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49 園遊会にて 狙われた女王

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 若い吟遊詩人は大舞台に武者震いした。

聖都の迎賓館に駄目元で押し掛けて紹介を貰えた先が、まさか女王陛下だとは思いもしなかった。

顔を囲う薄布は様々な色をはらんで陽にきらめいている。マントをさっとつまんで広げ、優雅に見えるように礼をする


「そこの吟遊詩人は、ここにいるケントニス伯爵夫人に変わった(ヽヽヽヽ)詩を披露したと聞く。ここでそれを歌ってくれるか」


陛下に命じられ否と言える者はいない。

ここで認められ評判となれば、その後は引っ張りダコとなるのが確実な大舞台だ。

若い吟遊詩人は「落ち着け」と自分に言い聞かせ、すうっと深く息を吸い込んだ。指先が震え、一音目が綺麗に響かなかった。


 サラドはグラスを回収する振りをしながらテラスに近付いた。

若い吟遊詩人は意気揚々と『魔王』の詩を歌い上げている。その内容は前回よりもまた少し誇張を強めたようだった。

女王陛下は表情を変えていないが、周囲の者には少なからずの動揺が走り、ちらちらと陛下の顔色を窺う様子が見られる。


楽器の音が止み、吟遊詩人は仰々しく礼をする。会場はしん、と静まり返っている。誰ひとり拍手も囃し立てることもしないことに、吟遊詩人は不安を抱えながら頭を下げ続け、陛下から賜る言葉を待っていた。


「その詩は其の方の創作か? 何かを模倣した、或いは特定のモデルがいるのか」

「あの…」


一切揺らぎのない女王陛下の表情からはどう答えるのが正解なのか導き出せない。鷹揚ではあるが低く抑えている冴え冴えとした声には威圧感がある。

会場の冷えた空気、貴族達の訝しがる表情に若い吟遊詩人は自分がしくじったのだと察した。


「答えよ」

「申し訳ありません。実は…師の走り書きから着想を得たものです。完全な私の創作ではありません…」

「詩の人物は知らぬと言うのだな」

「はい…存じません」


陛下が目配せすると後は側近が引き継いだ。


「十年以上前になるので其の方は知らぬのかもしれないが、英雄の活動の妨げとならぬようその名、容姿を広めることはしてはならぬ、また悪意を植え付ける風刺をしてはならぬとした通達がある。虚構と虚偽をさも真実としてうそぶいてはならぬ。以て、その詩は封じること。皆、この詩を忘れ、広めぬこと」


会場内の全員が一斉に礼を執る。頭を下げつつ、隣の親の顔色を窺っている若い貴族令息、令嬢も散見された。


「え…、この詩は禁止事項に触れるものだと仰るのですか?」


側近は吟遊詩人を冷めた目で睥睨しただけで明言はしなかった。


 吟遊詩人は青ざめた。これでは師匠と同じだ。もう、きっと誰も自分に詩を依頼しなくなる。吟遊詩人として生きていくことはできない。



 師匠は英雄の詩をたくさん作った人物で、その低くて太い声で戦記を歌い上げると迫力があった。

英雄を讃えた詩が評判となったことで、去るお方からの依頼を受け、英雄の後を追うように各地に赴き、人々から目撃談を集めていた。その途中で、村が魔物に襲われて孤児となった彼を「良い声をしている」と褒め、引き取ってくれた恩人である。


しかしある時、あの通達があり、詩の多くが歌えなくなった。同業者からも「度を超したからだ」と批判された。

それでも、師匠は英雄の足跡を辿った。〝夜明けの日〟を迎えると、多くの資料が差し押さえられ、何もかもを失ったと師匠は項垂れた。たまたま見つけたあの書類束は見落とされたものだったのだろう。


英雄の目撃談集めの旅が終わりを迎えた後、曰く付きとなった師匠に詩の依頼をする者はなく、失意のまま病に倒れた。


 若い吟遊詩人もまた、これで貴族からは依頼されることがなくなるだろう。あの白髪の給仕はこれを示唆していたのか…、と後悔しても手遅れだ。今にも目の前が真っ暗になりそうなのを必死に堪えた。


