80 一方その頃、ショノア一行も
モンアント領を出発する前に街道入口の町でショノア一行は馬車を調達することにした。マルスェイからモンアントで御者の訓練をしようと提案があった際に申請の文書を送り、既に購入許可も下りている。
「モンアントは名馬の産地だ。馬車も華美さはないが丈夫で機能的に作られている。安心してくれ」
マルスェイが店主でもないのに自信満々に数種類ある馬車の型を説明し始めた。
「細い道や悪路を行くこともあるだろうから――」
「馬は…わたしに選ばせてくれないか」
ニナの言葉にショノアもマルスェイも我が耳を疑った。彼女が自ら要望を口にしたのは初めてだ。
「もちろん、相性の善し悪しってあるからな」
驚きながらもショノアが承諾すると、ニナは礼も返事もせず、ふいっと顔を背け一人で業者と共に厩へ向かった。
任務上ニナは同僚だが、無意識に下位の者や使用人枠として捉えていることをショノア自身は気付いていない。ショノアもマルスェイも相手が同等なのか、使用人なのか、自然と区別して考えることが子供の頃から身に染みついているのだろう。
セアラは馬にも馬車にもどちらにも意見などできず、所在なく一歩離れてその様子を見守っていた。
ニナが選んだ馬は灰色に黒い斑があり、たてがみと尾の色は黒。脚も太く、がっちりとしている。気性は穏やからしく、ニナの手から根野菜をもらい、鼻筋を撫でられて目を細めていた。訓練時に世話になった馬よりやや小さいがどことなく似た雰囲気がある。
翌朝、示し合わせた訳でもなくニナは御者台に座り、まだ新品の手綱の握り具合を確認している。
「さあ、セアラ」
ショノアに手を差し出され、幌馬車に乗り込むと、一見荷馬車だが、造り付けの椅子があった。椅子には布が張られており、中には綿も入れられている。幅はないため寝返りは打てないが、体を伸ばして寝そべることも可能そうだ。荷を積む場所も充分にあり、椅子の下も収納になっていて今までより多くの物が運べる。
馬はポクリポクリとゆっくり歩き出す。門を抜け、順調に街道へ出るとカッポカッポと歩調を速めた。
一行は小さな村を巡りながらセアラの出身の町を目指すことにした。
立ち寄って来た数箇所の村はどこも収穫祭を目前にして、準備にそわそわと浮かれた様子があったが、その日到着した端の村は賑やかな中にも少しの寂しさがあった。
「いやー、収穫祭の奉納後に若者は町へ繰り出してしまいまして」
広場では軽快な曲が演奏され、小さな子供がはしゃいでいるにも関わらず、どこか活気に欠けているのは若者の不在が原因と知り納得する。
「あの、奉納はお済みと伺いましたが、夕べのお祈りを捧げてもいいですか?」
「もちろんです。こちらにどうぞ」
セアラはいつものように膝を着いて祈りの言葉を紡ぐ。モンアントの神殿にて「まずは真摯に祈りを」と教わったマルスェイも立ったまま右手の拳を胸にあて、暗唱しきれていない祈りの言葉をセアラの邪魔にならないように口の中で確認しながら唱えた。
その間にニナは馬を休ませに連れて行き、ショノアはちらと書類に目を馳せ、この村の情報を再確認した。
この村は久しく荒地だった場所に隣国からの難民を受け入れて作られた。難民達は不可侵の森の浅い場所に仮村を形成し生活していた。そこに現れた支援者の助力で王国に保護を求め、体力のある先発隊がこの村の基盤を作り、正規の手続きを経て六年前に入植したと記録にある。
