48 園遊会にて 吟遊詩人の説得
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広い庭園には幾つものテーブルが設置され、色とりどりの菓子が並べられていく。忙しく動き回る使用人によって園遊会の準備は着々と進められている。テラスには日よけの立派な天幕が張られ、絨毯敷きに豪奢な椅子が二脚並べられており、女王陛下がお出ましになることを明示していた。
「サラさん、その…、えっと、お似合いです」
「そ、そう? 何か粗相をするんじゃないかと気が気じゃないよ。緊張する」
「サラさんも緊張するんですね」
セアラがくすくすと笑った。給仕の衣服で、整髪油でぴっしりと後ろに撫でつけた髪型のサラドは黙って立っていれば、白髪も相まって、堂に入った使用人にしか見えない。それでも脇の髪が一筋、ピョコンと跳ねていた。
セアラも今日は普段着より数段良い布地が使われた、誂えの良い祭事用の神官見習いの格好で薄く化粧も施されていた。
「セアラも良く似合っているよ。ちょっと大人っぽくなるね」
控えめな色の紅を差してもらい、桃色に艶めく唇を指さされ、頬紅以上に顔が赤くなったセアラは困ったように微笑んだ。ショノアは騎士の、マルスェイは宮廷魔術師の正装をしている。ニナはいつも通りだった。
「サラは何で、給仕なんだ?」
「その…、客人として扱うと言われましても、分不相応なのでお断りをしたのですが。そうしたら、では給仕に扮しては、と提案されまして」
「ははっ。サラ殿、お似合いですよ」
王宮で開催の〝夜明けの日〟より十年の祝いを前にした園遊会で失敗があっては困るということで、今日までサラドは姿勢や礼儀作法を叩き込まれていた。あとは表情がうっかり崩れないように注意を払うだけだ。
お茶のワゴンを押していたサラドは控え室の前で立ち止まり扉をノックした。「ど、どうぞ」という言葉に入室すると、そこでは件の若い吟遊詩人が楽器の調律と指慣らしに勤しんでいる。
サラドは彼の前に軽食と飲み物を配膳した。
「どうぞ、喉に良いお茶をご用意いたしました」
「あ、ありがとうございます」
お茶は果物の甘い香りにスゥーと清涼感のある後味。
サラドは園遊会前に何とか吟遊詩人と話ができないかと、ショノアやマルスェイに頼んでいた。見覚えのあるマルスェイの姿に入室して来たのが紹介先の人物ではないことを知り、吟遊詩人は緊張を解いた。
「あの、差し出がましいようですが、英雄の詩に禁止が出された過去はご存知ですか?」
吟遊詩人は怪訝な顔を白髪の給仕に向けた。吟遊詩人をしていてそれを知らないでは済まされない。
「悪いことは言いません。今日は歌わずに…このまま帰って頂けませんか」
「待て、サラ、勝手なことをしては…」
慌ててショノアが止めようとするがサラドも退かない。吟遊詩人は顔を険しくした。
「貴方の『魔王』の詩に元となる作品があるのなら、今日はその詩は避けて…。それが難しいようでしたら、せめて貴方なりの解釈を抜いた、元に近い詩を歌われる方がよろしいかと存じます」
「なぜそんなことをせねばならない? 私はあの詩が認められここにいるのに」
「貴方のためにならないからです」
サラドは吟遊詩人とマルスェイに視線を順に送り、確認するように頷く。黙秘しているが『魔王』の詩が完全な虚構の創作物ではないことはマルスェイが知っている。薄い青色の目を細めたマルスェイの顔はより鋭く見えた。
「いけない。女王陛下のお考えに反しては。彼だって断れるはずがない」
ショノアは吟遊詩人に聞こえないようにサラドに耳打ちした。歌わない、という選択をするのは確かに現実的ではない。それはサラドにもわかってはいる。
「では、貴方個人を特定されにくくしましょう」
「何故だ? 私がこの詩で成功するのが妬ましいのか」
「違います! ただこの先、貴方が歌えなくなるようなことになりはしないかと…」
「何故歌えなくなるんだ? 私は今日ここで絶賛されるはずなのだ」
