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85 「教えてください」 セアラ

 譲ってもらった飼葉と野菜を手にショノアとマルスェイが馬車を停めた村の入口付近に戻って来た。温和な馬だが、昨夜の騒ぎには耳を伏せ、フウフウと鼻を大きく鳴らしたりして、暴れないまでも神経質になっている。夜になってからの避難に、予定人数以上を乗せた馬車を引いた馬を十分に労い、休ませるためにも、出発は明日に延ばした。


「セアラ、村長がお礼に食事をご馳走してくれるそうだ。そこで休憩もさせてもらおう。あまり眠っていないだろう?」

「あ、待ってください。それならニナも…。さっき向こうへ歩いて行ったのを見た気がするのですが」


確かにニナが馬の側にいない。馬は耳を横にしてゆったりと尾を揺らしている。水桶にはきれいな水が張られ、直前までブラッシングをしていた様子がある。馬はショノアが抱えているものに鼻孔を広げ、前掻きをして催促した。


「どこに行ったんだ?」

「あれ? 確かこっちに…」

「少し外を探してみるか」


村を出てすぐのところで衛兵とすれ違った。険しい表情の印象があったが、村の危機が去り、今はとても凪いでいて、人当たりの良いにこやかさだ。手にした包みから干した草と筆舌に尽くしがたいえぐみのある匂いがしている。数種の薬草が混じった匂い。

外からの戻りであろう彼に、ニナを――小柄で少年のような見た目の、やや赤みのある明るい茶色の跳ねた髪をした人を見かけなかったかと聞いたが、「すまない。気が付かなかった」と丁寧な返事が返ってきた。


「手分けをするか?」

「馬車のところにメッセージを残しておいては?」


闇雲に探しても意味はないだろうとマルスェイが追尾を打ち切ろうとする中、きょろきょろと周囲を見回していたセアラが「見つけた」とばかりに声を張り上げた。連日、ニナにばれないように〝治癒を願う詩句〟を唱えていたセアラはいつの間にか彼女の些細な気配に聡くなっている。


「ニナ!」


その声を聞きつけてニナが歩みを止め「余計なことを」と言いたげに振り返り、その奥から「止まれ!」と怒声が飛ぶ。大声に「ひっ」と身を竦ませたものの、そのお陰でセアラはそこにいる人影に気が付いた。


「サラドさん!」


喜色満面で勢いよくセアラが走り出し、飛び込むように灰色のマントを着た背の高い男の腰にぎゅっと抱きついた。半歩だけ前に足を出していたニナはそこで動きを止め、暗い目でその様を見る。ディネウが苦虫をかみつぶしたような顔を片手で覆った。


「な、なななな何? ど、どうしたの、セアラ」


じっと橙色の目を見上げたかと思えば、体のあちこちをペタペタと触りだす。


「もう大丈夫なんですか? 苦しいところとかは?」

「えっ? 何が?」

「だって、致死毒だって…」

「致死毒? …ああ、そうか、みんなと会った最後は園遊会の時だったもんな。心配かけてごめん。あれ? でもショノアさまには会いましたよね? 聞かなかった?」


考え込んでから、合点がいったようにサラドは頷き、ショノアにちらりと視線を投げた後、ニナとも目を合わせる。


「聞きましたけど、それでも心配で」


サラドはまごつかせていた手をセアラの肩に置いてそっと自分の体から引き離した。我に返ったセアラは声にならない叫びを上げ、身を悶えた。


「すっすみません。急に抱きつくなんて、はしたないことを…」

「この通り、毒はもう全く問題ないよ。さすがにダメかもと諦めかけたけど…。力では押し負けるし、やっぱりもう若さには勝てないかなぁって」


サラドは照れくさそうに眉尻を下げる。目元だけでもわかるその笑顔にセアラはほっと相好を崩した。

突然走り出したセアラを追って、ショノアとマルスェイも遠慮がちに近寄り、ディネウの睨みに気圧されて数歩前で立ち止まった。


「あの、サラド殿、お聞きしてもよろしいでしょうか? 貴男の解毒をしたのはどなたですか? 致死毒を快癒してしまうなど、そんな実力をお持ちの方となると」

「余計な詮索はするな」

「…それは言えないかな。迷惑をかけたくないし」


みなまで言わせず遮ったディネウの低い唸り声がずしりと響く。困惑気味に眉を八の字に下げたサラドの声は表向きには穏やかだが、はっきりとした拒絶が含まれている。マルスェイはぎゅっと唇を引き結び、口を噤んだ。

