43 葬列を襲うモノ
脱字の修正をしました
サラドが走り去って広場に取り残されたショノアは胃がキリリと痛むのを感じた。
(街門はまだかなり審査が厳しい。簡単には出られない筈だ。大丈夫、町を出さえしなければ…)
今朝、通信の魔道具を確認しているうちにサラドはふらっと出掛けてしまい、慌てて追いかけたところでセアラから広場に向かったと聞いたところだった。
ここ数日、ショノアはなるべくサラドが目に入る位置にいるように努めていた。サラドは町中をぶらぶらするばかりで積極的に人に話し掛けたりはしていない。時々ぼんやりと空を仰いだり、難しい顔をしたりしている。
王都の文官からの連絡は
〈一月後に〝夜明けの日〟より十年の祝いを前に園遊会を開くため参加せよ〉
というものだった。そこで吟遊詩人の詩についても吟味するようだ。ケントニス伯爵夫人からの文による通報も上がっているのだろう。
「あの…、何があったんですか?」
セアラは遠慮がちにジャックに問うた。
「導師様とお別れの機会をと申し出たところ、取り乱せてしまいました。私の不徳の致すところでございます」
「サラさん、平気そうなお顔をされてましたけど、やっぱり辛いんですね。それはそう…ですよね」
施療院で兄弟が再会したことを、その時にジャックは普段表情を変えない導師の顔が喜びに緩んだのを、ショノアとセアラはサラドが嬉しさを隠せずにいたのを知っている。
三人はそれ以上何も言えず、ジャックは一礼して神殿に戻って行った。
宣言通り夕食時にもサラドは戻らず、就寝前にセアラは彼の泊室の扉の前に立ち、しばらく躊躇したが思い切ってノックした。返事はなく、廊下はしんと静まり返っている。二度目のノックをしようとした時、隣の扉が開きショノアが顔を出した。
「サラはまだ戻っていないようだ」
「そう…ですか」
聖都には夜通し営業している酒場などはない。また今の状況もあるため殆どの娯楽施設は閉じている。サラドがどこで過ごしているのか不安に思いながらも戻ってくることを信じて二人は待つしかなかった。
壁の上に立ちニナは叢雲のかかった月に手を伸ばした。聖都の夜は静かなのはいいが、この町はニナにとっては息苦しい。
二番目の壁は聖都の牆壁や神殿を囲む壁に比べて高さはないため訓練を積んだニナであれば越えるのは容易い。それでもあの光が襲った夜以前は壁自体に不可思議な力が働いていて、それが不可能だった。何故壁が越えられるようになったのかはわからず仕舞いだが、三番目の神殿を守る壁はやはり跳ね返される。
壁の内側は侵入者などないと信じきっているかのように夜になると門兵以外は警備も薄く灯りもなく潜入しやすいが、その分情報も集まらない。もう少し早い時間では人目につきやすい。
変わった様子があるとすれば、神官の宿舎の端、神殿を囲む壁寄りにある物見の塔にのみ兵士が数名ついていることぐらいだろうか。
(こんなに手薄でわたしが何かを仕掛けるつもりだったらどうするんだ?)
