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57 影の解呪と光の治癒

 王配から逃げ出した影はただ女王を追い掛けて楽しんでいただけでなく、隠し通路をしっかりと観察していた。操っていた王配も頭の切れる男のためその記憶力を遺憾なく発揮し、女王が避け続けた道を選択すれば、秘された指輪に辿り着くのは簡単だった。

偽装された幾つもの扉から、正しい扉を難なく見つけ、床との僅かな隙間をスルリと抜ける。


「見ツケタ」


水鉢に沈む指輪。


「フフ、コレデ、コノ火ハワタシノモノ」


影が水鉢を取り巻いた時、勢いよく扉が開かれ、急な気の乱れに水面が揺れた。


「待て! ニナを解放しろ」


追い付いたサラドから逃れるように影が壁を伝った。左手の甲を口に押し当て、白々とした反りのある剣を抜き放ったサラドを影はせせら笑う。


「影ヲ切レルト思ウノカ」


サラドは煽る影に構わず、剣を突き立てる。シュウゥと焼き切るように穴を空け、その中へと入り込んだ。


「ナン…ダッ」


 一面の闇。

途端に脱力感が襲い、体が圧迫され、呼吸が上手く出来ない。引き摺るように足を動かし、闇の中で膝を抱えて蹲る人に近付き腕を回した。


「ニナ、ここを出よう」


ニナに反応はない。


「ここはワタシの領域だぞ。招待もなしに来るとは図々しい。我が娘から離れてもらおうか。なぁ、可愛い娘よ。お前もここにいたいと言ったな? その男だってお前を誘惑しているだけ。お前を傷付け蔑ろにする人間の世界など壊してしまおう。我々にとってお前は希望だよ。種を蒔き我らの住み良い世界へと変貌させてくれる希望」


闇の中、ゆらゆらと四方から響く声、特に『希望』という言葉にニナが僅かに反応した。


「ニナ、聞いちゃダメだ」


サラドはニナの耳をその手で塞いだ。


「愛することもなく、道具として扱う者が娘などと呼びかける資格はない」

「ハハッ、孤児で未だ独り身が親と子の関係を語るか。憐れだな」


(くそっ、このままじゃ息が続かない…)


触れられてもいつものように反抗しないニナの目は虚ろで何も映していない。頬には涙の跡が幾筋も残っている。


「ニナ、不本意だったら、ごめんな。それでも…」


サラドはニナをぎゅっと腕の中に閉じ込めた。小柄なニナでは顔がサラドの腹辺りに押し付けられる。触感も匂いも一切なかった空間で、体温のぬくもりが体を包み込み、埃と汗の混じった微かな匂いに鼻腔がくすぐったくも心が落ち着く。無理に上げた目に悲痛な面持ちのサラドが映った。


「あんた…何でここに…」

「ニナ、一緒にここを出よう。出口を」


乱れた呼吸音が混じる嗄れた声でもしっかり言葉を紡ぐサラドに、ニナが震える指で示す。その方向にパカリと開いた石壁の景色を見つけ、サラドはニナをしっかりと抱きしめたまま身を投げた。


「無駄だ。そノ娘ハ、ワタシノ手カラ逃レラレヌ」


サラドはニナを庇って受け身を取り、素早く体勢を直した。淡い灰色のマントが目に入り、ほっと息を吐く。急に肺に入ってきた多量の空気にカハッ、カハッと咳き込んだ。

シルエが伸ばした手をくるりと返すとジリジリとした光が影を焼いた。


「ギャッ!」


影は小さくなって消えたがシルエの顔は浮かなかった。一歩後方にいるディネウとノアラも構えを解く。


「逃げられた…。もともと本体は別の場所だね。ちょっと厄介な魔人だな」


呼吸が落ち着き、辺りを確認すると頑丈な石造りの部屋は五人も居れば壁が迫ってくると感じるほどに狭い。水鉢を支える溝が掘られた台座には無残に割れた陶器の破片。床に水が溢れ、指輪だったと思われる焼け焦げて正円の形を失った金属の塊が落ちていた。

その近くで小指の先ほどの小さな火が揺れていた。サラドは片手でニナの頭を守り抱えたまま、火にもう片手をそっと差し伸べた。火は避ける力も無くゆらゆらと手の平に掬い取られる。抱くように右の鎖骨辺りに押し当てると、チクリとした痛みが体を抜けた。


