87 信用と疑心
村長宅ですっかりご馳走になった後、セアラは一室を借り受けて足を伸ばして体を休め、ニナはそそくさと馬の元へと向かった。
マルスェイは大事に紙を馬車にしまった後、早速訓練を始め、詠唱を繰り返しては四苦八苦している。
ショノアは村の入口に立つ衛兵に、近隣の村や自警団との協力体制、警備していて気になっていることを聞かせてもらっていた。
笛付きの矢を射ていた時の衛兵は無精髭があったが、ようやくひと息つけたのか今はきれいに剃り、身だしなみも整えられている。
「そういえば、前に別の町で見かけた自警団の人も傭兵も、顎髭を長く伸ばしている人はあまりいなかったな。それに短髪の人が多いのは規則か何か?」
目の前の衛兵しかり、聖都付近で出会った自警団の若者や港町で見た傭兵らも、男臭いのに小綺麗にしていたことをショノアはふと疑問に感じた。
「多分、最強の傭兵への憧れです。アニキは近接戦で髪や髭を掴まれるような隙をつくらないように伸ばさないって話が広まっているんだと」
「なるほど。本当に慕われているんですね」
「それは、当然」と我が事のように衛兵が胸を張った。
「あの、剣匠…いえ、最強の傭兵とはお知り合いなんですか?」
「もちろん。おれは傭兵ですからね」
「村長は貴方がこの村に移住した元傭兵だと」
「あー、そう思われているんですね。寝起きのための小屋はありますが、アニキや兄さんから声が掛かれば傭兵としていつでも出向く心構えでいます」
『剣匠』という言葉に一瞬眉を引き上げたもののショノアを咎めることはせず、衛兵は村長との認識の齟齬に苦笑し頬をポリポリと掻いた。
「そういえば、今朝も『兄さん』って…。ご兄弟なんですか」
「まさか。『兄さん』はアニキのお兄さんのことです」
「そうですか。孤児だと伺っていたので弟と呼ぶ人が何人もいるのかと…。彼には俺たちもお世話になりました。多才な方で、幾度も助けられました。またご一緒できたら、良かったのですが…。えっと名前は御存知ではないのですか」
サラドのことを評価する言葉に衛兵は嬉しそうに頷きつつ、「一緒に?」と訝しがる。
「知ってますよ。斥候としての仕事もあるし、訳あって人前では名前を呼び合わないようにしているらしくて。
おれ、親兄弟や知り合いを亡くした時にアニキに拾ってもらって。ヤケクソになって荒れまくっていたおれに傭兵として生きる道を示してくれたんです。でも剣も槍もイマイチで。
その時に兄さんが『目がいいから弓はどう?』って指導してくれて。それ以外にも偵察とか色々教えてもらいました。
兄さんに弟子入りしたいヤツはいっぱいいますが大体は断るんですよ。だから自慢です!
それで、そんな仲なのに偽名はって気にしてくれたので『兄さん』と呼ぶのを許してもらってます」
落ち着いて見えても、衛兵はまだ昨夜の件で気が昂っているのか、「アニキと兄さんが並ぶと無敵って感じで憧れです」と鼻息も荒く『最強の傭兵』とその『兄』の自慢話が止まらない。
「では、その膝は魔物との戦いで?」
「いやー、お恥ずかしい話ですが、これはその後の復興工事の事故で。
…兄さんは弓を教えてくれていた時に、恨みと憎しみでいっぱいだったおれに『その先』の心配をしてくれました。憎しみの対象は戦う力にもなるけれど、失ったら虚が来ると。だからその先に何がしたいかを考えろって。
でも、おれ、特にしたいことも思いつかなくて。結局、ふと『ああ、もう終わったんだな』って思ったら気が抜けて。ぼんやりしてしまい、事故に。
怪我で腐っていたところに難民支援の同行と、その後の衛兵業務に誘ってもらったって訳です」
衛兵は照れくさそうに頭を掻いた。ショノアやマルスェイよりもいくつか歳上に見える衛兵は少年から青年期にかけて〝夜明けの日〟に至るまで魔物との戦いに身を投じていたのだろう。本人が語るように自暴自棄になっていたとは信じられないくらいに今は実直で人好きする印象だ。
ショノアと衛兵はその後も武の話で盛り上がった。
