45 マルスェイと魔術
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若手の商人が火口に苦労しているとマルスェイがサラドに「手伝って差し上げては?」と声を掛けた。
サラドは言われるがまま、剥いだ木の皮の繊維を揉んでふわりと置き直し、商人の手を取り火打ち石と金属板の角度を修正する。サラドの指導に従い若手の商人がカチカチと打つと火はあっけなくついた。
「おや、魔術は使われないのですね。火をつけるのはお得意なのでは?」
「それでは彼の練習にならないでしょう?」
サラドは首を傾げた。急いでいるわけでもないし、道具がないわけでもない、魔術を使うまでもない作業だ。つまらなそうに「ふんっ」と鼻を鳴らしてマルスェイは別の作業場に向かった。
商人だけあって、持ち合わせている食材は良い品や変わったものがあった。サラドは山林の町で調達しておいたものと合わせて体が温まる食事を作ることを提案した。塩漬けにされた肉を細かく裂いたものと地方で使われている酸味のある調味料、水煮にして保存されていた木の新芽、ヌメリのある芋を使ったスープは好評を博した。
食事も終えて、和やかな中、マルスェイは商人たちにどういった商品を扱っているのか、どの地域に販路があるのかなどを聞いている。共通した地方の話題を見つけると、情報の交換をして盛り上がっていた。
宮廷魔術師団の存在を知る者は少なく、魔術など眉唾だと思っている者も多い。マルスェイは話題の糸口を見つけては積極的に宣伝活動を行っている。あわよくば支援者に、また魔術師を志す者を増やしたい、と。
「私は宮廷魔術師でして。魔術は皆さんの生活を守り豊かにする力を秘めています。それを研究しているのが我らが宮廷魔術師団です。是非、魔術の力の素晴らしさを知って頂きたいのです」
マルスェイは咲いている花をプチリともぎり取ると花びらをばらけさせて手の平にのせた。
「風の術を応用して花吹雪をご覧頂きたいと思います」
意気揚々と片手には杖を持ち、花びらを掲げる。マルスェイが紡ぐ詠唱の言葉を聞いてサラドは嫌な予感がした。これは風の刃で敵を切り裂く術だ。止めるべきかと躊躇しているうちに詠唱は結ばれた。
(風よ!)
サラドは咄嗟に風の精霊に呼びかけ、口をすぼめて息を鋭く吹いた。矢のような速さと的の小さな突風が起こり、マルスェイに向かう。
案の定、マルスェイが発動した術のひとつは上空に消え、ひとつは地を削って土埃を起こし、ひとつは術者であるマルスェイに迫ったが、間一髪、サラドが向かわせた風と相打ちになり刃は失せた。フシュッと音をたて、そよ風に変わって皆の頬を撫でる。
刃は自然に消えたか、急に逸れたものだとその場にいた者の目には映った。
マルスェイは反射的に体を反らしていたが、刃に巻き込まれ切られた髪がパラパラと舞う。花びらは地に落とされていた。
「…お、お見苦しい姿を晒しました。少々失敗してしまいまして」
つーっと垂れた冷や汗を袖で拭い、気を取り直すようにマルスェイが明るく取り繕う。
和やかな雰囲気から急転した出来事に商人たちは言葉を失い、引きつった愛想笑いを浮かべた。セアラは両手で口元を押さえ目を見開いたまま固まり、ニナはすっと目を細め、ショノアはあんぐりと口を開けていた。
「何故、人の傍でそんな術を? 巻き込む危険性もあるというのに」
「少しばかり制御を誤っただけですよ」
サラドの苦言にマルスェイは憮然と答えた。サラドからすれば、制御の利かない術をこんな至近距離で放つなど無謀でしかない。
「風だけを起こすのかと思えば攻撃の術だなんて…」
「風だけを? そんな術など聞いたこともない。貴方ならできるとでも? ではやってみせてください。さあ、さあ」
「魔術は見世物じゃない。それなら奇術にするべきだ」
「そんなこと言って。できないのでしょう?」
挑発するようにマルスェイがニヤリと笑うが、サラドはただ落胆したように目を伏せた。
「マルスェイ、今のは貴殿が悪いように思う。それに…」
割って入ったショノアに不機嫌も露わのまま、キッと睨んできたマルスェイの腕を掴んで端に連れて行く。
「マルスェイ、何故あんなにもサラに突っかかるんだ? 詳しくは話せないが俺は彼を王都へ…その、案内しなければならない。険悪になるような真似は止めてくれないか」
「…。何か上から指示があるということですか。わかりました。ここは大人しく引きましょう。実力ある者が弱い者を虐めるなど滑稽ですからね」
「だから、なぜサラを敵視するんだ? 宮廷魔術師の代理となったのが気に食わないのか?」
マルスェイは目の前の実直な騎士に目を眇めた。
騎士団が宮廷魔術師団をどのように扱っているかは知っている。この男も上司や同僚が言うままを信じているだろう。まずは王宮内の関係性を改めなければならないが、拗れに拗れた間柄はひとり奮闘してもどうにもならない。外堀から印象を変えようと彼なりに必死だった。
