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54 王都を狙う影

 王都の牆壁の外側、結界の恩恵に与れない場所。街道とは反対側の陰になる方面、町のゴミ捨て場から広がるように貧民街がある。牆壁に遮られて日照時間も短く、町からの排水で空気は淀んでいる。壁から離れれば離れるほどその生活は厳しい。

そのまだましな方、一応壁も屋根もある荒ら屋で、中年の女性が「ただいま」と笑う少年を笑顔で迎える姿を、ニナはそっと覗いた。

少年は汚れた革の丈夫な前掛けを外す。職人の弟子としてどこかで働いているのだろうか。

にこやかに食事への感謝の言葉を述べる母子。粗末だが食べるには苦労していないのか痩せ衰えてはいない。少年もしっかりと肉付いている。


(こんな…、こんな近くにいたなんて。どこか地方の村で、もう少しまともな生活をしているかと思っていたが…)


「不服か? 528番よ。お前からの仕送りとして生活費を渡しているぞ? 良い子で充分な働きをすれば、壁の内側へ転居もできるだろう」


ニナの心を読んだように上官は言葉をかけた。ニナは横目で見て、また家の灯りの方へと目を移した。


 あの後、上官から任務中のことをあれこれ質問されたが、ニナはショノアともセアラとも馴れ合うつもりはなく、任務報告以外、答えられることはほぼ無かった。

特にサラドについてどんな魔術を使っていたか、どれほどの使い手かと問われても知識が全くないため、端的な答えしか返せない。誘導尋問にも嘘を見抜くことにも長けた上官だが、思ったような情報は引き出せなかった。


(あの男に感化されているかと思ったが、問題はなさそうか)上官は注意深くニナの些細な表情や仕草を観察する。


「落ちこぼれのお前にしては今回は頑張ったな。会いたければ、これからも主への忠義に励め」


 ニナだって『正式な部隊員とし、母と弟の監視を解き、自由にする』という口約束が守られるだなんてこれっぽっちも期待していなかった。「この任務も成功したとは認められないが」と但し付きで与えられた飴は、母と弟の姿を垣間見るだけ。こんなもの結局は裏切ったらどうなるかの脅しで、組織への絶対服従を再認識させられるだけではないか、とニナは下唇を噛んだ。


 王宮の端に位置する訓練施設兼宿舎に戻ったニナは硬くて冷たい寝台があるだけの部屋に戻る前に空を見上げていた。痛む唇を舐め、まだ自分には心が、反骨心が残っているのだと苦笑する。

今夜は曇りで月明かりもない。静かな夜は人の視線も煩わしいお喋りもなく心地良い。


(あの、静かな裂け目の内側に好きな時に逃げ込めればいいのに)


ようやく上官から解放されて緊張から強張った筋肉が弛緩した時、ふとそんな考えが頭を過ぎった。


「呼ンダカ? 娘」


たちまち足先から撫で回すような怖気が這い上がってくる。足下を見ると一層濃い影が起き上がり、ニナの目の前で人を象った。その頭に位置する部分にはニナの父親の顔がある。最後に見た時のままの、歳を経ていない、板に描いた絵のような、のっぺりした顔。


「我ガ種ヲ蒔ク者。愛シイ娘」


腕にあたる部分がニナを抱きしめるように左右に伸び、背中に回された。


「や、やめろっ! 放せ!」


逃げようにも足下でくっついた影が離れることはない。


「可愛イ娘。怖ガルコトハナイ」


父親の顔が張り付いた厚みのないペラペラの影がぎゅっと抱きしめるとニナの姿は消え、残された影が幾筋にも別れて地を這い、疾く去った。


「フフ…。種ヨ。思ウ存分、芽吹ケ。豊カナル土壌デ」



ニナはハッと目を開けた。訓練時に気絶をすると容赦なく水をかけられるが、今は冷たくも息苦しくもない。意識が浮上してきて自身の置かれた状況に注意が向いた。

静謐で心地良い闇。天も地も右も左もない。浮遊感があるが下から支えられてもいる。

そこは、裂け目の内側。

緊張も警戒も解いてだらりと体を伸ばし、うつ伏せから仰向けに寝返りを打つ。


何も見えない宙を虚ろに眺め「もう、このままずっとここにいてもいいのではないか」とニナは思った。

たとえ、ゆっくりとこの体が溶かされるようなことになったとしても。


王都の外、貧民街で母と弟は慎ましくも幸福そうだった。ニナがいなくても、いや、ニナがいない方が穏やかに暮らせるのではないだろうか。今更、迎え入れられる場所などあるのか…。


(わたしがいなくなれば二人が監視されることもないだろう。初めからわたしがいなければ…)


じわじわと心を侵食していく空虚さにポロリと一筋、涙が零れ落ちた。


「いいな。実に甘美な心情だ。愛しい娘、お前のお陰で王都へ潜り込めたぞ」

「っ!?」


ニナはその声に弾かれたように飛び起きた。何の気配もなく、何も見えないが、脳が勝手にニナを気味悪そうに睨んでいる父親の顔を補完する。


「お前は良い子だ。その鬱屈した心は種を良く培養してくれた。そして思った以上にこの土壌は肥えている」

「…何の話だ? 種? 土壌?」

「お前のような貧弱で矮小な存在が、何故あの怪我でも生き延びられたと思う? 過酷な環境でも、血を吐く暴力にも堪えられたと思う?」


父の声は楽しそうに話し続ける。スルッとニナの口元を覆うスカーフが下げられた。


「ワタシの血をその傷に入れたからさ。魔物並みの耐久力は命を繋げただろう? ワタシの血、種は、不平不満、嫌悪、憤怒、嫉妬、怨恨そんな負の感情の土壌に根付き、人の世の力を啜り、我々の住みよい環境に変貌させる。人は欲深いな。少しばかり居眠りをしていただけでこんなにも満ちているなんて」


