64 灯台の町
小舟で浜まで届けてもらったショノアらは足を地に着けてもまだふわふわゆらゆら揺れているように感じていた。
「ありがとうございました…助かりました…」
交渉に来た時の威勢を失いげっそりとしたショノアの背中をあっはっはと豪快に笑いながら乗組員はバンバン叩いた。
満身創痍の四人はしばらく浜の流木に腰掛けて休憩を取った。その間にも小舟が行き来をして木箱に納められた物資が運ばれて行く。
ザサーザサーと浜に寄せ返す波音は耳に心地よい。港町の桟橋や護岸に当たっている波音とは別物のようだ。
漁り舟の近くにはおこぼれを狙って海鳥が滞空と降下、上昇を繰り返している。ミャーミャーという鳴き声はあの鳥のものらしい。
「いやー、馬車での長旅もこたえるが、船もきついな」
マルスェイが腰に手を当てて天を仰ぐようにぐーっと反らし、体をほぐした。
数日の絶食など慣れっこのニナもさすがに疲れているようでいつも以上に動かず、体力の温存を図っている。
「馬車より日数が短縮できるからと思ったが、考えものだな…」
浜から陸地に延びる道の先をショノアが見上げる。ここから岩場の急斜面をジグザグに進む坂を登って上の市街を目指さなければならない。
「あれが灯台なんですね」
海風に流され空に筋を描く煙をセアラはぼんやりと眺めた。
浜には塔のような櫓があり、天辺からは煙が立ち昇っている。煙には薄っすら色が付くように何かを混ぜているらしい。
「前にも見たことがある気がします」
黒や灰色、白といった無彩色ではない煙がたなびく空に既視感を覚え、セアラは胸に迫る郷愁を感じた。
「セアラは南西の町の養護院にいたと言っていたものな。どこからか見かけたのかもしれないな」
王都から南西に位置する町、通称、灯台の町。
下は浜、上に主な市街の高低差のある町で、温暖な気候に多雨で水はけのよい土地。山肌を段々状に切り拓き果樹が植えられている。
〝夜明けの日〟以降、この地を統べる者が変わってから始められた果樹園は実を結び、栽培される果実からは良質な油が取れる。
製塩を営むのに適した、砂浜と磯を有し、この塩の製造販売権は大きな力を持つ。
その二大産業はこの町を豊かにした。
この浜から西に続く海岸線は断崖に変わっていき、その先に国境がある。隣国との貿易を行う船にとって国内では最後の補給地になる。
海岸付近は浅瀬で大きな船は座礁してしまうため、沖に停泊させた船と小舟や筏を介しての遣り取りになり、港町のような活発さはない。あくまで補給と休憩が目的の小さな浜だ。
海岸に建てられた櫓では日中は狼煙が上げられ、夜は火が焚かれて船の目印となっている。地域内の海岸にあと二箇所、南側の小さな漁村と西側の崖上に同じように火が保たれた場所があり、それらが設置されてからはこの地域の海難事故はぐっと減った。
隣国から戻りの航海中の船は海上でこの印を見つけると「帰ってきた」と安堵を覚えるらしい。
この領を治めていた貴族は商人と結託して、塩の価格を不正に釣り上げ市場を乱し、また隣国と通じ国家転覆を謀ったとして九年前に取り潰しとなった。土地は国に召し上げられ、塩の取引を許された商家も変わり、今は人々の暮らしも潤っているようだ。
現在、塩と油で財をなした商家が実質この町の支配者のようなものだが、爵位は与えられていないし領地権もない。
そのため、この町を含む一帯を旧領主名でも商家の名でもなく、その象徴から『灯台の町』と呼んでいる。
「俺はどうも気が利かないようで、つい自分の体力を基準にしてしまうが、体調が思わしくない場合などは遠慮なく言ってくれ。というか、言ってもらわないと気付けない。安全面から叶わない場合もあるが、なるべく考慮する」
早速、全員が不調に陥る事態にショノアが気まずそうにした。セアラはこくこくと頷いているが、遠慮がちな彼女はギリギリまで我慢することも考えられる。
