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88 セアラの里帰り

 翌朝、薄らと目を開けたマルスェイはまだ回復しきれていないようで、ぐらぐらと頭を揺らしていた。やたらと水をがぶ飲みし、挨拶もそこそこに馬車へと乗り込む。


「出発を遅らせても良かったんだが…。大丈夫か?」

「う…町までの我慢だ…。ちゃんとした宿でゆっくり休みたい…」

「これに懲りて無理をしないことだな」

「ああ…。肝に銘じるよ」


すぐさま馬車の椅子に寝転んだマルスェイは間もなく眠りに就いたが、頭痛に耐えているのか魘されている。

村長らに恩人として見送られる中、ショノア一行は出立した。ただひとつ睨みを利かせる衛兵の双眸を除いて。

セアラの出身の町へ向けて進む馬車は、マルスェイの不調を慮って通常よりゆっくりと歩んでいく。


「二度目だな。魔力の枯渇とはかように苦しいものなんだな。激しい訓練で翌日起き上がれなくなったことはあったが、その比ではないのだろうか」

「サラドさんも気を付けろと仰ってましたものね。…マルスェイ様が奇蹟の力も求めていると知っても魔術を教えてくださったのかしら…」


セアラはちょっとムッとしたような声で呟いた。そんな視線を向けられているとも知らず、マルスェイは町に着くまで目を覚ますことはなかった。



 日課の早朝鍛錬を終えて、滴る汗を拭いながら、ショノアはキョロキョロと朝の祈りを勤めるセアラを探し「あ…」と声を漏らした。

昨日の午後、町に到着したショノア一行はまずセアラを神殿に送り届けた。

町には祭りが終わってしまった独特の寂寥感が漂っていた。解体途中の祭壇や子供のための遊具、出発の準備を終えた旅商や芸人、飲み食いで零したであろう汚れが其処此処の地面にあり、仄かに酒の残り香がある。


この季節、日が落ち始めるとあっという間に暗くなる。養護院の子供達に囲まれたセアラは夕べの祈りの後そのまま古巣に宿泊することになり、ショノア、マルスェイ、ニナは宿屋を取ったのだった。ニナは個人部屋ということもあって、ほっとした様子を見せた。


 一日過ぎれば祭りの興奮も醒め、田舎の、これといって特徴のない小さな町は日常に戻りつつあった。これからは冬越しの準備に本腰が入る。

ショノアは町民の表情などを観察しながら、なんとなく神殿へ足を向けた。


 神殿と養護院、施療院を併設した敷地にはきゃいきゃいと楽しそうな子供の声が響いていた。何枚もの敷布が干されている洗濯場にいるのはセアラと中年の女性だった。いつもはきちっと編み上げている髪も緩く三つ編みで垂らし、汚れの目立たない渋い色のシンプルなワンピースに前掛け姿。子供達に纏わり付かれ、洗濯物の波の中で追いかけっこに突入するセアラは神官見習いの気負った感じはない。

「洗濯物が取り込む側から汚れるわ」と窘める女性にも、萎縮せず「ごめんなさいっ」と笑いながら謝る。素朴で、何処にでもいそうな、活き活きとした姿。


「王都の神殿と王宮の思惑で無理に神官見習いにされなければ、セアラはここであんな風に楽しそうに笑っていられたのだな…」


ショノアは声を掛けられず、正面の門扉の方へと壁沿いに歩き、移動した。神官にもこの町と地域の話を伺いたかったが、ゆっくりと里帰りを楽しんでもらった方がいいだろう。

そのまま神殿から離れようとして、視線のような気配に足を止めた。視界の端で何かが動いた気がする。そろりと振り返ると門扉脇の柱に嵌められた養護院と施療院を示す看板、そこに止まった紫色の蝶がゆっくりと翅を閉じたり開いたりしていた。


「こんな季節に蝶が…」


模様のない霞のような姿。時折、向こう側が透けてもいる。あまりに珍しく怪しい蝶にふと手を伸ばすと、ふわっと空に融けるように消えた。


「だめっ!」


子供の叫ぶ甲高い声に肩を跳ねらせたショノアは咄嗟に手を引いたが、蝶の姿は戻らない。


「うわーん! ちょうちょが、あたしたちの守り神さまがっ」

「えっ、えっ、どういう…」

「この人があたしたちの守り神さまを捕まえちゃった」


ショノアを指さして堰を切ったように泣く声にわらわらと他の子供も集まり、伝染するように泣き出していく。責め立てたり罵ったりする言葉を口にし、しゃくり上げて泣く子供に、ショノアは為す術もなく動揺が隠せない。


