42 義兄弟の団欒
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リンリンと来訪を告げる音がする。
ノアラが「諾」と答えると玄関扉が勢いよく開いた。
「い…生きてる、シルエ、生きてる?」
「?」
「ん?」
苦悶の表情で入って来たサラドは噎ぶ息の合間に今にも泣き出しそうな声を絞り出した。
ゆったりとした開襟の洗い晒しの寝間着姿で薬草茶を飲んでいたシルエも、ポットを手にしたノアラもぽかんとして、三人見つめ合ったまま数拍の間が空いた。
「だはっ、あはは、何だよ。あんまり笑わせんな。あはっ、自分の幻術なのにわかんなくなるとか…あはは。お前、たまにとんでもなくポンコツになるよな」
「そんなに笑わなくても…」
豪快に腹を抱えて笑うディネウを、羞恥で顔を赤くしたサラドが恨めしそうに見る。
「倒れた方が本物で、自分が助けた方が幻かと不安になった、だって? あははっ」
「だって…、後から冷静になってみれば、オレの魔力では短距離の移動だってキツイのに、人を連れ出すとか無理だと思って」
「でもその時ノアラにも会ったんだろ?」
笑い過ぎて目尻に浮かんだ涙を手の甲で拭い、はーっと息を整えたディネウが目を遣ると、ノアラはすいっと目を逸らした。
「眠ってた」
「は? 何? ノアラ、気絶してるこいつをそのまま放置したのか?」
「魔力を回復させるには睡眠と休息が一番だから、途中覚醒させるよりも最善でしょ」
ノアラが「そうそう」と同意するようにいつもより大きく頷く。
「起きたらいねぇなら、まあ、勘違いしても仕方…ないのか? どうなんだ?」
サラドが何を誤解して慌てているのかを話そうにもゴホッゴホッと噎ぶ喉が悪化してしまい、ノアラとシルエがまごついていると、玄関とは別の扉のノッカーがガンガンと叩かれた。
謎の位置にあり外側は壁となっているその扉はディネウの家と繋がる専用の転移装置である。
狩った獣を手土産にやって来たディネウはサラドが年甲斐もなくぼろぼろと泣いているのを見て、説明を聞いているうちから笑いを堪えられなくなり吹き出した。
「大丈夫。僕はサラドに助けられてちゃんと生きているよ。確かめる? ほら」
シルエがサラドの手を取って、自らの頭に持ってくる。シルエの髪は今、淡い麦わら色のほわほわの猫っ毛。金髪に見えるようにと強要されていた色付きの整髪油を落とすのに何度も洗髪を繰り返した。
「シルエ、お前もさ、昔から魔力が切れかけると自制がガタガタになるんだから、加減しろよな。一昨日なんか高笑いしてただろ。怖ぇよ」
ノアラに連れられてこの家に来てからシルエは昼夜に囚われず寝たり起きたりを繰り返している。サラドが訪問したことで昂ぶり乱れていた精神は落ち着き機嫌が良さそうだ。
「とにかくお前はよく食ってよく寝て体力を取り戻せ。今の見た目、ミイラみたいで最悪だからな?」
「ちょ…、酷くない? これもね、戦術のひとつだし。痩せ衰えていたら抵抗しうる力はないって油断させられるでしょ。まあ、食べられなかった理由はそれだけでもないけど…」
「おー、そうか」と適当な返事をしながらディネウがサラドを伴って調理場や貯蔵庫のある土間へと向かった。その後をシルエがついて回る。
「これ捌くからお湯沸かしてくれ。サラド、アレある?」
「あれ?」
「ツブツブのピリッとしたヤツ」
「うーん、まだあったかな…。あ、あるね」
「それ何?」
「肉につけて焼くと美味いんだぜ」
「草木の種で後味に辛みがあるんだよ。こっちは酢に漬けたものでさっぱり味の方。で、これはハチミツを加えて漬けてある方」
「うわぁ、ノアラ用だ…。何かずるい。二人ともずるい」
「何がだよ?」
「サラドと楽しく暮らしてたっぽい。ずるい」
「いや、ずるいの意味がわからねぇ」
糧となる獣への祈りの後、手際よく捌いていくディネウとサラドの側をシルエがうろちょろとつきまとっている。隙あらばサラドにしがみつこうとするシルエを見てディネウは「シルエが三歳児に退行している」と苦笑した。ディネウと出会ったばかりの頃、シルエはよくサラドの脚にしがみついているかおんぶされていた。
「じゃあ、俺はこれを燻製にしとくかな。渋めの葡萄酒は良かったら煮込みに使ってくれ」
脚の一本によく塩を擦り込んで薄い布を巻くと梁からぶら下げ、別の塊肉を持ってディネウは外に出て行った。