「過去、詩に苦しまされた者も、詩を奪われた吟遊詩人も助けられなかった…。今回はそれを避けたいのです」
緊張と興奮で気が立っているのか、吟遊詩人は聞く耳を持たない。少しでも問題が大きくならないように、と願ったが彼には通じないようだ。
「ふーん、では今ここでお前の歌を聞かせろ。そうしたら少しは考えてもいい」
控え室から早く追い出したい気持ちもあって、恥を掻かせてやろうと吟遊詩人は下手に出ているサラドに尊大な態度をとった。
「え…? いや、わたくしは歌唄いではないので…」
サラドがその提案に怯むと、甘い声と歌唱力には自信がある吟遊詩人もニヤリと笑った。
「その…サラさんの子守唄、素敵でしたよ」
セアラがオドオドと口を挟んだ。それに気を悪くした吟遊詩人は楽器をぎゅっとサラドに押しつける。
「さあ!」
「…お借りします…」
たどたどしく弦を弾くサラドの指使いに吟遊詩人はフフンとせせら笑った。
ゆったりとした郷愁のある旋律。ほんの少し嗄れた低めの声で歌われる子守唄は決して巧みではないが温かみがある。次第に心が凪いでいき、うとうとと眠りに誘う――。
セアラが目を覚ますとサラドはポロンポロンと楽器を弾いていたが、歌ってはいなかった。
「ひゃっ! ごめんなさいっ。うっかり寝てしまって…」
慌てるセアラにサラドが微笑み、ゆるゆると首を横に振った。辺りを見回すとショノアもマルスェイも吟遊詩人もうたた寝している。柱に背を預けて立つニナは起きているのか寝ているのか判別しにくい。
「わぁ…皆さん眠っていらっしゃる」
「みんな疲れていたのかな。セアラはさすが神官見習いだけあるね。目覚めが一番早い」
「何がですか?」
サラドはまたにこっと微笑んでそれに対する返答はしなかった。今、弾いている曲は先程の子守唄ではないが、でもどこか懐かしい旋律だった。
「聞いたことがあるような気がします…」
「これは村祭りの曲。かなりテンポはゆっくりになっちゃってるけど。オレは参加したことがないから楽器はあまり練習したことがなくて。下手で恥ずかしいよ」
「ああ、どうりで、懐かしい感じだと思いました。私の村ではこんな感じでしたよ」
セアラは村祭りで皆が輪になって踊っていた曲を鼻歌で伝えた。子供の頃に父に肩車をされて聞いた記憶がある曲。後半になると夫婦や恋人同士は輪から離れて二人で踊り出す。父と母も手を絡ませクルクル楽しそうに回っていた。
サラドが「こんな感じかな」と一音一音、弦を弾く。
「ゆっくりになると印象が違いますね。とても懐かしくて、ちょっと切なくて」
「そうだね」
サラドはとちったり音を外したりしているが、その度に照れて笑うと左に八重歯がちらりと見える。郷愁を誘う曲に目を合わせて微笑み合う、穏やかで幸せな時間にセアラは陶酔した。
サラドの演奏にセアラもラララ…と声を合わせ出すと、マルスェイが「んん…」と寝ぼけ眼を擦り、顔を上げた。
「さて、そろそろみんなにも起きてもらわないとね」
サラドは楽器を吟遊詩人の脇に置き、それぞれを揺すって起こしていく。セアラは特別な時間の終わりを残念に思った。
皆、眠ってしまったことに動揺している。結局サラドの歌がどうだったか記憶に薄い。
「う…嘘だ。子守唄で眠ってしまうなど…」
一眠りしたことと、眠った姿を見せるという醜態を晒したことで吟遊詩人は毒気を抜かれ、サラドの提案を一部呑むことにした。
「こういった薄布で髪と輪郭を覆い、衣装もこう、派手にして神秘性を演出してみるとかはどうでしょうか」
サラドは上着の内ポケットから透けた美しい染め色の布をスルリと取り出し、ふわりと吟遊詩人の頭にかけ顎元でゆるりと結ぶ。鮮やかな羽根飾りのついた帽子と、物語を描いた柄のマントをワゴンの下段から取り出した。マントには刺繍もたくさん入っていて豪華だが見た目ほど重くない良い品だった。
「これは…?」
