81 襲いかかる骨
ボヤ騒ぎで集結していた人垣の中から一人の男が前に出て来た。若者の殆どが不在の中で、鍛えられた体躯の壮年。革の鎧を身に着け、短髪で髭もきれいに当たっている。村の入口に立っていた衛兵だ。
「おれが偵察に行く! 皆は避難準備をしてくれ。決して近寄るな」
「俺も手伝おう」
ショノアが剣の柄を握って申し出たが男は首を振った。
「相手が何であるかを確認しに行く。戦ってはいけない敵の可能性もあるんだ。頼めるのなら、皆の護衛を」
そう言い残して衛兵は馬の元へと走って行く。片脚がたまにひょこっとリズムを崩すところを見ると古傷があるのだろう。
「一人で大丈夫だろうか?」
「彼は王国の元傭兵で、村興しから世話をしてくれた一員です。この村を知り尽くしていますので、信じて任せましょう」
各々が即座に行動に移る。小さな子供のためにと荷馬車を用意に走る者。家に残した者を迎えに戻る者。荷車を引く者。
「俺たちもテントを片付けて、馬車を避難のために使ってもらおう」
ショノアの言葉の途中でニナが休ませていた馬の元に走る。マルスェイとセアラも強く頷いて野営場所に戻った。
第一報を伝えた者は恐怖にガタガタと震え、今すぐにでもこの場から逃げ出したい衝動に耐えている。
異変があったという北側の壁からも離れた場所、報告次第ではすぐに逃げることも想定して、入口付近にひとかたまりになり、衛兵が戻るのを待つ。
しばらくしてパンッという音がして空で何かが弾けた。皆が一斉に空を仰ぎ見る。宵空に青い煙がたなびいていた。
不安が去来する。衛兵を待つ時間はひどく長く感じた。
「村長、全員の避難を!」
馬を走らせて戻って来た衛兵は切れ切れの息でもはっきりと危険を報せた。
「確かに、骸骨が壁を破っていた。今は動きが緩慢だが、おれたちで対処できる相手じゃない。無理に戦わず逃げろと指示されている。救援を頼んだが…間に合うかどうか…」
再び警鐘が鳴らされた。避難を促す叩き方だ。
「せめて荷物を取りに行かせてくれ」
「駄目だ。いつ急に襲いかかってくるかもわからないんだ。そんな悠長なことは言っていられない」
「今日は不在にしている者も多い。安否確認が難しい」
村の北寄りに住む者を衛兵が止める。集まった人々の顔を確認しながら村長が不安そうに呟いた。
カン、カァン、カン、カァンと鐘が鳴り響く。
「避難しそびれている者はいないだろうか」
「そういや…、大岩の側んとこの倅が水痘に罹ったとかで嫁さんと残っていなかったか」
「えっ? あいつは若い衆を町へ送って行っただろう?」
「息子が祭りに行けない分、土産を買いたいって引き受けていたはずだ」
話題にのぼった母子の姿が見えないことに村長たちは焦燥感を募らせる。
「おれが見に行ってくる!」
「待ってくれ! あんたが行ったら皆が危険に…」
カン、カァン、カン、カァンと打つ鐘の合間に「キャー」という悲鳴が聞こえた。目を凝らすと子供を抱いて足をもつらせながら逃げる人影がある。その背には錆びて穴だらけの鉄兜を被った髑髏が迫っていた。その髑髏を先頭に北の方角から数多の骨が蠢いている。
宙に浮く髑髏が下顎をガコガコと動かし母子を追いかける異様な光景に人々は戦慄した。恐怖に穿かれ、体は動くことも喋ることも考えることも放棄する。鐘を鳴らす手も止まり、カタカタと骨が動く以外の音が消えた。
俄に髑髏の動きが鈍り、母子のことなど忘れたかのように当て所もなく宙をふよふよと彷徨う。
既に動く骨を目にしていたため、いち早く我に返った衛兵がその好機に矢を放ち、髑髏は弾かれて地に転がった。
「早くこっちへ!」
髑髏を横目に母はよろよろと走り出す。しかし子供を抱えているために決して速くはない。
「な…んだ…あれは…」
「に…逃げろ! 馬車を出せ!」
「俺たちの馬車も活用してくれ! 馬車に乗れていない子供や足腰に自信のない者がいればこちらへ!」
