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50 牢の中で

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「陛下、こちらへ! 早く」

「いや、だが…」


 王配と護衛に守られて女王は王宮内に避難させられた。虹色の防御壁は既に消失している。後ろ髪を引かれるように振り返れば、芝生の上に寝転がる男に兵士が押し寄せていた。庭園にいる園遊会の招待客である貴族達も近衛や騎士たちに保護、誘導されている。


礼服に身を包み、会場に潜んでいた特殊部隊の上官は落ちている武器をスッと拾い、チーフに包んで懐に隠した。芝生に残る跡や兵士に拘束されている男を観察する。


(此奴はまさか! 自害はしていない…か。昏倒させられている? この給仕は臨時の…。あの男か。あの場で我ら以上に速く反応して動くとは、やはり只者ではないか。だが毒でもう幾ばくも無いだろうな)


倒れてピクリともしない貴族の(なり)をした男と、ぐったりと項垂れゼイゼイと息を切らす給仕に目を馳せ、上官は冷静に状況を判断していた。



「待って! サラさんっ! 駄目…」


後ろ手に拘束され引っ立てられるサラドの姿にセアラが叫ぶ。ショノアたちも駆け寄ろうとしたが、兵士たちに阻まれた。


「どうしよう…。どうして…こんな…」


戦慄くセアラを余所にサラドは連行されてしまった。どう見ても保護などではない様子に不安が胸に押し寄せて来る。


「サラさんは助けに入ってましたよね? このまま申し開きもできずに処刑なんてことはないですよね?」


セアラに詰め寄られてもショノアには無責任に慰めの言葉など言えなかった。



 ニナが逃げた者を追い詰めて切り結んだ時、相手は自害を果たしてしまった。口から血を流して地面に倒れた男はニナと同じ立場の人間だろう。使用していた殺傷力の高い武器もよく似ていたし、微かに感じた毒の匂いも記憶にある。即効性の高いものに違いない。

兵士が追いついて来るのを察し、死体の回収などは任せることにして、ニナは急いで取って返した。特殊部隊所属を示すものは一応所持しているが尋問などされては面倒くさい。武器だけはうっかり触れるだけでも危険な毒が塗られているし、その成分の解析から所属を割り出せる可能性があるため鞘を奪い、持って戻った。


(掠り傷でも負えば毒が体に取り込まれる。あいつは無事か――)


走りながら上官にサラドを「好機があれば殺せ」と命じられていた事をニナは思い出し、ゾクリとした。


(狙われたのは陛下ではない? いや、それではいくら何でも場所とタイミングがおかしい。考えすぎだ)


ニナが庭園に戻った時にはサラドは連行された後で、セアラが泣いていた。ショノアは顔を青くして狼狽えている。マルスェイは呆然としていた。

「ちっ」ニナは庭園で警戒にあたっている上官の視線を感じ、舌打ちした。


 兵士に囲まれ、別室に移動させられたショノアはじめ四名は軟禁状態にあった。


「捕らえられたサラ殿には女王陛下殺害の嫌疑がかけられているのだろうな。行動を共にしていた我々にも。少なくとも手引きした、と。参ったな」

「はぁ…、誠心誠意、真実を報告するしかない」

「サラさんは処刑されるなんてことはありませんよね? ねぇ?」

「…毒が回っている可能性がある。もう手遅れかも」


ニナが珍しく報告以外で自ら口を開いた。


「そんなっ 早く解毒を! でも…私の奇蹟の力では無理だわ…」


セアラはオロオロと部屋の中を彷徨きだした。祈るように手を組んだり放したり忙しない。


「セアラ、落ち着いて。我々にはどうしようもない」

「マルスェイ様は黙って! 貴方なんか嫌い! サラさんを悪く言ってばかり…」


今までの不満をぶつけるようにセアラが叫び、驚きにマルスェイが差し出した手をビクリと引き、目を見開く。


「…死んだ方が都合がいい者もいるんじゃないのか?」


ニナが横目にショノアを見た。膝に肘をついて両手に顔を埋めるようにして俯いていたショノアが僅かに視線を上げた。


「どういうことですか?」

「…それは、言えない…」

「任務ですからね。上の許可無しに軽々しく口にできないことは多いものですよ」


今度はマルスェイがニナを見る。扉の前には兵士がいる控え室で四人はギクシャクしたまま、指示があるまで過ごした。



◇ ◆ ◇



 突き飛ばすように牢に押し込められたサラドはそのまま冷たい床に転がった。穴が二つ空いた板の手枷を嵌められて、自由は奪われている。組み合っている際に吹きかけられた毒は神経毒で、殺傷力はないものだったが、目がかすみ匂いを感じず舌が麻痺している。掠り傷を負った手と、靴先の針が太腿を少し刺したため脚が痺れて感覚が無い。傷周りの皮膚は変色し、その範囲が広がっていく。


