表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/280

40 暗躍する者

誤字修正しました

 シルエの喉に赤い血がぷくりと丸く盛り上がった。ドサリと床に倒れ伏した体はみるみる血溜まりに沈む。


「やめてくれ…頼むから、こんなこと」


寸で止められた短刀。刃から握り手に血が伝わり袖口を濡らしていく。ポタリポタリと赤い丸が床に描かれる。


「な、なんで…」


刃を掴んで止めたサラドはシルエの手から短刀を取り上げ書き物机の上に投げ捨てた。子供達を気遣う文と導師のサインを入れた紙に血の染みが飛んだ。

足下のすぐ脇に転がる喉をひと突きにしたシルエの死体――の幻影を見遣りサラドが悲哀に満ちた瞳を伏せる。


「自分が作った幻だってわかっていても嫌なものだな。弟のこんな姿を見るのは」

「サラド…手…傷を…」


治癒をしようと伸ばしたシルエの手を掴み、サラドはもう片手を彼の肩におく。その存在を確かめるように。涙を堪え鼻がグスリと鳴る。


「ごめん。シルエ、嫌われても疎まれてでも忍び込んででも会いに来るべきだった」

「サラド…違う…僕が…」


サラドはおもむろにシルエに背を向けてしゃがんだ。手を天に向け、おんぶを促す。


「行こう。シルエ」

「うん…行く…ありがとう、サラド」


もうすぐ三十路の男性とは思えないほどに軽く骨張ったシルエを負ぶさってサラドは立ち上がった。

嵌め殺しにされていた小窓のガラスは割れ、人ひとりが屈んで潜れるくらいの大きさに壁の一部が崩れ、そこから風が吹き込んでいた。


「夜風よ。オレたちを攫ってくれ」


旋風(つむじかぜ)にまかれて二人の姿は狭く質素な部屋から消え、冷たい骸の幻が残された。


 宿屋のサラドの泊室に辿り着くと窓の鎧戸がバタリと閉じた。背からシルエを下ろすとふらふらと床に脚を付き寝台脇にもたれ掛かる。ズルズルとだらしなく力が抜けた。


「ごめん。シルエ。眠い…ちょっと寝てもいいか」

「ん…僕も眠い」


寝台に上がる余裕もなく床に座ったまま眠るサラドにシルエも寄りかかって眠った。転移術など使えるほど魔力の高くないサラドが風の精霊の力を借りたとはいえ、かなりの無茶をしたために気絶状態だった。

シルエも途方もなく複雑で大きな術を使った後の軽い魔力切れと積年の不眠と栄養不足がたたっている。


――休め、休め

――眠れ、眠れ


精霊に見守られながら二人は暫しの休息に身を任せた。



◇ ◆ ◇ 



 魔術の心得がなければ視認できない結界の崩壊は、大多数の人からは何の変化も認められないだろう。そこに結界があったことを知っているかも甚だ疑問だ。ただこの町の者は強い力に守られていると鵜呑みにして信じ切っている。

わからないということは恐怖だと思っていたのに、それが却って心の安穏に繋がることをマルスェイは初めて知った。

 宿屋の窓から見た空、そこに結界があったという事実は破壊された術式がバラバラと零れることで奇しくも目に映った。瞬く間に消失していく様に戦慄する。その大きさ、緻密さ、人の為せる技とは思えない。

その術の片鱗を見た興奮か、あれだけの守護の力を失った憂患か、マルスェイの肌は総毛立ち、手はガタガタと震えた。



◇ ◆ ◇ 



 聖都の神殿の防御術の強固さはノアラを以てしても厄介で、過去に侵入しようとして失敗している。

術者自身の力で破壊された中、今回は弾かれることもなく、不可視の隠蔽術を纏ったまま難なく潜入したノアラは主人が不在となった部屋を訪れた。扉の前では一人の兵士が開けるよう怒鳴っている。


 一部が崩壊した壁は力任せに穿ったというより石材が砂と化している。シルエが既に脱出したことを覚り、素早くすべき事を実行に移す。

血溜まりに倒れた導師を見て、その生生しさにサラドが進んで想定した姿とは思えず、こうなる事態だったと推察し、眉間に皺を寄せた。

体の幻影には土の術で傀儡を作って重ね、血溜まりには水の術を流すことで、その死に疑念を抱かせないように工作する。あとはサラドがうっかり幻影を消すことがなければ問題ない筈だ。

