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61 ショノアの苦悩

 出発までの日数、セアラは残りの修行に身をやつした。一言一句丁寧に唱えても、防御壁は発現されない。解毒に関してはほわりとした光を感じても、成功かどうか被験者もいないのでわからなかった。治癒はほんの少し上達したが、かすり傷から小さな切り傷が可能になった程度。

前にサラドに教わった『邪悪なもの、人を害そうとするもの、悍ましきもの、疚しいもの、の気配』を察知する練習も毎日行ったが王都の神殿内ではピンとこないままだった。


 指定の場所で待つセアラは前と変わらず、苔色のマントに、生成りの神官見習いの服と杖、髪はきちんと結い上げられている。荷物も以前と同じ背負い鞄。華やかさがあるのはマントのリボンくらいだ。

少し暗い表情は前に旅立った時とは違い、緊張だけではない不安を抱えてのもの。

セアラから聞きたいことが山ほどあるマルスェイは少しでも視察に前向きになってもらうためにも、以前きっぱりと『嫌い』と言われた分を挽回するためにも、積極的に努めて明るく話し掛けた。


「セアラは質素倹約を体現した良い見習いだね。何一つ新調しないなんて」

「え? 用意されていたものをそのまま持って来ただけで…。何か特別な準備が必要だったでしょうか?」

「いや、そうじゃないよ。前回の報酬とは別に、今回も支度金を貰っているだろう? 年頃の女性なら何かこう、身を飾りたいと思うのではないかと思っただけなんだ。髪飾りとか」

「報酬? 支度金?」


首を傾げたセアラにマルスェイは驚いた。


「まさか、貰っていないのかい?」


セアラがこくんと頷いた。


「え? 嘘だろ。ショノア、どうなっているんだ?」

「俺たちは王宮からの給金があるが…。セアラの分は神殿に支払われているのではないだろうか」

「セアラ、神殿からは?」


セアラは遠慮がちに首を横に振った。ショノアも前回の旅路を思い起こして急に不安になる。馬車や宿代、入門料などはショノアがまとめて支払っていたが、誰からも金の無心を受けたことは無い。


「では以前、自分で購入したものや、聖都内部の通門料はどうしたんだ?」

「あの、田舎から出てくる時に神官様からいただいたお金から」

「自腹なのか? それではすぐに底をつくだろう?」

「嘘だろ。ただ働きさせる気か? 王都の神殿がセアラに支払われるべき金を横領してる? 今からでも聞きに行こう!」


ショノアは考え込んで、息巻くマルスェイを見た。


「宮廷魔術師団はどうなんだ? サラには、その」

「…まさか。ちょっと待っていてくれ。師匠方に聞いてくる!」

「セアラ、俺が付いているから神殿に直談判に行こう。君が受け取るべき正当なものだ」

「でも…」

「ニナ、出発はもう少し待ってくれ」


ニナは一度小さく頷き、興味なさそうにプイッと顔を背けた。特殊部隊の正式な部隊員ではないニナも端金しか受け取っていない。任務時には必要な路銀は貰えるが、ちょっとした買い食いもできないギリギリの金額だった。給金は引退後のため積み立ててくれているというが本当かどうか。それに対して不満など言える訳もない。



「ショノア様、すみませんでした」

「いや、こちらこそ。気付きもしないで」


 結局のところ、神殿はセアラに渡されるべき資金を王宮側から受け取っていた。「見習いの身でもあり、旅先で紛失してはいけないから預かっていた」などと見え透いた言い訳をしていたが、セアラは怒るでもなく、念のためにと一部だけを受け取り、あとは預かっていて欲しいと逆に頼んでいた。ショノアは呆れたが、セアラにとっては大金で、持っているのが怖いというのも理解できるし、ショノアが証人になれるのでそれ以上口出しはしなかった。


「まだ先の話になるが、最終的に神殿から受け取る際はまた俺が付き添おう」


セアラは曖昧に頷き、困り顔で微笑んだ。


「何か買い足したいものはないか? 少し、商業区を見て行くとしよう」


 火事の痛手が残っている商業区だが、被害の無かった店は通常通り商いを再開している。また、燃えた店先で露店を出しているところもある。火が途絶えたことのなかった王都では火事以降、うっかり種火も消してしまうということが頻発したのか、数日前からは早朝に火を売り歩く声も聞かれる。なんとも逞しい。

石造りの町並みは煤をきれいに落とし修復をすれば基礎はそのまま使える。大工達の賑やかな掛け声があちこちで交わされていた。


「あの、では少しだけお店に寄ってもいいですか?」


セアラがもじもじと指すのは肌着などを売る店のようだ。ショノアも顔を赤くして「しばらくしたら戻るからゆっくり見てくれ」と慌てて踵を返した。


 田舎では既製服は贅沢品で、セアラも肌着や養護院の子供達にスモックなど簡易な服を自作していた。

この店に寄ったのは、月のものの対策のため。前回は訳も分からないままの出発だったため、旅の荷は準備されたものをそのまま持ち、そういったものは含まれていなかった。田舎から持参したものでなんとか凌いだが、今回はどれだけ長期間になるかわからない。しかも、神官見習いの服は生成りのため粗相をしたら目立ってしまう。粗悪なものではなく専用のものが手に入って、ほっと一安心した。