夕べの祈りの時間が近付くとちらほらと町に出掛けていた家族連れや若者が帰って来た。一様に楽しそうな表情を浮かべているのを見れば、この村が周辺地域にも受け入れられ、町や近隣の村との関係も良好なのが窺える。衛兵の近くに見慣れぬ美丈夫がいることに若い女性達が色めき立った。ショノアは視線を感じる度に軽く会釈をして微笑みを返した。
若者達は村に残っていた年嵩の者たちから熱烈に迎えられ、何事かと戸惑っている。昨夜の出来事を聞くと愕然とし、抱擁して無事を喜び合った。
広場の祭壇の前で膝を折ろうとするセアラのために、煤の上に布を敷いてくれた者がいた。セアラはぺこっと頭を下げ、祈りの姿勢をとる。朱い夕陽の中で紡がれる言葉。今朝の帰村時よりもたくさんの村民が扇状に連なって頭を垂れた。
結びの言葉の後もしばし瞑目したまま余韻にひたっていたセアラがスッと顔を上げる機を見計らったようにショノアが人垣を越えて近付き、立ち上がる彼女に手を差し出した。日課となった行動だ。
それを目にした若い女性が「きゃあ」と嬌声をあげた。
「ねぇ、ねぇ、もしかして、噂になっていた駆け落ち中の神官見習いと騎士様じゃない?」
「騎士?」人垣の後方でヒソヒソと交わされる言葉を耳にした衛兵が眉を顰め、ショノアを目で追った。
祭りの最後を飾る宵に、広場の煤けていない範囲に場所を移して音楽が奏でられ始めた。騒動に一度は冷めた祭りの熱も、町から戻った若者たちがクルリクルリと踊り出すことで再熱する。きゃっきゃっと騒ぐ声がして、昨日よりずっと賑やかだ。音楽のテンポも少しだけ速い。今夜は惨劇から脱した喜びと安堵、命があることへの感謝でより温かな雰囲気に包まれている。
「…すまない。ショノア、横にならせてくれ」
「どうした? 顔が真っ青だぞ」
「頭が…痛い…」
「サラドさんが言っていた魔力切れでしょうか」
ぐったりともたれ掛かってくるマルスェイを支え、ショノアは「ああ」と納得した。日中ずっと詠唱しては首を捻り、手を天に向けて体に力を入れたり、気を抜いて祈るような姿勢をしてみたりと忙しない姿が目の端にあった。
セアラが〝治癒を願う詩句〟を唱える。ガンガンと響く頭痛は鈍痛程度に治まったが、依然として倦怠感と眠気は強く、マルスェイは弱々しく「ありがとう」と呟いた。
「…力及ばず、すみません。魔力切れには休養が一番だと伺っています」
馬車の椅子を寝床にしようと整えるセアラにショノアは村長宅へ向かおうと提案した。昨日は断っていたが、事情も違うため「今晩こそはどうぞ」と誘われており、ちょうど伝えようとしていたところだった。
「お言葉に甘えさせてもらおう」
「わたしはここに残って馬と馬車を見張る」
ニナの言葉に「頼む」と頷く。その方がニナも休めるということがショノアにもわかってきた。
村長宅でマルスェイを寝かし、寛いでいるとセアラの元に水痘に罹っていた男の子の両親がお礼に訪れた。
「あの後、熱も治まり症状も落ち着いています。水疱が強く出そうな傾向だと言われていたのに…。貴女様のお陰です」
「いいえ。私は大したことはしていません。まだどうなるかわかりませんのでお大事にしてくださいね」
セアラは恐縮して手をパタパタと振る。「お母様の看病で元気づけられているからですよ」と、にこりと微笑むと妻が涙ぐんだ。
「貴方が妻と子を助けてくださった方ですか? ありがとうございます!」
夫がショノアの手を取ってブンブンと振った。家を空けてしまっていた彼があわや妻と子の身が大惨事だったと聞かされた時、どれほど血の気が引く思いをしたことだろう。ショノアは小さく「いいえ」と謙遜した。
「その、助けに入ってくださったもうひと方は…、その…。いいえ、何でもありません」
妻がもごもごと口籠もって、結局は口を噤んでしまった。ショノアは「何か? 遠慮なさらないでください」と促したが「いいえ、何でもないんです」と俯かれてしまった。
