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56 王配を操る影

 ヒタヒタと控えめに近付く足音、さめざめとした泣き声。


――助けて


サラドは朦朧とした意識から頭をもたげた。闇の精霊が待っている。


――好きだと言ってくれるコが閉じ込められて泣いている 助けてあげて


(闇を嫌わない子? それは人? 別の精霊?)


闇の精霊が伝えてくる情報にサラドは納得した。


(その子ならオレの知り合いだ。行こう、急がないと)


サラドは掛け布団を撥ね除け、着替えをサッと済ませると部屋を出た。居間ではノアラが紙を手に悩んでいる。扉を開けて現れたサラドの装備を見て、ノアラは眉を顰めた。


「サラド、まだ休息が不十分」

「それは?」


ノアラが渋々見せてきたのはシルエの書き置きだった。


〈ちょっと王都に行って来る。危なくなったら呼ぶからよろしく〉 


「えー、シルエは何をしに王都へ…」


その時、玄関扉の脇に立て掛けたまま放置され、埃を被っている杖の三日月を模した飾りが不規則な明滅と微かな音を届けた。


「シルエからの救援信号だ」


ノアラが呟き、僅かに眉尻を下げ困った顔でサラドを見上た。


「オレも王都へ」


サラドは準備万端に整えてあり、ノアラに転移を頼みに来たところなのは明白だった。顔の腫れはひいているが、いまだ眼球は赤く濁り、唇も荒れ、まだ手指に変色が残っている。決意したら止められないとわかりつつ、サラドの容態に躊躇い、すぐに実行に移せない。


「頼む。ノアラ」

「…わかった」


サラドが差し出した手を握り、ノアラは転移の術を発動した。



◇ ◆ ◇



 消火活動の指揮を執るディネウの元に来た宮廷魔術師はマルスェイと他二名だった。


「水の術を使える者は三名だけなのか? まあ、いい。できるだけ火の勢いを防げ」

「あの…大変申し訳ないのですが、水の術といいましても火を消すほどの威力はとても…」

「ちっ、使えねぇな。水を引くだけでもいい。水道栓の所へ向かえ」


マルスェイはぐっと下唇を噛んだ。今、宮廷魔術師団の中で最も水の術に長けた者でも、噴射させた水を的に当てるのが精々で、火を消すのならバケツを使った方がよっぽど早い。

山火事に雨を降らせた時の体を巡った魔力を思い出し、じっと手を見る。


(どうしたらあれを再現できる? しかし詠唱すら知らないものなど…)


ディネウの物言いに初老の宮廷魔術師は不機嫌を露わに抗議した。宮廷魔術師団に所属する者は研究者然とした者が殆どで、実戦向きではないうえに年嵩の者ばかりだ。


「傭兵なんぞに従う道理はない。我々をなんだと思っている」

「あん? 知るか! 自分らが住む町も守る気がねぇのか! ならとっとと逃げろ。邪魔なだけだ」

「申し訳ありません! 今、王宮内も予断を許さない状況でして…。水道栓には私が向かいます」


マルスェイは慌てて謝罪した。後ろでは「謝る必要など無い」と吠える声が聞こえる。


「お願いします。お師匠方、こちらの方を敵視するのはお止めください。今は王宮内も町も大変な状況です。お二方は陛下の警護にお戻りください」


マルスェイはヒソヒソと囁き、ぶつぶつと文句を言う二人を帰した。この火事騒ぎの中で尊大な態度を取れば、民意は反感に傾く。それを避けたかった。


 水道栓に来たものの、水を引くとはどうしたらいいものかとマルスェイは頭を悩ませた。水の術は自由自在に水を操れる訳ではない。そんな術も詠唱も知らないし、何より火の術を求めたマルスェイは一度、水の術を失った身だった。

町の基礎が要塞のため、王宮近くは石造りの家が殆ど。鎧戸が燃え落ちた窓からは踊るような火がちらつき、その石の内部が赤々と照らされている。

求めて止まなかった火の力は無情にも人の暮らしを灰と化す。襲いかかる火の勢いにマルスェイは、敵に対して威力があるものは即ち、味方に向けられた際に甚大な被害を被ると、初めて認識した思いだった。


(いけない。魔術に拘らず、火を消すことを考えよう)


頭を振ってマルスェイは気持ちを切り替え、火消しと救援に向かった。



 薄紫色の光がディネウの傍に降る。そこに突如として現われた姿に、マルスェイは目を見張った。藍色のケープ付き外套に鍔広の帽子から金色の髪が覗く。


「大魔術師!」


その姿はすぐに光に霞むように消えてしまったが、直後から燃え上がる火の上に巨大な水の塊が次々に出現し、破裂したようにバシャリと降りかかっていく。火はたちまち勢いを失った。


