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52 暗殺者とサラドの攻防

 奇蹟の力による治癒とは違うが、水の術にはそれに次ぐ、清めの力がある。体に籠もる熱を冷まし、病床の清潔を保ち、患部を洗浄・消毒し化膿や悪化を防ぐ術。治癒と併せれば効果は大きい。

ノアラに水の術で傷口と毒と汚れを清浄してもらったサラドはほっと人心地ついた。


毒による目のかすみと舌の痺れの症状が落ち着いたサラドは腕を組んで仁王立ちになったディネウに気が付いた。見上げた彼の半眼は「無茶すんなって言ったよな?」と責めているようで、歪めた唇からは噛み締めた歯が覗いている。


「それで?」

「いや、その…気付いたら体が動いていたというか…。だって、目の前で知り合いが命を狙われたら助けるだろ?」

「王宮はお前に何した? お前の捜索の密命が出てて、勘付かれた後でもあのガキ共の世話するか? 普通?」 

「うん…ほら、ショノアは責任を持って職務にあたってるだけで、紳士だし正直者だし…」

「ショノアって誰だ?」

「あ、騎士の」

「あのボンボンか」


サラドは絡めた両手の指をぐにぐにと動かして、目を泳がせた。


「セアラ…神官見習いの子は真面目で一生懸命だし。ニナ、諜報の子もあれで結構素直で、暗殺とかには向いてないくらい情に篤いし。マルスェイは…うーん、魔術に対して一途なだけでそんなに悪い人じゃないと思うよ?」

「すっかり絆されてんじゃねぇか!」

「あはは…。オレも距離を置かなきゃとは思ったんだけど。でも、やっぱり放っておけなくてさ」


苛々と眉間に皺を寄せ僅かに歯を剥くディネウにサラドがへらっと笑った。ノアラは女王に対して取った行動の緊張がまだ解けず、背中を丸めてドッドッドッと煩い心臓を押さえている。いつも通りの無表情に見えるがやや顔色が悪い。誤解されがちだが、ノアラは心配性で小心者だ。


「まぁ…ね? サラドが関わった人をバッサリ切り捨てるとか、想像つかないけど、ね」

「てめぇは、ちっとは自分のことでも怒るべきだ」

「うん…」

「まぁ、怒んなくてもいいけど、見限るのは必要じゃない? ね?」


 シルエはまだ痩身だが、それでも大分回復していた。隈は残っていても目の落ち窪みは解消し、頬もややふっくらしてきている。奇蹟の力による治癒は術者本人には効果が存分に発揮できないが、ゼロではない。隷属の術から解放され、魔力の制限も解かれた。隷属の術下の負荷がある身で術を行使し続けたシルエの魔力は更に強さを増していた。


「ほら、女王陛下だって背負っているものが大きいだろ。その分責務とかさ、色々あるだろうし。王配殿下だって陛下のこととか国の泰平のことを優先したらオレをころ…邪険に扱うのも仕方ないと思うよ」

「ん? ころ?」

「とにかく、あのガキ共の元には戻る必要はないからな」


ディネウがガシガシと頭を掻く。


「軽く魔力切れも起こしているでしょ。毒の拒絶反応もまだあるし。今は休んで」

「…そうするよ」


へにゃっと笑うサラドは、ディネウに溜め息を吐かれ、シルエに眉尻を下げられ、ノアラにこくりと頷かれた。


「あ、そうだ、ノアラ、上着どうだった?」


 ノアラが着ている藍色の外套は随分前にサラドが用意したものだった。服装に無頓着なわりに以前の魔導着に愛着を持ち、ぼろぼろになっても手放そうとせず、なかなか日の目を見なかったが、今回ようやく下ろすことができた。

ノアラは襟周りにサラドが施した刺繍を指先で辿り、ほんのりと口元を緩めた。同系色の糸で刺されたそれは目立たない。刺繍というほど立派で緻密ではないが、不規則に並んだ文様は精霊に習ったお守りのようなもの。今のノアラには気休め程度の効果しかないが、古びた魔導着に拘っていたのはその刺繍ゆえと知ったサラドは用意していた服にも施した。