羞恥心から立ち直りきっていないセアラは頬を赤く染め、もじもじとしていたが、意を決してキッと顔を上げた。


「サラドさん。お願いです。教えてくださいませんか。どうしたら治癒の力が向上するか、毒をも癒やすことができるようになるのか。私…あの時、自分には何もできなくて、悔しくて、苦しくて…」


セアラは両手でサラドの節くれ立った手をぎゅっと握り懇願した。比較するとセアラの手はほっそりとしてとても小さく見える。


「うーん…。手っ取り早い道はないというか…。とにかくたくさんの経験を積むのが一番だけど」

「何か、心がけとか、気を付けるべき点とかでもいいんです」


握った手を放さず、なおもセアラは必死に食い下がる。その手をサラドが強く払わないため、ディネウは黙って事の次第を見守っているが眉間には深い皺が刻まれていた。


「うーん、ひとつアドバイスをするとすれば…。病気の治癒が難しいのは何でだと思う?」

「えっと、大きな力を持っていないから?」

「じゃあ、逆に、セアラは擦り傷や小さな切り傷は治せるよね。それは何でだと思う?」

「小さな力でも治せるくらいの傷だから?」

「不正解ではないんだけど…。それだけではなくて、その傷や病への知見が大きく関わってくると思うんだ。例えば…

擦り傷や小さな切り傷はセアラ自身も負ったことがあるし、年下の子供達の世話をしていた時にもたくさん目にしているだろう?」


セアラがこくんと頷く。


「そうすると痛みの程度も想像がつくし、処置の心得もある。傷が膿むことも、やがて瘡蓋ができ、その下で新たな皮膚が再生する過程も知っている。

それを意識しながら術を使えば効果は現れやすい。治癒の力はあくまでも予め人が持っている自己治癒力の強化と速度を早めることだから。

病気の治癒が難しいのは熱の症状ひとつにしても、その起因がわからないと、熱だけ下げて、原因の病を見落とす場合もあるから。また、一概に熱を下げることが良いとは限らない。熱は体を消耗させるけど、病気と闘っている証でもあるからね。

要は怪我も病気も、たくさんの症例を知っているか、適切な治療法を知っているかが大きいんだ。

大きな奇蹟の力を持っている人なら、力押しもできるかもしれないけれど、どこが悪いかわからず、全体に治癒をかけても効率的ではないし、骨折を治そうとして骨が歪んだままくっつけてしまうなんてこともあるんだよ」


口元を覆ったままのサラドの声を聞き漏らすまいと、セアラはこくこくと相槌を打ちながら真剣に傾聴した。


「では、病気への理解があれば治癒も可能で、解毒も毒の知識が必要になってくるということですね」

「そうだね。セアラは単純な魔力量ならオレより多いかもしれない。養護院や施療院での経験もあるから、励めばきっと良い治癒士になれるよ。なによりセアラの治癒は温かい」


褒め言葉を受けてセアラはキラキラと希望に満ち、サラドの目を見上げた。目尻に笑い皺が寄っているのを見ると、あの朗らかな、左に八重歯がちょっと覗く笑顔が思い浮かぶ。フードと口を覆う布を外して顔を見せて欲しいと切に願ったが、恥ずかしくてセアラからは要求できなかった。


「あ、あの…。セアラ、そろそろ手を放してくれる?」

「ご、ごめんなさいっ」


パッと万歳したセアラは顔を真っ赤にした。ゆるゆると腕を下ろして体の前で腕を交差させてぎゅっと手を組む。セアラが握っていたサラドの手をずっと凝視していたマルスェイが好機とばかりに大きく一歩を踏み出した。