吟遊詩人を鏡の前に誘導したサラドは「どうです?」と問うように頷く。戸惑いつつも、まんざらでもないように吟遊詩人は鏡の中の自分に見惚れた。元々の服装は旅向きの地味な色合いでパッとしない安物だったが、帽子とマントが加わると目を引く姿になり、実力も割り増しして見えそうだ。
「吟遊詩人の詩の禁止の誤解を解きたいのです。でもある程度の規則は必要でしょう。どうかそれを良く考えてください。ご協力いただけませんか」
確かにこの格好ならば貴族の前に出ても見窄らしさはない。頭に掛けられた薄布は美しい曲線を描いて目元を覆っているが視界は良好で、視線が泳いでしまっても隠すこともできる。目と輪郭を布で覆っただけで印象がガラリと変わる。別人と見紛う程に。
吟遊詩人は鏡越しにサラドを見た。白髪の給仕姿はぱっと見ただけではもっと年配者に見えるが思ったよりは若い。説得しようとするその真摯な目は、吟遊詩人を騙したり貶めようとする表情には見えなかった。
「…じゃあ、これはお借りします」
「差し上げます。上手くいったら、その後も着用するなり売るなりお好きにしてください。もし、危険だと感じたら脱ぎ捨ててお逃げください」
「危険? 逃げる?」
サラドは真剣な顔で頷いた。吟遊詩人はいち給仕が何をそんなに心配して、かつ自分に良くしてくれるのかわからなかったが、とりあえず頷き返した。
園遊会の会場である庭園に着くとセアラを挟んでショノアとマルスェイの三人は端に移動し、サラドも給仕の位置につく。ニナは植え込みに身を潜ませていた。
◇ ◆ ◇
「目は確かに橙だな。だが、どうだ? 似ているか?」
「判然としません」
「今日までの様子は?」
「要望は『洗濯したいので水場を貸して欲しい』『食事はもっと軽くして欲しい。できれば厨房を貸して欲しい』の二つだけ。『豪華すぎて寛げない』とも。古参の者とも引き合わせてみましたが、反応を示した者はおりません。給仕の躾と称し監視してみましたが素直に従い、不審な行動もなかったということです」
「…別人か」
女王の側近と文官は遠目にサラドを観察しながら、そう判じた。
生きていたとしても、九年もの歳月があれば相貌が変じていてもおかしくはない。それに当人だとすれば王宮にいながら顔色ひとつ変えずに過ごし、ボロを一切出さずに済むだろうか、と。
「あの騎士の若造がどこでそう判断したのか、後で問うてみましょう」
「あとは陛下が気付かれるかどうか、だ。それとなく近付けろ。警備は万全で、な」
「御意」
◆ ◇ ◆
女王陛下と王配殿下が到着すると園遊会会場の全員が礼を執った。王配殿下の斜め後ろには第一王子殿下、第二王子殿下、王女殿下も控えている。第一王子殿下は十七歳になる青年で、終末の世の最中に生まれたため剣術にも力を注いでいる文武両道。末の王女殿下は八歳で王配殿下に良く似た容姿をしている。未成年の第二王子殿下、王女殿下は挨拶が済むと会場を後にした。
女王陛下の装いは庭園に相応しく明るい色味で露出は少なくレース使いが上品なドレスだった。豪華さや優美さよりも堅実で毅然とした王はそのまま堅牢な要塞の王宮と印象が重なる。
四十手前の女王陛下は背筋もピシリと伸び威風堂々と座し、その反面で母の面差しも備えていた。
(あの頃はまだ王女様だったけど、立派な王様になられたんだな…。王子殿下も立派に成長されて)
サラドは九年振りに見た女王陛下の姿に目を細めた。
すました顔を保ち、なんとか給仕の仕事をこなす。聞き耳を立てるが、お喋りの中に『魔王』なんて言葉は飛び出してこない。魔物に関する不穏な話も知っているもの以外にはなかった。
園遊会には十五歳の成人を目前にした年頃の令息、令嬢も一部、招かれているようだが、大人達に倣い挨拶について回っている。同じ年頃の者と集まりたくてそわそわしている者もいたが、ここは礼節を学ぶ場でもあるので今のところは大人しく親に従っているようだ。
女王陛下と王配殿下へ挨拶をする貴族達の列が一段落すると、ケントニス伯爵と伯爵夫人がテラス下に控えた。明るくて聞き心地の良い楽団の曲がピタリと止み、刮目するようにと上げた側近の声が響く。