「シルエ、頼む。彼女を…」

「わかってるよ」


シルエはふうっと息を細く吐き出す。サラドはニナを抱きしめた腕をゆっくりと緩めた。


「君は魔人の力の干渉により媒介にされていた。今からその楔を解く。ただ完璧に根っこまで抜くと君の命にも関わるから最低限のものは残るよ。その代わりに悪さをされないよう保護をかける。光を見ないように目を瞑っているように」


シルエの諭すような説明にニナは小さく頷いてそっと目を伏せた。念のためにその目をサラドが両手を重ねて覆う。かさついた指先の感触にそわりと体が揺れた。

強い、強い光がニナの体を貫く。解呪の術。

サラドの手に塞がれていても網膜まで届く光に一面の赤を感じ取る。耳の奥で「グググ」と軋む音がした気がした。しんと静まってから少しの間を置いて、サラドの手がゆっくりと解かれる。ニナはそろそろと目を開けた。


「こ、これでもう魔物や裂け目を呼ばない…?」

弱々しい呟きにシルエが悠然と首肯した。ニナの眦から涙がぽろりと零れ落ちる。


「わたし…知らな…くて…」

「ニナは悪くない。今まで苦しかっただろう。よく頑張ったな」


背後からサラドの声がして、ニナは体ごと振り向いた。

口を半開きにして目を潤ますニナが落ち着くまでサラドはやんわりと腕を背中に回して宥めた。


「どうする、ニナ? このまま保護もできるけど、王宮に…戻るか?」


サラドは眉尻を下げて首を傾げた。その表情は垂れ目のせいで余計に柔らかく、痛いほど心配しているのが伝わってくる。ニナは唇を動かしたが声は出さず、しばし逡巡した。


「…戻る。母と弟がまだ…」

「うん、わかった」


涙を袖で乱暴に擦り、スカーフを元の位置に戻して顔の下半分を隠したニナは腕を突っぱねてサラドから離れようとした。もう一度、ぎゅっと引き寄せ、ニナの耳元にサラドが声を落とす。


「助けが必要になったら、暗く、静かな、独りの場所で呼んで。きっと『友達』が伝えてくれる」

「なっ?」


励ますように背中をぽんぽんと叩く。ニナは顔を赤くしてサッと距離を取った。


「あー、話は済んだか? お前はこれ以上王宮内をうろうろすんな。一足先に帰れ。こいつは俺が連れて行こう」


ディネウにガシリと肩を掴まれたニナはまるで捕われた者のようだ。今回はニナもおとなしく従い抵抗しなかった。


「シルエ、ごめん。その…フロアに負傷者が…」

「…つくづく甘いけど、サラドの頼みなら仕方ないね。ついでに恩も押し売りしておこうか」

「ありがとう」

「ノアラ、行け」


ディネウがニナの向きを変え、背でサラドを隠す。ノアラはこくりと頷き、サラドの手を取って転移した。それを確かめてニナを掴んだディネウとシルエは秘された部屋を後にしてフロアへと向かった。



「特殊部隊は王配に従い謀反に加担したってんで、大半が牢の中だ。上手く立ち回れよ?」


肩をしっかりと掴んだままディネウがニナに小声で伝えた。ちらっと目を動かして、粗野そうな黒髪の男を見上げたニナは小さく頷いた。


「…ひとつ、知っていたら教えて欲しい」

「何だ?」

「町の外は…、貧民街に火事は…?」

「ねぇよ。今回は結界の中だけだった」

「そうか…良かった」


 貧民街は身寄りのない死体が放置されていることもある。荒ら家が密集していて、火も回りやすい。町中と同様の事が起きていればひとたまりもなかっただろう。

ニナは少しだけ目を細めほっと息を吐いた。

小さく、とても小さく「ありがとう」と呟かれた声は丁度フロアが近付き、そのざわめきに掻き消されたかと思われたが、肩を掴むディネウの指が一瞬強くなった。



「貴様! 何処から入った?」


 ディネウの姿を見咎めた騎士が呼ばわる。フロアには軽傷から重傷まで多くの騎士や兵士が寝かされていた。次々に担ぎ込まれる負傷者を整理していたショノアがその大声に振り向いた。


