6 港町で情報収集
翌日、午前中は手分けをして情報収集にあたることにした。昼の鐘が鳴ったら今いる場所、広場にある噴水に集合する。初めて訪れる町での単独行動にセアラは不安そうだったが、比較的治安のいい大きな町だし、衛兵も多く常駐している。この広場の近くだけなら問題ないだろうとショノアに言われ、彼女はただ俯いた。
「魔王について聞いたことがないか、何か異変は起きていないかを聞いて回ればいいんですよね?」
「それなんですが、『魔王』や『異変』といった言葉は直接使わない方が良いかと」
「何故だ? ではどうやって?」
「『魔王』という言葉を出すと、もともと噂がなかった場合、逆に広める元になりかねません。神様に会いませんでしたか、と聞いても笑われるだけでしょうけれど、魔王って聞いたことないですか、と問いかけたら、こんなこと聞かれた、もしかしてそんなことが、となってしまうでしょう。不穏なものほど記憶に残り人の口にのぼって拡散しやすい。まずは世間話と町の様子見に留めておいた方がいいと思います」
「そうか、なるほど…。逆に不安を煽るところだったな」
サラドは意見を聞いて貰えてほっとした。悪戯に『魔王』など流布したくない。
四人はそれぞれ地域を分割して聴き込みに散らばった。その分担は広場の周辺の商業地区の右側がショノア、左側がセアラ、道もわかりやすく小路にさえ入って行かなければ迷うことはないだろう。
居住区をニナ、下町もありやや柄の悪い地区にサラドが向かうことになった。
昼の鐘が町に鳴り響く頃、広場の噴水の縁にセアラが申し訳なさそうに俯いて座っていた。その足にはブーツがなく、小さな布を敷いた上に裸足をちょこんと乗せている。治療済のようだが踵はズルリと皮が剥け、親指と小指の両側が赤く水脹れになっている。隣に座っているサラドがセアラのブーツを膝に乗せて革をグニグニと揉んでいた。
「す、すみません」
「いやいや。少しは柔らかくなったかな。詰め物もしてみたけど、これでも楽にならなかったら、宿に戻ってから調整しよう」
セアラの前に跪き、踵に手をそっと添えてブーツを履かせる。顔を紅潮させ慌てて足を押さえたセアラに、サラドもはっとして手をぱっと放した。
「ごめん。なんか子供扱いしたみたいで…。そりゃあ、おっさんに触られたりしたらイヤだよな…」
「いえっ、そうじゃなくて、その…」
ショノアは来た道を戻るように広場へ歩いた。一歩ごとにガチャガチャと鎧が音をたてる。その足取りは非常に重い。
「二人とも、もう戻っていたんだな。セアラ、顔が赤いがどうかしたのか?」
「なんでもありません…」
「?」
ショノアは溜息まじりで二人に並んで腰をおろした。
間もなくニナも合流したので軽食がてら、報告し合うことにした。
「特に変わった様子はなかったですね。外国からの荷も普通に届いているし、不漁という話も聞きませんでした。人々の表情に不自然に暗いところもないようです。その言葉についても耳にしませんでした」
サラドはここから一番遠い場所だったのに問題なく十分な量の情報を得たようだ。
「井戸端での話の中心は市場の品と値段、手のやける子供、旦那への不満。赤子の数も少ないということもない。子供たちの遊びに魔王ごっこはなかった。いたって普通の日常」
ニナはその不気味な佇まいから期待はしていなかったが、きちんと仕事はこなすようで安心した。陰から話を盗み聞きして集めるのは得意なようだ。平坦で冷静な口調だがスカーフで覆っているためくぐもっているうえ声が小さくて聞き取り辛い。
「あ、あの…。すみません…殆ど何も聞けなくて。その…避けられているみたいで…。その上迷ってしまって、サラさんに助けてもらいました…。でもお店もお客も不安そうな感じはなかった…と思います」
セアラは人見知りがあるのか、神官見習いの姿が仇となったか、あまり成果はないらしい。巡礼中の神官が寄付を求めることはよくあることのため避けられることは考えられる。
メモをとりながらショノアは再び溜息を吐いた。
「すまない。俺も収穫なしだ。どうにも避けられてしまって」
そしてショノアも騎士の鎧がすっかり警戒されたようだ。そもそも騎士がたったひとり鎧姿で町中を歩いていることはそうそうないだろう。
遠巻きにされるのはいい方で、ひどい場合はやましいことなどなさそうなのに「なにも悪いことはしていません」と逃げられてしまった。