サラドは塩や香りの良い葉、種を砕いたもの、甘みの強い根菜を下ろしたもの、他にも数種を迷いなく準備し混ぜ合わせ、ノアラは脂身の少ない部位を薄く切り水気を取ってその中に漬け込んでいく。何も言わずとも作業が着々と進んでいくのをシルエはサラドの背中にへばりついて眺めていた。
葡萄酒と木の実を使って煮込んだ肉は火から下ろすと鍋ごと毛布で包んで端に寄せられた。このまま時間を置けば味も良く染み、ほろほろに崩れるほど柔らかくなる。
「これは明日にでも食べてね」
ノアラがこくりと頷く。
漬け込んでいた薄切り肉を乾燥棚のある場所に持って行き、網に並べていく。先日来た時に乾燥させていた甘味料は集めて壺に移した。
「乾燥も十分そうだ。良かった、ちゃんと出来てて」
「こんな手間がかかるものを…。ノアラがサラドに愛されていて憎い」
ノアラがシルエの物騒な言葉に少しだけ目を見開いた。「違う」というように首を振る。
「甘味は薬にも使うから。少しでも苦みを和らげたいしね」
「さして変わらないでしょ。苦いのなんか我慢しろって言いたい」
「うーん、子供はね、辛いと思うんだ」
「甘い。サラドが相変わらず甘い…」
終始ぴったりとしがみつくシルエを一切邪険にすることなくサラドは干し肉や料理を作り続け、穏やかな時間を楽しんだ。
なるべく小さく刻んだ肉と根菜をあっさり味でじっくり煮込んだスープと粥、茹でた芋を潰し裏漉しして甘みを加えた団子を持ってノアラとサラドは家の中でも奥まって静かな部屋に向かった。
人の気配に気付き、部屋の隅に逃れ体を小さくしたのは隷属の媒介にされた子供だ。
酷く怯える様子に、ノアラから事情を聞いたサラドは距離をとって扉の近くから穏やかに声をかける。
「よく耐えたね。食べて、ゆっくり眠って」
お盆を置いて部屋を出ると、おずおずと動き出す音がして、ひとまず安堵する。急にたくさん食べても体に負担がかかるため、量はどれも控えめにしてある。
ノアラによれば、これでもこの数日で幾らか良くなってきているらしい。はじめは寝台を使わず床で寝ようとし、お腹は空いているだろうに食事も警戒してなかなか口にしなかった。
「そっか、ゆっくり慣れていくしかないね」
次の食事が楽しみになるといいな、とサラドは願う。
今は刺激せずひとりで過ごさせ、ここが安心できる場所だと感じてもらう他ないとサラドとノアラは頷き合った。
ノアラの外套でもあるぼろぼろの魔導着は子供の寝台に置かれている。連れて帰る際にぎゅっとしがみついていたからか、手元にあると落ち着くようなのでノアラが脱いで貸し与えた。
ノアラはタイ付きのシャツにベストとズボンにブーツを着用している。魔導着の中はいたって清潔で、ぼろぼろのものをそのまま着用しているわけではない。
「あれ、彼にあげれば? いい機会だし新調しようよ」
サラドの言葉に十数年着続けていた魔導着に愛着があるのかノアラはちょっとだけ口をへの字にし、嘆息を吐いて頷いた。
ディネウの要望があった辛みのある種子を使った調味で焼いた肉を主菜に数品が並べられたテーブルを四人は囲んでいた。とても、とても久しぶりの団欒。
「ポンコツといえば、こいつさ、女に振られた時も――」
「振られ…、えっ? 何で?」
面白がって話し出したディネウに、場が凍り付きそうな低い声をシルエが差し挟んだ。
「だから怖ぇって。何年前だっけ? サラドとな、隣国からの難民で新しく集落を作るってぇ時に村興しや移動の護衛やらを手伝う仕事をしたんだけどさ。そん時な、耕作地の権利を一部買って、その村の娘にプロポーズしようとしたらしいんだけどさ」
「ちょっ、ディネウ、もう、その話はいいだろっ」
「プロポーズ…。え? 何? もうちょっと詳しく」
普段はどんなに酒を飲んでも酔わないディネウがシルエの肩を抱いて顔を近付け、笑いながら上機嫌になっている。サラドはいつもより饒舌なディネウを止めようとするが、静かに低い声でシルエは詳細を促し、ノアラが戸惑っている。
「そこに幼馴染みの男が割って入ってきたもんだから、買った土地をタダで譲って、こいつ逃げてきてやんの。ヘタレ過ぎだろ。あん時も笑ったなぁ」
「え? 兄さんを振るとか馬鹿なの? その村どこ? どんな女?」
椅子から腰を浮かせたシルエの肩をぐいっと押し、再びしっかりと座らせる。サラドは顔を真っ赤にして「恥ずかしいからやめろ」と呟いた。