「違うんだ。誤解で…、蝶には触れていない」


大きくなる泣き声に奥にいたセアラと中年の女性も小走りでやって来た。


「まぁ、ショノア様? どうされたんですか」


子供達は「ちょうちょが」「消えちゃった」「捕まえちゃった」「ひどい」とそれぞれ好き勝手に騒ぎ立てる。セアラは一人一人の声を聞こうとうんうんと頷いた。


「本当に誤解で。俺は蝶には触っていないんだ。誓って捕まえたりなどしていない。その…手は伸ばしてしまったが…」

「大丈夫よ。ちょうちょ様はきっと戻って来てくださるわ」


中年女性は一番はじめに泣き出した子供を抱きしめ、ショノアに目配せした。トントンと優しく背中を叩くリズムにヒックヒックと喉を詰まらせつつも泣き止んでいく子供。二人の女性によって子供達全員が泣き止むまでショノアはオロオロと立ち尽くすばかりだった。



「ようこそ。お出で下さいました。セアラがお世話になっております」

「いいえ、とんでもない。こちらこそ、セアラの存在には助けられております」


 ショノアは結局、神殿の応接間に通され、お茶を振る舞われていた。セアラがポットから注いだ茶はショノアが見知った茶葉ではなく、穀物を煎ったものに滋養のある草の根を乾燥させたもの、薬効のある採れたての葉を加えたものだった。煮出された茶は見たこともない濃い色で、香ばしさの中に爽やかな香りが鼻先を癒やす。神官とショノアの前に配すと、カタッと椅子を引いてセアラも座った。

一緒にいた女性は子供達をおやつの席に連れて行き、ショノアを解放してくれた。養護院の世話役で聖職には就いていないそうだ。


「子供達が申し訳ないことを」

「いいえっ、俺も大事な蝶と知らずに触れそうになって。誤解されたとしても致し方ない」


神官は柔和な微笑みをたたえた初老の男性で、真面目で誠実、倹約な人柄が窺える。セアラを導いていたのはこの人だと納得がいく。


「それにしても変わった蝶でした。幻を見たような」

「あの蝶は養護院の世話役をしてくれている夫婦が来てから見かけるようになりましてね。二人とも蝶に関しては多くを語ろうとはしないのですが…。それからというもの、不思議と運が良いと言いますか、厄が逃げて行くと言いますか」


 気付けば敷地内をヒラヒラと舞ったり、何処かに止まってゆったりと翅を休めている。紫色の蝶を見かけると夫婦が祈るように手を組み感謝の言葉を口にすることから、それを見ていた子供も真似するようになり、一人が守り神だと言い出した。新しく預けられた子供は必ず一度は蝶を捕まえようとするが、先輩株からその存在の大切さを口酸っぱく説かれ、子供達自身で言い伝えている。


「ここの子供達にとって信仰の対象なんですよ」


神を祀る場所だというのに、それを許している神官はおおらかで懐の深い人物なのだろう。


「そんなに何年もいるのですか? ここで繁殖しているのかな」

「いいえ、常に一匹しか見かけません」


ショノアが理解しがたいという顔をすると、神官はえびす顔でにこりと笑んだ。


「不思議なことはあるものなのですよ」


 誇らしげにニコニコと蝶の話に相槌を打っていたセアラの顔にふと影がさした。


「私、子供の頃のこと、ここに預けられる前のことを思い出したんです」


神官は「そうか、」と噛みしめるように頷いただけで、それ以上を聞き出そうとはしなかった。


「私をここに連れてきてくださった方、いつもお菓子を届けてくださる方は…」

(そして、私に奇蹟の力が許されるだろうと見抜き、この身を案じてくれた、特別な方)


