78 収穫祭を楽しもう
サラドが早足で向かったのは養護院の裏手。ここにはノアラが折々に寄付や差し入れをしている。奴隷だったノアラを逃がしてくれた人が管理人をしているからだ。
各地に養護院がある中、身内贔屓は褒められたものではないのかもしれないが、ノアラとて人間のため恩義に報いもする。その代わりに保護した子供を地域が違っても受け入れてもらっていた。神官も善人で信用できる人物だ。
毎年、収穫祭の前には子供達がみすぼらしい思いをしないよう、冬支度が滞りなく整えられるように来ていたのだが、悪魔召喚の関連で逸してしまっていた。
届けに来るのはサラドとノアラとが半々の割合。世話になった人とは言っても親しいわけではなく、ノアラは変わらず人見知りで、挨拶もせずにただ置いてくるだけらしい。
「どういったご要件でしょうか」
「こんにちは。今回は彼の都合が悪く、代理で来ました」
養護院の裏、勝手口で要件を伝えると、応対に出た見習いの神官が急ぎ引き返して、神官が出迎えに来た。緊張した面持ちで、じっとサラドを窺う視線に「ああ、そうか」と前髪を引っ張り、にこっと笑う。
「ちょっと色々ありまして、髪の色が抜けてしまったんですが、いつも代理で来ている兄です」
「これはっ、失礼しました」
神官が恐縮した様子で、笑顔を取り繕った。
「今年は遅くなっちゃって。収穫祭の準備は大丈夫でした?」
「ええ、いつも良くして頂いているので、多少の蓄えもあります。問題ありません。今頃みんな表で寄付集めの活動をしていることでしょう」
「そうですか。良かった」
「なんのおかまいもできませんが、是非、中へ」
「すみません。今日は人を待たせていて。また寄らせてもらいます。みなさんにもよろしくとお伝えください」
「干し肉や薬まで。いつも本当にありがとうございます。こちらこそお礼をお伝え願います」
渡すべきものを置いて去ろうとしてサラドはふと足を止めた。
「あー、そうだ…。その、ここの養護院出身で、施療院の手伝いをしていた女性が、その、王都に召致されたりしました?」
「何故、それを? もしやお会いに?」
「そうですね…。彼女が帰ってくることがあれば、その…『立派に成長したね』と褒めていたと言伝してもらえますか」
「わかりました。あの娘も喜ぶことでしょう」
ぺこっと頭を下げてサラドは急いでシルエとテオの元に戻った。
「おかえり。お茶でもって言われなかったの」
「言われたけど、ノアラは絶対に応じないから…建前だろうしね。お祭りで忙しそうだし」
「ノアラってば、律儀にずっと寄付を続けているんだね」
「始めてしまうと止め時って難しいよな」
神殿の礼拝堂は開放され、入口付近では簡易なテーブルを外に出して、子供達がお守りや星の刺繍を入れた巾着などを売っている。それを横目で見て、サラドは穏やかな笑みを浮かべた。表に出ていないだけかもしれないが、痩せ過ぎや不健康そうな子はいなそうだ。表情も明るく、着ている服も清潔感がある。この後、広場に行くのを楽しみにしているのだろう。お守りを売る作業は気もそぞろだ。
「テオ、これを」手の平に硬貨を数枚置いてサラドが指をさした。
「あそこで、『お守りをひとつください』って言ってきて。渡したお金の一部を返されそうになったら『心ばかりです』って。言える?」
テオの表情が急に緊張で硬くなるが、サラドから言われた言葉を反芻して意を決し、ふんっと鼻息を出した。その背中を見守っていると、相手も子供のためテオもそれほど怖がっていない。養護院の子供も寄付として余分にお金を受け取ると嬉しそうにしていた。
「もらってきた!」
お守りを両手で大事そうに掴み小走りでテオは戻ってきた。ひとつの成功体験に興奮して顔が上気している。お守りを掴むテオの手を両手で包んでサラドはにこりと微笑んだ。
「よくできたね。そのお守りはテオのものだよ。これから良いことがたくさんありますように」
テオを挟んで片手ずつ手を繋ぐ。町の人々の明るく楽しい雰囲気、それだけでもテオは目を輝かせている。広場が近付くにつれ陽気な音楽が聞こえてきた。セアラが鼻歌で伝えたのとよく似ている旋律にサラドは目を細めた。