終始、妻の手を握り軽く肩を抱いていた夫は帰る際、扉を出た途端に「本当に良かった。愛しのプリーデナ」と囁き、妻の額に唇を落とした。普段はそんなことをしない性格なのか、妻も呆気に取られながらも照れる顔は嬉しそうだった。他人事なのにショノアとセアラは顔を熱くして、目を背けてしまった。
「ちょっと荷物を馬車まで取りに行ってくる」
照れくささから逃げるように、拳で赤らめた顔を隠してショノアは外へ出掛けた。夫婦間での額への口づけなど良くあることなのに、何故こんなにも気恥ずかしく感じたのかショノアは己の感情の起伏に戸惑う。
セアラも頬を紅潮させ俯いていた。けれど、ただ照れているというよりも、そこに悲しみや憧れが滲んでいるように見てとれる。誰かを想っていたのだろうか、と考え、ショノアは慌てて頭を振った。
馬車まであと少しのところ、入口付近で衛兵に呼び止められた。彼はショノアが腰に提げている剣を確認し、何かを言いかけ、はぁと大きく嘆息した。
「あの…? 何か」
「王都の、中央の人間にアニキたちのことをペラペラ喋るとか…。くそっ」
自嘲気味に悪態をつく。昼間、ショノアと談笑していた衛兵が向けてくる険しい眼差し。ショノアはじりっと半歩下がり、無意識にも体が構えをとった。
「騎士サマがこんな田舎で何を探っている?」
「探る? 俺たちは〝夜明けの日〟から十年を迎えるにあたり、さらなる復興を祈念し特別な祈りを届けに各地を巡っていて…」
「昨日もそう言っていたな。嘘をつくと決めている時、人は間違えず同じ供述をするもんだ」
ショノアはドキリとして唾を飲み込んだ。
「本当に、ただ祈りを届けるのと、自己研鑽と…、地方の実情を知ることが目的で…。他意はない!」
「実情? そうか、まだ、この村が隣国の間者の隠れ里だと疑っているんだな」
「違う!」
「では国に叛意がある者の炙り出しか? この付近は親王派は少ないものな」
「…そんな理由ではない」
「村の人々は関係ない。不敬でしょっぴくのはおれだけにしてくれ」
「断じてそのようなことはしない。この村を訪ねたのも、この国で生きる決意をした人々が何か困っていないか、不足しているものはないかを知りたいためだ」
「王都の、中央の人間がおれたちに心を砕く? そんなことを信じるほどおれの脳ミソはめでたくねぇよ」
ショノアは今、目の前にいるのがあの衛兵と同一人物なのか疑ってしまった。それほどにメラメラとした憎しみを感じる。昨夜の使命感に満ちた姿とも昼の誠実で人懐っこい姿とも違い、全くの別人のよう。
ただ睨み合う時間が数拍続いた。沈黙を破ったのは小さな笛の音。
ニナが馬に足を上げさせて蹄の点検をしている。口元のスカーフが揺れ、ピィと笛の音を出してはポスポスと脚の付け根を叩いて労う。大きな声を出すのが苦手なため笛を吹いて馬と意思疎通を行うことにしたようだ。
高めだが耳障りではなく、吹き方によっては小鳥のような優しい音がする金属製の笛。その音に衛兵がじっと耳を澄ました。
「兄さんの笛…?」
ギリッと奥歯を噛み、深呼吸をした衛兵はショノアの青い目を、黒にも見える濃い茶色の髪を記憶するように睨め付けた。
「今回はおれのミスだ…。とにかく、みんなには疚しいことなんかない」
「わかっている」
衛兵業務に戻る彼の背を見つめ、ショノアは伸び始めた襟足の髪を触りながら、解けぬ緊張に嘆息を吐いた。
「王都の人々が、政を執る人々がどう思われているのか…。これも『現状』だよな…」
その中にショノアも含まれる。きっと、衛兵が命を賭してした時、ショノアは王都で騎士を目指しながらも守られていて、のうのうと生きていた。魔物の被害は頭で知っているだけで実感はしていなかった。
「だからこそ、知らなければ…」
この事実をどう報告書に纏めるべきか、どう記載すれば角が立たないかショノアは頭を悩ませた。
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