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72 視察は次の町へ

 灯台の町での視察を終えたショノア一行は馬車を借りて国境のモンアント領へ向かっていた。


「まさか塩商家から招待を受けるとはな」


セアラが恐縮したように身を縮めた。灯台の町に滞在中、朝夕の祈りはもちろんのこと、神殿に通いつめ、施療院の補助、子供達とのふれあい、貧困層への慈善事業の手伝いと精力的に取り組むセアラの評判はすこぶる良かった。


施しの日に寄付主である商家にもそれが伝わり、晩餐に招待をされるまでに至った。セアラは断っていいものかもわからず、お世話になっているこの町の神殿長に助言を求めたところ「是非、お受けなさい」と言われ、仲間と一緒に伺う旨を伝えた。食事のマナーを知らないセアラには晩餐は重責なため、朝の祈りのためにも夜更かしは控えたいと理由を付けて、夕べの祈りの前に軽くお茶をご馳走して頂くことにしてもらった。


ニナだけはその場には「絶対に行かない」と突っぱねたが、近くで警戒はしてくれていたらしい。ショノアとマルスェイは出自ゆえにこういった招待にも慣れている。セアラは二人に任せて従うことに徹した。

受け答えはほぼショノアがし、『視察』とは覚られないようにこの地域の現状や要望などを聞き出していた。

この商家の御隠居がマルスェイに面会謝絶を申し渡した人物らしく、宿に帰り着いて「味も全くわからなかった」と冷や汗を拭い、脱力していた。


「この先も移動に馬車は欠かせないし…、専属の御者を雇おうか。しかし、そうなると旅の目的が『個人的な研鑽』であると通すのは難しいな。口が硬くて信用のおける者でないと…」

「いっそ、私達自身が扱える方がいいかもしれないな。いざという時のためにも」

「そうだな。前にもサラドができたから助かった場面があった」

「へぇ。本当に何でもできる人なんだな。私とショノアは乗馬はできるから…。ニナは馬の経験は?」

「一応は習ったが」

「よし、じゃあ、モンアントに着いたら三人は馬車を御す技術を学ぶことにしよう。手配は任せてくれ」

「あの…私は?」

「セアラも習いたいかい?」

「えっと…、できた方がいいのかと…」


マルスェイが意見を求めるようにショノアに視線を送った。


「馬に慣れるためにも乗馬は経験しておいて損はないだろう」

「では、同日にセアラに乗馬を教えてくれる者も頼むとしましょう」

「はい…」


 セアラ以外の三人は王宮所属。彼女は神殿から派遣されているという立場の違いがある。神官見習いとして神殿に関わることだけをしていていいのか、どこまで自己主張をしていいものなのか、セアラは考えあぐねていた。


もともと親しく信頼関係のある四人ではない。これまでは程良い緊張も、互いに遠慮もあって大きな衝突はなかった。

混乱した状況であったとはいえ一度、サラドへの不遜な態度のことでマルスェイを「嫌い」となじってしまったことをセアラは気に病んでいた。マルスェイは気にしていないようだが、やたらとセアラを持ち上げるような態度もあり、どう付き合って良いのか悩んでいる。

どうしても顔を突き合わせることになる馬車の中でも、じっと沈黙を保ち、姿勢も表情も変えないニナの精神力がセアラは少し羨ましく思っていた。


 道はだんだん悪路になっていき、馬車の揺れも酷くなっていく。お喋りどころではなく、自ずと口を閉ざして、ひたすら耐える。それでも果敢に奇蹟の力について質問をしようとマルスェイが口を開いた時、小石でも踏んだのかガタンと一際大きく揺れた。ガチリと奥歯が鳴りマルスェイが「うっ」と呻いた。


「大丈夫か?」


顎を擦っているが舌は噛んでいないようだ。

その時、馬車がゆっくりと止まった。


「あの、」

「どうかしたのか?」


ショノアが御者台に顔を出すと、海岸線の方面へ向かう細い枝道で荷を担いだ男が助けを求めていた。


「どうされました?」


 男は足を滑らせて怪我を負ってしまったという。なんとか馬車が通行できるこの道までは出て来て、休んでいたところに運良くショノアたちの馬車が通り掛かった。


「お恥ずかしいことで、魔物が出たのかと思い、びっくりして慌ててしまいやした」

「魔物ですか?」

「へい、良く見かける虫のやたらでかいのが。…多分、見間違いでしょう」

「虫だと?」


男は両手を肩幅より少し広い位置で止め、「これくらい」と虫の体長を示した。その存在を聞いてマルスェイが顔色をなくす。以前にマルスェイからモンアントを襲った魔物の大群について聞いていたショノアも渋い表情をした。


「その虫は襲ってきたのですか?」

「いやー、逃げるように落ち葉に潜っていきやした。普通の虫と動きも変わりやせん。ただでかいってだけで。…もしかしたらなにか別の獣だったのかもしれやせん」

「大事に至らなくて良かったですね」


セアラは〝治癒を願う詩句〟を唱えた。淡い光が倒木に引っ掛け傷付いた男の足を包む。


「驚いた。これが奇蹟…」

「ごめんなさい。私には傷を癒やす程の力はありません。痛みを和らげることぐらいしかできなくて」


男の足には消炎作用のある葉が、揉んで貼り付けてあった。生活の知恵でこの道に出て来るまでに自ら応急処置をしたのだろう。セアラは一言断りを入れて、手際良く水筒の水を使って傷口を洗い、手持ちの薬で簡易な手当を施していく。その様を男はポカンとした顔で見つめていた。その無言を痛みに耐えていると勘違いしたセアラが心配そうに目を上げた。