「どうする? この町のお祭りを見て行く? それとももっと大きな町に転移する?」
「うーん…。今日はお祈りが中心で大人は夜に踊ったり飲んだりするんだろうけど…。大きな町に行くとしてもそれは明日でいいんじゃないかな。せっかく来たし、まずこの町で様子を見て行こう」
終末の世では食べるに十分な収穫は得られなかったため、収穫祭が復活したのも〝夜明けの日〟以降数年が経過してからだった。シルエは未経験。根無し草のサラドも参加したことはほぼない。
「ごめん。そういや、収穫祭って何をするのかあまり知らない」
「あははっ。じゃあ、三人とも初体験だね」
町の中央広場に設けられた祭壇には麦の穂に果実、木の実、野菜、芋などの収穫物が供えられている。
今年仕込んだ葡萄酒が振る舞われ、店ではお祭りに乗じたメニューがあるようだ。
「今日は特別! いっこおまけ付きだよ」
「一本もらえる?」
「毎度!」
すり潰した芋と麦を挽いた粉を混ぜて練り、串に刺して焼き、甘じょっぱいタレをかけた団子を購入してテオに渡す。キラキラした目で受け取ったテオはすぐにパクリと食い付いた。
「旦那方は見掛けない顔だね。旅人さんかい?」
「まあ、そのようなものです。お祭りにお邪魔させてもらっています」
「どちらからいらしたんですかい?」
「あー、少し前に灯台の町には行きました。出身は東の端っこで」
「じゃあ、風習がちっと違うんでしょうかね?」
「かもしれません」
団子屋の主人はサラドとの世間話でどんどん収穫祭の内容を説明してくれた。昼前に祈りと収穫物の奉納は済み、夕暮れまでの時間は子供達が狩りや農作業、職人の真似事のような遊戯をして賞品の菓子を貰うのに夢中らしい。
「家の子も手伝いもせずにすっ飛んで行きましたよ」
「ははっ。楽しみでしょうがないんでしょうねぇ」
近隣の村からこちらの町へ合流して参加する者も多く、夜は賑々しくなるそうだ。明日には獲物比べもあり男衆は狩りの腕の見せ所で、その結果は賭け事にもなっている。
「娘っ子は自慢の衣装を着て裁縫の腕を披露するんですよ」
「華やかな刺繍のある服はそういうことなんですね」
衣装は全体的に似ているが、それぞれの村で細部が異なり、刺繍の意匠も少しずつ違いがある。普段は目にすることのない他村の衣装と競争心を剥き出しにして比較するらしい。
サラドと店主が話している間にテオは団子を頬張って完食した。あまりに美味しそうに食べていたからか客寄せ効果が抜群だった。
「楽しんで行ってくだせい」
「ありがとう」
広場の一角では旅商と芸人が屋台の準備をしていた。踊り子だろう女性は片手に小さく平たい鐘が木枠に複数ついた楽器を手慰みに振ってシャラシャラと音をたてたり、タンタンと太腿に当ててリズムを刻んだりしている。その音は行き交う人の足を止めさせていた。鮮やかな織りのケープもスカートの型を見ても異国から来たことがわかる。
並べられていく珍しい商品のひとつにサラドの目が釘付けになった。
「いらっしゃい。海渡りの品を揃えておりますよ」
「それも売り物?」
小さなガラス瓶の中に白いトゲトゲの粒が入っている。旅商の主人はカラリと瓶を揺らした。
「これはとても貴重で高い物なので小売りをしておりますよ」
「では、一粒ください」
「いや、これは値段が――」
売値を伝える前にサラドが差し出した銀貨を見て、商人は息を呑んだ。目の前の子供連れの、少しくたびれた旅装の男が、この一粒に惜しげも無く銀貨を払おうとしている。しかもその金額がまさに順当だったから。銀貨を受け取り、そっと一粒をトングで掴んで渡した。
「テオ、口を開けて」
言われるまま、あんぐと口を大きく開けたテオの舌の上に小さな粒を置く。
「シルエもいる?」
「んー、僕、ソレ知っているし、いらない。どうせノアラに買って帰るつもりでしょ? それより…」
粒を口の中で転がせたテオが「んん、甘ーい!」と興奮に声を張り上げた。
トゲトゲの粒は小さな実を芯にして上質な砂糖が角状に結晶化した菓子で、海の向こうの国からもたらされる高級品。混じり気のない白い砂糖菓子は雑味が無く上品で、滅多にお目にかかれない逸品だった。