「では、この詩はなかったことに。其方はどんな詩が本来は得意なのだ? 一曲弾いてみよ」


陛下の思いがけない言葉に、下唇を噛んで打ちひしがれていた吟遊詩人はゆるゆると顔を上げ、「それでは僭越ながら」と弦を掻き鳴らす。前奏中になんとか指の震えを抑え、落ち着け、落ち着けと心の中で繰り返した。

庭園の明るい雰囲気には似つかわしくないが、甘い声で情感たっぷりに歌い上げる悲恋の抒情歌に会場の人々は魅せられた。歌い終わりには今度は暖かな拍手が贈られた。若い令嬢が目をキラキラさせている。


(良かった――)


 拍手の中心にいる人物、歌いきり、先程とは違って丁寧な礼をする吟遊詩人を見て、サラドはほっと胸を撫で下ろした。そっと女王陛下を窺う。威厳のある佇まいの陛下は側近に何か耳打ちされ、ふっと口元を緩めていた。


 若い吟遊詩人はぎくしゃくと控室に戻ろうとした際にあの白髪の給仕を見かけた。給仕は遠くから指先をきっちりと揃えた手を胸に当てて彼に会釈してきた。その心底ほっとしたような目元と微笑みに、本当にただ吟遊詩人として今後も在れるか懸念してくれていたのだと知った。

受けの良い詩にすることが優先で、登場人物は『誰か』などではなく、人ですらない扱い。それによって傷付いたり、損をする者がいるなど想像もせず、尊重する気持ちなど持ち得てなかった。

己がのし上がるためには、他を貶したり蹴落としても当然だと驕っていた我が身を彼は恥じた。

帽子を取り、離れた場所で給仕の仕事中のサラドに吟遊詩人は精一杯、恭しく礼をしてからその場を辞した。


 会場では楽団がお喋りを邪魔しない和やかな曲を奏で始めている。先程の騒動など無かったように雰囲気が塗り替えられていた。



「お咎め無しとは。良いのですか」

「…懐かしい夢を見たのだ。あの人は余の、まるで吟遊詩人を利用だけして捨てたようなやり方を悲しそうにしていた。あの時ももっとやりようがあったのかもしれないが、世が乱れ、求心力も落ちていたからああするしかなかったが」


『あの人』と呟く女王がふと甘い表情をしたことに王配は眉を顰めた。


「失ったものはあまりにも大きい。魔術師殿もあの人亡き今は手を貸してくれることもないだろうが、火の粉がかからねば文句も言うまいよ」


女王は自嘲気味にゆったりと目を伏せた。



「吟遊詩人の件はサラとしてはあれで良かったのだろうか」

「サラさん、帰って行く吟遊詩人さんに微笑んでましたから大丈夫だったのでは?」

「あんな衣装まで用意して、サラ殿は何故そんなにも吟遊詩人を気に掛けていたのだろう? 『魔王』の詩に憤っていたようなのに」


 給仕中のサラドとは庭園に出てから話せておらず、セアラは時折その姿を目で追っていた。吟遊詩人の件が一件落着してショノアもマルスェイも少しだけ緊張の糸が緩む。

端に控えているショノアとマルスェイの元にも貴族達が挨拶に訪れに来る。談笑する彼らの間に挟まれてセアラは慣れない場にカチコチに固まっていた。

そのセアラの前に立ち頭を下げてきた者がいた。年配の男性はじっと頭を軽く下げた姿勢を保っている。戸惑っているとマルスェイがそっと耳打ちしてくれた。


「信奉者は神官や見習いの方を見かけるとこうしてご挨拶くださいます。短くていいのでお祈りの言葉を唱えると喜ばれますよ」


セアラはこくこくと頷いて、あまり引き留めてしまわないように抜粋した祈りの言葉を唱えた。年配の男性はにこりと微笑み握手をし、その手をずらしてセアラの袖口に何かを滑り落とした。驚くセアラに苦笑したマルスェイはまたそっと耳打ちする。


