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75 召喚陣に挑む

 ノアラの屋敷にサラドが鉱物の粒子を持ち帰ったことで、いよいよ悪魔召喚の儀式決行が目前となっていた。

集めてきた緑色の粒子を計量して小分けにしていく。他の材料は既に準備済みだ。


「ちょっと砂も混じっているけど大丈夫かな」

「問題ない範囲だよ。綺麗な緑だね」


口を布で覆っていても詰めていた息をシルエはふうっと大きく吐き出した。


「で、現状、喚び出せたとして、果たして契約解除なんてできるのかってことだよね」

「そこは喚び出した悪魔に聞くしかないかな」

「えっ、本気? そんなことできるの?」


サラドが曖昧に首を傾げた。絶対にできるという確信はない。


「この本は契約するまでだもんな。しかも記載にかなり不備があったし。…成功例あるのかな。その後どうなったんだろう」


シルエが神殿から持ち帰った、過去の誰かが解読した悪魔召喚の研究書を机にポイッと投げ出した。悪魔憑きを祓ったという逸話は文献にも口伝にもあるが、真偽のほどは解らない。


「記述をわざと残さなかったのか、この本だけを残して消えたのか。現王国になってから強い魔術師がいたなんて記録はないもんね。もしかして研究してみたかっただけ? こっそり生きてた?」

「平和な時代なら術を使う機会もなく、ただ研究していた可能性もあるよね」


魔術の研究書に残っているのは攻撃術が中心。何の気なしにシルエがノアラを見た。遺跡から見つけたり、術の合成など、ノアラが独自に開発した術は攻撃型、補助型ともに多い。それでも彼が研究する基準は役に立つかどうかとは無関係で興味を惹かれるかどうかだ。


「あと、もうひとつ大きな問題として、生贄なしでどうするのか、と」


ふとシルエの表情が引き締まり、声が低くなった。ノアラも手を止め、顔を上げた。


「そこはオレの血でなんとかならないかな?」

「えっ? ダメだよ!」

「シルエには悪魔が暴れないように抑えて欲しい。ノアラには召喚で負担をかけるし、その後のためにも魔力は温存して欲しい」


シルエもノアラも了承できないという顔で見ている。それでもサラドとしても譲れない。


「今のところこれが最善だよ」


穏やかに微笑むサラド。それ以上の案も出せず、シルエもノアラも押し黙った。


 

 ドーム型の天井を持つ地下室、魔術の試行や訓練を行う施設の床にノアラが魔力を流し込みながら召喚陣を描いていく。

あらかじめ獣の皮を煮詰めておいた液体に、細かな配合で調合しておいた粉末と緑色の粒子を入れ、玉にならないようによく撹拌する。少し持ち上げて垂れる緑色の液は光に透かすとキラキラと金色を帯びて見えた。空になった容器と交換すべくノアラに差し出す。


ノアラは脇目も振らず一心に中心から外円に向かって文字や記号を正確に写し取っている。シルエは書き終えた部分を校閲し、空の容器に再び量っておいた液体と粉末と粒子を入れて混ぜだした。

ノアラの額には薄らと汗が滲みだしている。


「サラドはテオに話をしてきて。これは僕やノアラでは無理そうだから」

「うん、じゃあ後は任せる」


 サラドは地下室を出て、テオの部屋を覗いた。うとうとと浅い眠りに就いているテオをおんぶ紐で背負い、軽食の準備をする。その香りにテオが目を覚まし、だらんと下がっていた腕が首にきゅっと回された。嬉しそうに足をばたつかせる。


「起きた? ねぇ、テオはこの先、何かしたいこととかはある?」


背中側から首を捻る気配がする。


「…? また、市場に行きたい」

「うん。約束したもんな。テオは…、自分の体の中に異質なモノがいることに気付いているよね」


テオがハッと息を呑む。


「今ね、シルエとノアラがそれを追い出す準備をしてくれているんだ。そうしたら…、その、何て言ったらいいかな…。使えた力がなくなるんだけど、テオはそれでもいい?」

「い、いらないっ! もう嫌だ。もう…人が苦しそうなの…やだ…」


泣き声にずびっと洟を啜る音がサラドの耳のすぐ後ろからする。自分が苦しめられたことよりも、他人を苦しめさせたことを気に病むテオは優しい子だ。


「そっか。良かった。失いたくないと思ってたらどうしようかって」


からからと笑うサラドにテオが頬を緩め、額を後頭部にコツリと当ててきた。小さい頃のシルエが思い出されてサラドは目を細めた。


「…儀式の間、怖くて、苦しい思いをするかもしれない。でもできるだけテオが寝ている間に終わらすから、ちょっとのガマンな?」

「うん」


近頃のテオの表情は明るい。言葉も意思もしっかりしている。これなら負けはしないだろう、と希望も含めてサラドはにこっと笑ってみせた。



 集中を切らさないため、一気に陣を書き上げてから休憩にしたノアラとシルエが地下室から戻ってきた。テオはもうお腹がいっぱいになったのかスプーンを握りしめたまま、またうつらうつらとし出した。


