63 船に揺られて南西へ
船に乗るためにショノアたち一行は港町に向かっていた。今回は乗合い馬車ではなく兵団が保有している馬車のため直通だ。港町まで彼らを運んだら、馬車は王都まで戻ることになっている。
ショノアは荷物の取り出しやすい場所に収めた文書に目を通した。関所や万が一のために文官から渡された王宮の正式な印が押された身分証、特別通行許可証である。ショノアには騎士の証となる剣があるため、事を荒立てないためにも特別証はできれば使うことはなく穏便に旅路を進みたい。丁寧に巻き直して保管用の筒に戻した。
荷物の中には新調した騎士のマントもお守りとして入れてきている。
「まず、最初に指定があったのは南西の『灯台の町』だ。〝夜明けの日〟後に施行された水道工事が一番初めに着手された町だな。当時は魔物被害と前領主の横行で土地も荒れ、領民は飢えに苦しんでいたようだが、現在はかなり栄えているらしい」
「国境側がモンアント領、内陸側がケントニス領と接している地域の中心都市だな。復興が順調で今は良い町だよ。気候も穏やかだし」
西の果ての国境と不可侵の森に接するのがマルスェイの故郷、モンアント領だ。ショノアが手にする視察の指示書には確かにモンアント領もあり、先日マルスェイから聞いた大々的な魔物の討伐の記載があった。
「私が育った養護院がある小さい町も南西です。寄る機会があるでしょうか」
「それなら、行程に組み込めるよう調整しよう」
表情がずっと暗かったセアラの顔に希望が浮かんだ。
地図の上を指で辿り、ショノアは滞在日数や交通の算段をたて始めた。セアラからも町の特徴などを聞き出している。
「南西方面、灯台の町…か」
マルスェイは懐から出した紙に目を走らせ、ふむ、と考え込んだ。
王都を発つ前にマルスェイはケントニス伯爵夫人を訪ねていた。襲撃事件に続く火事騒動で、園遊会の出席者は領地への帰途が遅れている。また、顚末を見届けたいという欲もあって夫人は王都滞在を延長中だった。
「それで、英雄譚のまとまっている部分を見たい、と仰るのね?」
「はい、お願いします。私もこれから地方を回ることになりましたので、各地で知り得た情報をお伝えしますので、どうか」
ケントニス伯爵夫人ら有志は同じ題材の逸話でもたくさんの詩や話を聞き取りし、それらの細部の違いを擦り合わせ、真実に近いものに仕上げようとしている。
「貴方もそれなりに情報は集めていたはずよ。何処でどんな話があったかはもう知っているのではなくて? 私たちも中途半端なものを表に出すことはできないわ」
「もちろん、皆さんの努力を軽んじている訳ではありません。私としてもこれはチャンスでして…。情報が多い方が拠点に辿り着けると…」
「私達が英雄譚を作り上げたいのは過去の功績には必ず未来の危機を回避するヒントがあるからよ。現在、かの方々が静かな暮らしをしていて、表舞台に出ることを望んでいないのなら、それを脅かすつもりはないの。今更、貴方が魔術を諦めることはできないかもしれないけれど、必要以上に私生活を暴いてはいけないわ」
ケントニス伯爵夫人は良い顔をしなかった。それでも梃子でも動きそうにないマルスェイに根負けしたのか、最低限の情報として地名と出来事を記したメモを渡してくれた。
「必ずや、情報をもって恩に報います!」
鼻息荒く去るマルスェイをケントニス伯爵夫人は小さい溜息で見送った。
(魔術師を目指してからは実家に近付かないようにしていたから、この機会にあの時の話ももう一度、聞き込みしてみよう)
モンアント領は国境の警備のため私兵団もある。今回の事件を受けて王国の騎士団と合同訓練という交流が打診されたようだ。
マルスェイの父と長兄は騎士を退役して領地の経営と国境の守りに従事し、次兄は王都の騎士団では隊長職にある。先日、怪我を負った次兄を見舞うという名目で奇蹟の治癒を受けた話を聞きにいき、呆れられたところだった。その際に騎士団と兵団の話も耳にしていた。
