いた。ノアラがすぐさま「諾」と答えると、ゆっくりと呼吸をした程度の間で玄関の扉がガタリと開いた。射し込んだ光に目が刺激され、入って来た人物の顔が影になって良く見えないが、その体格でディネウだとわかる。もうとっくに夜が明けているのに締め切ったままの室内はぼんやりとした灯りだけで薄暗く、より明暗がくっきりしていた。


「うわー、朝陽が眩しい…」

「おう、ただいま…って、もう昼近いぞ?」

「えー? もうそんな時間…」

「全然休んでいないのか?」

「んー、少しは仮眠もとったよ」


「ね?」というようにシルエが首を傾げるとノアラがこくりと頷く。家に入るなりディネウは窓の鎧戸を開け放ち陽射しと風を入れ、室内の灯りを消した。眩しさにノアラが目をしばたたかせる。朝は冷え込む季節になったが、もうだいぶ陽は高く風も身震いするほど冷たくない。


「何か胃に負担にならないものでも作ろうか」


ほぼディネウの背に隠れていたサラドが顔を出した。家に入る前にマントを脱ぎ、バサバサと振って埃を払っている。弓も弦を張ったままだ。


「サラドは大丈夫だったの? 煤まみれだけど、状況は?」

「少し、落ち着いてから、互いの情報を整理しようぜ」


椅子を倒す勢いで立ち上がりサラドに駆け寄ろうとするシルエの額にディネウが平手を当てて制止する。シルエはむぅと口を尖らせたが、素直に従った。


「テオは起きている?」

「まだだよ。えーと…、多分ね。昨日はかなり興奮していたし疲れたみたいだから、起こしていないというか…」

「…忘れてほったらかしなんだろ?」

「人聞きが悪いなぁ。忘れたんじゃなくて、ちょっと集中しすぎていただけだよ」


ディネウの追及にシルエが憮然と口を尖らせる。隣でノアラが焦った様子でブンッと首を縦に振った。



 ディネウが一旦自宅に戻っている間に簡単な調理に取り掛かる。起きてきたテオもいつものように台所に立つサラドを見て「おかえり!」と嬉しそうにぎゅっと足に抱きついた。

朝食と昼食を兼ねた軽食を摂り、テオに笊を渡して採って来て欲しい野菜や野草を伝えると、喜こんで庭の小さな畑に出て行く。サラドに教えられた草花の種類を見分けるのがテオの近頃の楽しみになっていた。


「庭からは絶対に出ちゃダメだよ!」


畑の側で振り返ったテオが手を振って答える。


「昨日は今日も祭りに行くような話をしていたから、起きてすぐに行きたがるかと思ったけど…。テオは物わかりが良すぎるな」

「いろんな目に遭っただろうからね。僕らの雰囲気から何か察しているのかも」


 ノアラの屋敷は安全だが、魔術なしの身では閉じ込められているのと同義になる。敷地から出たら最後、自力では戻れない。昨日のテオは緊張していたが、手を繋いでいれば大人で賑わう広場でも恐怖心でガチガチということもなく、田舎町の祭りを楽しんでいた。少しずつ、外に出して世界を広げてあげるべきだろう。

庭でしゃがみ込み、植物と睨めっこするテオの姿が見えるように扉を開けたまま、サラドはテーブルに戻った。


 薬にもなる多年草の根茎部分をすり下ろしたものと少量の蜂蜜をお湯で割った飲み物を啜りながら、四人は膝を突き合わせて救援信号の内容を話す。ピリリとした辛味のある根茎は爽やかな味わいで体を温め頭痛にも効く。ノアラは茶匙一杯分甘露水を追加し、ディネウは香りの良い葉を指先で揉み入れ更にスッキリとした味にしている。

ディネウから大まかな話は聞いていたのでサラドはシルエとノアラから経緯の詳細を再確認し、古戦場から溢れた骨が村に到達した一件を話した。


「古戦場か…なるほどな」

「えっ? 骨の大群とか…。サラドが向かったところが一番大変だったんじゃないの? やっぱり僕が行くべきだったよね?」


ディネウの判断を批難するようにシルエが声を荒げた。睨まれても意に介さず、耳の穴に指を入れ「ケッ」と顔を背ける。


「お前がいなくても派手に野焼きされてたぜ」


シルエの心配そうな視線がサラドの左腕に注がれる。それに気付いてサラドは「大丈夫」というように首を横に振り、袖をまくって傷がないことを示した。


「今は火が一緒だから。それにニナが見張りを代わってくれたから明け方まで眠れたし」

「ニナ? 誰それ? 信用できるの?」


ディネウが「例のガキ」と顎をしゃくるとシルエがつまらなそうに「ああ、媒介にされていた子か」と低い声を出した。サラドは何度か彼らの名を口にしているが、二人共覚える気は全くないらしい。

困ったように微笑むサラドは両手をゆっくりと上下に振りシルエに落ち着くようにと促した。


 右腰から外して持ち上げたランタンの中で、蜥蜴を象った小さな火がポワッと極小の火の玉を出した。サラドとの仲が親密であり意思疎通は完璧だと自己主張する火の動きにシルエはほんの僅かに眉を顰めた。心なしか火の方もシルエを牽制しているように揺らめく。


