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83 愛しのプリーデナ

 避難場所は町や近隣の村を結ぶ道の脇に設けられた芝地だった。村を結ぶ道は整備されておらず、馬車や荷車、大人数が一気に移動したため、もうもうと土埃が舞う。その中を通った人々の衣服や顔は汚れ、余計に疲労と焦燥が増して見える。


男衆は獣や盗賊を寄せ付けないように一晩中火を絶やさず、寝ずの番をする気でいるようだ。また、眠れる気もしない。

少しでも気を紛らわそうと楽器を奏でる者がいる。誰も「うるさい」「やめろ」などとは言い出さない。故郷の音色は心を結束させる働きがあった。難民として過ごした時期もこうして夜を明かした記憶を共有する仲間にとっては軽快な音楽は不屈の調べでもある。


 セアラは心を鎮める香と場を清める効果のある葉を乾燥させた物を星の杖についた鉄籠に入れて焚き、くゆらせながら避難した人々の間を歩き回った。請われれば、その都度膝を折って相手の手を握り、短い祈りの言葉をかける。


 最初に避難していた幼子たちの元には遅れてきた親が次々に駆けつけた。子供達を守るように囲っていた大人達も再会を見守って、我が子のことのように目を細めている。


「わたしの可愛いプリーデナ」


幼い娘を抱き上げた父親が頬ずりする。小さな女の子はワァーと大声でひとしきり泣くと安心しきって父親の腕の中で眠たそうとろんと目を瞬く。


(プリーデナ…、何故だろう。聞いたことがある気がする。ううん、私もそう呼ばれたことがある気がする)


セアラは胸に去来する郷愁に、首を傾げた。


「あの、『プリーデナ』とはあの子の名前ですか?」

「いいや、私らの故郷では可愛い子や愛しい人に対して『プリーデナ』という花の名を使うんですよ」


(そうだわ、そう…。私もそう呼ばれた。幼い日に父に肩車されて)


こめかみに針を刺したようなツキッとした痛みを感じ、目を瞑ると、甦った記憶が脳裏に浮かぶ。


 父は「可愛いプリーデナ。わたしの小さな姫君」と言って腕を広げて待ち構える。

「セアラの髪はハチミツのように明るくて、どこにいても見つけられるよ」頭を撫でて、まだ細くて柔らかいセアラの金の髪をクルクルと指に絡める。まるで恋人にするような仕草だ。

丈の短い草が生えるかどうかの痩せた土地で、やっと見つけた花を手折り「ママと、生まれてくる赤ちゃんに」と言うと父は零れるような笑顔を見せた。腋に手を差し入れ、高く抱き上げるとひょいと肩車をする。母のお腹には弟か妹がいて、具合が悪そうに横になる日が増えていた。母に甘えたいのを我慢するセアラを、父は思い切り甘やかしてくれていた。その時に父は必ずそう呼びかけたのだ。

可愛いプリーデナ――と。


(どうして、忘れていたんだろう…)


 幼い日に過ごした村は盗賊に急襲され、子供達だけでも助かるようにと馬車の荷物に紛れさせて逃された。大人達もすぐに追うから、と言い含められて。ガタゴト揺れる馬車の荷台で、じっと息を殺して、身を縮めて、恐怖に耐えた。


だけれども、セアラの両親は迎えに来なかった。待っても、待っても。

他の子が抱き上げられる度に不安に押し潰された。村の人々は散り散りになり、セアラと同じように身寄りを失った子供は助けに来た青年に連れられてあの町の養護院に預けられたのだ。


村が焼き払われたと聞いたのはずっと後になってのこと。心のどこかで両親とははぐれただけだと、いつか迎えに来てくれるのだと信じていた。

良く似た状況に接し、思い出した過去。無意識にも心が壊れないように蓋をした記憶が苛む。


「パパ、ママ…。あたし…ひとりぼっちになっちゃったのね…」


零れ出た独白は幼い日の口調だった。




 避難場所に村長と衛兵が合流すると、迎えた皆が安堵の声を漏らした。


「どなたか、飲み水を分けてもらえないだろうか」


渡された杯にマルスェイは短く感謝を述べるとショノアに差し出す。ショノアは黙って痛む喉に水をちびちびと流し込んだ。マルスェイが自分のために水を所望したのではないと知った者は村長と衛兵にも水を注いだ。


