44 帰路
助詞の修正、読点の追加をしました
広場からは牆壁が邪魔をして、虹色の防御壁が魔物を下へと押し遣るところまでしか見えなかった。
ぷっつりと力が途切れたようにセアラは腕を下ろして繰り返し唱えていた祈りの言葉を止め、ぺたりと臀をつく。それと同時に棺に立つ光の人形はすうっと消え去った。セアラの額には玉のような汗が浮かび、ふうふうと荒く息を吐いている。
牆壁の向こうからギャッギャッギャッと耳障りな鳴き声が響き、少しの静寂の後、勝鬨の雄叫びが聞こえた。
「助かっ…た?」
ぴくりとも動かなくなった魔物と眷属、取り零しがないか空を確認し、自警団が「おおー!」と声を張り上げ、互いに健闘を称え合う。サラドやショノアに対しても遠慮なく軽く肩を抱き、背中をバシバシと叩いていく。
数人目でショノアはハッと我に返り、震える手を押さえた。無我夢中だったが今更ながらに恐怖と緊張が襲ってくる。
(倒せた! 今までで一番思うように体が動いた)
己の成長が感じられ喜びを噛みしめていると、サラドと目が合い、にっこりと左側に八重歯がちらつく笑顔を向けられた。
ショノアは魔物に近寄り剣を引き抜いた。その横でサラドは魔物の腹側に刺さった杭型の小剣を引き抜くとそのヌラヌラと黒光りする刃をくるりと返して持ち手をニナに差し出した。
「ありがとう。ニナ、助かった」
弓を少しだけ持ち上げて微笑みかける。ニナはサッと武器をしまった。
「大丈夫か? 顔色が悪い」
「あんたこそ」
ニナは首筋を擦った。脱力感は直ぐに治まったが首の後ろがチリチリと痛んだ際の不快感が残っている。
自警団の歓声に乗じてサラドは手を組んで僅かに唇を動かした。白い炎が魔物を包み灰と化す。自警団の面々が足下で塵と消える眷属を目にして響めいた。
「これは、この間みたいに蘇ったりはしないのか」
自警団の一人から問われショノアは答えを求めるようにサラドに目を向けた。
「この個体はもう蘇りません。が、別のモノが現れないとは言い切れない…」
返答するサラドの表情は暗いが、自警団の面々は明るく「とにかく今回は助かった」「じゃあ、もっと鍛えないと」と笑い合った。
迷子騒動の際の若者がショノアに気付き、駆け寄ってにこやかに手を握りブンブンと振った。戦いの興奮でやや気分が高揚しているようだ。若者は照れくさそうにサラドにも握手を求めた。
「皆、逞しいな。我々は一旦、町中に戻ろうか。セアラとマルスェイも待っているだろう」
ショノアに促されてサラドは自警団に挨拶をし、街門に向かった。後ろを振り返ると、わいわいと賑やかな自警団から少し距離をとっていたニナも従って来ている。
広場まで戻ると、棺から二三歩離れて立つセアラの脇にマルスェイが控え、三人を迎えた。おおよそのことは推測しながらも、店舗の中や壁の内側から人々が様子を窺っている。門を塞いで壁に沿って立ち、武器を構えた聖騎士と兵士はまだ警戒を解かず固唾を呑んで結果が報されるのを待っていた。
「魔物は倒されました。もう、大丈夫です」
ショノアの言葉にわっと歓声が上がった。
「素晴らしい! セアラ、君は全き奇蹟の持ち主だ」
「えっ? 私はただ祈っていただけ…」
「防御壁の言の葉なしでそれを作り出すとは! 君は救世主か」
マルスェイが喜色満面でセアラを褒めそやした。サラドに導かれたまま祈りの言葉を紡いでいただけで、怖さと集中のため目を瞑っていたセアラ自身は防御壁を目にしていない。周囲が騒ぐ理由が解らなかった。
「お疲れさま。セアラのお陰で助かったよ」
「本当に勇気ある行動だった」
マルスェイの言葉にも聖騎士や神官の歓喜の声にも戸惑うばかりだったセアラはサラドの言葉に微笑んだ。その隣にはショノアがいて、セアラを労いその功績を敬うように手を取って指先に唇を落とす姿勢を取った。
「なっ?」
淑女に対する礼など慣れていないセアラはただ顔を紅潮させて固まったが、歓声はより大きくなり、ますます彼女は真っ赤になって俯いた。
都外周に結界がないことが白日の下に晒され、神殿関係者のみならず聖都の住民、巡礼者、観光客にも動揺が広がった。消失ではなく元々なかったのではと疑問視する声に、マルスェイは思い切って、あの夜に結界が崩壊する様を目撃したことを証言した。魔術を異端とする神殿側には信用されまいと覚悟の上だったが、宮廷魔術師団所属という立場がその発言に重みと信憑性を与え、神官達は互いを見合わせて黙した。
人々を誘導していたジャックがサラドに気付いて駆け寄って来た。
「あの…、このまま霊廟に移るともう我々も入ることは叶いません。お別れは…しなくてもよいですか?」
「お気遣いありがとうございます。先日もご迷惑をおかけして申し訳ありません。もう、十分に別れはできましたので大丈夫です」
サラドは蓋のずれた棺に目を向けジャックに丁寧に頭を下げた。その穏やかな横顔を見て、ジャックはこれ以上のお節介は止めておこうと会釈をして持ち場に引き返した。
施療院内に避難していた者が広場に戻り、葬列は再開された。本神殿で葬列の到着を迎える予定だった神殿長も騒ぎに駆けつけており、急遽列の先頭に立った。担ぎ上げられた棺の下には白い花が散らばっている。置き去りにされ踏みつけられた花を見てセアラは少し哀しい気持ちになった。