「気に入ったみたいで良かった。サイズもぴったりだね。思った通り似合ってるし」

「あー、なんか、ずるーい」

「シルエのも用意したよ。外套掛けに、淡い灰色の」

「えっ? 本当に? やった!」

「ほら、もうそういうの後にして、寝ろ。お前らも出ろ」

「ちぇー」


ディネウに押されてシルエとノアラが部屋から出て行く。サラドは給仕の服を脱ぎ捨て、全身を水で清め、洗い晒しのシャツに着替えた。毒の排出を促す薬草茶を飲み、寝台に身を投げる。


(王宮はその後どうなっただろう。ショノアたちに何も咎はないといいけど)


押し寄せて来る取り留めもない考え事を遮るように精霊の声が割り込む。


――休め、休め

(…うん)

――眠れ、眠れ

(おやすみ…)




 部屋から出たシルエはディネウの肩をガシリと掴んだ。


「この間は誤魔化されたけど、どういうことか話してくれる? サラドの身に何があったの? 女王はサラドに執心してたんじゃなかったっけ? 度々呼びつけていたよね? ね?」 


シルエの目はにこやかなようで、その実は静かな怒りを湛えている。


「お、おう…。落ち着け」




 〝夜明けの日〟の後、シルエが神殿に招かれ、蔵書の閲覧許可を取り付けて、客室も用意してくれるという話に乗り掛かり、


「それなら時間を気にせず本を読めるし。十日くらいでここ(ヽヽ)に詰め込んでくるから」


『ここ』と言いながらシルエは自信満々にこめかみをコツコツと指先で突いた。


「大丈夫、心配しないで。その間、みんなも好きなことしてよ、ね?」


大見得を切ったのに、十日経ってもシルエは神殿から出てくることはなく、訪問してもサラドもディネウも門前払いだったのだが。

シルエはその話をされて苦々しく顔を歪めた。


その間の出来事。


 ディネウはかねてより再び訪れたかった場所、王都や聖都の遙か北、背後にそびえる山脈の麓にある湖へ行くことにした。一緒に行くというサラドに


「あー、照れくさいし。いいよ。ひとりで行く」と断った。


湖はディネウの初恋の相手であり永遠の恋人が眠る場所だ。それを知っているためサラドも彼を快く送り出した。


 ノアラは以前見つけた古代の魔術師の屋敷に行くという。サラドは共に行き、ざっと掃除を済ませた後、王都から召還命令の書状を受け取っていたことを思い出した。ちょうどノアラが遺跡の観察と調査から復元した水道設備の提案もしたいと思っていたので、応じることにした。


「サラドは臣下ではないのに?」

「まぁ、文面はそんな感じだけどね、その辺ももうちょっと話しておかないとかな…」


ノアラは王宮側がサラドを臣下扱いしていることを心配していた。王族の招きは命令の文書となる。


 数日の登城であらぬ噂を広められ、立場が危うくなったサラドを暗殺者が襲った。追っ手を撒いて常宿にしている宿に忍び込んだサラドは宿の主人と女将さんを守るためにも自分を捜している者が来たら「単なる客の関係なので知らないと言ってくれ」と念を押し、急ぎ逃げ出したように見せかけるためにも荷物を残して去った。

王都を離れても暗殺者の追撃は止まない。暗殺を命じられた者は捕縛すると秘密の保持のためか自害してしまう。試しに依頼主の元に戻るように術をかけてみたが、その後どういう仕置きを受けたかはわからない。途方に暮れたサラドはこれ以上の被害を出さないためにも死んだと偽装することにした。


 王都のすぐ近くの街道脇で暗殺者の前にわざと姿を出し、殺害が成功したように幻術をかける。今回の刺客は前回までの者より腕が劣るようで幻術にもすぐ引っかかり、武器を手にしたまま信じられなさそうにしていた。首を持ち帰ろうとすれば直ぐにばれてしまうので、続いて人が近付いたように思わせる。