「ショノア、一度、鎧を外せ。着替えた方が良い。そのままでは体に障る」

「こんな状況で、鎧を外すなど」


ショノアはマルスェイの手を払おうとしたが逆に手首を掴まれた。「セアラ、」と呼びかけると、彼女は辿々しく人を避けながらマルスェイの前に出てくる。その動きに香の煙が右に左にと揺れた。顔色を無くし、疲れた表情の中にも凜とした輝きがある。


「ショノアが喉をやられたようなんだ。治癒を頼めるか」


こくこくと頷いて、セアラはショノアの首に指先を伸ばし〝治癒を願う詩句〟を唱えた。気を抜くと喉仏に触れてしまいそうな距離。伏し目がちの緑の瞳にかかる、くりんと弓なりに伸びた睫毛が微かに揺れている。すぐ真下にそれが見え、彼のために一心に祈る姿にショノアはじわじわと胸が熱くなるのを感じた。

白くほんわりとした光がショノアの喉にすぅと吸い込まれると、痛みが和らぐ。


「村長殿、私もかつてあと一歩遅ければ領地が全滅していたという憂き目に見舞われました。仮令、占拠されたとしても、命があれば取り返す好機もあります。そのためにも今晩はここで英気を養ってください」


マルスェイは次いで衛兵を見遣った。


「貴方も。かなり痛みが出ているのでしょう? 仮にその状態で襲われて犠牲を出したとしたら、後悔は幾許か」


その言葉を耳にしてセアラは衛兵に駆け寄り〝治癒を願う詩句〟を唱える。衛兵はその姿に「ありがとう」と小さく礼を述べた。古傷には治癒の術は効きにくい。


「ショノア、君もだ。いざという時にすぐ動けるよう調子を整えておけ」


ショノアはまるで上官のような佇まいのマルスェイに力なく頷いた。確かに鎧の下の衣類は汗で張り付き、体を冷やしている。指先が小さく震えていた。


「私の仲間が村を見張ってくれています。今晩はここで様子を見て、明るくなってから戻れと言伝を受けていますし、明日、村に戻るのを楽しみにしましょうよ」


マルスェイは「希望はある」と最後にしっかりと伝えた。



 衛兵はセアラに先程受けた治癒をもう一度、他の人にも頼めないかと懇願した。一も二も無く承諾して、その後に付いていくと、集団から少し離れた場所で息子を抱きしめてうつらうつらと船を漕ぐ母の姿があった。まだ若い母親はこの数刻で一気に老け込んでしまったように見える。


「この子が水痘なんだ」

「あの…私の力では治すことはできないと思います」


セアラが俯いて申し訳なさそうにすると、衛兵は慌てて、負担に感じないようにと手を激しく振って否定した。


「もちろん! 病気の治療が難しいことは知っている。ただ心労もあって苦しそうだから、幾らかでも楽になれば、と。…実は、少し前に流行したせいで薬が不足して、次にまた流行したら、という懸念があるんだ」


 養護院で小さな子供達の面倒を見てきたセアラは水痘の看病も幾度となくしてきた。高い熱が出る子もいるし、丘疹程度で済む子もいれば、重い水疱に苦しむ子もいる。痒みに耐えられず掻いて潰してしまうと症状を広げてしまうことにもなるし、痕にもなりやすい。

セアラがいた養護院には運良く寄付があったけれど、良く効く薬は稀少で高価なため、たくさんは用意できない。


男の子には丘疹になりかけた発疹があり、発症して二日くらいの初期段階のようだ。

セアラは男の子の手にそっと触れ、今まで看てきた子供達を思い起こし、少しでも症状が軽く済むようにと願いを込めて〝治癒を願う詩句〟を唱えた。ほんわりとした光が母子を包むと、発熱で顔が赤く苦しそうにしていた男の子の呼吸がすぅすぅという落ち着いた寝息に変わる。


「楽になったようだ。感謝する」


衛兵の顔がほっと緩み、明るく笑顔になった。

病気の治癒は奇蹟を許された高位の神官でさえもとても難しいと聞く。男の子の様子が変わったのはたまたまだとセアラ自身は思ったが、気休めでも役に立てたのは素直に嬉しかった。



 体を清めたショノアは軽装でも剣は手放さず、警戒にあたれる場所に位置取り、鎧の手入れをしていた。体にスウスウと冷たい風があたり心許ない。早く済ませて装備したいと気が逸る。