「ノアラの疲れが回復したら実行かな」


確認するように顔を巡らせたシルエの言葉にノアラがこくりと頷く。サラドは少しでもノアラを労おうと、とろんとくずれるくらい熟して甘みを蓄えた果実と役畜の乳を煮固めて発酵させたものを和えた小鉢を置いた。


「それ、美味しいよね。見た目はぐじゅっとして良くないけど。あのパリパリした白くて辛い根っこの野菜と和えたのもお酒に合うってディネウが言ってた」


まさにシルエが今言ったものが目の前に供される。


「シルエはこっちの方が好きだと思って」

「さすが僕の兄さん。わかってるぅ」


パクリと食べてシルエは舌鼓を打ちながらも「ひとくち味見させて」とノアラの小鉢に手を出した。代わりに、と差し出された小鉢からノアラは果実だけをひとつ掬いとった。



 少しの午睡を経て「さてと、」とシルエが立ち上がった。伸ばした腕の肘を支えてぐーっと伸びをする。戦闘準備とでもいうように外套を羽織り、杖を手にして重さを確認するため軽く振った。


「ちょっと、待て」


玄関扉がガチャリと開き、ドスの利いた低い声が響く。


「サラド、てめぇ…、用を頼みたいなんて調子の良いこと言いやがって!」

「あれ、ディネウ? そういや、いないと思ったら、除け者にされていたの?」


シルエの軽口を完全無視して、ドガドカと重い足音をたてながらサラドの目の前まで迫ったディネウはすれすれの位置でピタリと足を止めた。急いで戻って来たのか息が少し荒い。


「俺にお前たちの骨を拾わせる気か? そうはいくか! それともなにか? 俺は足手まといになるってか?」

「違うんだ。除け者とか、足手まといとか、そんなんじゃなくて、ただ、万が一のことを…」


怒気を滲ませたディネウにぐいっと顔を寄せられて、サラドが腰を反らして逃れようとする。


「そりゃ魔術はからっきしだが、お前らの動きは良く知っている! 何が出てきたとしても、俺が叩き斬る」

「サラド、諦めよう? ディネウは戦闘本能で嗅ぎつけちゃうから」

「…ごめん」


ディネウがふんっと鼻を鳴らし、テオを抱きかかえて先頭にたって階段を降り出した。



 地下室では完成された召喚陣が怪しく緑色の光を放っている。香を焚くとその煙の筋が召喚陣から漏れ出る魔力の流れに乗りぐるぐると渦を巻く。その匂いにディネウが「くせっ」と悪態をついた。壇上にすやすやと眠っているテオをそっと下ろす。その額をゆっくりと撫でてサラドは「眠れ、眠れ、怖くはない」と重ねて呟いた。


 ディネウは得物を抜き放つと体の前に立て、彫像のように構えた。シルエが杖を一振りすると、ブオンと空を切る音がして煙の渦が乱れる。普段は動き難くなるからと杖を所持しないノアラも今回ばかりは、三日月を模した飾りが付いた杖の埃を払って手にしている。


 それが始まりの合図のようにノアラがこくりと頷き、三人も応えるように頷き返した。

サラドが自身の左腕に短剣の刃に沿わしてスッと引いた。流れ出る血が陣の文字に吸い込まれて行く。右手を伸ばして三日月の杖を掴むと、ノアラの左手が被せるように移動した。精霊召喚の要領で詠唱を紡ぐサラドの声にノアラが追随する。長い詠唱が続くにつれ、魔力がごっそり引き抜かれる。体内に残る魔力に反比例して召喚陣の光と骨を焼くような酷い匂いが強まる。

近付く異様な気配に生存本能がビリビリと危険を知らせる。


詠唱が最高潮に達し、召喚陣の中央が歪んでヌルリとしたモノが押し上がってきた。途端にこの場が占拠されたように、白くてツルツルした壁に反射していた光は失せ、地下室内が宵闇色に染まる。壁がどこかもわからないほどに暗い。魔力とも違う圧倒的な力の奔流が身体をビシバシと打ち据える。


ディネウが立てていた剣を両手でしっかりと構えた。シルエも杖を構え、掌を突き出す。逃がさないためにも力の出し処を見極めようと注視する。

プツリと音が止み一拍の静寂の後、詠唱を終えたノアラが透かさず右手で飛び出すモノをむんずと掴んだ。接した箇所からシュウシュウ、ボコボコと音がし、皮膚の焼けた臭いがする。歯を食い縛ったまま、ノアラはそれでも放すことなく、ぐぐっと握る力を更に強めた。歪みからズルリとその全身が現れ出る。