葬列が門を潜り抜けると、魔物の襲来のために壁を囲んでいた聖騎士、兵士も中に戻り、門が閉ざされた。葬儀の声は外には漏れ聞こえることはなかったが、しばらくして哀悼を伝える如く一番低い音の鐘だけが鳴らされた。鐘の音が静まると広場に集まっていた者も散会していく。
すっかり人の失せた広場に一陣の風が吹き、道に残された白い花を攫った。
「お花が…」
まるで意思を持ったように舞う花はセアラの指をすり抜け何処かへ去って行く。風はすぐに止み、急な強風に立ち止まって身を縮めていた者もそれぞれの場所へ帰って行った。
翌日、神殿からの使者が秘密裏に接触し、マルスェイとセアラは結界と防御壁について根掘り葉掘り聞かれるという憂き目に遭った。
交渉ごとにも慣れているマルスェイは探りを入れられても見たままのことを淡々と語った。
セアラはオドオドしていたが、あの時、幾人もが光に包まれた人形は目にしていて、彼女が唱えていたのは祈りの言葉であったのを耳にしている。
セアラは防御壁の言の葉を知らず、再現も出来なかったことで、神殿としての見解は「緊迫した状況で死してなお導師が聖都を守った」と結論づけた。
「ごめんな。セアラ、目立つことをさせてしまって。聖都では力の有無を慎重にしろってオレが言ったのに」
「いいえ! お役に立てたのであれば嬉しいです。サラさんに手助けを求められたのも、その…」
眉尻を下げて心底申し訳なさそうに謝るサラドに、セアラは顔の前で手をぶんぶん振った。後半はごにょごにょと言葉を濁し、頬を染めて俯く。
街門の通行制限が解かれてすぐに、予定外に長逗留となった聖都を発ち、王都へと向かうことにした。
急いで発つのは、奇蹟の力を見せつける形になってしまったことでセアラの身を確保しようと神殿が動く前に、というサラドの提言によるもの。
ショノアは泰然と構えているように装っているが、サラドの動きを常に気に掛けそわそわしていた。
「大丈夫です。何事もなければ今回は王都までご一緒させていただきますから」
「あっ、ああ、そうか。頼む」
サラドに気取られていることに焦ってショノアの声が裏返ったが、コホンとひとつ咳払いをして誤魔化した。
出門の列は伸び、その中にはケントニス伯爵夫人もおり、「また、王都でお目にかかりましょう」と意味深長に微笑まれた。
聖都を出て暫く街道には馬車が連なり、まるで隊商の列のようだった。マルスェイが馬車からひょいと首を出して道の先を見遣った。
「この分だと山林の町で宿を取るのは難しいかもしれませんね」
「宿がありそうな近隣の町か村へ行った方がいいだろうか」
「街道沿いなら野宿もありでしょう。私も隊商の野営にお邪魔させて貰ったことがありますよ」
ショノアの心配を余所にマルスェイは自身たっぷりな様子だ。
山林の町に着くと手分けをして宿を探したが、やはり今夜はどこもいっぱいで、馬車をもう少し走らせることにした。近くの村で宿はなくとも以前のように集会場などを借りられるかもしれない。
しばらく走ると街道沿いの馬車避けの芝地では先客が野営の準備中だった。
「ご一緒できないか声を掛けてみましょう。人数が多い方が夜盗に襲われる心配も減りますからね」
マルスェイがにこやかに交渉に出向くと、こちらが護衛にもなることを知って快く応じてくれた。
相手は裕福な商人で宿を早々に諦め、若手の修行も兼ねて野営を決断したが、いかに安全だと言われている街道だとしても最近は魔物騒ぎもあり、やや不安を感じていたところに渡りに船だという。
「一晩のご縁ですがよろしくお願いいたします」
ショノアが握手を求めると、鍛え上げられた身体と立派な剣にほっとしたような笑みが返された。馬車から神官見習い姿のセアラが降りると、「おや?」という反応があった。
「もしや、あなた方は『特別な祈り』のために巡礼路を旅された方では?」
「えっ、あの駆け落ちの…」
「こらっ!」
商人たちが色めき立ったのにニナが横目でサラドを見た。ショノアとセアラとマルスェイは互いを見合わせて首を傾けた。
「確かに、さらなる復興を祈念して巡礼路、修行道を抜けたが…その、駆け落ちって?」
「いやだなぁ、とぼけないでくださいよ。旦那と、そのお嬢さんが、」
商人の一人がショノアとセアラを順番に指で指し「でしょう?」と気の良い笑顔を見せた。
「待て! 何だ、その話は? 俺とセアラはそんな仲ではない! それに彼女は神官見習いとして…」
「あー、お立場ってものがありますものね」
「だから、違うと…」
「こらっ! お前たち、商人としての心得がなっていないぞ! ちょっとこっちに来い」
それから指導の立場にある壮年の者が若者たちを端に連れて行き、お小言が始まった。
「『駆け落ちの』ってショノアとセアラだったんだ」
「何か知っているのか?」
訳知り顔のマルスェイにショノアが詰め寄った。
「港町で噂を聞いたんだよ。乙女の神官見習いと身分ある戦士が駆け落ちの逃避行中――って」
「何だそれは? 何でそんな話に?」
「さぁ?」
マルスェイは肩を竦めて微笑んだ。当惑に体を震わすショノアに下唇を噛んで黙って俯くセアラ、冷やかされた二人は時々妙な視線や歓声を浴びたことを思い出し、今更ながらに羞恥に顔を赤くした。