「落ち着け、シルエ。でもこいつが定住を考えるとか、そん時はマジかって思ったけど。それがおじゃんになったからこそ、今こうしてられるのかもな。な?」
ディネウも四人が揃うのが嬉しいのだろう。照れ隠しでサラドの失恋を暴露し笑いものにしたかと思えば、しんみりと目を細めた。
「サラドもさ、迷いもあったんだろ? 家族を持ったら簡単にはその土地を離れられねぇし。精霊が助けを呼んだら――って」
「まぁ、…うん。そうだね」
「結局、お前には根無し草が性に合ってんだろ。ノアラがここに住んでるから帰る家は一応あるわけだし、な?」
「…みんながさ、ちゃんと自分の生きるべき道を見つけたのに、オレひとりフラフラしているなって…」
「僕、神殿で生きていく決心なんかしてないよ?」
「うん…。途中で諦めてごめんな。神殿に行っても、いつも門兵に止められて。何回目だったかな…偉そうな人が出て来て…」
サラドは聖都にシルエを訪ねていたことを話した。
『弟君はここに身を捧げ学ぶことを決意されました。立身しようとしているのです。兄としてその自立を喜び、後押しするべきでは? 相手は立派な大人ですぞ。いつまでも縛り付けず、潔く身を退かれよ』と言われ門を通ることも拒まれた。
「シルエがそう決めたのなら、それもそうかって」
「違うんじゃねぇーの、って俺は言ったぞ?」
「でも、養護院や施療院、各地への巡礼って評判を次々にたくさん聞いたから。シルエはそこで頑張ることにしたのかって納得しようと…」
「あの…クソ副神殿長…」
それでも手紙は年に一度は必ず出していた。検閲されても問題ない体を気遣う程度の内容だ。しょっちゅうだと目をつけられる可能性があり、シルエに鬱陶しいと思われたくなくて最低数に抑えた。
「…届いてないし」とシルエが恨みがましく呟く。
「ははっ。やっぱり? そうかなとは思ってた」
送った手紙が破棄されていることにはさして傷付いている様子もなくサラドはからからと笑う。一方シルエはかなりご立腹だ。
「じゃあ、港町のディネウ気付にして僕が出した方も?」
サラドはシルエも手紙をくれていた事実に破顔した後すぐに悲しげに首を振った。
「やっぱりシルエを知る者を排除しようとしてたんだね。あの頃、聖都の街門は黒髪の男の入門審査がやたら厳しいとか言われてたもんな」
「黒髪? 赤じゃなくて?」
「その頃にはもう黒髪に偽装していたから」
「黒髪に偽装ってなんで?」
神殿では外の情報や噂からシルエは隔離されていた。各地への巡礼中もがっちりと周囲を固められ常に監視されている状態だった。
もちろんサラドやディネウが聖都に訪ねて来たことも知らされていない。そのため、自分は見限られたのではと疑心に苛まれ、年々不安と孤独を深めていた。
それでも奇蹟の力を操るだけあってシルエの精神力は無駄に高く実に九年もの年月を耐え忍んだ。
「あー、お前の耳には入っていなかったんだな。サラドは王都で…、うん、この話は今のシルエには劇物だから、また日を改めて落ち着いた時な」
ディネウが考え込んで手を眼前で振る。シルエは「えー」と不満そうだが、サラドが言いたくなさそうにしているのを感じ取りその場は我慢した。
「ねえ、サラドもノアラも今夜くらい一緒に飲もうよ」
「酔うと魔術が、鈍る」
「オレも精霊の声が聞き分けられなくなるから…」
「いいじゃん、何かあってもきっとディネウが何とかしてくれるって」
シルエは先程飲んだ、作って間もないという甘めで爽やかな飲み口の葡萄酒をノアラに注いだ。ノアラはちびっと口をつけ、何か考えるように天井を仰ぎ、また一口飲む。
「ほら、美味しいでしょ?」
「神殿の戒律、飲酒はいいのか?」
「酩酊して自分を見失わなければ問題ないよ。上の人はたっかそうなの飲んでたなぁ」
ノアラがちびちびながらも飲み続けているのに気を良くして、次いで別の瓶の透明な酒をサラドに注いだ。
「おいっ、それは――」
ディネウの制止が間に合わず、シルエに勧められるまま口に含んだサラドは思い切り吹き出し、胸元を濡らした。
「がはっ、ゴホッ」
「あー、遅かったか。それ、滅茶苦茶強いヤツで」
「えー」と言いながら、サラドの手から取り上げたカップの残りを飲んだシルエはペロリと唇を舐めた。
「んー、辛口で喉がちょっと熱いけど、そんなでもなくない?」
「マジか…。俺、シルエとは絶対に飲み比べはしねぇ」
十年近くの空白などなかったように、四人団欒の夜は賑やかに更けていった。