セアラは緊張した面持ちで一度言葉を止め、こくりと息を呑んだ。


「もしかして、温かい橙色の目をした黒髪の、背の高い男性ですか?」


 お礼を言いたくとも叶わなかった記憶。夜中に目覚めて追いかけた影はどんな後ろ姿だったか。今では寝惚けていただけなのではないかと己を疑ってしまう。

神官は小さくふぅと息を吐いただけで「そうだ」とも「違う」とも答えなかった。どんなに聞いてもその人物については話してもらえないことをセアラは良く知っていた。教えてもらえたのはセアラを保護してくれた人と同一人物だという一点。


定期的に寄付とお菓子を届けてくれる人はいつも子供達とは面会もせずに帰ってしまう。それはとてもシャイな人だからと聞かされていた。きっと方々でたくさんの子供を保護していて、大勢の内の一人でしかないセアラの事だって覚えていないだろう。


(それはわかっているけれど、私にとっては特別な人…)


「彼の方は…そうだね、あの蝶に似ていらっしゃるよ。そうそう、収穫祭の初日に寄付が届けられてね。セララに言付けを残して帰られた。『立派に成長したね』と」


神官の穏やかな声音で伝えられた言葉にセアラの頬を涙が一筋、ポロリと落ちた。


「セアラの評判はここにも届いているよ。王都からの急な要請に力及ばず、抗えなくて悪かったが、頑張っているようだね」

「私は、皆さんに助けてもらってばかりです…」


セアラは涙を隠すように俯いてぐすりと洟を啜った。



 もう一晩を養護院で過ごしたセアラは以前ここから旅立つ際に神官から「もしもの場合に」と渡された路銀を倍にして給金から寄付として残し、ショノアらに合流した。金色の髪もきっちり結い上げ、生成りの見習い服を纏って。


「もっとゆっくりしてもいいのだぞ。次、いつ訪れるかわからないだろう?」

「いいんです。これ以上いたら里心がついてしまうもの」


寂しさを隠すようにセアラは努めて明るく、元気に笑って見せた。


 買い足した旅中用の食糧を馬車に積んでいて、ショノアは見かけない包みを見つけた。粗目から細目の布を幾重にも重ねて包まれた物を解いて中身を確認すると煤のような泥のような物だった。


「何だ、これは? なぁ、これ、捨ててもいいのか?」

「やめろ! 何しているっ。なるべく外気に触れないようにしていたのにっ」


ショノアの手からひったくって厳重に包み直すマルスェイは「何てことを」とぶつくさ文句を呟いている。


「これは、あの火の術で焼けた土だ。ここから術の某かが見つかるかもしれないからな」

「そういうものなのか? そこから何かを感じるのか?」

「いいや、全く。あの場所も調べたが術の痕跡はなかった。しかし、私の実力が上がれば、いつかは可能かもしれないだろう?」

「…。そうか」


土と煤で汚れてしまった手を見つめ、マルスェイは『清めの術』を試したが、上手く発動せず、早々に諦めて手を洗う。


「それにしても素晴らしい火の術だったな。遠目だったのが悔やまれる。せっかくショノアは近くにいたというのに、背を向けていて何も見ていないと言うし…」


恨みがましいマルスェイの視線にショノアは心底うんざりとした。ショノアが責められる謂われはない。あの火柱についての質問はもう何度も受け、「何でもいいから思い出せ」と恫喝まがいのことまで言い出す始末だった。


「それにしても、大魔術師はどこに隠れていたのだろう。何故、それほどに姿を見せないのだろうか」

「ん? 魔術師が救援に来ていたのか?」

「あの威力の術はどう見てもそうだろう?」

「え? あれはサラドではないのか?」

「サラド殿は自身でも魔力が少なく、小さな術しか使えないと言っていたではないか。…惜しいなぁ。知識はあるようなのに、勿体ない」


マルスェイの言い草をショノアはつい諫めたくなったが、そういえば極初期の頃、サラドのことを「魔術師としては使えなくても下男としては優秀」などと評したことがあるのを思い出し、己の恥に口を真一文字に引き結んだ。


「…。ところで確認なんだが、マルスェイは陛下からの下命とは別に魔術のことで別命を受けているのか?」

「ないが?」

「では、魔術について調べたりしているのは個人的なもので」

「そうだが? 宮廷魔術師として当然の探求だ」

「…そうか」


ショノアはマルスェイがこういう人間だと、諦めるしかないと思い至った。



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