ショノアは三人を見回して、サラドのように適切なタイミングで休憩を入れられるように、なるべく気を配ろうと決意した。
「さあ、行こう。日のある内に市街へ着きたい。そこで宿を取ったらもう今日は休むとしよう」
ショノアは勢いをつけるように声を張り、荷を担いで先頭に立った。
灯台の町の市街に着いたショノア一行は、泥のように眠り、船旅の疲れを癒やすために翌日も丸々休養日とした。それでもセアラは朝夕の祈りを欠かしていない。ショノアは軽く剣を振るっただけであとはゆっくりと体を休めた。うとうとしているうちにあっという間に一日は過ぎた。
「わたしは何をすればいい?」
前の『魔王』に関する情報収集と違って、現状を見てこいという指示はニナにとって曖昧過ぎる。
「そうだな…。ニナはその…不正が行われていそうな様子がないか探ってくれ」
「…了解」
この地の神殿にセアラを送り、この旅の目的『特別な祈り』を説明して協力を仰いだショノアは、一人町を歩いていた。領主の館があったという一角には公園がある。遺跡の一部らしい岩が所々にあり、地面はタイル画で飾られている。タイルの部分部分に色味と材質の差異があることから遺跡を補修したものだろう。
公園の奥には商家の邸宅と新設された建物が二棟。援助を受けた学者の住居と研究室がある棟と図書の保管棟だという。この地で手腕を振るう商家が芸術や学問の理解者だというのは本当らしい。
公園を囲む腰くらいの高さの塀は旧領主館の外壁の名残りのようだ。かつてはこの上に鉄柵があったであろう穴がある。モザイク画で飾られ、内と外を隔てるものという威圧感はない。
公園の入口にも市場にも、彫刻で意匠を凝らした水汲み場があり、絶えず水が流れ出ている。そのせせらぎは安らぐ旋律となって、耳にも心にも潤いを与えてくれる。
この町の水道は川から引かれたきれいな水が流れる上水と、暗渠排水とに分かれている。ここを皮切りにいくつかの町で成功したことを受けて王都でも水道工事が施工された。いわばこの町は試験場所にされたのだ。
当時、荒れに荒れていたうえ、領主が排され国の管轄にあり、反対を訴える者もないため、容易に着工されたそうだ。王都は遺跡でもあるため工事に反対意見も多かったが、押し進める好例になった。
公園以外にもモザイク画は複数箇所で見かけた。タイルばかりでなく貝殻なども使用され、題材は魚や野菜といった身近なものから、この町の代名詞である灯台、神話や信仰、寓話、お伽話と多岐にわたる。風土に合った陽気でくすりと笑みが漏れるような絵が多い。
市場は活気があって賑やか。人々の表情も明るい。この町の復興は上手くいっていると十中八九が答えるだろう。
「美しい町だな」
自然と声に出していたショノアは眩しいものを見るように目を細めた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ノアラの転移でやってきたのは灯台の町近くの人目につかない場所。
風が少し冷たく感じる季節へと移ろい、名産の果樹は落葉し始めている。積もった落ち葉を踏むとサクッサクッと音がたつ。木漏れ日はまだ温かく優しい。
「まず図書館に行こうか」
「ひとりでいい。効率的だ」
サラドに背負われたテオをノアラが気遣わし気に見る。
「そう? 今日は交渉はしなくていいのか」
「…見てから考える。司書なら余計な詮索はしない。問題ない」
人見知りのノアラが外の人と接する場合は大抵、サラドかディネウが代理人として間に立っている。不可視の術では市場のような人混みは避けて歩くのも大変で、ノアラがいかに気を付けようとも見えていない相手は体当たりをしてくる形になる。賑わう時間には行きたくないのだろう。そう察したサラドは二手に分かれ、それぞれの用事を済ませて帰る方がノアラにとって精神的に楽なのだろうと判じた。
市街に移動したノアラは中心街へ、サラドは市場へと向かった。
「どう? テオ、何か食べたいものはある?」