ショノアたちが馬車を回して来ると同時に小さな子供を乗せた幌のない荷馬車が村を出発した。ただならぬ雰囲気と親から離された不安に咽び泣く幼子の声が遠退いていく。見送る親も苦悶の表情を浮かべている。
今日、村に残っているのは年長者と遠出にはまだ向かない幼い子を持つ親くらいだ。戦力は乏しい。
鐘の打ち手は小槌を握る手に力を込め、再びカン、カァン、と鳴らした。心なしかリズムが速い。
すると、地に転がっていた髑髏がまた浮かび上がった。カァンの音に合わせるようにガコガコと顎を打ち鳴らす。
「ひっ!」万事休すと子供に覆い被さるように母がその場に蹲る。
「くそっ!」居ても立ってもいられずショノアが剣を抜き、走り出した。
「馬鹿! 戻れ!」
飛んで来た髑髏を間一髪、剣で弾く。しかし、転がった先にはたくさんの骨が集結している。なんとか寄せ集めで人の形を成すモノもあるが、多くは謎の集合体でかえって不気味さが強調されている。
「今のうちに、早く逃げろ!」
しかし恐怖で動けないのか、足を挫いてしまっているのか、母はぎゅっと子供を抱いて蹲ったまま。
ショノアは手近にいる骨に剣を振るった。グシャリと崩れ、ばらけても、また骨同士で固まり出す。肉も筋もなくグラグラとしている骨は剣が当たっても力が逃げてしまい、同じことの繰り返し。剣の面で叩いた骨は脆くなっていたのかひしゃげたが、その状態でもぞもぞと動く。
なんとか母子から骨を引き離そうと押し返してはいるが、全くダメージを与えられないまま、徐々に取り囲まれ出していた。
「攻撃は効かない! 隙を見て逃げろ!」
その声に振り返ると衛兵がこちらへ走り寄ってくるのが見えた。そのずっと先ではセアラがぎゅっと手を組んで祈りの姿勢をとっている。
カン、カァン、カン、カァンと響く音。
剣では太刀打ちできないのは数撃で思い知った。骨は三方から襲いかかり、ズシッと重い打撃を防ぐので精一杯。崩れて散った骨がとうとう背後にまで及んだ。ショノアは判断力が失われて冷静さを欠き、無力感に呑まれそうになった。
(間に合わない。もう、無理だ――)
カッと鐘が常にない音をたてて、ビリビリと残響する。警鐘を叩き続けていた男の手は恐怖と緊張にびっしょりと汗を掻き、叩いた折に手から小槌がすっぽ抜けてしまった。音が止んだ途端に骨の動きが鈍くなる。
「えっ、これは…?」
攻撃を防ごうと構えた剣に衝撃がこないことで体勢を整え直したショノアが辺りを確認すると、囲む骨は地に伏しカタカタと微動しているだけ。
「もしかして、鐘の音か? おーい! 鐘はもう叩かないでくれ!」
警鐘の停止とほぼ同時にぐしゃっと崩れ落ちた骨を見て、衛兵が振り返り、口に手を添えて大声で叫んだ。取り落とした小槌を拾い上げた男が了承の合図に手を振って返す。骨はそのまま、もぞもぞと蠢くだけで突飛な動きは見せない。
「逃げないと…」
ショノアは骨を剣の切っ先で除け、怖怖と大股で跨ぐと、母子に近寄り、肩に手を掛けて助け起こした。母親の胸にぎゅうと顔を押しつけヒックヒックと声を詰まらせていた子供がとうとう大声で泣き出す。
その声に呼応したかのように鉄兜を被った髑髏が骨の山から飛び出した。
「危ない!」
と、その時、背後から橙色の炎が凄まじい速さで衛兵を追い越した。
「火矢?! 敵襲か?」
鏃に火を纏った矢は髑髏の眼窩を射抜き、膨れ上がった赤い火でひと息に包み込む。炎は瞬時に白く変わり、爆発するようにポフッと煙を残して消えた。そこに髑髏はなく、矢と鉄兜がカタリと地に落ちる。
息つく間もなく、光の尾を引いて火矢が次々に飛び、避難中の村人が悲鳴をあげた。
「ああ…私らの村が…」村長が嗚咽のような呟きを漏らした。
三本の火矢がショノアに接近する骨を足止めするように地に刺さり、燃え上がって壁を作り上げた。赤々と揺れる炎から目を逸らせない。熱気に怖じ気づいて数歩退いた。火の向こうでも骨が逃げるように後退る。