書き物机の上に転がる短刀に付着した粘度のある液体が本物の血だと判別してノアラの口がムッと歪む。


 ノアラは急いで次の場所に移動すべく、物理的に扉を壊して入室して来た兵士と入れ替わって部屋を出た。

扉は木戸の他に鉄格子で二重になっているのを目にしてノアラの眉間の皺が更に深くなった。


 神殿内の居住部には豪華な部屋が並んでいる。

その中でどれが目的の部屋なのかは嫌な気配が色濃く漂っていたため迷うことはなかった。中は応接間、執務室、居間、寝室等に分かれている。生活感のない、世話されるのが当たり前のような設え。

書斎に擬態した部屋の奥に隠し部屋があり、鉄の檻が置かれていた。臭いを誤魔化すように焚かれた香がかえって胸を悪くする。

 ノアラは鉄格子に取り付けられた頑丈な南京錠を魔術で解錠した。鍵には魔術で保護がかけられていた跡がある。


 解錠の術は遺跡の書物から得た。魔道具や魔力の介在がある鍵には有効な術だが、仕組みを解析して技術で開けるサラドとは違い、罠が仕掛けられていればそれも含め鍵ごと壊すこともある。鍵の機能を残したい場合、汎用性は低い。

遺跡には罠も多く、解錠は神経を使う作業のため初期の頃はサラドに負担を強いていた。もっと早くに習得していればと思うが、この術の存在を人に知られたらより怪しまれ恐れられただろうことも承知している。


 ノアラは破壊されて床に転がった南京錠を足で脇に押しやり扉を開け、慎重に中にいる子供に近付いた。怯えた子供は動ける範囲ギリギリまで後退りガチャガチャと鉄が擦れる音がたった。


「友達に、お前を、助けるよう、頼まれた」


ノアラは自身も人見知りのため、緊張しないよう一語一句ゆっくりと話しかけた。


「隷属の、解き方は、知っているか?」


子供はぎゅっと身を縮みこませて首を横に振る。


「少し、見てもいいか?」


断って子供に近付き、首に触れると、更に体が強張った。


「命令されて、使っていた力を、さわりでいいから、やってみてくれ」


子供は先程よりも激しく首を振り拒否を示す。


「大丈夫だ。悪いようには、しない」


子供の喉がコクっと音をたて、一度ぎゅっと口を引き結んでから、暗唱させられているだけの言葉を紡いだ。術を解析しようとノアラの眼球が忙しく動く。本来は制約の多い隷属の魔術。それを覆すだけの知識と技能と魔力がノアラにはある。


「見えた! もう大丈夫だ」


子供が今さっき口にしたばかりの言葉をノアラが諳んじる。途中から言葉は変わり「彼の者を契約の枷より解き放て」と締め括ると、子供を縛めていた枷はサラサラと崩れ消えた。

ノアラは残った肺の中身を吐ききるように息をした。子供は我が身に起きたことを確認しようと首の辺りで手をまごつかせている。


 痩せた子供。ろくな衣服も与えられず、体は小さい傷でいっぱい。二の腕など親指と中指で作った輪ほどに細い。言葉を話すこともない。

その姿に幼い頃の自分を投影してしまったノアラは、ここに残して去ることを躊躇ってしまった。彼がいなくなれば非道な行いをしていた証拠がなくなる。

それでも。


「おいで。一緒に行こう」


ノアラは子供を抱きかかえてその場を後にして次の場所に急いだ。


 教育施設の寮に着くと管理者の部屋から呻き声が漏れ聞こえたがノアラは無視して子供達の部屋に向かった。消灯された廊下を進むぼろぼろの魔導着姿は命を刈りに来た者に見えるかもしれない。扉を開けると「ひっ」と小さな悲鳴が部屋の奥から聞こえた。

騒ぎに目を覚まし、同室の者同士で身を寄せ合って不安に耐えていた子供にノアラはまたゆっくりと話しかけた。


「僕は、導師の、友達だ。お前達を、助けるよう、頼まれた。みんなを、集めてくれないか」


導師との約束を覚えていた子供は頷いて、談話室に寮にいる子供全員を集めた。一列に並んで貰い、子供達にかけられた隷属の術を順番に解いていく。歓声を上げ、子供達は抱き合って喜んだ。