町に着いて直ぐの頃は緊張しているのかサラドの首にぎゅっと腕を回していたテオは、今、毛布製のマントから首を伸ばしてきょろきょろしていた。
「…わかんない」
「そっか。名前がわからないと指定できないもんな。まずは普段は食べられないようなものにしてみようか」
サラドは果物を切り売りしている屋台で近くの森では採れない南の産地のものを選んだ。
「毎度! あれ、お子さん、どうかしたのかい?」
代金を受け取りながらサラドに背負われているテオを見た店主は、もう働きに出ていてもおかしくない年頃を疑問に思ったようだった。
「今、少し、体が弱くて。ほら、テオ、受け取って」
「そりゃ、大変だねぇ。いい父さんで良かったね。坊や」
テオがおずおずと手を出して串に刺された果物を受け取る。その細い手指に店主は一瞬、沈痛な面持ちをした。
だんだん食べられる量も増え、食べる、眠る、サラドにおんぶされる、を繰り返しているテオだが、なかなか健康体に近付かない。無理矢理に魔力を得るようにされた影響だろう。
(父さん…か)
耳の後ろからは夢中で食んでいるぺちゃぺちゃという音がする。
「テオ、どう? 美味しかった? 食べ終わったら危ないから串を渡して」
「うん」と元気な声が聞こえ、顔の横で手の平を後ろに向けると串が手渡された。
「食べてみたいなってものがあったら言ってね」
市場と隣接する広場からは賑やかで楽しげな音楽が聞こえて来る。
旧領主館に居を構える商家は儲けた財を町に還元すべく、公園の整備や、学者、芸術家の支援も積極的に行っている。新劇場も建設中。広場も華やかな雰囲気だ。投銭目当てでいろんな催し物がある。
その一角で披露されていた曲芸と人形劇を見学した。爛々と目を輝かせているテオの顔は見えないが、ぎゅっと掴む手やじたばたと動いて結果、サラドの足腰を蹴っていることからその興奮ぶりは感じられた。
肉の串焼きと魚の切り身を煮付けた朴葉巻きを食べ、お腹いっぱいになって眠いのか急に背にかかる重みが増す。
その間にサラドは買い物を済ますため、市場内を気持ち早足で進んだ。
「塩は一度に買える量が決まっているからな。あと油と胡椒と…」
手押しの荷車とすれ違った時、微かに鼻腔を掠めた香りにサラドは思わず呼び止めてしまった。
「あの、それ、もしかして黍糖?」
「あ、そうです。よくおわかりになりましたね」
手押し荷車には小ぶりの麻袋がひとつ。中身は見えていない。それでも焦げたような独特の甘い香りは隠れていなかった。
「どこかへの納品ですか?」
「それが実は、納品に行った際に袋に虫がついていたからとこの一袋は引き取ってもらえず…。中身は問題ないはずなのですが」
黍糖はここから南にある島で作られている。茎から搾り取った汁を煮詰めて固めた糖はそのまま食しても、調味としても美味しい。産出される量が少ないため裕福な家や店との取り引きだけで、殆ど一般に流通していない貴重な品だった。
「わ! じゃあ、売って貰えたりします?」
「構いませんが…、かなり高価ですよ?」
「はい! 大体適正価格はこれくらいですよね? 無理を聞いて貰うので、少し上乗せして…、これくらいでどうですか?」
サラドが嬉々として金額を提示すると、その価格の正確さに相手は驚いた。大きな子供を背負ったサラドの身形は取り引きに応じられるとは思われなかったのだろう。
「どちらかのお屋敷にお勤めなんですか」
「いやぁ、お屋敷というか…」
引き籠もりだが、あれでいてノアラは稼ぎが多い。サラドは居候の身で黍棟を買えるほど稼ぎはないが、滅多にない機会を逃す手はない。
金貨を惜しみなく出し、手の平よりひとまわり大きいくらいの細目の麻袋を満面の笑顔で受け取った。
「ノアラが喜ぶな」
一通りの買い物を終え、ずしりと重くなった荷物を前に抱えたサラドはノアラと落ち合うために町の中心部へ歩を進めた。
背中からはすぅすぅと寝息が聞こえていた。