予断を許さない緊迫感にショノアは唇を引き結んだ。荒い呼吸で乾燥した唇はピキリと裂け、飲み込んだ唾で喉が痛い。
矢を追って灰色のマントが風のように駆けつけ、火の壁の脇をすり抜けた骨を一刀のもと屠った。骨は焼かれたように灰と消える。
その手には白々と光る片手剣が握られていた。少し反りのある剣身には古代文字が刻まれている。一瞬だけショノアらを振り返った目は赤い炎を受けた橙色。
「サラ…ド…?」
◇ ◆ ◇
ショノアらが滞在中の村が窮地に陥る少し前。
シルエとテオを見送り、目的の村へと早足で進むサラドはその手前で一旦速度を緩め、フードを目深に被り、口元も布で覆った。日が落ちて辺りはもう暗い。今までもすれ違う者は殆どいなかったが、用心はしておくに限る。
正面入口に向かう道は避け、念のため弓に弦を張り、獣道もない林の中を進んだ。サラドの早足は常人よりかなり速い。それでも魔物退治に明け暮れていた十代の終わりから二十代にかけての時期からすれば、衰えを感じ始めている。
「ん? 何かちょっと焦げ臭い?」
口を覆った布に指をかけて、すんと鼻を利かせて五感に集中した時、風がサラドの耳にカァンという音を運んできた。耳を澄ますとカン、カァンという音に別の響きが混じっている。ぺたりと伏すようにして地面に耳をつけた。
(怨嗟か。でも何か様子がおかしい。怒り? 迷いが大きい?)
研ぎ澄ましていた耳に突如、パンッという破裂音が響き、ザワッと肌が総毛立つ。青くたなびく煙は救援信号だ。
サラドは背負い鞄を無造作にドサッと下ろし、走った。木々の隙間から村の囲いが見えると、一台の荷馬車が走り出した所だった。逃げろと叫ぶ声や悲鳴が聞こえる。木の枝に跳び上がって、騒動の現況に目を凝らす。入口付近は混迷の様相を呈していた。
(闇よ。力を貸してくれ。暗闇をも見通せる眼を)
ゆっくりと瞬きをして赤っぽい橙色の目を闇に馴染ませる。開けた目に映ったのは髑髏や固まりになって蠢く骨。
髑髏の動きを注視しつつ、弓の弦を指先で弾き、ぎゅっぎゅっと引いて張りの強度を確認する。矢を一本手にして、腰の右側に提げたランタンに指先を入れると蜥蜴姿の火がすり寄った。
(火を)
待ってましたと蜥蜴がパカリと開けた口から吹いた小さな火を鏃に纏わせ、矢羽根を咥えて舐め整える。
矢を番え、すう、と息を止めて引き絞った。弓がしなりキリキリと弦が鳴く。
(間に合え!)
一射目の成果も確認しないまま続けて三本の火矢を射ると、枝を蹴って空中に身を投げた。
(風よ!)
サラドの体は落下することなく風に運ばれて村の囲いの内側に降り立った。着地と同時に走り出し、片手剣を抜き放って骨に斬りかかる。
「サラ…ド…?」
「退け! 保護を!」
布で覆われてくぐもっているが、強い語気にショノアは怯んだ。再度の「退け!」という声に、剣を納めて、わんわん泣きぐずる子供を背負う。追いついた衛兵が母を支えて、共に村の入口付近まで急ぐ。背後を振り返りたくなるのをぐっと我慢して。
「手綱を頼む」
灰色のマントが走り抜ける一瞬に、橙色の目が、その視線が寄越されたのをニナは見逃さなかった。左右の耳をバラバラに忙しなく動かす馬を宥めていた手を止めて、マルスェイに手綱を握らせる。
「えっ? 待て、どこに行く」
マルスェイの制止も聞かず、ニナは飛ぶように走った。
「加勢する」
炎と骨に対峙しているサラドに声をかけると、こちらを見もせず、ポイッと何かが投げ渡された。小さな笛だった。
「村を巡って逸れた場所で骨が彷徨っていたらそれで報せてくれ。攻撃はしなくていい」
「了解」
「頼む」
サラドは器用にも小声で何かを呟きながらもニナに指示を出した。受け取った笛を拳の中に握り込み、ニナは跳んで家屋の影に消えて行った。