51 女王と王都の過去
女王は別室に移動し王配と側近を残し、人払いをした。
「…どういうことだ? あの人…サラドは九年前に亡くなったと。嘘だったのか」
「いいえ、私たちもそう思っておりました」
「では、何故、給仕などしているのだ?」
「…彼は、『魔王』探索の任を担った宮廷魔術師の代理でして、本日も臨時で給仕として会場に滞在してもらいました。その…あの男の死には疑問も残っていたため、密かに捜索は続けていたのですが、その彼が同一人物ではないかと報告がありました故」
「待て。話が見えない」
九年前、女王はサラドが遺体で見つかったという報告に打ちひしがれた。彼は平民で要職どころか王宮勤めですらない。公に喪に服すことはできないが、それでも死の色を一部身につけ、華美な服や贅沢な生活を避ける程には彼女にとって一大事だった。
そもそも彼との出会いは二十年近く前に遡る。
終末に向かいゆく世にあって王都は古代の守護魔法、結界によって魔物の被害から免れていた。
王都は古代の要塞の遺跡、結界の他に『戦の篝火の加護』がある。それ故、王都中、灯りの火も竈の火も炉の火も途絶えたことはない。その堅牢な守りに胡座を掻いていたのも事実なのだろう。
その加護の要は代々王を継承する者にのみ伝え守られてきた『火の力を封じた指輪』で、これも古代の魔道具である水鉢の中で保管されていた。
当時、王女であったが一人娘である彼女に父王はこの指輪の存在を告げ『いざとなったらこの指輪を守り、逃げよ』と伝えていた。
ある日、王女は普段波一つ立たない水鉢から水が溢れそうになっているのに気が付いた。底では指輪がカタカタと踊るように揺れ、警鐘を鳴らすような速さで光が明滅している。
何かの凶兆かと恐ろしくなった王女は咄嗟に指輪を水鉢から取り出し、己の指に嵌めてしまった。
その瞬間――火の消えたことがない王都中の火という火が消えた。
火は力を与え、命を繋ぐ力。
火と共に人々の息遣いも消えた。
王女は王宮中を駆け回り、従者や使用人を揺すったが、息はあるものの眠ったように動かない。灯りや暖炉や厨房の竈を覗いて見ても火は燻る炭や灰すらなく、また新たに点けることも出来なかった。
王宮を出て王都に下ってみたが同じ有り様に茫然自失となった。
王女はたった独り取り残された。
その時の彼女には知りようもなかったが、知恵と魔力を持ったほぼ人と同じ見た目の魔物――魔人がこの加護の力を欲して策を巡らしていた時機と重なった故の惨事だった。
その魔人は眷属化したアンデッドを操ることに長けていて、頑強な身体や膂力は無い。王都へは結界に阻まれて入れないが、その魔術を潜り込ませる術を画策していた。
王都中の人間を眠らせたまま死に至らしめれば、ほぼ無傷のアンデッドの軍団が作れる。時間はかかるが多大な戦力を得られ、上手くいけば町ごと手に入り、ここを拠点に更に侵攻していくことも可能だ。
その為には結界が邪魔だった。結界の力を削ぐために地力である『戦の篝火の加護』を奪い、それを掌握すれば自身をも増強できて一石二鳥。要の指輪を狙っていると、王女がそれに気付き水鉢から力を解放した。一時的な力の揺らぎに王都は魔人の術に堕ちた。
誤算は王女が指輪を持って逃げ回った事。指輪を嵌めた王女だけは術にかからず眠りに落ちなかった。
王都の外から操った影を動かしても王女はなかなか捕まらない。それでもあと数日もすれば、人々は衰弱死して眷属となり意のままに動かせる。王女から指輪を奪うのも時間の問題だと高を括っていた。
そこに、四人の少年が現れ、王都内にばかり気を取られていた魔人はあっさり敗れた。
月明かりしかない暗闇の中、王女は何かしらの手がかりを求めて走り回っていた。夜になると不気味な影が王宮内を徘徊し、見つかると追いかけて来る。寝静まった町の殺伐とした光景に身が竦む。昼間は命を脅かす存在もなかったため、厩や倉庫の隅などで震えながら僅かばかりの仮眠を取った。
