9 改めて自己紹介
脱字修正しました。
セアラの年齢(出身地での)十六→十五歳に直しました。
鍛錬を終えてショノアが中に戻ると、身支度を終えたセアラが仕切りに使われていた布を丁寧に畳んでいるところだった。ロープは背伸びをしても届かなかったようでショノアが外した。ニナは部屋の隅でじっとしている。
「サラさんは?」とセアラが問うのと同じタイミングで外がにわかに騒がしくなった。
集会場の前には獣を運ぶサラドと村人たちがいた。
「あのー、干し魚を漁っていたみたいなんで狩っちゃったんですけど、どなたかが狙っていたりしました?」
「いや、ここのところ被害が続いていて退治したいとは思っとったが。たまげたな」
「そうですか、良かった。獲物を掠め取っちゃったかと思って。血抜きはしたので、皆さんで分けてください」
「毛皮もいいのか」
「あー、鞣している時間もないし…、こちらで使ってください」
「助かる」
「おーい、湯を沸かせ」などわいわいと獣を取り囲む男達の輪からサラドが出てきた。にこっと笑う。
「おはようございます。すみません、急いで食事の準備をしますね」
「今のは魔物ですか?」
セアラが不安そうに聞いた。彼女の位置からは黒っぽい毛の塊にしか見えなかったのだろう。
「ああ、違うよ。普通の獣。美味しいと思うから、一泊のお礼ができて丁度良かった」
「サラはこんな朝っぱらからどこへ行っていたんだ」
「少し、昨日の確認を。食事が済んだら報告しますね」
サラドは採って来た野草と村人から分けて貰ったという貝と持参した穀物を挽いた粉を使って朝食を作った。貝の旨味が効いたあっさりとしたスープに穀物を水で練った一口大の団子が入り、香りのある菜がシャキシャキといい食感で、胃にもやさしく体が温まった。
鼻から抜ける菜の香りは気持ち悪さを払拭し、匙が進むセアラにサラドはにっこりと微笑んだ。
「良かった。食べられたみたいで」
食事を終え、器を片付けながらサラドがほっとした様子で呟いた。急に昨日のことを思い出したセアラが深々と頭を下げる。
「ご迷惑おかけしました」
「いいの、いいの。…慣れ、なんだけど、どうしても慣れない人もいるからね。だとしたら無理はしない方がいい…それも難しいかもしれないけど。最初が人型というのも…運が悪かったよね」
サラドの言葉にセアラはピクリと肩を震わせた。あれに慣れることができるだろうか――。
「昨日は村まで急いだのと、荷物で足下が見えなかったため、余り細かく確認が取れませんでしたので、昨日の小鬼の足跡を追って、どの方角から来たのかを調査してきました」
「朝からそんなことをしてきたのか?」
「痕跡が消えないうちに。結論から言うと、どこから来たのかは分かりませんでした」
「跡がなくなっていたのか?」
「いいえ。足跡はある地点から忽然と現れていました。まるで突如そこに降り立ったみたいに」
ニナの目が僅かに見開かれた。それは本当に小さな動きだったがサラドは目の端でとらえていた。
ショノアが神妙な顔つきになる。セアラはぎゅっと杖を握りしめたまま眉根を寄せていた。
「そんなことがありえるのか?」
「普通ではありえません。小鬼は足跡を隠す程の知能はないといわれています。来た方角が分かれば、他の群がいないか調査しようかと思っていたのですけれど…」
「これは、王宮に報せておいた方がいいだろうな」
「そうですね。同じような現象が余所でも見られるかもしれません。オレも友達に協力を頼もうかと」
「友達?」
「傭兵に顔が効く者がいるんです。相談すれば力になってくれるはず」
「因みに〝夜明けの日〟前にもこんなことが?」
「あー、あっちこっちに魔物は出ていましたのでなんとも…。でもまあ、急に現れるということはありましたね」
「そういえば、サラは小鬼の死にも祈るのか?」
小鬼を燃やした際、サラドは短いけれど確かに祈っていた。ショノアはぐったりしながらも、その様子を目にして不思議に思っていたのだ。
「あれは、万が一にも骸が利用されないためにです」
「利用?」
「不死者――アンデッドとして。火もそのためです。獣に荒らされないようにというのもありますけれど」
「アンデッド!」
ショノアはメモを書き留めながら、ブツブツと呟き、報告内容を頭の中でまとめあげる。『魔王』について情報は皆無だが、小鬼は『異変』として即座に報告すべきだろう。
「村の人々にももう少し話を聞くとして。セアラの話を先に聞こう」
促されたセアラの表情にサラドは「ん?」と首を傾げ、居住まいを正した。
杖を握る手に更にぎゅっと力がこもる。はっはっと浅い息が乱れている。
「私は、神官見習いの修行を受けたのもつい最近なんです。田舎の神殿の養護院にいましたが、これまで養子縁組の話も奉公先も決めず、今年から施療院の手伝いをしていました。そこに王都から神官様がいらして、従うように言いつけられました。王都の神殿で修行を受けた翌々日が皆様と顔合わせをした日です」
セアラは膝に乗せた杖の柄に刻まれた祈りの言葉を指でさすった。その裏側にはセアラの名も刻まれている。その名は急いで掘ったのかざらざらして棘が刺さりそうだ。
神官見習いになる修行は三日三晩、塩と水のみでひたすら祈りを捧げて過ごす。体を伸ばして寝転がることもできない狭さの、窓もない祈りの間に入ったら、刻限が訪れて外からその扉が開かれるまではひとりきりだ。時間の経過も分からない暗い中で、飢えと渇きに助けを求めて脱落する者も出る。それは侮蔑と嘲笑の対象となり、神官への道が閉ざされることでもある。
