71 枯れた川と土の精霊
灯台の町では顔料も鉱石も見つけられなかった。
鮮やかに彩色されたタイルの破片で描かれたモザイク画を眺めて、サラドはそっと嘆息した。タイルの工房では使用しているのかもしれないが、責任者しか扱えない場所に保管されているのかもしれない。鉱石から抽出するのも手間がかかるため、顔料に加工されているものが手に入れば一番良いのだが、ケントニス領でも同じ可能性もある。
(うーん、いっそ採りにいった方が早いかもな)
ケントニス領に足を運んでから採掘に行くとなると移動距離も長くなり時間もかかる。テオの体調を思えば悠長に構えてはいられない。
(よし、もう顔料は諦めよう)
内陸に位置するケントニス領よりも灯台の町からの方が近い採掘場へとサラドは向かうことにした。
灯台の町を離れ、更に西へ、国境のモンアント領に入る。
王国の西の地域、灯台の町と『酒と芸術の町』といわれるケントニス領の市街は共に華やかな文化の地。そこと隣接しているモンアント領は一変して武の町、国境の防衛地点だ。
領内の最奥、国境を守る砦が領主の館。王国の兵団とは別にたくさんの私兵を抱え、不可侵の森に近い村では農民もそこそこ戦える訓練を受けている。終末の世において、早い段階から国境と不可侵の森から溢れ出る魔物被害を他の地域にまで拡げないよう尽力していた。
灯台の町から街道を進み、領内に入った最初の町が商業的に一番栄えており、他領とも人や物資の行き来がある。サラドはそこで乗合い馬車を降り、その夜はその町で一泊した。人目を避けるためにも、ここからは崖が続く海岸線を野宿しながら徒歩で進む。
不可侵の森から流れ出て、二股に分かれた川の中州が国境。王国側の支流は川幅もあり白く煙る瀑布となって海に落ちていく。間近まで林が広がり水音に鳥のさえずりが調和する豊かな土地。
翻って隣国側の支流付近はどこまでも砂利が続く落莫たる河原。川幅も狭く崖を伝うように落ちる滝は海に届く前に白い筋を失う。見た目からして雲泥の差だ。
国境付近は警備も厳重だが、その目を掻い潜るのはサラドの得意分野でもある。警ら中の兵をすり抜けて国境を越え、隣国側の支流に立った。
度重なる戦と川の氾濫で荒れた土地。
草も生えず、死んだ魚が打ち上がることも多いため、昔からこの川には毒が含まれていると信じられている。現に川は清流とは言い難く、河原の石には所々に白い沫、黄色や苔にしては暗い緑色のどろっとした付着物があり、場所によっては鼻を摘まみたくなる匂いもある。そのため飲用もできない。同じ川からの支流でこの差、対岸の豊かさ目当ての戦も、ここでは大規模な野営が張れず、王国を攻めあぐねる一因となっている。
国境警備兵の巡回が日に数度ある他は、防衛地点は川よりずっと奥に下がっているが、念のためサラドはノアラの作った不可視の魔薬を使うことにした。覚悟を決めて、色も匂いも決して良くない魔薬を一気に呷る。
「げほっ、まっず…」
不可視の術を纏えるほどサラドの魔力には余力がない。ノアラは他人にもかけることが可能だが、持続時間はさほど長くない。屋敷を隠す魔道具は複数を配置し、埋めた土と家屋の素材との間で力の循環が成されているが、人の体は道具では魔力の馴染みに斑があり全体をくまなく覆うことが出来ない。また試験に協力したサラドとディネウで効果に違いが出てしまう。それを内服薬という形をとって開発して克服した。やはり時間は保たないがディネウのように魔術の心得がなくても体に馴染みやすい。難点は非常に不味いこと。
強烈な苦みが食道を落ちていき、腹に熱が集まるのを感じると蝋燭の火を吹き消すように「ふぅー」と細く長く息を吐く。呼気がするすると渦巻いて頭から足先までを覆い、光が乱反射して姿を掻き消した。
「けほっ よし…急がなきゃ…」
(こんにちは)
サラドは砂利に手の平をつけて魔力を流し、挨拶をした。静かに座していた土の精霊が緩慢に反応を返し、ゴロッと石が転がる。この周辺には精霊があまりいないようだ。
(ここの石を少しもらっていくね)
口を布で覆い、しっかりとした厚地の革手袋を嵌めて石を物色し始めるとコロコロと石が集まり出した。
――どんなの?
(えっと、少し黄味がかった鮮やかな緑色を含んだものなんだけど、こう四角い結晶になっていて…)
――これ?