思った以上に表情豊かなその様をノアラが興味津々に覗き込んだ。かつて邂逅した高位の精霊は濃い思念体とでもいうのか、明確な意思を持って強い姿を顕現していた。サラドが普段接している下位の精霊はそれと異なり自由奔放な様だと聞くことしか叶わなかったのが、こうして目にしていることに無表情ながらに感激している。


テーブルに載せられたランタンは暖かな火の影を天板に落とす。小鳥に姿を変じた火は差し入れられたサラドの指先に頭部をぎゅうぎゅう押し付けている。シルエの口がへの字に曲がった。


「無念はあるだろうけど、行進していたのも『故郷に帰りたい』とか『家族に会いたい』とかそんな感じで、明確に人を襲うようには仕向けられていなかった。唆す程度で操る術をかけられた訳じゃないのかな」

「まあ、こっちも魔人が現れた村以外はアンデッドが襲いかかってはこなかったしね」

「魔人の目的は何だ? 慌てふためく姿が見たいだけか?」

「あの魔人は昔失敗した王都の陥落に拘っていた節がある。一気に仕留めず女王を執拗に追いかけたところからも気位が高く享楽的。自分を退却させたシルエの鼻を明かし、屈辱を与えるのが主な目的だろう。ある意味、もう達成している。また、こちらが対抗策を練るのも考慮のうちだろうから、同じ条件でのこのこ現れるとは考えにくい。シルエの術は発動も速く、あらゆる方向に広がり影にしてみれば逃げ場もない。いつ鐘が鳴らされるか、そこに何体の遺体があるかわからない状況に頼るのは非効率だ。やろうと思えば他に人々が恐怖に戦く様を愉しむ方法はある」


無表情でつらつらと見解を一気に喋ったノアラは砂糖菓子を一粒口に含んだ。鼻の穴が少しだけ膨らんでいる。


「おまけに狡猾で逃げ足が速い」とディネウがうんざりとした表情で付け足す。滅多にない饒舌なノアラを見てシルエが握った拳を震わせた。


「何さ! 普段は頷くか首を振るかしかしないくせに! そんな冷静に分析して…何かムカつくぅ」

「こら、シルエ、ノアラに当たるな」

「ひどいっ、サラドが僕よりノアラの味方をするぅ」

「いや、味方とかそんなんじゃなくて。八つ当たりしても解決しないだろう?」


「わあー」と大袈裟に突っ伏したシルエの肩をディネウがぽんぽんと宥めるように叩くと、チラと目を上げてその手の主を確認し、舌打ちして肘鉄を食らわす。「なんでだよ…」とディネウが脇腹を押えて呻いた。


「サラドはどう思う? 音の問題」

「うーん…、オレなら風の精霊に頼むところだけど…。一時的に妨げるなら霧とかも多少は効果あるのかな。でもそれだと人々の生活に支障が出るし、常にってわけにはいかないし…」

「風、水、振動…」

「ねぇ、何か歌はないの? サラドは結局、子守唄と鎮魂歌しか歌ってくれないけど、何かこう、パッと解決できそうな曲とか」

「…無い…と思うし、あっても難しくてオレに歌えるとも思えない」

「そんなぁ」

「そんな歌があったとして、サラドひとりに歌ってもらうのは無理があるだろ。吟遊詩人にでも伝えるか? こちらを信じて警鐘が鳴っている中で真面目に歌うヤツなんかいるかどうか。ましてアンデッドに対してなんて、そんな気概あるかね?」

「オレ、歌を教えるとか…無理…」


「ちぇー、駄目かぁ」とシルエが両手で頬杖をついた。


「それにしても、サラドの歌になら僕の術、のせられたのに。魔人が成功させるとか…クソッ、思い出しただけで胸くそ悪い」

「それは、こう…。効果の問題もあるけど、オレとシルエで同調するというか、合わせようとできるからで…」

「え? じゃあ、仮にサラドが『勝利の歌』が歌えたら、そこに攻撃力増強とか興奮を高める術ならのせられるってこと?」


「多分」とサラドが首肯した。


「鐘の音ってこう口を開いた時のような少し高めの硬質な音だろ? で、警鐘は叩く間隔が短め」

そう言ってサラドが唇を指し示し「カンカン」と口にする。

「で、怨嗟は口をすぼめた感じの、『うー』って、低くて長く伸ばした音」


ディネウに「うーうー」と唸ってもらい、サラドが「カンカンカン」と鐘に似せた声を重ねる。


「調子も音程も全く違うのに、合わさると不協和音で不安感を強める」

「本当だ。何だかとてもヤな感じ」


うーうー低音の声を響かせていたディネウが「気持ち悪ィ…」とぶるっと身震いした。


「これが魔人の術が上手くいってしまった理由かな、って」

「でも怨嗟なんて僕らの耳には聞こえていないよ」

「耳に聞こえなくても勘の鋭い人は不調をきたすし、家畜は乳を出さなくなるとかあるし、影響はあるんだと思う」

「それなら人の耳に聞こえない音の振動を常に出して打ち消すとか」


ノアラの着眼にシルエは難しい顔をした。


「魔道具にしろ術にしろ、新しく開発するとなると時間は要るよね。数も必要になるし」


「結局は地味に確実な方法が一番か…」と嘆息混じりにシルエが独り言つ。しばし四人とも口を噤んだ。



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