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70 御隠居の目論見

 サラドが降り立ったのは前回と同じく灯台の町近くの人目につかない場所だった。


(相変わらず、正確だな)


ノアラはこうして対象の人物だけの転移も可能だ。何度となく繰り返して修得した術は緻密な技によって正確を期する。ノアラが不安がるので一緒に移動することの方が多いが、サラドもディネウも信頼しているので自分だけの転移にも怖さは感じず、躊躇うこともない。


 市街地に入ると市場には寄らず、真っ直ぐに中心部へと向かった。

図書館は火気を警戒されるだろうから腰からランタンを外して、一時的に背負鞄に入れた。


(ごめんな。少しの間、ここで辛抱してくれ)


蜥蜴の姿でうたた寝をしていた火はパカッと口を開けてみせた。


 公園内も、図書棟の周囲にも守衛が増えている。サラドはフードを外し、扉脇に立つ守衛にペコッと頭を下げた。上から下までじろじろと検分され、居心地悪くも「確かに図書館を利用しに来た者には見えないよな」と納得していた。館内にいる守衛の一人が受付カウンターまで一歩後ろをついて来る。


「こんにちは」

「いらっしゃいませ」


司書は座ったまま礼儀正しく挨拶を返した。その斜め後方には見習いなのか女性がいる。


「こちらを届けに来ました。お確かめください」


預かった書類とその翻訳を記した書類を渡すと司書の片方の眉が僅かに引き上げられた。


「少々お待ちいただけますか。主を呼んで参ります」

「いえ、受け取っていただくだけで。あと、これ――あっ」


(あれ? いつもはオレひとりだとこれで終了のはずなのに…)


女性が訝しんだ目でちらりとサラドを見上げた。大荷物にマントを羽織り、弦は張っていないが弓を手にした者を警戒するのは仕方がない。

心なしか他の守衛もじわじわと近寄って来ている気がする。


「お待たせして申し訳ありません。ご案内いたします。どうぞ、こちらへ」

「あっ、はい…」


応接間の鍵を開け、サラドを通した司書はソファを勧めた。マントを脱ぎ、荷物を下ろして、初めて入った部屋をぐるりと見回す。

所狭しと置かれたコレクションは、その配置に規則性がなく、これを見たノアラは情報の錯綜に頭が痛かっただろうと想像でき、思わず苦笑した。

暫く待っていると御隠居が入って来て、サラドの正面に座る。受付カウンター内にいた女性も一礼してその隣に掛けた。


(あれ? このご老人は…。聖都で迎賓館にいた…?)


それとなく観察すると、確かに聖都の迎賓館でケントニス伯爵夫人とお茶会をしていた人物だ。御隠居からも値踏みする視線を感じる。


「ご足労いただきありがとうございます。いつものお遣いの方はお忙しいのでしょうか」

「いえ、今回はわたくしの都合で、用のついでに伺わせていただきました。彼にも何か依頼したいことでも? 守衛さんが増えているようですので、警備の相談などでしょうか。言伝があれば承りますが」


サラドが首を傾げると、御隠居は焦ったように顎髭を撫で擦った。


「その…、先日は大変な失礼をしてしまいましたので、そのせいかと思いまして。お許しはいただけたと思ってもよろしいのでしょうか」

「許し?」


御隠居はつぶさにサラドの表情を観察しているが、素直に疑問を浮かべているようにしか感じられない。


「その、こちらにいらっしゃいました時に『弟子にしてくれ』と急に話しかけた輩がおりまして」

「ああ、それで。この間はやけに疲れた様子だったから、何かあったのだろうとは思っていましたが、そんな事が。別に何も言ってませんでしたよ。極度の人見知りですが、人嫌いではないので」