難民の出身は隣国の辺境、魔物被害と土地の荒廃、その上にのしかかる税と領主の横暴から村を捨てて逃げて来たという。この地域の訛りとも少し違うイントネーションがあるが言葉も通じ、生活の風習もさほど変わらず、すぐに馴染めたそうだ。今では近隣の村や町とも交流があり、移り住む者も増えている。
開拓は苦労も多かっただろうが、実りも申し分なく、収穫祭を迎えた人々の表情は穏やかだ。
「国を捨てる覚悟を決めて、しばらく過ごした森での生活は苦しかったですが、こうして安住の地を得られた我々は幸運です。支援してくださった方には感謝の言葉もない」
「あの時チビだった子供らが年頃になって町の祭りに参加するようになったものなぁ」
ショノアは村に残っている人々に話を聞いて回った。村の中でも年長者にあたる人々は生まれた村を捨てるのに相当の覚悟が必要だっただろう。若者や子供達の幸福そうな姿を見て「決意して良かった」としみじみと語る。
重税に喘いでいる節もない。村の運営は上手くいっているように見えた。それでも、不安を口にする声もあった。
「心なしか収穫量が減ってきているように感じます」
「増えるのではなく、減った? 落ち着いてきたのでしょうか」
「わかりません。最初の開墾の際に良い肥料を入れてもらえていたのかもしれませんが、その後も畑を拡げているのですが、期待したほどの伸び率ではなくて」
幾つかの村を経てきたがこの村は豊かな方に見える。食べるには充分でも、些細で漠然とした不安があるらしい。入植後すぐの年の収穫高が良かったための弊害だろうか。
明日にはセアラの出身の町へ移動する予定でいたが、今不在の若者たちがどう感じているかも聞いてみたいとショノアは思った。
一夜の滞在を願うと、火の扱いにだけは重々注意して欲しいと忠告された。馬車である程度の荷物を運べるようになったので、テントも丈夫でそこそこの広さがある。野営の準備も大分手慣れてきた。
「今日はたくさん用意しているから、是非」と提供された食事に甘える。味付けもこの地方一帯とあまり変わらないが、ミンチにした肉を包んだパイが独特で初めて見た形をしている。他にも郷里の味なのだろうと想像させるものが幾つかあった。
「…なんだか、とてもほっとする味がします」
セアラが料理を口にしてほうっと頬を綻ばせた。
時間の隙間を使ってマルスェイは村の外れに移動し、魔術の訓練を始めた。奇蹟の力を望んでいても魔術を諦めた訳ではない。
雨を降らせた時の事を思い浮かべる。サラドに手を両手で包まれた後、急激な頭痛と眠気に襲われたために前後の記憶は曖昧だった。覚えているのは、体を抜けた激流のような魔力とその後の脱力感。
(あの時、サラドは何と言っていた? 感謝とか…)
サラドはマルスェイが水の術と親和性が高いと見抜いていた。実際その通りで、魔術師を志してからいろいろ試した結果、最初に発動したのが水の術だった。だが、火の術を求める余り水の術は一度失っている。再び水の術を鍛錬しても以前ほどの力は発揮できず、まともに使えていない。
風刃の攻撃術の詠唱を淡々と紡ぐ。マルスェイを中心に渦を巻きだした風がふわりと髪をなびかせる。
(感謝…感謝を…何に? この世界?)