「…違う。雨を降らせるんじゃないのか…。これが大魔術師の魔術の技…」



 光っては消え、光っては消える箇所を目で追い、指示を飛ばしながら火事場を走るディネウに続くように水の塊が火の猛攻を打ち破っていく。

焼けて倒壊しかけた建物の傍で泣き叫ぶ者がいるのに気付き、ディネウがつと足を止めた。


「ノアラ、俺に水を()っ掛けてくれ!」


一拍の間の後、ディネウの全身が水に包まれた。黒髪が濡れて一層紺色に艶めく。ブルリと一度頭を振り、ディネウはまだ燃える建物に突っ込んだ。大きな梁が焼け落ち、倒壊寸前で飛び出して来たディネウは逃げ遅れた女性を抱えていた。


「ありがとうございます! 何とお礼を述べたらいいか!」

「面倒くせっ、そういうのは後にしてくれ。怪我人は神殿に連れて行け!」


意識を失っている女性には水の清めの術がかけられているが火傷はある。ディネウは傷めないようにそっと女性を引き渡し、また走り出した。


 少し先で一際強い閃光が起こり、波のように打ち寄せて来た。ひと波、ふた波、繰り返し押し寄せる光の波はシルエが張った防御壁まで辿りつく。その光の中に微かな旋律があるのをディネウは聞き取った。

畏怖と畏敬の念、厳かでいて切ない旋律。懐かしい、サラドとの出会いのきっかけになった鎮魂歌。


「…はぁ、これでアンデッドは問題ないか。あとは火事と負傷者だな」

すぐ横から頷く気配があった。


煙の向こうから淡い灰色のマントが近付き手をすっと挙げる。ディネウはその手の平をパシリと叩いた。


「ノアラ、交代。僕は神殿に治癒に行く。救助は引き続き任せたから」

「おう、そっちも頼んだ。結構な数だぞ」

「誰に向かって言ってんの?」

「はっ、貴族も多いぜ。今度は捕まんなよ」


シルエが杖の先端でディネウの腹を突いた。


「いでっ」

「ほら、ノアラが困ってる。二人共、行った、行った!」


シルエが指し示す方向には灰色のマントの背の高い男がいる。ノアラはディネウにボソリとひと声掛けてそちらへ走った。程なくして黒々とした雨雲が湧き、ポツリポツリと滴が顔を打ち出した。

ディネウの元に戻ったノアラは彼の毛皮をクンッと引いた。びっしょりと濡れたそれはずっしりと重い。


「戻った。サラドは王城へ行った」

「おう」


雨だけでは火の勢いが衰えない場所はまだまだある。ディネウとノアラは再び水の塊をぶつけ、逃げ遅れた者を救い、町を染め上げる火の色が消えるまで駆けずり回った。



◇ ◆ ◇



 複雑に入り組んだ隠し通路を女王はぺたぺたと走り続けていた。はぁ、はぁと切れる息で口が開きっぱなしになり、喉の辺りに鉄錆の味が染みる。走るのに適せず、踵の音も響く靴は脱ぎ捨てたため、足裏は傷つき一歩ごとに痛みが襲った。護衛は二名とも途中で王配に排されてしまった。


「指輪を。指輪の元へ」


背中に迫る声は王配のものではない。この声には聞き覚えがあった。忘れもしない、あの眠りに堕ちた王城内で追いかけ回してきた影と同じ。あの時はもう少しぎこちない発音だったが、ぞわぞわとした怖気を体が覚えている。


「追いかけ、追い詰める。フフ…かように鬼ごっこが楽しいものだとは」


女王は何としてでも水鉢の元に行かないように分かれ道を選び続けた。そして、とうとう行き止まりに追い詰められ、守り小剣を取り出し覚悟を決める。


「う…あああ…」


王配の掠れた呻き声に女王は小剣を握る手にぎゅっと力を入れた。


「降参か? さあ、指輪は何処だ?」

「渡さぬ。あれはこの町に、国に必要な守り。余の命に懸けても守り抜く」

「フフ…いいだろう。この体を棄て、お前に移れば済むだけの話だ。さあ、添い遂げると誓ったこの体を刺すがいい」


女王が小剣を自らの首に沿わす。


「うあっ あああ…」


王配の呻き声が血を吐く響きに変わった。


「死んでくれればより操りやすくなるぞ。ああ、この体のまま死んだ王を使い、生ある人間共に命令するのも興が湧くかもしれんな」


女王の手がブルブルと震えた。王配の手が伸びる――


(これまでか、)