(毒を…抜かないと。水の精霊を…水がないと…)

「み、み…ず…」


サラドの掠れた微かな声に気付いた看守は面白がって「おーい、水が欲しいってよ」と笑い、バケツの水を格子の外から打ち掛けた。


「っ! う…あ…けほっ」


掛けられた水を払うことも出来ず、水浸しになった床に顔をつけサラドは力なく瞼を伏せた。


(水の精霊よ、助けてくれ。毒を抜いてほしい)


床を濡らしている目の前の水面が波紋を揺らしピョコッと動いた。サラドの身体を滴る水が傷口や目鼻口から毒を吸い出し、ビチャッビチャッと吐き出す。毒と一緒に吸い出された血が床を汚していった。少しずつ、少しずつではあるが確実に毒を抜いていく。下位の水の精霊たちはサラドを労り撫でるようにその顔に滴り続けた。

毒による急激な発熱が、体を濡らした水を湯気に変えている。意識が朦朧とし、燃えるように熱いのに体はカタカタと震えだしていた。


(まずい…毒を抑えきれない…)


襲撃対象を即死させるよう調合された毒は、動植物が保身や攻撃のために身につけているものよりも強い。過去に何度も魔物の毒に冒されることで耐性を得ていて、知識も持ち合わせているサラドでなければとっくに死に至らせていたはずだ。



『ねぇ、サラド、彼らを許すの?』


幻聴かと思う程、冷え冷えと静かで微かな声が耳に届いた。


(シルエ…)


「ん? 今、何か光ったか?」

「おい、奴さん、震えているぜ」


 暗い牢屋を刹那照らした淡い暖かな光に看守は振り返ったが、床にぐったりと伏すサラド以外は目に入るものはなく、すぐに通廊へ顔を逸らした。睨め付ける殺気にも気付くことはない。

ノアラの術で姿を不可視にしたうえで、サラドの元に転移させてもらったシルエは解毒の術で瞬く間にサラドを癒やした。


「苦しいと思うけど、発熱と拒否反応は少しだけ続くよ。今回の毒はかなりキツイから、熱を無理に治すと体の器官に却って損傷が残るし。もうちょっと堪えてね」


姿は見えていないはずなのにシルエはサラドと目が合っている。


「そんな熱っぽい目で見上げても、ね。サラドが許しても僕は許さないよ。もちろんノアラもディネウも」


のろのろと微かにサラドが首を動かしたことで髪がピチャと音が立てた。「ダメだ」と言いたそうだが舌はまだ麻痺しているらしい。首を振ることも出来ず、熱に浮かされた目は虚ろだが、訴えるようにじっとシルエに向けられている。


「今度は僕らがサラドを攫うから」


少し離れた場所に吐き出された血溜まりを見てシルエは目を細めた。そこに含まれる毒を試薬として小さな瓶に確保する。


「水の精霊もありがとう。もう毒は抜いたよ」


見えないし聞こえない精霊に対してシルエがお礼を言い、サラドがゆっくりと瞬きをする。ピチョン、ピチョンと跳ねていた水が静かになった。そこにはもう汚れた水があるだけ。


「おい、さっきからうるさいぞ」

「その男を牢から出せ」


極力潜めてはいるが石造りの牢屋では殊の外シルエの声は響き、それをサラドが呻いていると勘違いして咎めた看守の声と、通廊から指示する兵士の声が響いたのはほぼ同時だった。


「ほら、立てっ!」

「…う…あ…」

「うわっ 何でびしょ濡れなんだ? 汚ぇな」


ポタポタと髪や服から水が垂れているサラドを二人の兵士が無理矢理に引き摺り出して両脇から腕を掴んで連れて行く。サラドはひょこひょこともつれる足を動かした。シルエは乱暴に扱う兵士に殺意が湧いたが今はぐっと我慢をし、後に付いていく。


 サラドが連れてこられた先には女王、王配、側近らが並び、その背後に護衛や近衛が複数名控えている。壁際にはショノアたち四名が固唾を呑んで事の次第を見守っている。

急遽、絨毯と椅子を置いて設えられた謁見の場の中央に突き出されて床に伏したサラドを兵士が槍の柄で小突き、両膝を着いて座らせる。両脇の兵士が交差させた槍でサラドの顔をグイッと上げさせた。