その最中に〝神の御声〟を聞いたり、まばゆい光を見たりする者もいるという。更にその上で奇蹟の力に目覚めることが出来る者も。
ただし、〝声〟を聞いたかどうかは本人の自己申告のため、その内容にはある程度の常套句があるらしい。曰く『導き手になりなさい』や『正しき教えを広めなさい』『癒やしと赦しを』など。
セアラは〝声〟を聞かなかった。そしてその常套句の情報も知らなかったため、素直にそう答えた。光は見たかという問いにも首を横に振った。
立ち会った神官が蔑んだ目で見下ろしてきたが、次いで〝治癒を願う詩句〟を唱えるように言われて従うと、セアラの指先に白い小さな光が灯された。それは奇蹟の力を許された事を示している。
途端に神官の態度は変わり、急いで様々な手続きを取られ、訳も分からないまま王宮へ連れて行かれた。
「王宮に向かう馬車の中でビショフという方の養子となったと説明され、その姓を与えられました。これからは名乗るようにと。ちなみにその方には一度もお目にかかっておりません。ですから、とてもこの大事な命を受けられるような実力はないのです。すぐにお伝えできず申し訳ありません」
セアラは顔色をなくし、小さく震えている。
「私を加えていては皆様を危険に曝すことにも繋がります。相応しくないと判断されましたら交代をした方が良い、と」
「でも、君は御者に治癒を施したではないか」
ショノアが食い込み気味に言う。
「あれは、きっとサラさんが…」
「サラ? 彼は魔術を使うのだから治癒は無理だろう?」
セアラが上目遣いでチラとサラドを見た。彼はふるふると首を横に振る。
「でも、それでセアラの立場は大丈夫? 攫われるように田舎から連れ出されたみたいだし、王都の神殿に戻ったとしてその後はどうなるかわからないよ」
「私は、私の望みを言えるような立場にありません」
「一応報告はするが、一度受けたことだ。できないと投げ出すのはどうかと」
はぁ、と長く息を吐いたショノアの言葉にセアラがさっと顔を青くした。小鬼と戦って怖くなったからと思われても仕方がないタイミングだ。
「あくまで推測なんですが。本来はどのような方が望まれていたか、あの宮廷魔術師殿に聞いたところによりますと、若手を育てたかったのではないかと。村の近くで魔物が出たのは予想外で、実力はこれから付けていくのを期待されているのだと思います。まあ、そういう意味ではオレは相応しくないんだろうなぁ」
「みんな若いですからね」と困ったように笑うサラドがいなければ、昨日どれだけの被害を被っていたのかを考え、ショノアは空恐ろしくなった。
「セアラがいた養護院は南西の国境近くの町の?」
「そうです。どうしてわかったんですか?」
「名前の響きと、語尾にちょっと訛りがあるよね。あそこは隣国からの難民も多かったところだから…、もしかしたらって」
「…養護院に預けられた前後の記憶が曖昧で、出身がどこか、どうして孤児になったのか覚えていないんです…」
セアラは眉を下げ困り顔で微笑んだ。彼女はこの表情をよくする。癖になってしまっているのだろう。
「そっか。自己防衛のためかな。無理に思い出さなくてもいいと思うよ。でも、まあ、あの神官さまはいい人だから、安心したよ」
「そうなんです。神官様は私が十五歳になっても出て行くのではなく、施療院の手伝いをすることを許してくださいました。〝治癒を願う詩句〟も…その…無理に使うことはない、と仰ってくださって」
セアラは養護院に預けられてから毎朝の祈りは欠かしたことがない。祈りの言葉も〝治癒を願う詩句〟もそらんじている。初めて〝治癒を願う詩句〟に応えて指先に仄かな熱を感じた時にはセアラ自身も驚愕した。
神官は「力があるからといって神官にならなければいけないということはない、その力を今は使わずに、神官を目指すも、目指さないもよく考えるように。どちらを選ぶにせよ、その決心がつくまでここにいるといい」と諭してくれた。
だが、どこで知れたのか王都からの使者が来た。神官は抵抗してくれたが田舎の小さな神殿、王都の神殿の威光には逆らえなかった。
セアラの所属も、この力に目覚めたのも王都の神殿ということにされてしまった。奇蹟の力を持つ者を輩出した神殿の評判は上がるためだが、田舎育ちのセアラにはそんな事情もわからず、ただお世話になった故郷の神殿に迷惑をかけたくないという思いがあるだけだった。
「そっか。いざとなったら王都には戻らずそこに帰っちゃうのもありだね」
ショノアがサラドを軽く睨んだ。自身も騎士団に所属する者、団体から抜ける、忠誠から外れるというのは許されないとの思いがあるのだろう。サラドは肩をすくめて「ははっ」と笑って誤魔化した。
ずっと黙ったままのニナにサラドが向き合う。
「ニナもこの機会に何か伝えておきたいことはない?」
「…できれば単独行動を望む」
「その要望は呑めないな」
ショノアのキッパリとした返答にニナは僅かに俯いただけだった。
「ああ、それから」ショノアが照れくさそうにコホンと咳払いをした。
「以前も言ったが、俺に対しても敬称も敬語も外してくれると助かる。騎士でも貴族でもなく、その、仲間として扱ってくれ」
「それで良ければこちらとしても助かる。いつボロがでるかヒヤヒヤしていたから」
頭を掻きながら「あはは」と戯けて笑う声に場が少し和んだ。年長者のサラドが率先すれば、セアラもニナも萎縮はしないだろう。左の口の端に八重歯がちらりと見えた。
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