ギャンとジャンの間のような不協和音が耳をつんざく。


 ノアラに引き摺り出されたモノの姿は以前に戦った下級の悪魔とは異なっていた。

人の体型には似ているが、肉感はなく骨張っていて、手や足が胴に対して長く末端が大きい。緑色の体表は良く鞣して脂を染み込ませた革か金属のような艶を持つ。長く太い棘付きの尾はビタンビタンとうねって床を打つ。毛髪のない丸い頭部に尖って大きな耳、その上には山羊に似た角。鼻梁は小さく鼻の穴が目立ち、大きな目は黒々として見落とすくらい細い瞳孔がある。裂けたような大きな口には尖った歯列が覗き、言葉は解せず耳障りな音をけたたましく響かせていた。


 鋭い爪がノアラの腕を引っ掻こうとする前に、シルエの放った白い光がロープのようにその身体に纏わり付き、動きを束縛した。ミチミチと引き千切ろうとする軋み音に、突き出したシルエの手がわなわなと震える。

迸る力に押され、足をいっぱいに開き、腰を落として踏ん張っていてもノアラの曲げられていた肘が段々と伸びていく。悪魔の口から放たれた力の塊がノアラに張られた防御の術に弾かれて逸れ、杖の三日月の飾りを打ち抜き、堪らず二人の手が放れてしまった。杖の石突がガリガリと床を引っ掻き陣を崩してバタンと倒れる。ノアラは杖を放した手で悪魔の頭を掴む腕を支えた。

悪魔が放つ濃い異質な力と、ノアラ、シルエの魔力がせめぎ合う。

負けじと覇気を放ち大剣を構え、踏み込もうとするディネウをサラドが後ろ手で制した。半眼で睨みを利かせ、ギリリと奥歯を噛み締め、いつでも斬り込める姿勢を保つ。


 サラドの口から謎の音が発せられた。それを耳にした悪魔がノアラの力に抗ってぐりんと首を回す。返されるのは割れ鐘を叩いたような音ばかり。それは文句を垂れるようにギャンギャンと響いた。

この状況の中で、緊迫感の欠片もない表情で考え込み首を捻るサラドに、抗議するように悪魔は大きく身体をうねらせる。拮抗していた力が崩れ、よろめいたシルエが直ちに体勢を戻し、ぎゅっと握った手を頬の横まで引き寄せ、白い光でギリギリと締め上げた。


「名前を――」


サラドの声に従うように悪魔が叫び声ではない音を出した。それを復唱するサラドの発声は人の耳には悪魔に対して最初に掛けた謎の音とほぼ同じに聞こえた。

ちらりと壇上のテオを振り返り、ゆっくりと近付いたサラドが悪魔の頭部を鷲づかむノアラの手とシルエの縛めの光をそれぞれ片方ずつの手で遮る。


「――返す」


テオの身体から記号のような図形のような黒い靄が抜けだし、同時に悪魔の身体からも文字のような形の淡い桃色の靄が抜け出ていく。サラドは靄に手を伸ばして導いた。悪魔の胸に指先を着けるとスルスルと黒い靄が吸い込まれ緑の体表が鈍く光った。


「故郷へ帰れ」


勢いよく悪魔の肩を床に向かって押しつけると、トプンとその身体は歪みの中に消え失せた。

宵闇色から一変、白っぽく反射した光が甦り、召喚陣が放つ緑色の光も失せ、異質な力による圧迫から解放されたシルエとノアラがガクッと膝を着いた。

淡い桃色の靄をサラドが一度腕に抱き、空へ帰すように手の平を天に向けた。香の煙に混じった靄はもう見えない。


「お、おわっ、終わったのか?!」

「うん…。もう大丈夫だと思う」

「そっ、そこをどけっ」

「何?」

「もう、いいんだろっ?!」


構えていた剣を鞘に収めるなり、ディネウはどこに用意していたのかモップとバケツを出して、陣を消しにかかった。


「そんなに焦らなくても…」

「うるせぇ」


大粒の汗を垂らし、肩で息をしていたシルエとノアラがのろのろと立ち上がるとディネウはビシッと階段への扉を指す。


「いいから、お前らは出ろっ 換気するぞ」

「その前にサラド、腕、出して」


いまだ血を滴らせるサラドの左腕にシルエが治癒の術を掛ける。傷は瞬く間に塞がり痕も残らない。


「…あったかい」

「ん、状態も良好だね。貧血以外は。ノアラも手を出して」


素直に差し出されたノアラの手の平を見てシルエが「うわぁ、痛そう…」と顔を顰めた。焼き爛れた手は指の一部の骨が露出している。ノアラの手に触れないギリギリを両手で挟んだシルエは普段はしない詩句を唱え、じっくりと念入りに傷を癒やす。光が収まるとノアラがサッと手を引っ込めた。


「じゃあディネウのお言葉に甘えて、僕らは先に居間に戻ろう」


テオを抱き上げようとすると「んん…」と小さく呻き、無意識ながらも彼の方からも手を伸ばしてきた。


「ディネウ、ごめん。掃除させちゃって」

「いいから行け」


階段を登り出すと背後で、バケツの水を盛大にぶちまけ、ビチャッビチャッと乱暴にモップを動かす音が聞こえた。



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