結びの言葉を前にして急に制御を失った風が突風となって消え、真上から斬り落とされた枝がドサッと降ってきた。
「――ッ! 駄目か…」
マルスェイは手の平に感じていた魔力が逃げないように拳を握って、ふうっと息を吐いた。
広場を賑わしていた小さな子供達の笑い声はとうに去り、広場では大人達が踊りに興じている。懐かしい音楽に惹かれてセアラは眠る前に少しだけ見学に訪れた。
二重の輪を作り、進行方向を逆にして、パートナーを変えながらクルリクルリと回っている。曲げた肘を絡ませて、踵をタンタンと鳴らしてステップを踏む。音楽は次第に速度を増し、最後まで閊えずに踊りきれた者に称賛が贈られた。若者がいない分、輪は小さい。更にそこから抜けて二人だけで踊り出す者が増え、二重の輪は消失し、二人でクルクル回る輪が大きな輪を形成した。組んでいる二人は夫婦なのだろう。伴侶のいない者が中心で難しいステップを披露する。周りの皆がやんややんやと囃し立てた。皆、愉しそうに笑っている。
「あれ?」とセアラは自分の感情に違和感を覚えた。祭の踊りに加わったことはないが見たことはある。養護院の仲間たちと見様見真似で踊ってみたこともある。そこでは手をちょっと合わせることはあっても、肘を絡めたりはしないし、二人で輪から離れるのはこっそりとだった。
でも、今、耳にしている音楽の方が、目にしている踊りの方が、ずっとずっと懐かしく感じてしまう。
母と父がクルクル楽しそうに回る姿が、記憶から抜け落ちている幼い日の思い出が甦りそうでいて、尚遠い。きゅっと胸が痛んだ。
演奏も途絶えた頃、村に半鐘の音が響いた。
ショノアが慌てて喧噪がある方へ向かうと、干し藁の一つが燃えており、貯水池から村人たちがバケツリレーをして火消しにかかっている。マルスェイも息を切らして駆けつけた。
「すごいな。統率がとれていて。手伝うこともないくらいに。王都の時とは大違いだ」
「王都とは規模が違うだろう。それに…」
ショノアは騎士の立場として、ばつが悪そうにごにょごにょと言い淀んだ。王都で火事が起きた際に衛兵は避難誘導もまともにできなかったと聞く。『最強の傭兵』の助力なしでは被害がどれほどに及んだか知れない、と。
「私もあの時はろくな働きができず、打ちのめされたんだ」
マルスェイがもう消し止められた藁山を見て肩を落とす。あの時は魔術師としては何もできず、普通に消火と救助活動をした。じっと手の平を見るが、仮令、水の術を扱えていたとして、詠唱に時間もかかるし、火消しには威力が足りない。
「他に火の気はなさそうだな。皆、ご苦労さん」
「いやー、貯蔵庫が無事で良かった、良かった」
「すみません。町から帰って来る者もいると思って、篝火を焚いておこうとしたら突風に火口が攫われてしまって」
周辺の安全を確認しつつ、バケツを片付けはじめた人々の話し声にマルスェイはギクリとした。自分が失敗して起こした風とは無関係だと信じたい。
「おーい、皆、怪我はないか?」
「こいつが、慌ててすっ転んだくらいだ」
「何だよ、笑うな!」
茶化された人は足を滑らしたらしく、尻の部分が濡れてしまっている。傷は腕を擦り剥いたくらいだった。
「お手伝いさせてください」
セアラは笑い合う人に近寄り〝治癒を願う詩句〟を唱えた。ほんわりとした光が包むと、はなから擦り傷などなかったかのように消え去る。無事に傷が塞がったことにセアラがほっと胸を撫で下ろした。
「…すげぇ!」
モンアントの砦に滞在中は各個人に部屋を用意してもらえていたので叶わなかったが、セアラは日の出前の機会がある度に、まだ眠っているニナに〝治癒を願う詩句〟を唱えていた。可能な限り息を潜め、声を小さくしてもすぐにニナは目を覚まして「ちっ」と舌打ちしてくる。ニナが止める前にと一言一句丁寧に唱えていた言葉を早口にしたり、声をほぼ出さずに口だけはしっかり動かしたりと工夫を凝らした。そうしているうちにセアラの〝治癒を願う詩句〟は少しずつ成長を遂げている。
ボヤにもセアラの治癒にも関心を示さず、影のように立ち尽くすニナはじっと村の奥に目をやっていた。
「どうした? ニナ、何か気になる――」
「みんなっ! 逃げろ!」
火も消えてやれやれと緩んだ空気が再び緊迫に包まれた。
「何だ? 何があった?」
「ハァ、ハァ…、き、北側の壁が…外から破られそうに、な、なって、いて」
「獣か? まさか魔物?」
「そ、それが、骨が…」
「骨?!」
真っ青な顔で危険を報せた者は村の外から骨が襲って来ると告げた。