濃い闇がスルリとニナの左頬を撫でた。


「種を作る傷がなくなって残念だ。ではこちら側に同じようにつけようか」


続いて右頬がスルリと撫でられる。ゾクッと怖気が走り、背中を冷や汗が伝わり落ちた。


「知らない! 種なんて知らない!」

「お前が零した種は先々で魔物を呼び寄せただろう? それに、ここと似た空間も」

「わたし…が、呼んだ…と…?」

「そうだ。残念ながら魔物もまだ力を十分に振るえず直ぐに屠られてしまったが」

「う、嘘…だ…」


声はニナの周りを回るように、右から左から頭上から背後から、耳朶をくすぐる。その方向を追うように目をきょろきょろと動かすが何も捉えられない。


「ここはワタシの領域。血を受け、馴染ませたお前は落ち着けるだろう? 怖がることはない。ここはお前の揺りかご。ゆっくりしておいで。他の者なら数分と持たないだろうがね」

「あ…」


確かにニナはこの横たわる闇が、匂いも刺激もない静けさが心地良い。だが、前にサラドは息も出来ずに苦しんでいた。決して大袈裟ではなかったのだろう。


「お前も見ただろう? 壁一つ隔てただけであの格差。人は不公平が好きなのか? ワタシなら平等だぞ。生まれも、老いも若きも、富めるも貧しきも関係なく、等しく死を与え、平等に可愛い死の兵団にしてやれる」

「い…嫌だ…。わたしは関係ない。望んでない。知らない!」

「ハハハ、お前が望まなくても種はそろそろ王を襲う頃だろう。お前から出た種なら死者ばかりでなく生ける者も操れる! 最高だ! 結界など小癪な物に守られた王と王都なぞ、内乱で崩壊させれば良い。滑稽で愉快な喜劇だぞ。お前も見るがいい」


笑い声は次第に遠離っていき、反して視界は薄闇越しに王都内の騒動を映し出した。


「そんな…」


ニナは暗闇の中で力なくへたり込んだ。




 ニナから伸びた影はこの町で死を迎え、葬儀を待つ遺体に吸い込まれていった。永劫の別れを惜しんでいたところに動き出した亡き人に戸惑うも束の間、そのぎこちなくも攻撃的な動きと声にならぬ呻きは恐怖に陥れる。


「ハハハッ 燃やせ、火を放て! 火が暴れればあの指輪を使わずにはいられまい!」


また、更に伸びて王宮を目指した影は牢に入れられた襲撃者と自害した遺体、その尋問に訪れていた王配へと取り憑いた。


王配の頭の中で声が囁く。


「なぁ、どうだ? 不満なのだろう? ただの一度、しかも王女が言っているだけで本当かどうかもわからない救出。それを妄信し、近くに侍らせ、お前達が調べ、計画を練った施策もあの男のたったひと言が優先され頓挫してしまう悔しさ。わかるぞ。恨め。あの王を排除し、お前がその座に着いた方が国は潤うのではないのか? お前が駄目でも、息子を立て、摂政になれば良い」

「う…ああ…嫌だ…違う…」

「どう違う? あの王は本当にその器か?」

「う…私は…王の…(しもべ)…だ」

「僕? 可哀相に、そう思わなければいられなかったのだろう? 閉じ込めてしまえ、その腕の中に。他の男に懸想などしないように」

「う…あああ…」


唆す声は広がり、本来の王配の意識をどんどん隅に追いやっていく。


「行け! 王を殺せ。今こそ謀反を起こせ。王都に内乱を」

「う…あああ…」


喉を絞って出された呻き声が怨嗟の響きを帯びていく。



「如何なさいました? 殿下、ご気分でも?」


暫く頭を抱え、唸っていた王配に声をかけた部下を払い除け、牢の鍵を開け、中で暴れ回る囚人を解放した。部下達が呆気に取られているうちに女王を襲った刺客と動き出した遺体が襲いかかって来る。


「眠らせてからなど穏便な方法はもう止めだ。さあ、ワタシの元に下れ。死者よ集まれ。弔いの言葉などに耳を貸すな」




 突如、鳴り響いた警鐘に女王は物思いから引き戻された。窓から眼下に広がる王都を臨めば、あちこちで火が上がっている。王城内も騒がしい。


「何事だ?」

「陛下、お逃げ下さい!」


護衛や側近が室内に流れ込んだ。


「謀反です! 王配殿下が特殊部隊を使い王宮の制圧を…」

「…な、んだと…」


ガヤガヤとした音が近付いてくる。要塞の王城は隠し通路も多い。いかに特殊部隊であろうと、王配であろうとその全貌は把握していない。側近は女王と護衛を隠し扉に押し込め、囮になるために自らも移動して部屋の扉を閉めた。

打ち破られた扉を潜った王配は部屋の中を見回したがそこはもぬけの殻。だが、今その体を操る者はその先の隠し通路への扉を難なく見つけ、迷わず進む。


「フフ…。追いかけっこの続きをしようじゃないか…。以前は実体のない影。今度は親しき者の姿。どちらがよりお好みかな? さあ、逃げろ。逃げて、指輪の元に連れて行け」


王配の頭の中に楽しそうに響く声。僅かに残った王配の意識はただ、愛しき妻で敬愛する女王を追い詰めていく様を見ることしかできず、苦悶の唸り声も喉でくぐもるだけ。彼の苦しみも体を操る存在の糧になっているようで、あえて全て排除しようとしない。


狂気の笑い声が暗い隠し通路に木霊した。



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