「中にはこうして『お布施』を渡す者もいます。断るのも相手の面子を潰しかねないので常識の範囲内の額なら受け取って大丈夫ですよ」


セアラは目を見開いて、握手をしたままの男性に「では、子供達のために有り難く使わせていただきます」と囁き微笑んだ。男性は満足したように人々の輪に戻って行く。


「セアラは本当に清廉潔白な見習いさんだね」


マルスェイがくつくつと笑っている。世間知らずなのを笑われたようでセアラは俯き、ちょっと口を尖らせた。 




「今回の報せをもたらしたのはあの者達か」

「左様にございます」


 女王は会場の端に控えた三人を、明るい陽の元では黒ではなく濃茶の髪の騎士と金髪をきっちり結い上げた神官見習いと銀のように淡い金髪の宮廷魔術師に目を遣った。


(ああ、あそこに赤い髪の彼がいれば…)


懐かしい思い出の姿と、その三人の姿が重なって見え、女王は目を細めた。


「…ふむ。少し話を聞いてみようか」

「お待ちください。陛下自ら向かわれなくてもこちらに呼んで参ります」

「よい。庭も見てみたい」


側近は慌てたが、女王は既に椅子から立ち上がり、王配がエスコートに腕を差し出した。この園遊会のために庭は咲き誇る花で彩られ整えられている。輝くばかりの大輪の花や小さくも群生した花は女王の治世を称えているかのようだった。

ショノアたちの場所に行き着く前に女王は何度も足を止め、その度に人々に囲まれている。ショノアたちの元に従者が呼びに向かうのを目で追った時、女王はふと一人の給仕に視線を留めた。

見慣れぬ白髪だが、あの横顔、少し垂れた目、赤っぽい橙色の瞳、その柔和な笑み――。


「サラド…? いや、まさか、」


急に向きを変えて歩調を速めた女王に王配も側近も護衛も慌てたが、直後に響いたカシーンと金属が擦れ合う音に息を呑み、身を硬くした。

女王は目を見張った。突然、目の前を塞いだ二つの影、盾になるように覆い被さった王配の肩越しに見えたのは、白髪の給仕の頭で、飛ぶように迫った武器を盆で防いでいた。


「きゃあ!」


グラスが落ちて割れる音が響き、それにドレスを汚された婦人が悲鳴を上げた。ブワリと突風が渦巻きサラドの周りから人を遠退ける。強風によろめきながら、乱れるドレスや髪にきゃあ、きゃあと悲鳴が響く。草葉を巻き上げる風の真ん中では、サラドが貴族の(なり)をした男の武器を握る右手をギリギリと掴んで動きを封じつつ、もう片手で袖口に偲ばせていた投擲用の小さいナイフを投げた。


「うぐっ」

「っ! 追ってくれ!」


人混みに紛れていたもう一人が、ナイフを受けて逃げ出す気配にサラドが叫ぶと、植え込みからニナがサッと飛び出し、走り去る影を追いかける。目にも留まらぬ速さで二つの影は近寄ったり遠離ったりしながら会場から消えた。

威嚇のためか攪乱のためか、組み合うサラドの顔めがけて毒が吹きかけられた。後方への被害を考え、避けることなく受けたサラドの顔に直後、テーブルから飛んできたグラスの酒がバシャリとかかった。それに驚いた男の一瞬の隙をつき、足を払って押し倒す。武器は落とされたが、その際に手に掠り傷を負った。

組み敷いたサラドを弾き飛ばそうと男も力を振り絞る。靴先で何かがキラリと光った。



 浮遊感の後、体に衝撃を感じた女王が目を開けると、天幕の下、絨毯敷きの上に尻餅をついていた。瞬きほどの時間でテラスまで引き戻されている。女王を背に庇う王配と二人まとめて虹色の光彩を放つ防御壁に包まれていた。


「陛下! ご無事ですか?」

「ああ、なんともない」

「賊か? 不届き者が!」


王配が立ち上がろうとしたが、女王が小さく震えていることに気付き、再び守るようにぎゅっと抱きしめた。

今さっき女王がいた場所では人々が避けて、円形にぽっかり空いた真ん中で給仕が貴族の形をした男を組み敷いていた。その傍には武器が転がり、押さえ込まれた男の靴先に仕込んだ針が給仕の太腿を刺そうとしている。


『眠れ』


息を吐くような声を耳にして急にぐったりと無抵抗になった男を放し、サラドもふらりと地面に伏した。



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