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39 眠れぬ夜を知っている

 影ひとつとして落とせぬ一面の光。視力ばかりか平衡感覚をも奪う真白き世界でシルエは何日もかけて構築した術が成功したことに充足感と少しの後悔を感じていた。

光から遅れて地響きが襲い、ガタガタと壁や窓が鳴る。残光が消えかかる頃、バタリバタリと人が倒れる音がしだした。

シルエは神殿長が差し出した時のように杖を両手で水平に持ち高々と掲げた。


「お返しいたします」


しかし、手が痺れているのか神殿長は杖をしかと掴めず取り落としてしまい、カランと大きな音が響いた。舌も滑らかに動かないようで唇がブルブルと震えている。


「ひ、人に、き、危害を加える術を使うとは、た、謀ったか。やはりお前はし、神殿を乗っ取ろうと…」


 段上の神殿長の目に映ったのは阿鼻叫喚と化した礼拝堂内だった。

多くの者が倒れ、悶え苦しんでいる。最も深刻な状態なのが斜め後ろにいた副神殿長で、仰向けに倒れ、白目を剥いて泡を吹いていた。他にも痛みに耐えかねて床を転がり回る者、喉を掻きむしる者、嗚咽を漏らす者、頭を抱えて慟哭する者、ぱっと見では判別できないが痺れや疝痛程度の軽症の者もいるようだ。大半の者が何ともないようだが、同僚の常軌を逸する変貌に酷く動揺している。


「ご冗談を。一刻も早くこの楔から離れたいのですよ。それが死でしか叶わなくとも」


神殿長の足下にいる導師の首、手、足にはぼんやりと闇色の枷が見え、鎖は副神殿長へと繋がっている。神殿長は我が目を疑った。


 隷属の魔術。存在を縛り、命令に従わせる術は文献の中の事象、扱える術者などいない廃れた術だと思っていた。神殿が魔術を異端とするのは攻撃に適しているというばかりでなく、こういった人の尊厳を奪う術があるため。

シルエに言わせれば人に作用するのはむしろ奇蹟の力の方が多い。治癒しかり、状態異常回復も毒消しも解呪もその反作用を知っているからこそ可能になる。


「神殿長が導師という存在をどう思っていたかは存じております。お望み通り、わたくしは去りましょう。これからは是非その頭で考え、その手で善き道へお導きください」


草原色の双眸でしっかりと神殿長を捉える。その真っ直ぐに射貫く視線に堪えられず神殿長はふいっと目を逸らした。

歩き出した導師の体には行かせまいと鎖が絡みついて見える。それを無理矢理に引き摺るように一歩一歩と進む導師に一人の高位神官が段を転がり落ちて縋り付いた。副神殿長を阿る取り巻きだ。


「ど、どうかお助けください。わ、私は指図されていただけで…。お、お赦しを。どうか…」


床に這いつくばり足に縋る高位神官を導師はひどく冷めた目で見下ろした。痛みに顔は歪み、目からは絶えず涙が、口からは涎が垂れている。指はあらぬ方向へ曲がっていた。


「誰が、どのくらいの痛みを負い、それがどれくらい続くのかはわたくしの裁断ではない。あの光が決めたこと。許しを乞い、祈るのはわたくしにではない筈だが?」


導師の視線は神殿長と高位神官達のいる高座を通り越し、その背後で輝く長く光の尾を引く星と小さな星が重なった形のモニュメントに注がれた。

足下の高位神官はモニュメントに向き直ると床に突っ伏して、ひっひっと正しく吸えぬ息で何とか祈りの言葉を口にしようとする。だが、それすらも許されないのか苦しそうに口を開け閉めするのみ。

導師の言葉を受けて苦痛に悶える者が次々に祈りの言葉を唱え出した。リズムも取れず、呂律も怪しいが真剣に熱のこもった祈りと懺悔を――。


「ばかな…。神がこんな罰を与えたもうとは」

「ふっ。神殿長の信じる神は随分と都合良く慈悲深いのですね」


わなわなと震える神殿長を一瞥した導師は思わず苦笑を漏らし、ゆっくりと礼拝堂内を見渡した。


「誰一人、死にはしませんし、自決は許されません。光は意外と無慈悲ですよ」


痛みを負わなかった者が倒れ伏す同僚を助け起こし支えようとしている。代わりに祈ろうと手を組み跪く者。誰も表立っては罪に苦しむ者を蔑んだり糾弾しない。誠に信心深く善良な者たち。シルエとは根底から違う人種だ。


「僕だって、こんな術、使いたくなどなかった…」


血を吐くような呟きを最後に呼び止める声にも導師は一切振り返ることはなかった。




 眩い、夜と昼とが一瞬で入れ替わったのかと思う程、それよりももっと眩い光が神殿を覆った数秒後、激しい衝撃と地鳴りがした。

その強すぎる光と地揺れは眠っていた者も起こす程で、宿屋の鎧窓を開けて、外を窺う人の頭が幾つも見える。ショノアは星の瞬く宵空を見上げ、首を巡らして内側から輝く神殿を見上げ、そして左右を見て、同じように外を見ているサラドとセアラとマルスェイを確認した。