「剣匠! …と…ニナか? あの、彼女は先日までわたくしと任務を共にしていた者です」

「何だと? 王宮の者か?」

「こいつが閉じ込められていたんで、わざわざ送ってきてやったぜ」


肩をそびやかし騎士と睨み合うディネウはニナを掴む力を緩め、一度軽くポンッと叩き、放した。その勢いで二、三歩進み出たニナがショノアと騎士と向き合う。手には特殊部隊の所属の証があった。

ディネウの背中、一歩後方でシルエは溜息をひとつ吐くと杖をくるりと一回転させ、トンッと床を突く。そこから淡い光がフロア全体、その先へと広がり、暖かな微風が吹き抜けた。


「…怪我が治っていく…」


怪我を負っていた者自身も付き添っていた者も信じ難い奇蹟に遭遇し、声を失った。


「重傷者はいるか? ちょっと様子見てこい」


ディネウが顎で示すとポカンとしていたショノアが「はいっ」と慌てて返事をしてキビキビと早足でフロアを進んで行く。


「あのっ、重傷者はこの区画に。今の光でだいぶ回復していますが…」


ショノアが示した場所へとディネウが歩き出す。シルエもその後に続きながら不承不承ながらだと言わんばかりにぼそりと愚痴をこぼした。


「腹立たしいけど、サラドが望むなら仕方ない」


シルエは重傷者の状態を診ながら治癒をかけていく。その度に歓声が上がった。感謝のあまりに、シルエの淡い灰色のマントに掴みかかろうとする手がある度にディネウが遮った。


「騒ぐな!」

「傷が塞がろうとも外傷を受けた損傷は体に負担を残している。特に失血の多かった者、少なくとも三日は安静にすること。治ったからと過信し動いたことにより不調を起こしても自業自得と心得よ」


ディネウの喝でしんと静まり返ったフロアにシルエの威厳がある声が響く。

シルエはわざと少し傷が残るくらいに調整していた。治癒の光に慣れていない者を全回復させてしまうと体が追いつかないまま動いて損傷を残すことが往々にしてあるからだ。


「じゃあ、もう用は済んだし、失礼するぜ」


ディネウがひらひらと手を払う。


「お、お待ちください! どうか…」

「待てねぇな。神殿前にも、他の箇所にも怪我人がたくさんいるんだ。あとは自分たちでどうにかしな」


有無を言わせない眼光と声音に兵士たちが圧倒されているうちにディネウとシルエは王宮を後にした。


 坂を下りながら鎮火され、煙がたなびく町に目を馳せる。どちらともなく溜息が漏れた。


「そんな苛々すんなって。実戦で怪我を負うのは経験だ。その恐怖や痛みの記憶が全くないようなヤツらばっかだった。傷を残したからって…」

「違うよ。僕は九年…、各地の神殿を回った二、三年を除いてほぼ聖都の外に出ることは無く、本当にあの日々が終わったのか実感していなかった。まだ、どこかでサラドが走り回っているんじゃないかって。この有り様がさ、ああ、変わらないって。まだ、あの頃のまま」

「…おう、そうだな。むしろこの町にとっては初、かもな」


仮面で隠れているが、シルエが口をへの字に曲げているのが光の加減で見えた。


「さあ、さっさと治癒だけして、帰ろ。当初の目的は達したし」

「帰ったら説明は自分でしろよ。俺は知らないからな」

「えー、ディネウも片棒担いだじゃん。あ、ノアラが来たよ」


王宮入口の外門付近に薄紫色の光を見つけてシルエが杖の先端で示す。

三人、うち一人は姿を隠したまま神殿に向かい、救助活動を再開した。


◇ ◆ ◇



 セアラは神殿の施療院に集まった怪我人の容態を確認しながら薬草や汚れのない布の用意に目が回る思いをしていた。


 少し前、まだ火事と死者の蘇りに混沌としていた神殿に、淡い灰色のマントを銀の翼のようにはためかせ颯爽と現れた人が、〝治癒を願う詩句〟もなしに次々に治していった。まるで神の遣いだと手を合わせてしまう偉業。