それでも、少し経験したからこそ思い浮かぶ旅路の細かな不安は上げていくと切りが無く、知らず知らずに眉根に力が入り、溜息が漏れてしまう。セアラは背負い鞄の肩紐をぎゅっと握った。



 ショノアはふぅと息を整えながら歩き、一件の露店の前でふと足を止めた。

女性の髪飾りやイヤリング、ネックレスなど庶民向けの装身具が並んでいる。銀の葉が絡むデザインの髪留めは、派手さはなく神官見習いの服とも、セアラの金髪とも似合いそうだ。


「主人、これをもらえるか」

「へい、お買い上げありがとうございます」

「主人の家や店舗はどうした?」

「燃えちまいました。家財は無理でしたが、商売道具は何とか持ち出せまして」

「再建の見込みは大丈夫なのか」

「へい。仮の住まいも用意していただき、補償もしてもらえるそうです。ありがたいことで」

「そうか。それは良かった」


ショノアは髪留めを受け取って、また歩き出した。

火の加護に甘んじていた王都民には火事の衝撃は大きかった。王宮は復興支援を急務とし、『火の加護を失った』不安を払拭すること、疑念を抱かせないことに躍起になっている。ショノアの兄も損害補償と生活支援の担当になり、家にも帰れず職務に追われているらしい。


 そんな兄とは一度、王宮内ですれ違った。


「ショノア! 良かった。無事だね。騎士や兵士に多数の負傷者がいると聞いたから」


無傷のショノアを気遣う兄の顔色の方が余程悪い。


「兄上も。わたくしはこの通り何ともありません。兄上も聞き及んでいるとは思いますが、英雄が駆けつけ救ってくださいましたから」

「ああ、素晴らしい奇蹟だったとか」

「はい。本当に。兄上、わたくしはまた任務で地方に赴くことになりました」

「地方? まさか…」

「左遷ではありません。ご安心ください。ですが、どうしても気がかりなことがあり…」


ショノアの言わんとしていることを察した兄は「そうだ!」と明るい声で遮った。


「壮行会というにはささやかだが、たまには酒でも酌み交わしたいな! 今夜どうだ?」


そんな余裕などないだろうに、兄の心遣いにショノアは感謝した。

その夜、城下の裏通りにある小料理屋で二人は会食した。文官の御用達だという、密談にも最適の個室が用意されている。火事から免れたものの、食材の入荷は滞っているらしく、酒と少しの肴だけのテーブルとなった。


「兄上もほとんど休まれていないような時に申し訳ない」

「いや、いい休憩になるよ。弟が地方任務に就くとなれば、少しくらい席を外しても周りの者も納得してくれる」

「それで…。今回は兵士たちも王都の民も…それから陛下も…たくさんの人が英雄に助けられたはずです。それなのになぜ、王宮は英雄たちを…その、…危険視しているのでしょうか」