サラドの足元で片手にすっぽり収まりそうな大きさの石がパカリと割れた。内包された小指の先より小さい緑色の結晶がチカッと光を照り返す。
(そう! それ)
――石、欲しい? 砕けたものなら沈んでいる
(砕けたもので十分なんだ)
――こっち、こっちにたくさんある
石はコロコロと転がって支流から離れ、隣国の防衛地点にも近い所へサラドを誘導していく。足元の割れた石を拾い、丈夫な革製の袋に収めて、精霊の後を追った。
傾斜を繰り返している地に転がる岩や丸くなった細石、過去にはここも川底だったことが窺える。こちらの支流の水量が減る以前は同じくらいの川幅があったのだろう。
丈の短い草が生えている野原と目と鼻の先というところまで来て、精霊は止まった。そこは川に削られて角の取れた石ではなく、人為的に割った岩と砕けた砂が山積し、柱を立てる為の基礎と何かの工具のなれの果てと思われるものが打ち棄てられた場所だった。
――集めてあげる
――あげる
(ありがとう!)
足元の砂が湧き出す水のように動き、ひっくり返されていくと、確かにそこには緑色の粒子が混ざっている。精霊たちが集めて運んでくれた緑色の粒混じりの砂を鞣した革に載せて、指でトントンと軽く弾いて選り分けるのは根気のいる作業だ。息を吹きかけて少しでも砂を抜きたいが、細かい粒子となった鉱物を吸い込むと肺を患う危険があるため、布を外すわけにもいかない。
(風よ。協力して欲しい)
サラドは風の精霊にも呼びかけた。
(この砂をなるべくこの土地に返したいんだ。緑の粒だけ残して。できるかな?)
――重さ違う できる
――飛ぶ力違う やれる
(頼める?)
そよそよとした風が了承を伝えるようにサラドの顔の周りを回り、髪を引いた。
繊細な風が器用に緑色の粒だけを残して、小さな砂山を作る。サラドは砂が飛ばされやすいように時折革の風呂敷を揺らした。
ランタンの中では火が手伝えることがなくて不貞寝をしている。その様子に気付いたサラドがガラスを外した面から指先を入れると蜥蜴の口がパクリと噛んだ。痛みはないがチリッとした熱さが革の手袋越しにも感じる。指を抜くと火は目元をペロリと舐めた。
(昼寝の邪魔してごめん。また別の時に助けてくれ、な)
火は蜥蜴から小鳥に変化して、ぼわっと羽毛を膨らますようにして頭を羽の中に埋めた。やはり不服なようだ。
生き物にとって毒と成り得ても鉱物は大地で産み出されたものであって、精霊にとっては悪ではない。この鉱物が精霊を弱らせることはない。
波が打ち寄せるようにせっせと運ばれてくる砂の動きは、久しぶりにこの土地が求められて精霊が喜んでいる様にも感じる。
(キレイな緑色。きっとこの色が欲しくてたまらない人もたくさんいるだろうに。粉を舞い上げることなく、病を気にせず使える顔料が作れたらいいのにね)
――キレイ?
(うん、とっても)
――でも、含んだ水を飲んだ生き物は死ぬ 草も枯れる
(…そうだね)
精霊の声は少し悲しそうだ。
金鉱のように人にとって価値があるからと山を掘り過ぎれば精霊も弱り、地の力は弱る。この場所もおそらく、ずっと昔に人の手により毒素が蓄積したのだろう。
(何だろう? 色と毒の他にも何か有用な化合物が含まれているのかな。それをここで抽出していた…?)
鉱物を求めて賑わっていた過去。精霊も喜んでいたのだろうか。それとも…。
まだ自浄されず、地の力は回復しきれていない。この付近にいる精霊も少ない。
(そうだね。一部にとって有害でも全体にとって不要なものではない)
――欲しい人、いる?
(今、オレは欲しくて来たよ。このキレイな緑は人を虜にするだろうしね。…人、以外も)
そろそろ不可視の魔薬の効果が切れる。国境警備兵の巡回もあるため、ここに長居は出来ない。
(うん、これくらいで十分かな。みんな、どうもありがとう)
砂のうねりが止まる。選り分けが済むと風の精霊はサラドの頬を撫でるようにして去っていった。
(ありがとう!)
――また来る? 集めておく?
