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8 不穏の兆し

「ごめんな。慣れないとキツイよな」


サラドがひっひっと咽ぶセアラの背を優しくさすっている。カップに水を注ぎ、口を濯ぐように促した。


「御仁、この辺りでは魔物が出ているんですか?」

「いいや、もっと奥でなら聞いたことはあるが、こんな村近くではここ何年もない。〝夜明けの日〟直後は大きな獣を見たりもしたが…小鬼なぞはない…」


小鬼から逃げてきた老人は大きく首を振った。終末の世と囁かれた時代を鮮明に覚えているだろう老人は魔物の恐怖を知っている。「せっかく平和になってきたのに」と呟き、項垂れた。

サラドは何か考え込むように顎に手を当てた。


 火が落ち着いてきた所に土を被せ、小鬼を埋葬した。異変が起きないかを監視し終え出発することにする。

逃げてきた時に取りこぼした柴をニナが集めて、老人に渡していた。


 サラドは自分の荷物を前に背負い直し、腰を落としてセアラに背を差し出した。


「えっ。でも…」

「気にしないで。眠ってもいいから」


嘔気も治まっていないセアラは遠慮したが、半ば無理矢理に膝裏に手を差し込まれ負ぶさった。少し丸めた背にもたれかかるように体を預け、腕を首に回す。

まだ顔色の優れないショノアには悪いがセアラの分の荷運びを頼み、老人と共に村までの道のりを急いだ。


「とりあえず村まで急ごう」



 セアラはサラドの背でその体温を感じ、トクトクと鳴る鼓動を聞いていた。いつもよりずっと高くなった目線が子供の頃父に肩車をしてもらったのを思い出させる。揺れるのに胃のむかつきはいつの間にか治まっていた。


「ごめんなさい…」

「大丈夫。こういう時は甘えて。道が悪くて揺れるだろうから目を瞑った方が楽だよ」


ゆっくりと穏やかに話す、ほんの少し嗄れた低めの声は温かみがあり落ち着く。

いつだったろうか――ずっとずっと以前にも泣きじゃくる自分をこうして大きな手で包んで「大丈夫、大丈夫」と宥めてもらった記憶がある。あの手と声は誰だったのだろう、記憶を辿る細い糸が暗闇に消え、強い不安感が飛来するのをセアラは感じた。

 少しして聞き漏らしそうな小さな、小さな旋律が聞こえてきた。鼻歌だろうかと思ったが良く聞こえない。それでもゆったりとして郷愁のある旋律は母に歌ってもらったのとは違うが子守唄ではないかと思えた。


(サラさんにしてみれば、私は手のかかる子供なんだわ…)


セアラは彼の背に耳をつけ、唄に耳を澄まそうと目を閉じた。その後の記憶は無く、ただ歩くリズムが、その揺れがとても心地がよく――



 村に着くと小鬼の出現の話に騒然となった。しかし村の年齢層が高めで、過去の魔物が蔓延る頃を知っている人が殆どだったためか、調査を行う旨を伝えると思ったよりは落ち着いた反応だった。

軒を借りたいと申し出ると、助けた老人の口添えもあり、この集会場兼倉庫を一晩貸して貰うことができた。


 セアラは背負われてからずっと眠ったままだった。そっと床に寝かせながら「慣れないこと続きで緊張と疲れが限界だったのかもしれないね」とサラドが穏やかに言う。時々様子を覗いたが、顔色も良くなり心配はなさそうだった。


 ショノアが荷を下ろしてひと息ついている間にもサラドは手を休めることもなくテキパキと動く。「女性と一緒だからね」と言いながら、ロープを張って布を掛けて三つに仕切った。個別にするには布が足りないためサラドとショノアが一緒の場所に収まることになった。