宮廷魔術師団の結成を許してくださった陛下に報いるためにも。だからこそ宮廷魔術師の自分が魔術師として活躍しなければならない、と気負っている。
「彼はいわば力も無いのにその役を押しつけられた者ですからね。本来は宮廷魔術師団としても誠心誠意、謝罪すべきでしょうね」
謝罪と口にしながら悪びれもせずマルスェイは肩を竦めた。
報告書によればサラドはマルスェイが望んでも会得できなかった火の術を使える者、そのくせ魔術の大成に取り組まず弓を武器にしている。軽い嫉妬がマルスェイの心に潜んでいた。
「…ちなみにだが、前にも同じ事を? もしかしてその顔周りの髪は…」
「ああ、前にもちょっと失敗して髪が切れた。揃えては貰ったが見苦しいか?」
「いや、少々、その、個性的で珍しい髪型だな…と。それにしてもよく怪我をしなかったな」
「怪我ならしたが大した裂傷ではない」
騎士団も演武は行う。それと同じなのかもしれないが、その場に居合わせただろう者にショノアは同情した。魔術を披露すると言われ、術者本人が傷を負う惨事を目にしたら、魔術に対しての恐怖心が植え付けられるだろう。
それにしても瞬時に避けるために動いた速さと身のこなし、体幹は鍛えた者のそれだった。マルスェイは今でも剣を握らせればそれなりに強いであろうに、と残念に思えた。
翌朝、いつものように朝の祈りを済ませたセアラと鍛錬に勤しむショノアを起き出した若い商人にニヤニヤと見咎められ、ショノアは「誤解だ」と言い募った。困惑して顔を赤くする二人は「お邪魔しました」と揶揄され疑惑は深まるばかりだった。
「違うんです。私、ショノア様とは本当に何もなくて」
「うん? そうだろうね」
「サラさんはそんな風に思っていない?」
「一緒にいた限りではそうは見えないし…。でも厄介な噂には違いないね」
困ったように微笑むサラドにセアラはほっと胸を撫で下ろした。
王都へ向けて馬車はひた進む。
街道脇は草地か木ばかりで代わり映えがなく退屈な道のりだった。
――…たい
頭を掠めた声にサラドは馬車から顔を出して空を振り仰いだ。
一瞬、何かが光ったような。
「すみません。馬車を止めていただけますか?」
「どうした?」
「いえ…、胸騒ぎがして…」
馬車は速度を緩め、近くの馬車避けで停車した。サラドは急いで馬車から降り、光ったと思われる方向に目を凝らした。黒い煙が空に昇ったのはそのすぐ後だった。
「山火事か?」
黒い筋をたて昇る煙はあっという間に数カ所に増えた。尋常ではなく火の気が早く回っている。
――帰りたい
今度はしっかりとした声がサラドに届いた。間違いなく精霊が助けを呼んでいる。
王都と聖都の間には森に埋まった遺跡がある。研究者の見立てではそこが古代王国の首都だったという。墜ちた都とも呼ばれ、森の中に基礎となる石や窪んだ剥き出しの土台が点在している。立地も地形も悪くないのに開墾されず、町が再建されなかったのには訳がある。
曰く、迷って奥に行き着けない、夜な夜な恐ろしい声を聞く、土台を調査して戻った者が次々に熱病に伏した、などなど。
それは遺跡ゆえに何らかの魔術が働いているためと結論づけられ、人智を超えたものに逆らうことは止め、その森から手を引くことにした。
研究者にとっては畏怖と憧憬の土地だ。
火の気はその森の入口付近、迷って出てこられなくなることを恐れて人々はあまり近寄らない所だった。この季節、その背後にある山脈からは風が吹き下ろす。手前には集落もある。鎮火されないまま風で火の粉が迫ったら、ひとたまりもない。
「ショノアさま、申し訳ありませんが…。わたくしは行かねばなりません」
「待て! 山火事など、人ひとりの力ではどうにもならない。行ってどうする? それよりも村人の避難を…」
「手前まで、そこまででも構いません。様子を見るだけでも行かせてください」
「ひとまず村までは行こう! 避難させなければ」
御者を務めている兵士を近隣の町へ協力を仰ぎに向かわせ、足の速いニナにも別の町の衛兵に報せに行って貰い、ショノアたちは火の気が最も迫っている村の方角へ急いだ。途中で最低限の家財道具を荷車に積んで逃げる村人ともすれ違い始めた。
「急げ! 街道まで行け! 衛兵に保護を要請してある」
ショノアが誘導しているうちにサラドはどんどん奥へ進んで行く。
「待て! サラ!」
「私が追おう」
マルスェイがショノアに言い残してサラドを追った。もう熱風が感じられるくらいに火は近い。
生木が燃えて黒い煙が空を覆う。パチパチと騒ぐ炎。下草に小さい火が走り大地が黒く染まっていく。
時々、跳ね上がるように橙色の炎がブワリと空に舞う。
――帰りたい 道はどこ?
あの大きな炎は自然発火したものではない。サラドはそう確信して人の声ではない声で呼びかけた。
(火の精霊よ。ここへ。オレはあなたを助けたい)
大きく舞い上がった炎が小さくなって燃える木の陰に落ち、サラドに歩み寄って来た。