恐怖に目を瞑りそうになった時、白々とした剣が目の前で振られ、王配の手を退けた。息を呑む間もなく、握る両手から小剣がもぎ取られる。虹色の光彩を放つ防御壁に包まれ、女王は腰を抜かし、ずるずるとその場にへたり込んだ。


「う…ああ…」


斬り付けられ血を滴らせる手を掴まれて、王配の体はじたばたと暴れている。


「ひとつの体にひとつの魂。掟を破り生者に取り憑く者に告ぐ。我が名はサラド。常世現世の狭間の門を護りし者の盟友なり。亡者の私怨と関わりなき者から退け。浄化の炎を以て在るべき場所へ還れ」


灰色のマント、フードも目深に被り、口元も覆った男が王配の眼前に手の平を向ける。熱のない白い炎が王配の体を舐めるように這う。その光を赤みの強い橙色の目が照り返した。


「フ、ハハハ 残念ながらワタシは亡者でなない。だがこの炎は気持ちの良いものではないな。追いかけっこ楽しかったぞ。またやろう。逃げる側も興味深い。ハハハッ」

「くそっ!」


王配の体を手放した影は残響の中、消えていった。


「う…」


ガクリと伏した王配の手にサラドは治癒の術をかけた。完全に塞ぐことは出来ないが、止血された傷に布を手早く巻く。王配はただ茫然と、されるがまま任せている。「あ…あ…」と呻き声はだんだん小さくなった。

サラドはゆっくりとフードと口を覆う布を外し、女王の前に跪いた。


「お久しぶりです。女王陛下。死んだものと偽ったことお許しください。この先、二度と王都に足を踏み入れることは致しません。ご要望とあらば、国外に退去しましょう。あっ、でも魔物などの有事があれば、その際はお目こぼし頂けると…」


女王より頭の位置が高くならないように可能な限り身を低くして、白髪の頭を下げたままサラドは淡々と語る。最後は少し早口で気まずそうになった。

最後に会った時は二十代の半ば、若者特有の引き締まった体をしていたが、今は肉付きも変わり地に足が着いた印象だ。声も以前より低音で、少し掠れている。


「か、顔を上げてくれ」


女王は床に臀をついたまま手を差し出した。彼女の体の周りにはまだ防御壁が虹色に輝いている。

のろのろと顔を上げ、差し出された手を掬い、口吻を落とすふりをする。何度か登城するようになったサラドに「最低限のマナーを」と教えられた挨拶。十代だったサラドは顔を真っ赤にして照れ、毎回ぎくしゃくしていたが、今は見上げてくる少し垂れた目に色気があった。その穏やかな眼差しは昔のままに。


「違うんだ。サラド、申し訳ない。謝るのはこちらで…。国外追放など馬鹿な。どうか、どうかこれからも友であって欲しい」


サラドは曖昧に、寂しそうな微笑みを返しただけで黙した。二人が立つのを助け、隠し通路から抜け出すまで支えて歩む。


「王配殿下、特殊部隊の者を止められるのは貴方だけです。お願いします」


ぼろぼろで疲労困憊の女王と王配を王城の回廊に送り出すと、すぐにその姿に気付いた騎士二名が駆け寄って来た。ショノアと同僚の騎士だった。


「陛下! ご無事ですか!」

「ああ…」


女王と王配を支えていた腕を外し、騎士に託す。その際にフードを目深に被った男にぼそぼそと耳打ちされ、ショノアは驚いて振り仰いだ。


「負傷者をフロアに集めてくれ」

「っ! サラ…」


フードから覗く白髪、ちらりと見えた橙色の目。唇に指を立てて大声を出さないように促され、ショノアは言葉を呑み込んだ。肩にかかった体重に体勢を整えようと僅かに目を離した隙にサラドの姿はもう無かった。


 王配は部下を招集し、精神の衰弱を押して気丈に振る舞い事態の収束に急いだ。上官を筆頭に特殊部隊の忠誠は王配に捧げられ、女王の命令よりも王配が絶対の存在。影に囚われた王配にあてられ特殊部隊も謀反に加担したが、影が去ったことで正気に戻ると、命令に従いすぐに投降した。

王城内の騒動は小一時間で治まり、王配は自ら牢に入ることを希望した。貴賓牢に入った直後、王配は気絶するように眠ったという。目覚めた折に自害しないようにと手を縛られて。



お読みいただきありがとうございます。


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