その手際の良さに感心している間にも、外に石を集めて簡易な竈を作り、あっという間に食事の準備もし、ショノアとニナに配る。干し肉をナイフで削り、雑穀と乾燥させた野草を煮た粥のようなものは、ショノアが野営の訓練で食したことのある保存食よりも塩辛くもなく顎が疲れることもなく美味しかった。ニナはそれを持って離れ、ひとりで食べたようだった。



 サラドは食後、やっと休むのかと思いきや剣の汚れを落とし油をすり込んで丁寧に手入れをしていた。長く使い込んだ得物なのだろう。刃は鋭利で白白と輝いている。

ショノアはその作業をぼんやりと目で追ってしまっていた。

ナイフより長く短剣より短いそれは今まで見たことがなかった。ベルトの背中部分に水平に装着しているらしい。主な武器は弓だというのに、腰には小さめのナイフ、剣帯に片手剣もあり、提げ鞄にはあらゆることに備えた物が詰まっているのだろうと想像させた。


「とても大事にしているんだな」

「はい、これはとても大事な…仲間…友達かな…幼馴染み?…が預けてくれたもので。その信頼を裏切らないように、と」

「そちらの片手剣は今回は使わなかったんだな」

「これもまた特別な方から貸し与えていただいたもので。ちょっと特殊なんですよ。持ってみますか?」


渡された片手剣は驚くほど軽かった。ショノアが持つロングソードとは違い少し反りのある剣身。柄には握り手の保護がある。鞘には古代文字らしき文様があった。

抜いてみようとしたが柄に指を添えたとたん手が痺れた。


「! これは?」

「使い手を選ぶらしくて」

「魔力持ちの剣か? 国宝級の宝物(ほうもつ)ではないか。さぞ強いものなのだろうな…」

「持ってみてわかると思いますが軽いので、単純な攻撃力はあまりないんですよ。素材は牙か骨らしいです。まあ、軽いからこそオレでも扱えるんですけど…」


古代の遺物にあるという魔力を持った武器。お伽話かというくらいに幻の存在だ。ショノアは両手で持ち直して返した。


「いつか抜いたところを見たいな」

「…なるべく活躍の場はないといいんですけどね…」


サラドの歯切れは良くなかった。


「それにしてもサラは強いのだな。感服した」

「いいえ。オレはみんなよりちょっと経験があるっていうだけで。小鬼も一撃で倒せないなんて昔の仲間に笑われてしまいます。オレはなんて言うか…何についても…伸び悩んで…。若いみんなにはすぐに追い越されますよ」


(オレは強くなんかない。だって、シルエがいない…。皆と一緒でないと…)


 張った布にランプの灯りで大きな影が描き出されている。サラドの横顔は伏し目がちでいつもの朗らかさがなく、頼りない灯りが影をくっきりと落として悲壮感さえあった。ショノアはそれを見てその後の言葉を飲み込んだ。