ノアラが人嫌いではないことを事あるごとにサラドは口にしているが、あまり信じてはもらえない。


「…でも、さっきも言ったように人見知りなもので、この先もあまり来ることはないと思います」


サラドはノアラに代わって「すみません」と頭を下げた。


「いえいえ、御本人様に来ていただけるのは光栄ですが、ご無理にとは申しません。代理の方でもお待ちしております」


 御隠居は商人として鍛えた慧眼で目の前の男を推し量る。

いつも来る代理人は『最強の傭兵』と名高い剣士で、こちらとは懇意になる気はないという態度を崩さない。書物のことはあまり詳しくはなさそうだが、一度『著者』個人について質問をしたところ、あからさまに不快を示し、歯に衣着せぬ物言いで今後の取引を見直すと釘を刺された。

それからというもの、応接間への案内も拒み、受付カウンター越しに短時間での交渉のみ、警戒を解くこともない。思えば、それ以来自著は持ち込まれなくなった。とんだ悪手を打ったと歯噛みしたものだ。


御隠居自身はこの町を離れていることも多く、(おも)に司書が応対している。

もう一人、時折来る代理人はその傭兵の遣いと見え、護衛のような存在と聞いている。基本、御人を背に庇う立ち位置で、無口な主人と意思確認くらいの遣り取りしかしていなかった、と。

ちらと司書に視線を送ると僅かに首を横に振った。今日の男は、その代理でもなく初見らしい。

一見穏やかで、人の懐に入るのが上手そうだが、隙がなく腹の底は見えにくい。


 前回、珍しく単独で訪れた御人は今までのようなぼろではなく仕立て直した外套を身に纏っていた。駄目で元々と応接間に招いたところ拒まれなかった。()いて失敗しないように慎重に言葉を選び、信頼関係を築くため回数を重ねようと、次回への繋ぎに翻訳を依頼しておくことにした。

予期せぬマルスェイの行動に冷や汗をかいたが、今日こうして翻訳が届けられたということはまだ希望はあるのだろう。



 サラドの前に司書がお茶のカップをコトリと置いた。ペコリと頭を下げると司書も会釈を返す。今日はいつもと何もかも違うな、とサラドはやや戸惑った。

内容に問題はない筈だが、パラパラと書類をめくる御隠居の様子を緊張して見守る。


「訳だけでなく、解釈まで。ありがとうございます。こちらは謝礼というには少額ですが…」

「ああ、えっと…」


こんなに受け取れません、と言いかけてディネウの言葉を思い出す。


「…では、受け取らせていただきます」


金貨の入った袋をテーブルに載せたまま、サラドは丁寧に頭を下げた。


「あと、こちらなのですが、先日お渡しした絵物語の訳になります。お役に立てていただければ、と」

「まあ!」


ずっとおとなしくしていた女性が堪らずといった風に声を上げ、慌てて両手で口を塞いだ。


「失礼いたしました。こちらは儂の孫でして」


紹介された孫娘が礼をする。サラドもにこりと微笑んで頭を下げた。


「いえ。それで、差し支えなければその本を見せていただけませんか」

「もちろんです。少々お待ちを」


 孫娘が御隠居に向ける顔は少し不安そうだ。大事な古書を扱うにはサラドは無骨に見えるのだろう。

渡された本の綴じ方や表紙の素材などを観察し、頁をめくる。ゆっくりと文字を追い、最後まで目を通し終えるとサラドはペンとインクを借りれないかと頼んだ。


「どうかされたのですか?」

「発行された時期が違うようで、一部容姿の記述に違いがありましたので修正を。時代に即して変化したのでしょう」


 サラドは絵物語の訳を記入してきた紙にその場で修正を入れ、頁ごとの区切りの印を書き入れた。また持参したメモにこちらの本の特徴と内容に差異のある部分について記しておく。

その様子に御隠居も瞠目し、特に孫娘は目が零れ落ちるほどに驚いている。


(この字は…)「貴方があの土木関連の本の著者?」


 孫娘の疑問は声になって漏れていた。修正された字は急いだためかやや丁寧さには欠けるが、写本をするのにずっと見続けていた字と同じだった。几帳面な中にあるほんの少しの癖を見つけるくらい凝視した字を見間違うはずもない。