騎士とは王族を、国の民を守るものと思っていたのだがその誇りが崩れそうだ。衛兵は信頼されているようなのに、騎士への憧れや尊敬の眼差しなどなかった。まるで歓迎されていない。市井の者からはどう見られているのか認識を改めなければならないかもしれない。
軽食と休憩を終え、午後の残りの時間はサラドの提案でショノアの鎧を防具屋で旅に相応しい装備に改めることにした。
広場のすぐ近くで道に迷ったというより人波に圧倒されたセアラも共に行くことにし、ニナはまだ回っていない範囲を探ってくると言って姿を消した。
港町は交易の中心であるうえ、傭兵団もあるだけあって品揃えはよい。体に負担が少なく、防御力も兼ねた革鎧と小手、脛当てを購入し、ショノアの体型に合わせ微調整を頼むことができた。
店の主人からは「剣匠のようですよ」とおそらく煽てる言葉をかけられたがショノアは愛想笑いを返す心の余裕もなくしていた。
騎士の鎧はこの町の詰所に預かって貰うことができた。折りを見て王都へ届けてもくれるという。
自身の名が刻まれた騎士証を懐にしまい、マントを名残惜しく見ているとサラドから
「それは、持っていてもいいのではないでしょうか。大きな布は何かと便利です」と声がかかった。
騎士のマントは一見すると無地だが角度を変えると紋章が浮かぶように地紋が織られている特別製のものだ。
ショノアは大事そうに抱えた。手放してはいけない誇りのように。
「この町は昔から海賊や外からの攻撃、海の魔物の被害など防衛を強くする必要があったため、傭兵団が強いところです。衛兵も多く配置されているため騎士さまが派遣されることはあまりない地域です。きっと珍しかっただけだと思いますよ」
交易の中心、情報も最先端のものもいち早く届き、発信する町。陛下のお膝元として国の中心としてある王都の食糧も工芸品の流通も下支えしているという自負があり、有事の際は防衛の要所にもなるためこの町には独特の気位がある。それが騎士への当てつけにもなったのではないか、と意気消沈しているショノアにサラドはそう説明した。
革鎧の調整をしてもらっている間、商業地区で世間話をするサラドに二人はついて歩き、その朗らかで自然な話術に舌を巻くばかりだった。
帯剣ははしているもののシャツとズボンという軽装になったショノアに町の人々は友好的で、いろんな商品を勧めてきた。
情報収集ついでに呼び込みの賑やかな屋台で食べ物を堪能したり、今後の旅に備え不足しているものを買い足したり、セアラをこの町の神殿に案内したり、足を伸ばして夕暮れの港を見学したりと、ほぼ観光のようなことをして宿へと戻った。
ニナはかなり広い範囲で聞き耳を立ててきたがほぼ同じ情報しか得られなかったと報告した。夕食の席にはやはり降りてこず、昨日同様サラドが運んでいた。
部屋に着くとサラドはショノアに湿疹に効く塗布薬を渡した。
ショノアは鎧で蒸れて湿疹が出来ていることまでお見通しなのかと笑いながらもありがたく受け取った。
結局、港町ではそれらしき噂も兆候も見られなかった。
翌日。
「どうしますか? この町をもう少し見てまわりますか」
「いや、近隣の村も少しまわってみたい。魔物が出るとしたら町より森や山だろう。別の町への移動にもここにはまた戻ることにもなるし」
新しい革鎧を装備したショノアは昨日に比べるとぐっと町に溶け込んでいる。それでも真新しい鎧にどこか優雅な所作の美丈夫は、とても傭兵や平民には見えず訳あり感が否めない。
「特に、その…〝夜明けの日〟に船が発ったという村には行ってみたい」
「ああ、あの村ですか。道はあまり整備されていなくて防風林も多いところなので辻馬車は…どう…かなぁ」
サラドの懸念通り、街道のように石畳はなく、轍がくっきり残る土の道が続く。行き先を告げるといい顔はされなかったが小型の辻馬車を出して貰い、気を抜くと歯がガチリと鳴ってしまうくらいの揺れに耐える。
更に細くなる道との別れ目まで来ると、馬車では入れない狭さだった。馬車を降りてその先へは徒歩で向かうことになり、ショノアが地図を取り出しかけたがサラドが問題なく先導していく。
「ニナ、しんがりを頼める?」
「ニナに? 俺が務めようか」
「いえ、ショノアさまは前方から何かあった時の対処をお願いします。後方からの警戒はニナが適任かと」
「ニナが適任?」
ショノアは不服そうに怪訝な目で微動だにしない陰気な影を見たが、サラドが確信を持ってニナに視線を遣る。ニナは黙って頷いた。