ニナは呆れて嘆息し、宿舎の窓から中を覗き込む。時折苦しそうな呻き声が聞こえるくらいでもう寝静まっているようだった。これ以上は得られることもなさそうだと諦め、壁に手をかけて、それまで無意識に左頬を指先で撫でていたことにふと気付く。それが近頃癖になっていた。
ニナは再び空に手を伸ばし、指先を見つめた。
あの、裂け目の内側は真に静謐で心地が良かった。この町の静けさはそれでも人の息遣いがたくさん感じられる。祈りを唱える時の吐息が耳障りだった。
(祈り、願い、願う、何を? 祈りで人が救えるのなら――。所詮、祈りなど自分の利を願っているだけだ)
『力を望むな』と言われようと、もし力があるのなら望まぬことなど可能だろうか、ニナは伸ばした指をぎゅっと握り込み、壁を降りた。
翌朝、宿に戻ってきたサラドは酒臭かった。目元が赤いのは酔いが残っているためか、擦ったからなのか。
これまで一度もサラドが飲酒するところを見たことがなかったショノアとセアラは目を丸くしたが、あの夜以降やたらピリピリと神経を尖らせているマルスェイはそんな事情は知らない。
「おや、導師が身罷れた聖都で深酒するなど、良いご身分ですね。魔力が少ない者にはこの異変など感じられないようで羨ましい限りです」
「あ、ああ、すみません。すぐ着替えます…」
服を引っ張りくん、と匂いを嗅いだサラドは泊室に入り着替え、その後すぐに洗濯へと向かった。
宿屋の裏の井戸端で洗濯のついでに頭から水を被っているサラドは鼻をグスグスと鳴らしていて、セアラにはとてもお悔やみを伝えることもただ近くにいることさえもできず歯痒い思いをした。
その日、サラドは泊室で衣類のほつれを直したり、刺し縫いをして強化を図ったり、のんびりと過ごしていた。窓の鎧戸は開け放ち、吹き込んでくる風がそよそよと心地よい。針仕事をしながら、昨日のことを思い出し、サラドの顔が自然とにやけた。
サラドが聖都に戻ることをディネウたちが快く承諾するはずもなく、シルエは駄々っ子のように引き留めた。
門の閉ざされた聖都から消えたとなれば、余計に怪しまれることを説明してサラドはノアラの家を後にした。
いっそ王宮で捜している赤髪の男と現在のサラドが別人と判定して貰えれば、これから先コソコソしなくて済むようになるのではと考えてもいる。
また、『魔王』の詩についても気になっているのも確かだった。
導師を襲った存在があったかどうかさえ不明のまま葬儀の日は訪れた。真相を闇に葬る如く、他の町からの参列が叶わないほど日程は急がれた。
あの物見の塔に似た倉庫は明日から取り壊されることが決定している。
神殿長と順番に面談をしている神官達の中には、奇蹟の力が許されたゆえに不当に拘束されていた地方出身者もおり、沈黙の誓いを以てこの日を境に聖都所属を解かれ、地元へ帰還することも叶うだろう。
鎮魂の祈りを唱えながら葬列の中央で担がれた棺が聖都の広場を一周し、神殿にて葬儀が行われ、棺は霊廟に移されることになっている。
朝から広場には人垣が出来上がっていた。
セアラを挟んでショノアとマルスェイも人垣の中にいた。サラドはその背後、ニナは人垣から離れた場所からその様子を見渡していた。
チリンチリンと鐘を鳴らし、ゆっくりと白い装束の行列は進む。道端に並んでいた者が通り過ぎる棺に近寄りそっと白い花をその上に手向ける。あっという間に棺の上は花だらけになり、ポロリポロリと花を落としながら行列は進んだ。迎賓館の前も通り、奥の建物のテラスやバルコニーには人影が見られる。
輪を描くように町を巡った葬列が再び戻って来た時、異変は起きた。
その日は薄曇りだったが、一部にぽっかりと他とは明らかに違う濃い黒い雲が浮かんでいた。その黒い雲はより凝縮するようにぎゅうっと縮まり、弾けたかと思うとそこには魔物がいた。
前脚は蝙蝠に似た飛膜があり下半身は脚の長い蜥蜴のようで胴と同じくらい太い尾を揺らす、足先は鳥のそれで蹴爪がある、頭は嘴が細くて長い鳥に似ているが羽毛はない。体長は成人男性ほどで大きくもないが、人を襲うことが明白の殺気を振りまき、周りには手の平ほどの体長の眷属が取り巻くように飛び交っている。
大きな獣とは違い紛うことなき魔物。
「いけないっ!」
サラドは警告を発したが、この町は守られており魔物は入って来られないと信じ切った住人達は戦慄しながらもすぐには動かずただ眺めている。町の外周の結界が失われていることを知っているマルスェイは「丈夫な建物内に避難しろ!」と考えるより先に叫んでいた。そのあまりの迫力に周囲がざわつき出した。