「あと、何個残ってますか? あー、でも他にも欲しい人いるだろうし、買い占めは良くないか…」
その価値も解らず丸呑みしてしまいそうな子供に迷いもせずに与えるなんて、と商人が呆気に取られていると更に買い占めなどという言葉が飛び出した。手にしたままのガラス瓶に目を落とし、残数を数える。
ちょっとした事故で出遅れてしまい、大きな町での場所争いに負けてここまで流されて来た商人は、こんな小さな町では儲けが見込めないと不運にふて腐れていた。収穫祭が終われば再び海を越える予定なので、持ち込んだ荷はなるべく売り捌いて新たな商品を仕入れたい。この町では小売りでも売りきれそうにないが、バラはあと五粒。もし、もっとまとめて購入したいと言うなら、願ってもない話だ。
「実は未開封のものもありまして」
「えっ! もしかしてそのまま購入可能?」
「お代はかなりの額になりますが…」
「買う!」
いそいそと金貨を数え出すサラドをシルエがじっとりとした目で見る。
「あーあ、ノアラってばサラドに甘やかされてる。ずるいっ。今回は僕だって結構、頑張ったのになぁ」
「うん、本当にありがとな。シルエも何か欲しいものはある? オレにできる範囲だけど」
「あー…、そう言われちゃうとね…」
いつもながらサラドに嫌味は通じない。
ほくほく顔のサラドの手の中のものを、すっかり上品な甘さの虜になったテオがじっと見上げる。
「これはノアラへのお土産だから。帰ったらノアラにお願いしてみて?」
指をくわえて残念そうにするがテオは「うん」と素直に頷いた。
小売り用にガラス瓶に入れられたものと違って、湿気ないようにきっちりと封緘をされた、手に載るくらい小さな瓶は素焼きで中身が見えない。全く違う商品だったらどうする気だろう、とシルエはこっそりと息を吐いたが杞憂のようだった。顔の高さに持ち上げた瓶に耳を近付けて、目を閉じたサラドの髪がサワサワとなびく。口角を上げてにこりと笑っているので中身に間違いはないことを確認したようだ。
「主人、これは何?」
サラドが砂糖菓子を買っている間に、シルエは屋台の中央奥に置かれた木箱に入っているテラテラと光る白い物に指先でそっと触れてみていた。全体的には白いがやや黄色く、ところどころに黒い欠片なども含まれた様々な形をした小さな物。服飾用のビーズにしては穴がなく、宝石類にしては地味で細石で粗悪品。
「それは南洋で採れる貝の中に溜まる澱のようなものでして。大きくて形の良いものは宝石としても扱われるんですが、これらはどれも小さすぎるし、形も悪くゴミも入っているため商品にならなかったものです。色は綺麗なので飾りに如何かと」
「へぇ…。売れるの?」
「まあ、ぼちぼち…ですかね」
商人の声色を聞くに売れ行きはあまり芳しくないとシルエは判じた。大きければ宝石になるのだから、庶民の服を飾るのにも使えると見込んで商人は仕入れたが、形も大きさもバラバラで針を通すにも穴を開けようとすると割れてしまうため、買い手はなく不良在庫と化していたが、美しさが目を引くため並べていたものだ。
小さな塊は角度によって光を虹色に照り返す。その色合いはシルエの魔力に似ていた。
「じゃあ、遠慮しなくてもいいかな。ある分、全部頂戴」
「は? 全部ですか」
「うん、全部。サラド、払っておいて」
味を占めた商人がもっといろんな商品を勧めたがっているのが見え見えだったのもあり、買った品を受け取るとシルエはサラドとテオを促してそそくさと屋台を離れた。あまり長居をして詮索されたり印象に残ったりしたくない。
「それ、どうするの?」
「僕の魔力と相性が良さそうだから、魔道具の素材にできそうだなって。水より嵩張らないし、磨り潰して粉にもできるから使い処が良さそう」
「そっか。うまくいくといいな」
これをどう加工しよう、どんな効果を付けるのが適切だろうと頭の中に術式が浮かんでは消える。にやついていることに気付き、ハッとして顔を上げるとサラドがにこにこと微笑んでいた。
「ノアラのことを研究馬鹿とか言っていられないな」とシルエは苦笑した。