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82 火とサラド

 左の手の平に乗せた火蜥蜴にサラドはふうと息を吹きかけた。背に鰭が生えたように炎が揺らめく。

勢いを増す火。クルッと回転して蜥蜴は鼠に、そして兎を象って、サラドの手から飛び降り、ぴょんと跳ねた。集まった骨を囲い込むように駆ける火は山猫、狐を経て山犬に変化すると、残像を置いていくように数を増し、一周して炎の壁に迫る頃には六頭になっていた。壁を形成していた炎をその身に取り込んだ山犬は骨を内側に閉じ込めてグルグルと円を描いて走り続ける。やがてまた一つになった炎は竜巻となった。

円の中で人や馬の骸骨と、明確な形を象れていない数多の骨たちが炎と狂舞する。救いを求めて突き上げる手も狂おしい踊りの影も巻き上げて、全てが赤に溶け込んでいく。


それを見詰めるサラドの目もより赤々とした橙色。

空へ昇る炎の柱が赤から白へと変わると、ほんの一瞬で霧散し、最後に白い炎が地を舐めて消えた。



 突如として目が眩む程の明るさになったのと、後頭部に感じる熱が強くなったことで、とうとうショノアは振り返った。視界一面の赤に浮かぶ人影は、火柱が音も無く消えたことでもたらされた闇に見失った。急激な明暗の落差に目がチカチカする。

地を這う白い炎も消え去り、一羽の火の鳥に誘われるようにキラキラと白い灰が風に攫われていく。


「た…助かった?」

「おそらく。救援が間に合って良かった…。さあ、急いで避難しよう」


衛兵に促されてショノアも村の入口へと急ぐ。今になって吹き出した汗を拭うこともできず、目に入って染みた。




「早く馬車を出せ」という声も耳に入らないほど、マルスェイは凍り付いたように火柱と白い炎から目が離せなかった。骸を舐めるような白い炎は子供の頃に見たのと同じ。それが消え去ると魔物の姿が跡形もなくなっているのも同じ。


(あれは…、あの白い炎は、)


強烈に印象に残り、魔術師を志すほどに憧れた火の術。



 続々と村民が道へと逃げ出て行く中、ショノアと衛兵と母子が漸く村の入口付近まで後退してきた。


「ショノア! 無事で良かった!」

「ああ、」


カラカラに渇いたショノアの喉は返事もろくに発声できない状態だった。熱風で喉が少し焼けたのかもしれない。

マルスェイの隣でトスンとセアラがその場に座り込む。星の意匠の杖を支えにして、向こう脛をぺたりとつけたその姿は脱力して倒れたという方が正しいだろう。


「さあ、早く馬車に乗って!」

「駄目です。息子は水痘で…。他の子にうつしてしまう」


 マルスェイが母子を馬車へと誘うが母は首を横に振った。

水痘は大抵の人が子供のうちに罹る病で、一度罹患すれば二度はないといわれている。成長過程で通過儀礼のような病だが、感染力が強い。大人になってから罹ると症状が重症化する場合もあり、発熱と体中にできる水痘とそれに伴う痒みは耐え難い。


「では、これを使って」


荷車に妻を乗せていた老夫婦が、母子にと譲った。遠慮するも「同じ村民、助けあって当然よ」と押し切られ、薄い毛布が敷かれた荷台に乗り込む。ショノアは背から子供を降ろし、その腕に返した。発熱している子供が離れたことで汗が冷え、寒気が襲う。


「おれが送り届けよう」


衛兵が荷車を引き受けた。持ち主の老女はショノアたちの馬車に乗り、駆け足で逃げようとする夫の手をマルスェイが引いた。


「御仁は手綱は繰れるか?」

「…荷馬車なら、少しは」

「では、お任せしたい」


マルスェイが半ば強引に御者台に夫を座らせ、手綱を託す。次いで座り込むセアラの腕を取って立ち上がらせた。


「セアラ、立って。君も馬車に乗るんだ」

「でも…」


小刻みに震えるセアラを馬車に押し込み、ショノアに御者台に乗るように促すと、彼は掠れた声で「いや、」と短く否定した。騎士として殿を務めたいという思いはマルスェイにも通じるのか無理強いはしなかった。