「油がもったいないのでそろそろ灯りを消しますがいいですか?」

「ああ。頼む」

「ニナも大丈夫か」

「よい」


布の向こうから小さな声で返事が返ってきた。

サラドが火を吹き消すと鎧戸のみの窓の隙間だけが薄ら紫色を帯びる暗闇となった。

疲れで鉛のように体は重いのに、ショノアの頭はひどく興奮していてすぐには寝付けそうになかった。



 ショノアにとって怒濤のような経験だった。

小鬼に遭遇するなどそれこそ夢にも思わなかった。ずっと鍛錬してきたが思うように剣は振れなかった。

もし、小鬼が手足を負傷していなかったら、ショノアなど歯牙にもかけなかっただろう。あの殺気に満ちた目を思い出すとゾワリと寒気が背筋を這った。

己の不甲斐なさに嫌気がさす。


 訓練時〝夜明けの日〟以前を知っている指導者からはよくお遊戯のようだ、実戦を想定しろ、死はすぐそこにあると小言を散々言われたが正直鬱陶しいと思って聞き流していた。

王都では模擬戦、御前試合が主な腕の見せ所だった。美しい型通りの演武と言っても過言ではなかったのだろう。

演習に遠征へ行っても野営をして帰ってきただけだ。それも周到に準備された中で。


 ショノアは伯爵家の三男で父も兄も文官だった。〝夜明けの日〟前、上の兄はすでに文官として勤める傍ら父と領地の運営にも携わり、下の兄は高位の文官に付き従い修行中だった。危険を避けるため、ショノアと母と妹は領地を離れ王都に避難していた。だから魔物など見たことがなかった。日照りや不作などの方が大きな問題だと思っていた。将来自分も父や兄を支えられるようにと勉強に励んでいた。


 しかし、世の中はどんどん絶望に向かっていく。父からの手紙を読む母の表情も一層厳しくなっていく。

 そして父から騎士を目指してはどうかと打診された。ショノアに許された返事など諾だけだろう。父の真意を聞くこともなく厄介払いされたと思い暗い気持ちに支配された。


 伝手を辿り見習いとして住み込みで体作り、掃除、雑事、馬の世話の日々が始まった。王都を出ることもないまま、ある日突然〝夜明け〟は訪れた。ショノアはその時、十二歳だった。その後も見習い生活は続き、実家に戻ることもなく、家族と腹を割って話をすることもなく、従騎士を経てやっと騎士の叙任の栄誉を授かった。望まぬ道を進まされたという思いが消えず意固地になっていたのかもしれない。これで今後家の世話になることも負担になることもなくなる、それだけを思い、ほっとした。


 もしかしたら、父がショノアに武の道を望んだのは領地が魔物の被害にあっていたからではないのか、退役した後、領地で私兵団を率いることを見越していたのではないか。自分にも期待を寄せられていたのではないか――。

小鬼と対峙した今ならそんな希望も持てる。

考えることが山にようにある。

報告用の記録も記せなかった。今日の出来事を忘れないよう頭の中で反芻する。

ザザーザザーと途切れることなく繰り返す波の音が考えをまとめさせてくれない。

 


 セアラが目を覚ますと、板の間に敷いた毛皮の上に寝かされていた。倉庫のようにも見えるがまあまあの広さがあるらしい。そこをロープと布を使って区切り、ひとりの空間を作ってくれている。

そろそろと起き出して、掛けられていた毛布を畳み、なるべく音をたてないように外に出てみると、夜明けの少し前だった。薄紫色の空に澄んだ空気。

いつもと変わらぬ刻に目が覚めるとは、こんな時でも習慣は身に染みついているらしい。両膝をつき背筋を伸ばして胸の前で手を組み、朝の御勤めの祈りを捧げる。閉じた瞼を昇りだした朝陽が刺激する。

涙がはらりと一筋落ちた。



 鳥の声で目覚めたショノアは体を起こしたものの暫く座位のまま寝ぼけていた。

ここ数日のことがすべて夢であれば良かったのにと願ってしまう。だが現に今は板の間で毛布に包まっているだけで、固い床で寝たため体が凝り固まっている。ぐぐっと伸びをするとすぐ横にぶら下げられた布にパサリと指が触れた。

 サラドはすでに起き出しているのか横にその姿はない。まとめられた荷物はあるため出奔したということはないだろう。

 ショノアは盛大な欠伸をし、気持ちを無理に切り替えた。朝の鍛錬をしようと剣を持ち外に出る。

そこで一心に祈るセアラの姿を認めた。セアラの方も人の気配に気付いたのかビクリと体を震わせて、目を開けショノアを見上げた。

セアラがコクリと息を飲んだ。


「ショノア様…お話したいことがあります…」

「…わかった。みんな揃ってから聞こう」


セアラはぺこりと深く頭を下げて集会場の中へ戻って行った。

その後ろ姿を見送り、ショノアは体をほぐして己に課した日課の素振りを開始する。

漁に出る村人が浜へ向かい出していた。



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