「あの、サラド殿、弟子にしてください!」

「てめぇ、どのツラ下げて言ってやがる?」


ディネウの剣幕にサラドが苦笑し、胸ぐらを掴みかかりそうな勢いの彼を宥めた。ショノアもセアラも呆気に取られ、閉口した。マルスェイの不屈の精神と厚顔さには舌を巻く。


「オレは弟子はとらないよ。そんな魔力もないし、魔術の実力もない。それに魔術師の師弟関係は互いの命を預かるようなものだ。マルスェイさまもオレの命なんかに責任を負いたくはないでしょう?」

「それは…その…」


 これまでの行いからしたら断られて当然。それどころか宮廷魔術師団もろとも潰されても仕方ないのに、サラドの声は冷静で穏やかだ。マルスェイは頭を下げて、右手をそろそろと差し出した。温厚な彼につけ込んでいる自覚はあるが、魔術師として生きられるかどうかの瀬戸際に立たされたマルスェイはこの手に懸けるしかない。


「せめて、手を握ってくれませんか?」


疑問符を浮かべながらもサラドはマルスェイと握手を交わした。繋がった手に視線を落とし、マルスェイはがっかりと顔を曇らせた。


「えっと?」

「…大魔術師に貴方に手を取られたことがあるかと問われました。そこで何も得られなければ教えることなどないと。だから、その、」

「ああ、そういうことか」


マルスェイが言わんとしていることを理解してサラドは手を開いた。行き場を失ったマルスェイの手が支えをなくしてガクッと落ちかけ、空を掴む。今まで散々失礼を働いてきたため、離れた手に自分から掴みかかることもできず、マルスェイは顔色を無くして狼狽えた。


 サラドは「ふむ」と悩んだ。マルスェイは魔術に対して熱心なだけで根は悪い人間ではないのだろうが、少々危ういところがある。魔術への印象改善と有用性の普及、魔術師の地位向上のためとはいえ、制御できていない術を見世物のように扱うのは考えものだ。

ちらとディネウを窺うと、不機嫌も露わに歯を剥いていた。獣なら「ガルルル…」と唸っていることだろう。目が合うと「もう取り合うな」と如実に語っている。

ゆっくりと瞬きをしたサラドがディネウと向かい合い、小さく頷いた。前髪とフードの縁がさわさわと風に揺れている。


*水の清めの術なら傭兵の中で魔術の資質がある子にも教えたし…。広めて困るものではないし、ノアラも反対はしないと思うんだけど*

「こいつにその価値があるのか?」


急に何も語らなくなったサラドと、苛々とつま先で地をトントンと叩いているディネウをマルスェイは戦々恐々と見ている。『最強の傭兵』に半眼で睨まれ、脂汗が額にぽつぽつと浮かんできた。脈絡なく怒気をはらんだ低い声を出し、マルスェイを指さしたディネウにサラドは軽く首を傾げた。


「ほら見ろ」

*このまま思うように術を習得できないまま危なっかしいことをし続けるよりも、ひとつ自信の持てるものができた方が良いかなって…*


「知らねぇぞ」と言ってディネウが腕組みをして、そっぽを向く。再度、サラドがゆっくりと瞬きをすると二人の周囲を舞っていた風がふわりと吹き去った。


「せっかく水と親和性があるのだから、術をひとつお教えします。詠唱は…」

「っ! 待ってください。すぐ用意を…」


 マルスェイは急いで懐を漁った。慌て過ぎて不要な物までがバラバラとこぼれ落ちる。動揺を隠せずに拾っていると、サラドが筆記具をひょいと取り上げて、サラサラと詠唱の句と魔術陣を書き記した。受け取るマルスェイの手が感動に震える。


「以前に力をお借りした際にも言ったことです。魔術の発動は己の魔力だけではなく、自然や精霊が力を貸してくれています。その力を感じ、敬い、感謝すること」


これまでマルスェイが学び、研究してきた魔術の詠唱は自然に由来する力を我が物とし、それを攻撃力に変換して発動を『命令』する文言だった。ところが今、手渡されたものに書かれているのは全く体系の異なる、いわば『願い』。


 とこしえに水の恵みを望み、その恩恵に感謝を、清明を称え、大いなる力に畏敬を。汚れを濯ぎ、心と身体を健やかに保つための助力をこいねがう流麗な言葉が綴られていた。



お読み下さり感謝いたします。ちょっとでも気に入っていただけていたら嬉しいです。


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