サラドは切り取った髪の一部と、王宮の門の通行証となるものとして貸与されていた紋章入りのブローチを手渡した。ブローチの裏には『特別な友人 サラド』と刻まれている。

通りがかった人が死体に気付き、弔いを始めたように見せると、刺客は証拠の確保を諦めてその場を去った。


暫くは潜伏して、どう情報が回っているか探っていると、サラドの死は王女に伝わり、その傷心ぶりは痛ましいものだという。


(悪いことしたかな。でもこうでもしないと…)


数名の兵と王女の従者らしき者が現場へ向かった様子に追いかけると、土を掘り返していた。当然どんなに掘っても死体などない。横たわる赤みの強い茶髪の男の幻影を見せると、怖々ながらも何かを探している。しきりに装飾品を気にしているようだったが、生憎ブローチはもう暗殺者に渡してしまった。他に彼を特定する持ち物も無いためまた髪を切って渡した。

それで一応、サラドの死は確定となったが、関所や他の町の街門でも王配の配下による監視は続いていたため、以降は髪を黒くしてなるべく身を潜め、王都には近付かなくなった。


それが事の顚末だ。



「いや、暗殺者を仕向けるのを邪険って…そんな甘いものじゃないでしょ。ちょっと王城潰して来ようよ?」

「国を傾けることをしては駄目だと。サラドが」

「俺らも人前で名前を呼ばないようにしたり面倒だったんだぜ。顔の印象を薄める操作をしていたから何度も一緒に仕事をしている傭兵にも毎回『初めまして』とか言われててさ。なんか憐れだったけど、サラドはそれでいいって言うしよ。一応、傭兵たちには俺の兄弟ってことにしていたけど」

「うわぁ、『いいよ』って言ってるサラドが目に浮かぶ…」


シルエが目を覆うように顔に手を当てた。


「…それで、町や村の水道事業も担ったっていうの? 一作業員として?」

「まぁ、予算とか、傭兵や貧民や難民を雇用したり、作業員の宿舎や食事のことなんかも女王に話はつけてあって、各領主にも通してくれてたからさ。ノアラは人前に出たがらねぇし」

ノアラがギクリと肩を震わす。

「バカなの? どこまでお人好しなの? …でもそれが兄さんだからなぁ」


シルエはガクリと肩を落とした。


「僕はさ、この命をサラドに拾われて生きてる。神殿の件は本当に迂闊だった自分が憎たらしいけど。僕が知らないところでサラドの命が危険に曝されているのとか、許せないんだよねぇ。特に人の計略によってなんて言語道断だよ?」

「おう…ブレないな、良かったよ、昔のまんまのシルエで」


ディネウはポソリと小さい声で「怖ぇけど」と付け加えた。ノアラも急激な寒気にブルリと体を震わせた。


 サラドは精霊の声を聞いてはあっちへフラフラこっちへフラフラと突拍子もなく移動する。一緒にいる側にも振り回される覚悟がいる。その覚悟と彼を支える力を持っているとシルエは自負していた。なにより一緒にいることが喜びでもある。より強い力を求めて足を掬われたのだが。


「うーん、やっぱり魔術を使えるようになりたいな。今回だって不可視も転移もノアラが頼りだったし」


転移の術もノアラの魔術とシルエの奇蹟では少し違う。ノアラが座標軸や陣を組み込んだ魔道具の先など比較的自由度があるのに対し、シルエの方は人の生活圏内、大きな建物や街門など指標となる場所という制約がある。


「比べちゃうとちょっとずつ不便なんだよなぁ」


ぶつぶつと呟き、深い思考に沈みそうになった目をシルエはパチリと開けた。


「サラドがあの若者たちを気に掛けるのは元来のお人好しもあるけど、諜報の子に問題があるからだよね」

「あのちっこいヤツか?」

「魔物が広い範囲で同程度に発生していないのは何でだと思う?」

「あー、そうだよな。なんか、こう、この辺だけでぐるぐるしてるもんな」

「彼女…魔物を生む媒介にされている。サラドはきっと彼女を救おうとするだろうね」

「あん?」


ディネウは眉間の皺をより深くした。



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