二晩が経ち三日目の昼、眠り続ける人々に焦りばかりが募り、階段下の僅かな隙間に身を潜め、心細さと不甲斐なさに泣きそうになっていた時「大丈夫ですか」と手を差し伸べてくれたのがサラドだった。
『王は人前で泣くことなどあってはならぬ』と教えられてきたのに、その時彼女はぼろぼろと泣き崩れてしまった。サラドは穏やかに宥めすかし、自然と落ち着くまで泣かせてくれた。
サラドは王女よりも幾つか年下に見え、まだ少年ぽさの残っているが、頼りがいがあり甘えを許してくれる包容力を持ち合わせていた。サラドの他にやんちゃそうな剣士と人見知りの少年と旅に出るにはまだ子供といえる年頃の少年、合わせて四人。皆、孤児で兄弟のように育ったという。
彼女が王族と知った時は萎縮していたが、友人のように接して欲しいと告げるとにっこりと打算のない笑みを返す。ちらりと見えた八重歯がより素朴な人柄を際立たせていた。
四人の協力で王女の孤独な戦いは終わりを告げた。
サラドは王女が指輪を保護していて良かったと言ってくれた。彼女こそが王都を窮地に陥らせたのではなく、彼女が取った行動で最悪の事態から免れたのだと。それだけで二晩の恐怖と悔恨から救われる想いだった。
魔人は既に退けられており、あとは人々を眠りから解放するのみ。眠りの術下にありアンデッドへと変貌させる呪いのような術を解いたのも彼らだ。悪夢を忘却させるため深い眠りへと誘うように、照れながらもサラドは子守唄を歌い続けてくれた。その子守唄に子供のような少年が白く輝く術を乗せていく。
王女が水鉢に指輪を戻すと、魔人の術の影響が消えた王都の火は甦り、人々は順々に目覚めていった。
かくして王女以外の誰も王都が危機に瀕したことを知らぬまま、人々は目覚めると奇妙な夢の記憶と空腹と渇きに喘ぐという体験をした。
縁が結ばれ、災害や魔物被害からの救済が喫緊で必要な場所をサラドたちが進言してくれるようになった。それは文や使者をたてることが殆どだったが、招きに応じて彼自身が訪れることもあった。父王に具申し、指定された地域に技術者や兵を重点的に派遣、時には民を移住させて支援していくと、それが功を奏して被害は抑えられ、国力はなんとか維持された。
王女は国中どころか国を跨いで飛び回るサラドの訪いをいつしか心待ちにするようになっていた。
彼は友人。
少なくともサラドにとって彼女は友人でしかない。悲しいかな、それははっきりと感じられた。
相次ぐ災害などで延期していた王女の婚姻もこの事件をきっかけに一気に進められた。夫となる王配は以前より王家のために力を尽くす信頼のおける幼馴染みだ。親愛の情はある。
それとは別の、胸をざわめかす淡い感情に王女はそっと蓋をした。
そうした交流を経て〝夜明けの日〟を迎えた慶びに、サラドを王宮に招き、労いも兼ねて逗留を勧めた。
ちょうど彼からも都市の再建に関して取り入れて欲しいという提案があり、連日のように意見交換がされた。
その際に、つい「従者になってくれないか」と零してしまった。彼を縛り付けることなど誰もできはしないのだと、これまでの付き合いで知っていたのに。
返答は想像した通りに「身に余る光栄ではありますが」という断りだった。残念に思いながらも「どうかこれからも良き友であって欲しい」と願い出て、サラドも快諾していた。
その数日後に、彼の訃報を聞くことになるとは露とも思わなかった。急ぎ王都を去ろうとして街道脇で事故に会ったのだと報告され、少しの遺髪が届けられた。
王宮内に客室を用意すると言っても律儀なサラドは王都の宿に泊まり、そこから通ったため多くの兵や使用人の目に触れた。王宮勤めとは異質の存在に興味をそそられた者は多い。