「私たちは仲間を迎えてから後から追います」

「待って! 私も…」

「セアラ、君の祈りは希望の光になる。避難先で皆を励ましてくれ」


マルスェイの言葉に降りようと縁に掛けた手をセアラはおずおずと膝の上に戻した。馬車はすぐに走り出し、荷車から移った老女が気遣わしげにセアラの手に皺の多いふっくらとした手を重ねた。


「馬をお預かりする」


衛兵の馬の手綱をマルスェイが掴むと、「よろしく頼む」と頷いて彼は母子を乗せた荷車を引いて馬車の後を追った。


あと残るのは「村民の避難を見届けてから」と頑なに動こうとしない村長とショノアとマルスェイだけになった。



◇ ◆ ◇



 骨が村の中を進んだ跡を辿りながら北の壁に到達したサラドは破られた穴から外側を窺った。火の鳥が飛んで照らす地を見てサラドは小さく嘆息した。


「古戦場か…。無念はあれども、静かに眠っていたのに『恨め』と吹き込まれ無理矢理に叩き起こされれば、そりぁ、怒るよなぁ…。村を興した後から随分と北に開墾をしたんだな。ここまで拡げてるとは思わなかった」


壁の向こうに伐採された材木が積まれ、まだ掘り抜かれていない切り株が点在している箇所がある。下手をすれば不可侵の森をも削る進行具合だ。その先に土が掘り返された穴がぼこぼこと開いていた。


 一周り飛んだ火の鳥は段々と体を縮め、サラドの元に小鳥となって舞い降りた。


(お疲れさま)


手の平に乗った火を労い、指先で目周りを掻くように撫でると顔を半回転させて指の間に頭を擦りつけてくる。満足そうにふるっと体を震わせて翼から火の粉を払うと蜥蜴に戻り、ランタンの中で体をくるりと丸め身を休めた。


 ピィーと高い笛の音がして、そこに向かうとニナが骨と一定距離を保って立っている。大腿骨と思われる骨を中心に脚を象り、上半身のない姿でゆっくりと歩む骨は何処へ向かおうとしているのか。


「大地へ還れ」


白々とした片手剣でそっと交えると、カツッと乾いた音を最期に灰と消え、骨はそこで行進を終えた。


「今のところ見つけたのはこの一体だけ」

「ありがとう。村の人々は避難し終えたのかな…。伝言も頼めるか? 念のため一晩様子を見て、明るくなってから戻って来るように、と」

「了解。…あんたはどうするんだ?」

「オレ? うん、一応、骨が出てきたところ…、囲いの外を警戒するよ」

「わかった」


笛を返そうとするニナの手を握らせて、サラドは「もう少し持っていて」と押し返す。ニナは素直に小さく頷いた。宵闇の中で青白く見えるサラドの目元を一度しっかりと見て踵を返し、他にも残留している骨がいないか探りながら避難先へと走り去る。


 サラドは破られた壁の穴を潜り、村の外側に出て、林の中にあっても茂る木の少ない古戦場に向かった。地表は土竜が荒らした後のように至るところで掘り返された土で盛り上がっている。埋もれている、錆びて原型を留めない金属は鎧や武器だろうか。

頃合いの良い木の枝に跳び乗って、左手の甲を口元に近付け、瞑目した。


(風よ。伝えて。ノアラに、ここは片付けた、と)


クルクルと回る小さな小さな旋風がサラドの頬を撫で、髪を揺らした。風はぴゅーと過ぎ、もうどこを吹いているか知れない。

鎮魂歌を歌っても、そこから天や海や森に還る光はなかった。昔々に起きた戦で潰えた魂はとうに環の中に還っている。母子を襲っているように見えた髑髏から感じたのも「残してきた者への想い」だった。骨に染みついた思念が母子の姿と重なり、強く引き寄せられたのだろう。


(あんな、滅ぼすような方法ではなくて、もっと違う、救いあげるような術が使えたらいいのに…)


鎮魂の祈りを込めた歌は優しく厳かに大地に染み込んでいく。


(さすがに疲れた…。弓と、荷物…回収に行かないと…)