(うーん…)
サラドは暫し考えた。人為的な要因でこの周辺が不毛の地になっているのだとしたら、精霊たちの力を借りて、少しでもそれを取り除き、改善できるのだろうか。時間はかかるだろうが、そうして緑が戻れば精霊は嬉しいのだろうか、と。
(ここも昔は向こうの川と同じ感じだったの?)
――昔? 前は葦原
――おっきい川がすぐそこまで流れていた
――水の精霊は逃げた
人にとっては遙か昔でも、精霊にとっては前という感覚なのだろう。ここの緑が失われてどれほどの時間が過ぎたのかはわからない。
長い年月をかけて作られた結晶が人の欲で山を崩すほどに掘り起こされるのも、別の場所が毒素に冒されるのも、精霊にとっては一瞬の出来事だったのかもしれない。
(もし、また草が生えたら嬉しい?)
――嬉しい? わからない でも元気は出そう
(そっか)
革の風呂敷に粒子を包んで畳み、石と一緒の袋に詰めて口をぎゅっと縛り、背負鞄の底の方にしまう。代わりにシルエの浄化の力が込められた水を取り出した。
風の精霊によってできた砂山を均し、そこに瓶から半量を注ぐ。濡れた場所が柔らかな光に包まれ、水と一緒に大地に吸い込まれていく。光が治まると、サラドはマントの裾やブーツに草の種がついていないか探した。ちょうど生命力が強くて、真冬以外であれば発芽する草の種が引っ付いていた。それを砂の中に埋める。
(また来るね。芽を出すといいのだけれど)
――わかった
(またね)
足元をコロコロと転がる石を撫で、土の精霊たちと挨拶を交わす。王国側の林は広葉樹が陽の良く当たる場所から黃、橙、赤と様々に色付き始めていた。
(もうすぐ収穫祭だな。テオを連れて行ってあげたい。何としてもそれまでに…)
鉱物は無事に手に入ったが、ノアラに連絡を取る前にサラドはもう一箇所、寄り道をする事にした。
再び国境を越え王国側に戻ったサラドは樹の上で枝に腰掛け、一休みがてら夕闇を待った。人々が一日の活動を終えて安息の夜を迎えると、再び移動を開始し、林の中にぽっかりと空いた場所に向かった。
かつて、ここで発見された魔物の卵嚢が焼かれた。
魔物の急成長のため地の力が極所的に奪われた場所。焼け落ちた木はとうに土中の小さな生き物たちによって分解されて跡形もない。呪われたように黒ずんだ大地に新たな芽吹きは訪れないまま、十年以上の歳月が経っている。
その頃のサラドたちは苛烈さを増した魔物との戦いに、大地に力を返す余力はなかった。〝夜明けの日〟以降、シルエはいない、ノアラは水道工事で手一杯。その後の回復を気にしつつも、豊かな森も近いため自然に任せることにしていた。
(まだまだあの時のままなんだな)
いくらか円周は狭まっているのかもしれないが、見た目には変化がないように思える。その中心に立って、地に手の平を着けても精霊の声は返ってこない。サラドは半量残しておいたシルエの浄化の水をゆっくりと大地に注いだ。ホワリとした光に異変を感じる兵がいないか警戒しつつ、しっかりと染み込むようにポタリ、ポタリと最後の一滴まで。
(良い結果になりますように。またしばらくしたら様子を見に来よう)
サラドは左手の甲を唇に寄せ、鍵となる言葉を呟く。リン…と小さな音にすぐさまノアラからの返答があり、指輪に輪をかけるように魔術で刻まれた陣と言葉が薄紫色の淡い光で浮かび出でた。その陣に足を踏み入れると、辺りの景色は一変して見慣れた屋敷の玄関前へと転じた。
「おかえりー。どうだった?」
「無事、手に入ったよ。あと浄化の道具の方だけど、淡い光があったかくていい感じだった。効果の方は数日おいてからまた確認に行こうかと」
『あったかい』と言われ、シルエは顔がにやけそうになるのを堪えている。シルエの魔力や術を『あったかくて特別だ』と昔からサラドはよく評してくれた。その言葉はいつもシルエに自信を与えてくれる。
「サラドも特に怪我も疲労もなさそうで良かった。テオはもう寝てるよ」
「テオの体調はまだ大丈夫そう?」
魔力の補填のために外した指輪をサラドから受け取って、ノアラがこくりと頷く。
「ご飯さ、町で惣菜とか買ってきていたんだけど。最初は喜んでいたんだけどね、ここ何日かは飽きちゃったみたいで」
それを聞いてサラドがくすりと笑った。
「今日はもう休んで」
「うん」
明日からはいよいよ召喚の準備に取りかかる。
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