その人から治癒後の患部の確認と『必ず数日は安静にすること』を伝えるように頼まれたセアラはからからに渇いた喉では返事もろくにできず、こくんと深く頷いた。

近くで従事していると不思議と恐怖や焦燥が落ち着き、指の震えも治まった。代わりに心を満たすのは「やらなければ」という責務。


神殿関係者にきれいな水の確保と交換を頼み、せっせと手と口を動かしても追いつけないほど治癒の光は驚異の速さで繰り返される。

体格と声から男性であると予想するが、ちらちらと横目で盗み見しても、フードに隠れた髪の色も目の色も見えない。その面差しは男性か女性か、年寄りか若いかさえも杳としてつかめない。

ただ、その泰然とした声にセアラは聞き覚えがあるような気がした。


 火消しの怒号が歓声混じりになった頃、俄に立ち上がったその人は「少し外す。その間の対応を頼む」と言葉を残し、マントを翻して去ってしまった。

まだ治療の済んでいない者たちからは不安と不満の声が押し寄せ、施療院は苦情の処理に混乱した。


「セアラ、私もできることがあれば手伝おう」


火消しが一段落したらしく、煤で汚れたマルスェイが疲れた顔で声を掛けてきた。人手はいくらあっても困らない状況だったのでセアラも素直に受け入れ、マルスェイは逃げる際に転んだ者から酷い火傷を負った者までの整理に追われた。


 どれくらい経った後か、滞って対応しきれなくなった頃にその人は戻って来た。以前に港町で見た『最強の傭兵』と一緒に。

再開された治癒の様相は少し違っていた。水が反射しているようなキラキラとした輝きの後に続いて治癒の光で包まれている。治癒後の確認と声かけに近寄ると、患部が清拭されていた。

セアラは驚きに瞠目した。

最強の傭兵は負傷者を抱き上げ移動させたり、優先しろと恫喝する貴族を一蹴したり、煩雑になっていた施療院の中がとにかく円滑に進み、先程までの混迷は何だったのかと思う程だった。

時折二人は小声で何か確認し、その目線が横の誰もいないところに向いている。


(誰かいる…?)


セアラのその憶測が決定的になったのは、次の負傷者の元へと急ぎ立ち上がった際にふらついたセアラを何もない空間が押し返してきたから。

突然の衝撃にセアラは激しく動揺したが、納得もした。

奇蹟の治癒の他に別の術をかけている人が確実にいる。その二つが相まって効果的な治療となっているのは一目瞭然だった。セアラたちの手が空くほどに。


(剣士と魔術師と治癒士…。この人達が本当のサラさんの仲間なんだわ。きっと私たちは面倒を見て貰っていただけ…)


落胆とも寂寥とも憧憬ともいえないもやもやした気持ちを胸に、英雄たちを茫然と眺めているといつの間にかマルスェイも隣で術が展開される様を凝視していた。


「信じられない…。これは、本当に…」



 あと残すはほんの軽傷の者だけとなると、徐に淡い灰色のマントの人が立ち上がった。


「貴方は…導師様…?」

「‥‥。導師は死にましたよ」


セアラの呟きに聞いたことがある声は冷たく明言した。


「待ってください。あのっ、サラ殿は…。サラ殿に会わせて頂けませんか?」


ディネウの前に一歩踏み出してマルスェイが懇願した。


「会ってどうする?」

「その、ひと言だけでもお詫びを…」

「お詫び、ねぇ…。侮っておきながら殊勝な振りをして、つけ込んでまた『大魔術師に会わせろ』とか要求する気か? どこまで利用すれば気が済む?」

「そんなつもりはっ、本当に、ただ…、そのっ、あの…」


ディネウの半眼にすごまれマルスェイはしどろもどろになった。これまでの己の言動を省みれば違うとは断言できない。


「アイツは人が好いからって、俺たちも善人だとは思わないことだな。あんまりオイタが過ぎるとただじゃ済まねぇぞ? あとサラなんてヤツは知らねぇから。()魔術師もな。勝手な名称で崇めるな」

「もう、いいだろう? 放っておいて、行こう」


先程までとは違い、早口で冷えた声。シルエが痺れを切らしてディネウの腕を叩いて急かした。


「あとは施療院の方々にお任せします。皆様、くれぐれも無理せず療養されますように」


コツッと杖が床を突く音が場を断ち切る。背筋を伸ばして、再び威厳のある声音で泰然と語る。

これだけの治癒の使い手を逃したくはない。声をかけようと群がる者の前にディネウが風除けとばかりに立ち塞がり、しっしっと追い返した。

誰も彼らを引き留めることはできず、町には火の消えた後の煤臭さだけが残った。



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