「家に帰りたい者がいれば手紙を届けよう。『迎えに来て』と書けるか?」


子供達が書いた手紙をまた一人一人順番に受け取り、封筒の宛名と所在地を確認し、補助として手を繋いで思い浮かべてもらう。ノアラの片手から浮き上がった封筒は淡く薄紫色に光り、蝶のようにヒラリヒラリと子供の顔周りを一周して消えた。それを見た子供達はまたわぁっと歓声を上げた。

 その間、隷属の媒介にされた子供はノアラの背中側で魔導着にぎゅっと顔を埋め、他の子供達と目を合わせないようにしていた。小さく震えていて痛ましい。


「あと一晩、耐えてくれ。では、おやすみ」


子供達は興奮して眠れそうにもないが、ノアラは照れながらもまた一人一人の頭を撫でて別れを告げた。


「ああ、それから、僕のことは内緒で頼む」


手を振る子供達を残して、隷属の媒介にされた子供を抱き上げてノアラは転移術を発動した。



 リンリン、リンリンと指輪が小さな音を何度か届けても深く眠ったサラドは返答ができなかった。代わりに不眠が癖づき、寝が浅いシルエが「ノアラ?」と呟くと、薄紫色に発光する魔法陣からノアラが姿を現した。


「サラド、シルエを連れて行く。幻影を保つのを忘れるな」


眠るサラドの耳元で念を押したノアラはシルエの腕を掴んだ。


「うー、嫌だ。サラドの傍にいたい。眠い」

「急げ。誰かに見られる前に」

「あれ、…その子は?」

「説明はあと。…喋り疲れた…」


ノアラにとっては子供達とのふれ合いや話すことの方が魔術を展開するより遥かに疲労困憊したようでぐったりしている。意識が朦朧としているシルエの我儘には聞く耳を持たず、ノアラは再び転移の術を発動した。



◇ ◆ ◇ 



 木戸を蹴り破って部屋に突入したジャックは目に入ったものに息をするのを忘れた。

足元を濡らすおびただしい血。そこに横たわる護衛対象である主。


「う、嘘だ」


よろよろと後退ったジャックは腰が抜けそうになるのを壁にドンッともたれかかって耐えた。


(最悪だ。守れなかった。そのお心ひとつさえ…)



 神殿長の舌と手の痺れは程なくして治まった。その身辺は懺悔を聞いてもらいたいという者で溢れ返っている。この混乱は一向に治まる気配がない。


 導師の護衛を務めていたジャックという男が顔面蒼白で礼拝堂に駆け戻り告げた事実と、現場に足を運んだ神殿長はじめ複数名は、その場の凄惨さに絶句した。


 導師は贅など尽くしていなかった。まるで牢屋のような部屋。

元は副神殿長の監視下に一室を用意されていたらしいが、見習いでもない自分が本神殿にいるのは相応しくないと拒否したそうだ。それならばと、他者との交流を断つため倉庫を改装して軟禁状態にしていたらしい。

聞いたところによると食事もかなり質素で、最近はかなり衰弱していて食べることもままならなかったようだ。


 神殿長は己の視界の狭さを悟った。

一体全体、導師の何を見ていたのか。

立場がどうとか、正規の修行の有無とか、奇蹟の力への羨望と嫉妬とか、自分に都合の良いものしか見ていなかったのではないか。


 副神殿長はその後、意識を取り戻したが、錯乱し、相当な痛みがあるのかのた打ち回っている。

自ら弁明することもできずに、手を染めた悪行が次々に明るみにされていく。

彼の部屋からは隷属の術を記した禁書と部分的に焼かれた契約書が何枚も出てきた。手足となり実行していた高位神官の話では、隷属の術を実行させていた少年がいたそうだが、その姿は忽然と消えていた。


 副神殿長は数々の功績がある。信徒や寄付額が増えたのも彼の手腕あってこそだった。

導師を無理にでも引き入れたのも神殿の威光に必要と考慮してのこと、その行動理念は全て神殿のためだったのだろう。

手段を選ばず、悪魔の手を借りるような真似をしてしまったことは責めるべき行為だが、諸悪の根源と断じることは神殿長にはできなかった。

神殿の存続と発展、そこに所属するたくさんの者の行く末の責任がこの身にはある。神殿長と副神殿長の辿り着いた先はひとつ違えば逆だったかもしれない。


(目を逸して己のことばかりだった自分と、何方がより神殿にとって信仰にとって悪だったのか…)


神殿長は時間がかかっても神殿内の全ての者と面談をしていこうと決意した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