「そういえば、特殊部隊は王配の手を離れ、解体されて兵団の一部隊として編成し直されることになったそうだね。数名は他の隊にも配属され連携を図るらしいよ。それに伴って訓練生で解放された者もいるとか。かなり幼い子供もいたようだから。ただ洗脳が強いと…」
マルスェイがニナを気にしつつ王宮の混乱具合を話す。特殊部隊について初耳だったのか普段は無表情のニナも目を見開き、足が馬車の座面に当たってガタッと音を立てた。
「ああ、やっぱり聞いてなかったんだね。ニナの所属は…どこなんだろうね」
ニナはマルスェイには一切返事をしないが、目が僅かに泳いでいた。この任務がなければ、彼女も除隊が許されていたかもしれないと思うとやるせない。
いくつかの地区を回ったら一旦、王都には帰還するが、その頃に騎士団、兵団はどれほど改革が進んでいることだろうか。ショノアも自身の所属はどこになるのか、その編成時に立ち合えないことに少々の不安が過ぎった。
「それと、今まで放置されてきた貧民街も一掃させる計画だとか」
「一掃?!」
続いてマルスェイが発した言葉にニナが声を張り上げる。
「一掃って何だ! あの場所から全員を追い出すのか? 何処へ?」
「ま、待って、ニナ。まだ計画段階らしいよ。そう簡単な問題でもないからすぐって事はないだろう。でもあそこは犯罪の温床にもなっているから、なくなるのはいいことで…」
ギリッと奥歯を噛む音が聞こえそうなほどにニナの目は鋭い。
「いいことだと?!」
今までになく激情を露わにぶつけてくるニナに、ショノアたちは呆気に取られた。
「…その地域の方々を養護院に入れることはできないのですか?」
「何人いると…」
驚きにポカンとする中、セアラの純粋な疑問はニナの目つきをさらに鋭くさせた。フーフーと荒い息遣いが漏れている。
(何も、何も知らない。身寄りがなくとも何不自由なく暮らせていたのがどれほど幸運か、特別を許された者だと、知らない。こいつらはもっと何も、知らず、まるで塵芥扱いだ。くそっ)
ニナはその後、反論もせず、いつものようにスッと無表情、無口に戻った。
この出立までニナはまた牢に戻され、準備のため宿舎に帰ったのは昨晩のこと。貧民街の荒ら家を覗きに抜け出したが、夜中のために何も見えなかった。ただ微かに聞こえる寝息に眠る母と弟を想像した。
普段の任務時と同じく持つのは最低限の荷物。部屋には何も残されていない。それがニナの全てだ。
(感情を殺せ。弱みは見せるな。こいつらと馴れ合うな…。わたしは…)
ニナはガタガタと揺れる馬車の音に集中して、煩わしいお喋りを遮断した。
つれないニナから話の矛先をセアラに変えたマルスェイが、火事の現場で目にした奇蹟の力について見解を求めている。情緒不安定なのではと思うくらいにマルスェイは興奮したり落ち込んだり賑々しい。
「私とセアラは城下にいたが、ショノアは王宮にいただろう? そこでも死体が動き出したと聞いたが」
「ああ、騎士たちが囲んで、なんとか動きを封じた」
「灰が残ったか、知っているか?」
「灰?」
「光で滅した死者は灰になったんだが、子を亡くした母がその灰を集めておいて、埋葬したいと願ったらしいのだ。だが壺に納めていたはずの灰が消えてしまったらしくてな」
「魔物を倒した時、砂のようになって消えましたよね? それと同じでしょうか」
頭を捻るショノアにセアラが「修行道の最後の方で、山羊に似た…」と説明すると「あの時か」と相槌を打つ。
「では、消えてしまうのは普通なのか。魔術師団でも調べさせてもらおうと思っていたんだが…」
「残念だ」と呟きつつも納得するマルスェイに、セアラは「母君の哀しみが癒えますように」と手を組んだ。
(死者が残した灰…)