今のうちに、煩雑な頭を整理しようと深呼吸をして精神を落ち着かせ、記憶を手繰った。


 あの場で助けに入り、骨を一振りで倒したのはサラドで間違いないだろう。

サラドが手にしていた白々と輝く反りのある片手剣。

出会ったばかりの頃に、興味を示したショノアに鞘ごと渡して見せてくれた剣は驚くほど軽かった記憶がある。

鞘には古代文字らしき文様、古代の遺物にあるという魔力を持った武器。ショノアは柄に触れただけで手が痺れ、抜くことが叶わなかった。

サラドは特別な人から貸し与えられた、使い手を選ぶ特殊な剣だと言っていた。

剣身を見たいと言ったショノアにサラドは何と答えていたか…。


『…なるべく活躍の場はないといいんですけどね…』


それをあんな形で見ることになるとは。軽さ故に攻撃力は小さいと言っていたが、特殊――特定の対象に威力を発揮する武器だとしたら、今回のことから察するとアンデッドに対してだろう。骨は瞬時で灰になった。

そして、振り返って見た巨大な火柱、飛び去る火の鳥。


炎の翼を広げる鳥は前にも見た。聖都の近く、サラドが人型の魔物に捕縛されていた時のことだ。サラドと魔物、大木を包み、螺旋を描きながら天に昇った炎の鳥。ショノアはあれを魔物の攻撃だと思い込んでいたが、サラドの術だとしたら?

その仮説にショノアは血の気が失せるのを感じた。


炭と化す大火の中に咄嗟に魔物を引き留めたその判断と行動には頭の下がる思いでいた。サラドは術で防御を張りその命を辛うじて繋いだのだと推測し、自分たちこそが瀕死のサラドを看護して救った側だと。だが、火の術すらもサラドが放ったものだとしたら、被害を最小限にし、ショノアらを巻き込まないために自分の身を挺して己の術の中に残ったことになる。


(俺はっ、本当に大馬鹿だっ)


ショノアは忸怩たる思いに頭を抱えてしばらく顔を上げられなかった。



 夜明け直前、セアラはいつものように杖を脇に置き、両膝をついて背筋を伸ばし、手を組んで祈り始めた。滔々と紡がれる言葉に誘われ、寝ずの番をした村人たちもセアラの背後で静かに手を合わせる。


祈りが終わる頃には赤い朝陽が木々の隙間から幾筋も射し、目を刺激した。長い夜は明けた。

「明るくなりましたので、一度村を確認してきます。皆さんは帰村の準備を進めていてください」と衛兵が村長に告げた。

避難場所から偵察に出る衛兵を見送ろうとすると、村の方向からこちらに近付いてくる大柄の人影があった。身を硬くして、疲労と眩しさにしょぼしょぼする目を擦る。

紺色の艶を帯びた黒髪、斑模様のある変わった色の毛皮を腰に巻いたがっしりとした体軀。立っているだけで他を圧倒する存在感がある。大剣使いの『最強の傭兵』。


「あ、アニキ!」


衛兵は喜色の籠もった声を上げ、駆け寄った。


「おう、すまないな。来るのが遅れちまった。他でも悶着あってな」

「いいえ! あの『兄さん』が来てくれましたから!」

「村を見て来たが、もう大丈夫だ。帰っても問題ないぜ」


 衛兵が振り返ってディネウの「安全宣言」を伝えるとわあっと歓声が上がった。いそいそと出発の準備に取りかかる。村長は己の目で見るまでは気を抜くまいとしていたが、眦が少し濡れていた。

衛兵の背をバシリと叩いて「良くやった」と労うディネウに彼は「えへへ」と照れ笑いをした後に、急に項垂れて体を震わせた。


「お、おれの判断の誤りで村のみんなの命と生活を失わせていたかと思うと…」


これまで村人を守る気迫に満ちていた衛兵が弱音を吐露する。


「村までは俺も一緒に行く。ほら、まだ気ィ抜くな」

「はい!」


 衛兵が先頭に立って歩き出し、ぞろぞろと村へ帰る足取りは疲れているが軽い。

隊列の最後に尾いた馬車にセアラを乗せ、ゆっくりと進むその横をショノアとマルスェイは歩く。腕を組んで仁王立ちになり、通り過ぎる村民を見守っていたディネウと目がバチリと合い、彼の深い青の目が忌々しいものを見たように眇められ、眉間の皺がぎゅっと深くなった。ショノアは負けじとその目を見返したが、数秒も持たずフイッと逸らしてしまった。

ショノアらの馬車が過ぎ、避難場所を一瞥したディネウが殿を務める。村までずっと続いた背後からの圧力にショノアは胃が痛む思いをした。



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