王宮の中でサラドとの仲を勘繰って愛人だなどと噂されているのは知っていた。またサラドが何者か知らず、王女の寵愛を付け狙う卑しい者だと貶されている事も。
当然、不義などはなく、褒美を出すと言っても受け取らないようなサラドが国庫を食い潰す贅沢をする筈もない。確かに大きな予算が動く事業の話ではある。地方の領主にも負担を強いるが、未来を見据えて必要な取り組みで、私腹を肥やすなど誤解も良いところだ。
たかが使用人のお喋りに目くじらを立てるなど詮無きことと放っておいたのがいけなかったのか。
命令してでもサラドを王宮に留めておけば死なずに済んだのでは…、頭の中がぐるぐると後悔で渦巻いた。
それから九年。
数ヶ月前、息子の第一王子も十七歳を迎え、譲位も視野に入れて準備していかなければと考えていた折、女王は水鉢に微かな揺らぎを発見した。指輪に異変は見られないが、小さな、ほんの小さな細波がたっていた。
あの日の失敗を繰り返さないためにも、どんな些細なものでも凶兆はないか、魔物の気配はないかを探らせ、得たのが『魔王』の噂だった。
その真相を掴むべく、英雄たちに擬えて各地へ視察をと指示したのだが…。
「余は彼らが地方をくまなく巡り、事情をよく伝えてくれたことを指したまでだ。誰が容姿と能力の似た者を選べ、などと言った?」
女王は呆れて、頭が痛いというようにこめかみに手を当てゆるく首を振った。
側近から、サラドが宮廷魔術師の代理に選出された経緯から順を追って説明させ、既に受けていた報告ではなく、実際にショノアが提出した報告書に目を通した。
「魔物の報告が上がっていないようだが?」
「お耳に入れるほどではないと判断いたしました」
「何のための視察だと思っている?」
「しかし、地方では魔物の目撃は年に数回は報告があります。此度もその対処は任務に当たる者のみ、もしくは傭兵で事足りたということは、」
「地方のそれは森の中などで大きな獣を見た話だろう! 町の側でなど考えられぬ。魔物の種類もだ! しかも討伐にあたったのは英雄だぞ。もし彼らでなければ」
バシリと書類ごとテーブルを叩いた女王は一度言葉を切り溜め息を吐いた。
「余はこの国を、民を守らねばならぬのだ。そのために指示したものをお前らは余の道楽だとでも思ったのか!」
側近は平身低頭で「申し訳ございません」と声を小さくした。女王はここまで黙していた王配に視線を投げる。
「魔術師殿が『お前が知っている』と言っていたのは何のことだ?」
黙秘する王配に女王は「余に秘密事か?」と凄むが、合わされた視線が逸らされることはなく、無言の応酬が続いた。先に、ゆっくりと瞑目し口を開いたのは女王だった。口角が苦笑で弧を描く。
「余は何も知らず、愚かに、ただ守られていれば良い、と言うのだな」
「‥‥。申し訳ありません。九年前のあの男の死因は事故ではなく、暗殺によるもの。何名もが失敗に終わっていますし、その実、死亡もまんまと騙されていたわけですが」
「暗殺…? 指示したのは、まさか、」
王配は静かに首肯した。
「何故! そんな愚かなことを。彼らがどれだけこの国に与してくれたと…」
「あの頃はまだ国が、世界が乱れ、王家の治世も盤石ではありませんでした。王位継承間近の時期に王女の醜聞は致命的です。貴女はこの国にとって絶対の存在です。貴女を脅かすものがあるのならば、それを排除することを私は迷いません。仮令、それが英雄であっても。いや、英雄だからこそ民意は動く。あの男は危険因子でした」
「…それだけか?」
女王の含みのある追及に王配はふわりと柔らかく笑みを浮かべた。
「私が嫉妬に駆られたとお考えなら、それを想定してくださったということこそが私にとって喜びでしかありません」
女王はピシリと王配の頬を平手で打った。
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