ショノアがサラドの捜索を任じられた時も報告をした時も、感じたのは嫌厭で、王都に呼ぶのは謝辞や褒賞のためなどではないだろうことは明らかな態度だった。

騎士団でも『最強の傭兵』に対して好感情を持っているのは指導にあたる年嵩の者で、傭兵に対する差別意識が根強くある。

ショノアもその一端を担っていたのだろう。それを棚に上げて『最強の傭兵』を粗野で乱暴者だと断じてしまった。


「ショノア、私は少し疲れて酔いが早く回ったようだ」

「えっ? 何を仰います? まだ一滴も…」

「私はちょっと酔ったため、口が軽くなって、独り言を喋ってしまうようだ」


兄がコホンと咳払いをした。ショノアはやっと兄の意図を察して黙って頷いた。


「二十年ほど前にも王都は彼らの助けにより救われているらしいのだ。ただその詳細は当時王女の陛下しか御存知でない。

己が地位を揺るがしかねない英雄の存在が、彼らの助言を重用することが、面白くない者が一定数いて。少し強いだけの平民の英雄気取りだと吹聴していた。

だが、英雄は〝夜明けの日〟をもたらした。

しかも彼らは自分たちの功績などとは言わない。その働きに見合った褒章や地位を願い、臣下の誓いを立ててくれたのなら良かったのかもしれないけれどね…。

疎ましく思っていた者が今度は自分の勢力に取り込もうと取り合いや足の引っ張り合いをはじめた。

九年前のそんな折、王宮内で王女殿下に愛人がいると噂が流れた。平民で、赤毛で、殿下より年下の。

剣士でも魔術師でも治癒士でもない、もう一人だ。

魔術師と治癒士に取り次げる唯一の立場を振りかざし王女殿下に媚び入るペテン師だと、王女はその赤毛に骨抜きにされ、いいように踊らされていると」

「その…愛人というのは、真なのですか?」


女王と王配が仲睦まじく政務に取り組んでいる姿をよく目にする。三人の御子も皆よく似ていて、絵に描いたような幸福な王家はこの国そのものを表すようで自慢に思っていた。


「それは本人たちしか知らぬ事だが…。噂を流した者は窮地に追い込んでおいて、貴族社会に縁の無いその人に助けの手を差し伸べて味方につけようという魂胆だったのかもしれないが、それを機に先代陛下と側近たち、現王配殿下による『叛意あり』とみなされた者の粛正と、噂の掃滅が始まった。同時にその人も忽然と姿を消した。確証はないが、死んだ、暗殺されたとも」

「そんな…。救世の恩人を…」


ショノアは膝の上でぎゅっと拳を握った。


「私は直接お目にかかったことはないが、朗らかな、権力闘争には無縁そうな人だったと聞いたことがある」

「…ありがとう。兄上。いかに命令とは言え、俺は人道を外れ罪を重ねるところだった」

「独り言が過ぎてしまったな。私はまた仕事に戻るとしよう。ショノアも体に気を付けて任に励め」


結局、杯には一口もつけず、最後に唇に指を立てて真剣な眼差しで頷き、兄は王宮へと戻った。ショノアは剣の柄を胸前に掲げ、会釈をして見送った。



 兄との会食からショノアはこれから自分がどうあるべきか悩んでいた。王配や側近からすれば、陛下を惑わした者という認識なのだろうが、サラドが牢に入れられた際の陛下の怒りからは英雄への敬愛が感じられた。側近と文官の思惑と陛下のお心は必ずしも一致しないのではないか。

サラドはショノアたちに心を砕こうとしてくれていたのに、一線を引かれたのはその友人を貶める発言をしてから。無理もない。

それがなければ、こうなる前に腹を割って話すことができていたら、違う結果があったのではないか。


「俺は馬鹿だな…」



 買い物を終えたセアラと合流したショノアは先程購入した髪留めを渡した。


「これは?」

「心ばかりの詫びの品だ。受け取ってくれ」


中身を確認したセアラは慌ててショノアの胸に押しつけた。


「受け取れません!」

「俺が持っていても仕方のない品だ。セアラに似合うと思う。そんな値の張るものでもない。気軽な気持ちで使ってくれ」


やんわりとセアラの手を押し返したショノアは、これを渡したのがサラドであれば彼女は花が綻ぶような笑顔を見せたのだろうなと、ふと思った。きっと、この髪留めをつけたセアラを見ることはないだろう、とも。

セアラは本当に困惑した表情でぺこりと頭を下げ、髪留めを荷にしまった。


 当初の待ち合わせ場所に戻るとニナが触書の看板の前でじっと佇んでいた。今回の騒動でニナが王配殿下の配下である特殊部隊の所属であることをショノアは知った。彼女の無口さも雰囲気も身のこなしも、そうと知れば得心がいく。

命令とあらば、何時間でもこうして立っているのだろう。


 触書には火の取り扱いの注意と衛兵による夜回りの開始、消防設備の新設、怯える必要はないと書かれていた。

今、王宮内も兵士の編成、訓練の大改革が行われている。


 少し遅れてやってきたマルスェイはその整った顔を歪めていた。鋭利な印象のある面立ちがより際立ち、人が避けるほどに不機嫌そうに見える。


「まったく…! お師匠方は浮世離れしすぎていて困る!」


マルスェイの話によると宮廷魔術師団もサラドに一銭も渡していなかったようだ。そしておそらく襲撃騒動で報酬も支払われていないだろうことも。

サラドが準備してくれた諸々の、食事や備品についても当たり前に享受して、全く気に留めていなかった自分を、とんだ世間知らずだとショノアは恥じた。


「まいったな。また謝ることがひとつ増えてしまった」


 今回も、実地に即した現状を正しく知るためということで、王宮からの正式な視察とはせず、あくまで彼ら個人の研鑽の旅という名目だ。それは前回と同じ。お陰で同僚にもどんな任務かは言えず、改革の混乱中に後ろめたい出発となった。

「領主などに遠慮すること無く見たまま、感じたままを報告せよ」と命を受けたショノアには前回と同じように見て回るべき場所と内容のメモが渡されている。どれも英雄が関わった事柄らしい。その後の状態を確認せよ、というお達しだ。

これだけの実績を把握しているのに、何故という気持ちが拭えない。


(どこかで、また会えないだろうか)


ほのかな期待を胸に抱いているのはショノアばかりではなかった。



お読みいただきありがとうございます!


ブックマーク、嬉しいです (*^^*)

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