「かなり痛みますか?」

「いやっ とんでもねぇです。ありがたや」


手を合わせて拝む男に当惑して、セアラは止めさせようとその手を包み込むように握った。途端に男の顔が火を吹いたように赤くなる。


「セアラ、彼が困っているから」


ショノアがセアラの手をやんわりと男から放した。


「村に着いたようですよ。どこかの軒先が借りられるといいのですが」


 男を送り届けた先はモンアント領に入る手前の村だった。そろそろ日も傾き出すので、ここで一泊することにした。小さな村には当然、宿屋などはない。野宿するにも村の中であればいくらか寛げる。


 神殿もなく、畑の辻に置かれた子供が膝を抱えてしゃがんだくらいの岩が祈りの場のようだ。岩はかつて何かの形に彫られていたようだが、風化がすすみ、丸みを帯びた外観に表面に薄らと顔と思しきものがある。そこに服を着せるように布が掛けられ、リボンで結ばれており、下に置かれた台には水が入れられた器と花が供えられている。人々から敬われ、大事にされていることが伝わりセアラは嬉しくなった。

多額の寄付により建てられた立派な神殿も素晴らしいが、人々の生活のすぐ側に寄り添う祈りの形は温かい。


日の位置が低くなり、赤く染まり出すと、セアラはその着飾った岩の前に両膝を着き、背筋を伸ばして手を組んだ。目を伏せて、この土地の人々の安寧を願って祈りの言葉を一心に紡ぐ。

傍らでショノアは見守り、その間にマルスェイは保護した男を送り、村長に滞在の許可を得に行った。


畑仕事を終え、家路に向かう村人はいつものように辻堂に挨拶をしようとして、そこでうら若き乙女が祈る姿を目にした。朱い夕陽を受けて輝く金髪。汚れることも厭わず膝を着く姿。滑らかに唱えられる祈りの言葉。

普段は一礼するくらいの風習が特別な儀式でも行っているかのよう。思わず足を止めて見とれる者が続出した。そのざわざわとした雑音にも集中を切らさず、セアラは一通りの祈りを遂げた。


 目を開けたセアラはたくさんの人に囲まれていることに驚き戸惑った。ショノアがすかさず手を差し伸べる。その手を取って立ち上がったセアラは周囲の村人に頭を下げた。


「何かあったんですかい?」


村人の一人が口にした不安にも似た疑問にショノアが貴族然とした笑みを浮かべた。


「いいえ。私達は更なる復興を願って祈りを捧げる旅をしているのです。お騒がせしてしまい申し訳ありません」


美丈夫の悠然とした所作と微笑みには迫力がある。村人たちから安堵と感銘と謎のどよめきが上がった。


「もし、日々の暮らしで不安に思うことなどありましたらお聞かせ願えませんか」


そうしてショノアは夕暮れのひと時、村人たちから話を聞くことに成功した。セアラはその隣に控え、胸前で手を組み、人々の声に耳を傾け、時折相槌を打った。



「今日助けた人は海岸線にある灯台の守り人に物資を運んだ帰りだったそうだ。ここまで来たついでだ。是非、明日は灯台を見学させてもらおう」


 マルスェイがそう提案した。

 灯台にはこの村の者が派遣され、そこで生活をしながら火を守っているという。一人の者が勤めるのは三年間。一年毎にずらして常時三人の者が交代で、櫓に昼には煙を、夜には火を絶やさぬように守っている。

村からは物資を運び、灯台の周辺の林を整備して手に入れた物や手隙時間に作製した木工品を持ち帰る。

食べるに困ることがないよう、主な生活費は灯台の町の商家が出しているそうだ。自前の商船が遭難しては困るからという大義名分で、手厚く保障している。


 航海の安全を守る灯台を、可能であればモンアント領内の国境近くにも取り入れたいとマルスェイは考えていた。そのためにも現地に勤める者の話も聞いておきたい。


「そうだな。国の端を守っていると言っても過言ではないものな。話を聞いて損はないだろう」

「それから『やたらでかい虫』の存在もできれば確かめたい」


ショノアとマルスェイの間で明日は灯台に行くことが決定していた。身に染み付いた最低限の警戒は怠ることなく、ニナは興味がなさそうに就寝の準備に取り掛かった。



 灯台までの道程は獣道のような細さで、徒歩で向かうしかなかった。傾斜もあり、修行道を思い起こさせる。

マルスェイは杖の先端で藪を突いては、そこから飛び出す小さな獣や蛇や虫を注視しているが、『やたらでかい虫』には出会(でくわ)さなかった。


 枝が繁って火を隠すことがないように、崖に近い場所を切り拓き、浜にあったものよりは低い櫓と小屋が建てられていた。薪棚はぎっしりと埋められている。櫓には梯子がかかり、天辺からはもくもくと煙が立ち昇っている。

灯台の守り人からは嵐の際の苦労や、共同生活の役割分担などの話を聞くことができた。


切り立った崖の下は白波がぶつかる海。櫓の傍にいても強風に攫われて真っ逆さまに落ちてしまいそうでセアラはそれ以上先に進めなかった。

ニナは淵まで行き、崖下を覗き込んでいた。這って頭を出してもいる。その姿にセアラだけでなくショノアもマルスェイも灯台の守り人もぎょっとした。


「海からは攻め込みようはないな。道は一本。警戒すべきは周辺の林か」


ポツリと呟いたニナの言葉に雨や嵐は恐れても、人が攻めてくることなど考えてもみなかったと守り人たちは首を振った。

それこそニナの方が首を捻ることだった。


「確かに戦になればここを潰そうと考えるだろうな。国境に作る場合はそれも想定した設備にしなければならないか…」


マルスェイはぶつぶつと考え込んだ。

灯台と守り人たちの安全を祈念してセアラが短くも心のこもった祈りの言葉を捧げて、集落へと戻った。



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