ふと、会話の中のその言葉が耳に残り、一抹の不安が過ぎった。ニナは無意識に左頬を擦っていた。
その後もマルスェイは馬車で揺られている間中、ずっとセアラに、初めて奇蹟の力に目覚めたのはいつか、発動している時の体の感覚や変化はどの様なものか、修行は何をするのか、などしつこく聞いていた。
港町に到着し、ショノアが船に乗せて貰えないか交渉に行っている間にマルスェイは傭兵の溜り場になっている酒場を訪れた。
ギィと扉が軋む音に、昼日中から絶えないアルコール臭、じっとりと絡む視線がマルスェイを包んだ。
思い思いに武装した男達。視線を巡らせて見ても、その中に『最強の傭兵』の姿はなかった。
火事場では拒絶されたがマルスェイもそう簡単に諦めるわけにはいかない。ショノアからサラドが傭兵たちからは優秀な斥候として尊敬されていたことを聞き、一か八かでカウンターまで歩み寄った。招かれざる雰囲気の中、ゴクリと唾を飲む。努めて冷静に。
「こちらに腕の良い斥候がいらっしゃると聞きました。仕事は依頼できますか」
その言葉に傭兵たちの目が険しくなった。
「お前、何を企んでいる?」
カウンター内の店員ではなく、傭兵にしては細身の男がじりっと詰め寄って来た。
「企むなど…」
「信用の置けねぇヤツの依頼なんか聞く価値もねぇよ。出てってくれ」
「待ってください! では、私も傭兵になりたいのですが、何か手続きなどは…」
「なりたきゃ、勝手にすれば? ただ、それで仲間とは認めねぇし、仕事を回す気もねぇけどな」
「では、どうすれば…?」
「覚えられていないとでも思ってんのか? 前にアニキをしつこくつけ回していたヤツだよな? 大魔術師のことを嗅ぎ回っていたのもお前だろう?」
じりじりと迫る傭兵たちにマルスェイは弁明もできないまま扉の方へと後退させられた。
「無自覚なのか? お前の喋り方や目つきには、おれたちのことを見下してんのがありありと滲み出てんだよ。おれたちだけならまだしも、アニキのことを馬鹿にすんのはガマンがならねぇ。ここは王都じゃねぇぞ。ここのルールってモンがあるんだ。礼儀を知らねぇヤツを受け入れる筋はねぇ。マスター、こいつ出禁な!」
外に閉め出されたマルスェイは果敢にも、もう一度ノブを握るが、先に開けられた扉を前に蹈鞴を踏んだ。
「私闘はアニキがいい顔をしねぇから、これが最後のチャンスだ。そのおキレイな顔に傷が付く前にどっか行け! 二度とそのツラ見せんな」
勢いよく閉められた扉に為す術も無く、マルスェイはショノアたちの元へ戻るために肩を落として桟橋へ向かって歩いた。
ショノアが交渉したのは隣国へ向かう貿易船で、補給のために灯台の町に寄港する。その際に降ろして貰えることになった。客船ではないため、乗組員のための船室しかない。庫内の湿気た匂いに、ギィギィと軋む音が心細さを誘う。右に左に不規則にゆっくりと傾く床に、いちいち体が動かないように積まれた荷の隙間に身を寄せた。
「船にお邪魔させて貰うのは何度目かですが、慣れませんね…。眠ってしまうに限ります」
マルスェイは荷物を抱え込んで顔を埋めた。
乗って間もなく青い顔をする彼らは通りがかった乗組員に「まだ出航したばかりだから波も穏やかで、もっと沖に出たらこんなものじゃない」と笑われた。季節によっては体が浮き、壁にぶつかる勢いで飛ばされるらしい。乗組員たちが皆、屈強なのが頷ける。
暗い船内は昼か夜かもわからず、ただ時が過ぎるのをじっと耐えた。時折、背中を伸ばして深呼吸するために甲板にも出させてもらったが、あまり仕事の邪魔になってはならない。乗組員には「全然揺れていないよ」と言われながら、甲板では蹌踉めき、手摺に寄れば海に投げ出される恐怖に足が竦む。
船酔いに皆、ほぼ断食状態になっていた。酷い時は水すらも受け付けなかったが、無理にでも少量ずつ口に含む。
早くから無口になり、ほぼ会話のないまま過ごした。