町の上空で弾かれると信じられていた魔物は真っ直ぐに広場の人垣に向かって飛んでくる。
ギーギャッギャッギャッギャッとけたたましい鳴き声が響き渡った。
「きゃあっ!」
空を割くような誰かの悲鳴を皮切りに恐慌状態に陥った人々は蜘蛛の子を散らすように逃げはじめた。神官も棺を捨て、神殿内へと逃げていく。落とされた反動で棺の蓋がずれた。
「いけないっ! ショノアさま、避難の誘導を! セアラ、手伝って!」
「皆さん! こちらへ! 早くっ!」
ジャックが叫び、一般の人々も神殿内へと招き入れ、一番近くの、広くて丈夫な建物の施療院へ導く。それを見てショノアとマルスェイは逃げ遅れている者の保護に務めた。
「サラさん、私はどうすれば?」
セアラは気丈に振る舞っているが手が震えていて、唇も紫色になっている。サラドはセアラに棺を背にして膝を折ってもらった。
「怖かったら目を瞑っていていいから。祈りの言葉を。棺の主がきっと力を貸してくれる」
サラドの言葉にセアラはこくんと強く頷いて、背筋を伸ばし手を組んで祈りの言葉を唱えだした。目を開けていると真正面に向かってくる魔物が見えて息が詰まる。サラドの言葉を信じて目を瞑った。
組んでいた手に大きい手が被さり少し硬い指が触れ、指をほどき片手を天に向けて伸ばすように導かれた。空いたもう片手は衣服の胸元をぎゅっと握る。
重なった手からあたたかい力が流れ巡るのを感じた。
「セアラ、その調子。手はそのままで」
サラドの励ましの声が聞こえると彼の手が放れ、遠ざかる足音が聞こえた。目は瞑ったまま、セアラは祈りの言葉に集中した。
「おおっ!」
それを目にした者の響めきにショノアとマルスェイは思わず振り返った。
セアラの背に棺から立ち上がった光に包まれた人形が重なっている。その手の先はセアラが伸ばした手の先と同じ、魔物に向けられ、その更に先の空で虹色の光彩を放つ円が魔物を押し返している。
「凄い…」マルスェイは光の盾のような防御壁を陶然と眺めた。
魔物が現れてすぐ、ニナの体を脱力感が襲った。笑う膝に屈服しそうになるが、よろけながらも急いで宿に向かった。勝手ではあるがサラドの泊室に忍び込み、弓と矢筒を手にして広場へ引き返す。
「間に合え!」ニナは叱咤して走った。
(まだ、まだだ…)
光る防御壁はじりじりと魔物を後退させ、サラドも同じ速度で街門へと向かって行く。手には花壇から掴んできた土が握られている。
目立つ武器の所持は憚れたため弓を手にしていないのは痛い、と焦れていた所に助け船が来た。ニナが無言でサラドに弓を渡し、シュッと離れ投擲用の杭型の小剣を手に構えた。魔物の高さはまだ射程圏外。投擲も縦方向では分が悪い。ニナはじっとその距離を見定めている。額に滲んだ汗が緊張を窺わせた。
「助かるっ!」
サラドは急いで弦を張り、鏃に握っていた土を擦りつけ矢羽根を撫でつけた。ブツブツと言葉を口の中で唱え、再び魔物との距離を測りながら、一歩一歩と街門に近付く。
「通させてもらいますっ!」
槍を構えつつも腰が引けてしまっている門兵の横を通り過ぎ、サラドは牆壁の外へ出た。そこには異変に気付いた自警団の面々も集合していたが空を飛ぶ相手に攻めあぐねている。
サラドは指で弦を弾き弓の張りを確認した。中指を挟んで二本の矢を一度につがえ、ググッと頬まで引いく。聖都から離すように動いていた防御壁が投網のように眷属もろとも魔物に覆い被さるように押さえつけ高度を下げにかかった。
放たれた矢は石礫を伴って魔物の両翼を貫いた。穴だらけになった飛膜に均衡を崩した魔物は急激に地に落ち、両翼を広げた状態でぺたりと伏せ、顔を上げてギーギャッギーギャッと鳴き、這い迫る。
「任せろっ!」
サラドの横を走り抜けたショノアは嘴を剣で薙ぎ払い、その勢いで振り上げた剣を魔物の背中、前脚の中間に突き立てた。長い尾が反撃してショノアを叩き飛ばした。
「ぐふっ」
転がり魔物から離れたショノアはすぐさま立ち上がったが、背中に剣が突き刺さったままの魔物は二撃目を与える前に数度の痙攣を経て尾と頭がドサリと倒れ動かなくなった。
眷属を地まで押しやった防御壁はそこで消失した。再び飛び上がる間を与えず自警団の面々が一斉に攻撃にかかる。
ギャッギャッギャッと断末魔が響き、魔物と眷属は無事に討伐された。