「ひっ」と息を呑み、セアラが両手で口を塞いだ。

ポタポタと水が垂れる髪は乱れ、顔は腫れて口元には血が滲み、目は虚ろ。苦しさに引き千切ったのかシャツの胸元ははだけ、土埃で汚れた衣服はところどころ破けている。


「いっ、今すぐ彼を解放しろ! 医者を呼べ!」


女王がガタリと立ち上がり、叫ぶ。


「誰がっ 誰が彼にこのような仕打ちをした? 責任者は誰だ!」

「しかし、此奴は陛下を襲った罪人では」


女王の怒りに周囲の者は戸惑った。


「彼は余の…この国の恩人だぞ」


 女王の声は突如室内に響いた霹靂に打ち消された。耳をつんざく音に塞いだ手と眩い光に眇めた目をそろそろと開けると、サラドの両脇にいた兵士は弾き飛ばされて、その隣には別の人物が立っていた。


 藍色の、ケープ付きの脹脛まである丈の外套は腰をベルトで締め、そのスラリとした体型を強調している。背丈はそれほど高くないのに大きく見えるのは均整の取れた体型のためか、醸す雰囲気のせいか。立て襟の金具を閉めているので顔は目元しか出ていないが、紫色の瞳が鋭くも美しい。鍔広の帽子からは金色の髪が流れている。


「大魔術師…」


 マルスェイがポツリと呟いた。

大魔術師の代名詞でもある雷の術。袖口や裾の擦り切れた魔導着姿ではなく、三日月の杖も所持していないが、金髪に紫の瞳の容姿は吟遊詩人の覚え書きに即している。

人嫌いでいつも姿を隠しているという、その人が。

会いたくて、教えを請いたくて、熱望は膨らむばかりで、方々手を尽くして探し回っても手がかりさえ得られなかったのに目の前にいる。

それも決して良いとは言えない状況で。


 女王の護衛も近衛も兵士も、室内にいる誰もが雷鳴と共に現れた不審者に武器を構えるのがやっとで一歩を踏み込めずにいる。槍や剣の切っ先は威圧感にプルプルと震え、今にも下げてしまいそうになっていた。女王は慌てて手で制し、叫んだ。


「退け! 攻撃してはならぬ!」


大魔術師、ノアラがスイッと指先を動かすと、サラドの手枷の板が彼を傷付けることなく燃え落ちる。金具がガチャリと音を立てて床に転がった。


「とんだ失礼を。誤解なんだ。決してこのような扱いをするつもりはなく…」


慌てて謝罪する女王に臣下は困惑する。たとえ非があろうと王が容易に謝罪などしてはならない。


「誤解? 一度ならず二度も、利用して棄てようとは」

「…二度、とは?」

「しらを切るのか?」


ノアラの目線が女王から隣の王配に向いた。その眼力にあてられ王配がビクリと体を震わせる。


「その男が仔細を知っているだろう。吐かせてやろうか」


ノアラの腕が天に掲げられ、指先からピリッと小さな稲妻が放出される。


「だ…ダメ…だっ!」


サラドが体を伸ばし、ノアラの雷を帯びた手に掴みかかった。中途半端に発動した雷の術がサラドの体にビリビリと走った。


「うぐっ」

「…サラド?」

「オ…レが…オレが勝手に、したこと…だから…。陛下は、…誰も悪くないんだ」


ガラガラの苦しそうな声でとつとつと訴えるサラドの背中にノアラが手を伸ばした。


「‥‥。とにかく、彼は返して貰う」


薄紫色を帯びた光が室内を覆い、再び視力を奪われているうちに二人の――正確には三人の姿は跡形もなく消えていた。


「なんてこと…。彼らに仇なすなんて」


女王は力が抜け、ドサリと椅子に体を沈め、額に手を当てた。



 その頃、王宮の門からギリギリ咎められない距離にディネウは大剣を担いで仁王立ちになり、門兵と睨み合っていた。

門兵も『最強の傭兵』のことは当然知っている。

近寄って「何かご用向きが?」と聞いても、ただ睨みを利かせる威圧感たっぷりのディネウに業を煮やしていた。

庭園では園遊会が開催されているはずで、ただでさえ警備はピリピリしている。


「ご用がなければ立ち去られよ」

「道に立っているだけだぜ? っ! …あー、もう用はねぇよ。邪魔したな」


かと思えば急にディネウはガリガリと後頭部を掻き、身を翻して去って行った。


「何だったんだろう?」


王宮内で起こっている騒動など知る由もない門兵は顔を見合わせて首を捻った。



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