「えっ? 違いますよ」

「だって、字が」

「ああ、確かに代筆はしました。彼は頭の中で考えていることがどんどん先に行ってしまうんですよ。書き留めている時間が惜しいくらいに」


そう話すサラドの顔は朗らかで誇らしげだ。


「あの…、お祖父様。こちら拝見させていただいても?」

「そうだな。確認させてもらいなさい」


来客中にも関わらず我慢できずに孫娘が『精霊と人の恋』の訳を手に取った。


「何か疑問があればどうぞ、お答えできる範囲であれば、ですが」


サラドがにこりと微笑む。孫娘は頬を染めて夢中で文字を追った。残念ながら疑問を抱けるほど古語に造詣が深くない。


「…素敵な話」

「劇にしても見栄えがありそうですね」

「本当だわ!」


孫娘は舞台化されたのを想像したのかぱあっと顔を輝かせた。喜ぶ姿にやはり訳を持って来て良かったとサラドも満足そうに微笑んだ。



 御隠居の目の前に座る男はとても協力的だ。本当にただ人が良いように見える。話しぶりから御人との間柄も親しく、剣士のような拒絶もない。これはまたとない機会なのでは、と決断を迷った。自然と顎髭を撫で梳かす指が早くなる。


「…学者は研究を始めると生活の方をおざなりにしがちでしょう? 御人はいかがですか?

失礼ながら以前は、そのう…お召物に無頓着であらせられるように見受けられまして。

もしよろしければ、のびのびと研究に専念していただけるように私共に支援をさせていただけないかと。人見知りということでしたら他の者とは関わらずに済むように郊外に屋敷を用意し、使用人もこちらで雇って、何不自由ない暮らしを保証します。

たまに助言などいただければ、こちらとしては、それで十分ですので。

是非、ご検討いただけるようにお伝え願えますでしょうか」


朗らかな笑顔を保ったまま、サラドは「なるほど」と腑に落ちた。


(うん…。ディネウが気にしていたのはこれか。魔術師であることにも気付いているみたいだし…。権力者からの批難を避けるためにも、あくまで本の著者として迎入れ、生活の一切を面倒見る代わりに専属契約を…というところかな。

オレなら、と思われたのか…。きっとディネウはこれを言わせないくらいに圧力をかけていたんだろうし)


元々の性格に加え、相手の警戒心を解いて自然と情報を引き出すのがサラドの手腕ともいえる。ディネウの役どころは締める方なので、それと合わさると余計にサラドに対して相手は油断しやすい。


(こういった『利用してやろう』という気配にはディネウの方が鋭いもんな。オレも見習わないと。これから先もシルエやノアラが狙われる可能性もあるし)


「…そうですね。お申し出については伝えましょう。ですが期待はしないでください。彼は生活に困窮はしておりませんよ」


 ノアラは確かに夢中になると寝食を忘れがちではあるが、基本的に自分自身のことは一通りこなす。薬草畑にも目を掛けてくれるし、たまに放し飼いにしている――体の大きな魔物ではなく人の頭くらいしかない体長の――山鳥を構ってもいる。その卵を使った料理は彼の好物だ。

むしろ使用人がいるような屋敷には住みたがらないだろう。生活圏に他人がいること、干渉されることが何よりノアラの精神的な負担になる。


 サラドは最後まで笑顔を崩さず「それでは、そろそろ」と立ち上がった。

好感触だと感じたのか御隠居は愛想の良い笑顔でサラドを出口まで見送りに出た。フードを被り、背を向けたサラドを見て、孫娘は「あ、」と声を漏らした。


(この間の…。お年寄りかと思った人!)


あの時、物乞いだと思って守衛に排させなくて良かったと孫娘は肝を冷やした。



お読みいただきありがとうございます m(_ _)m


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