――見てる 安め


(うん、ありがと…)


サラドは枝に器用に手足を引っ掛けて、しばしの休息をとった。



◆ ◇ ◆



「あの炎は何だ? ショノアは間近で見ていたのだろう?」

「いや、俺はその時はもう背を向けていたから」


 ショノアがガラガラの声で答えるとマルスェイは片眉をつり上げて「ふむ」と納得がいかなそうに鼻を鳴らした。

早速、飛び出したマルスェイの質問にショノアはげんなりとした。今はそれどころではない。この村の安全と今後の生活がかかった一大事で、微力でも第二、第三の襲来に備えるために残ったのであって、マルスェイの術への探求と疑問に付き合うためではない。またショノア自身も目にしたものに頭の整理が追いついていなかった。


「ニナはどうした?」

「そちらに行っただろう?」

「いや、俺のところには来ていない」


村内の家屋が火事になった様子はないが、暗くて被害の全容は見えない。ショノアは溜息が漏れそうになるのをぐっと堪えて、口を引き結んだ。


「すまない。こちらの様子はどうだ?」


ひょこひょこと片足の膝を曲げないようにして衛兵が走り寄り、息を切らせながら問う。大分無理をしているのが見て取れる動きだ。荷車に乗せた母子を安全な場所まで運んですぐさま引き返してきたらしい。


「何故、こちらに? 避難場所の護衛は?」

「あちらは人数も多い。皆ひとかたまりになっているし、火を焚き賑やかにしていれば獣も襲ってくることはないだろう。それよりもこっちだ」

「今のところは静かなままです。まるで何事もなかったようだ」


空では星が瞬き、林から夜行性の鳥の声が微かに聞こえてくる。本当に何もなかったように、いつも通りの光景。ないのは夜泣きする赤児の声くらい。衛兵はほっと表情を崩した後、すぐに顔を引き締めた。


「すまないな。旅の途中の方を巻き込んでしまって。村民の救助に尽力いただき感謝する」

「いいえ。お互い様ですから」

「救援を頼んだと仰っていたのは?」


マルスェイが緊張感の欠片もなく興味津々に質問する。


「魔道具の救援信号だよ。アンデッドの危険因子があると注意喚起に来たアニキが授けてくれていたんだ」

「魔道具! あの狼煙か?」


マルスェイの目が不謹慎にも興奮で輝き、口端が愉悦に引き上がる。衛兵は眉根を寄せてマルスェイに次の質問をさせまいと村長に向き直った。


「村長も避難場所へ。ここはおれが守ります。村長がいるだけでも皆が安心するでしょうから」


つい数刻前は演奏や踊りで賑やかだった広場の方角を沈痛な面持ちで眺めていた村長は衛兵にゆっくりと視線を動かした。


「だが…私らの大事な村が…。また、失うなど…」

「村長、命あっての物種です。そう諭されていたでしょう?」


悄然とする村長を衛兵が説得にかかっていると、足音もなく闇からニナがヌッとい出てショノアと距離を詰めてきた。


「伝言だ。『念のため一晩様子を見て、明るくなってから戻って来るように』と」

「ニナ! 一体どこに行っていたんだ? 伝言とは誰からだ? 『念のため』という言い方はもう脅威は去ったと見ていいのか?」


マルスェイの矢継ぎ早の質問にニナはチラッと視線を動かしただけだった。


「わたしは伝言を頼まれただけ。脅威については村を見回ったが今は問題ない。見張りは受け持つ。避難場所へ移って日の出まで待て」

「サラドがそう言ったのか?」


ショノアが問い質してもニナは肯定も否定もしなかった。


「しかしニナだけに見張りを任せるなど」

「お前らよりは働ける」

「確かに特殊部隊なら監視は専門だし、任せて避難場所を警護した方がいいかもしれない。盗賊の心配もあるしな」


ニナの物言いにショノアは憮然としたが、マルスェイは自分にも言い聞かせるように、うんうんと頷いた。


「ショノアも、貴殿らも少し休んだ方がいい。明日のためにも。では、ニナ、頼んだ」


マルスェイは一人で納得して、ショノアと衛兵と村長をグイグイと押して避難場所へと移動させた。



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