「何事だ?」


その呟きに答える声がある筈もなく、聖都内はどよめいていた。



 迎賓館の各テラスやバルコニーでも人々は神殿を見上げている。静粛で美しい夜は一変した。ケントニス伯爵夫人も手摺にしっかりと掴まり揺れに耐え、目を凝らした。

不意に室内で光が弾け、目を向けると護符が燃えたように煙をあげていた。


 この護符は導師の祈りが込められたもので、一定以上の寄付を納めて神殿に貢献したと認められた者に授けられた。貴族の間ではそれを手にしていることが一種のステイタスとなっていた。

護符の効果は様々らしいが、暴走した馬車に巻き込まれそうになったが間一髪で避けて行ったとか、病後の回復が早かったとか、そんな話があちこちで囁かれると、より有り難いものとして競うように求められた。効力を発揮した護符は描かれた紋が消え去るという。


 しかし、今目の前の護符は紋が焼き切れたようになっている。ケントニス伯爵夫人はそれを崩さないようにそっと紙に挟んで保存した。


「奥様、ご無事ですか?」

「何ともないわ。でもこれは一体…」


 聖都にまつわる黒い噂はケントニス伯爵夫人も耳にしていた。それらは大なり小なり権力がある場所にはつきもので真偽不明のものも多い。

 導師は稀にみる奇蹟の力の持ち主でまさに聖人であるとも、神殿に帰属せずその恩恵を受けながら犯罪に手を染める俗物ともいわれている。神殿側は否定しているが〝夜明けの日〟の英雄の一人であるとも。真相を掴もうにも秘匿された存在で神殿外に往診に来る時は顔を隠しているし、世間話のひとつも許されない。

 雷が落ちたのとも違う強く眩い光、自然現象でなければ、導師によるものと推測される。そんな力を持つ者は他にいない。

 彼女は信心もあるが、それ以上に激動の中にいることに不謹慎ながら心躍るのを止められなかった。




 サラドはしきりに左右に首を傾けて空を見上げていたが、ひたと神殿に釘付けになり更に身を乗り出した。


(あんなに強固だった結界が壊れた。守りが強すぎて聖都内で滞っていた気が急激に巡っている。精霊たちも騒がしい。怒ってる? いや、嘆いている? まさかシルエの身に何か…)


窓枠に足をかけ、外に飛び出す。サラドの体は落下することなく旋風(つむじかぜ)によって消された。闇に躍った一瞬の影は誰の目にも留まらなかった。


「風よ。オレをシルエの元へ」



◇ ◆ ◇ 



 礼拝堂を去る導師の後姿を護衛のジャックは目で追った。隣で聖騎士の護衛は蹲り呻いている。顔は土気色で、脂汗を流して耐えているが歯が欠けそうな程にギリギリと音がする。彼の手がジャックの足首をギュッと掴み、痛みを訴えるように締め上げる。

ジャック自身はは指先ひとつ痛んでいない。聖騎士のことも心配ではあったが、思い詰めたような導師の表情に胸騒ぎがした。聖騎士の指をなんとか解き、慌てて導師を追った。


「導師様! 扉を開けてください!」


鉄格子を開け、木戸を激しくノックする。返事はなく、室内からは何の音もしない。静寂が空恐ろしい。


「導師様! どうか返事をしてください!」



 シルエは自室に着くと紙に「子供達の安全と未来の保障を切に願う ジェルディエ」と記した。引き出しから唯一の武器となりえる儀礼用の短刀を出す。


 奇蹟の力と術の違いを解明すべく、神殿の書物を求めたこと、それがそもそもの間違いだったのか。

シルエは自分の迂闊さに苦笑いするしかなかった。

お茶を勧められても毒や薬の混入には注意した。だがカップの持ち手の欠けで指をほんのちょっと切り、ポタリと一滴垂れた血で隷属契約されるとは。

お茶を給仕した神官見習いはここに来てから何度か雑談も交わしたことのあるシルエにも好意的な若者だった。怪我とも言えないような小さな傷にも申し訳なさそうに何度も頭を下げていた。おそらく彼も利用されただけだったのだろう。


 〝夜明けの日〟を迎えてもシルエは先々のことを考え術の強化、特に攻撃術を身につけたいと考えていた。

シルエの使う術はアンデッドの類には攻撃ともなるが大型の獣である魔物を傷付けることはない。あくまで治癒、回復、防御、強化など支援が主だ。サラドもどちらかといえば支援系や遊撃が主なため、二人で組むとなるとサラドとディネウ、もしくはサラドとノアラとなるのが不満だった。攻撃が身につけばサラドと二人で行動可能になる。


 それまでもノアラと共にお互いの術の違いを検証し仮説を立てて研究していた。目標は両方を使えるようになること。現にサラドは初めから可能なのだ。その弊害か初級程度の威力しかないけれども。

それぞれに似通った術は存在する。例えば、相手を怯ませ有無を言わせなくする効果は、シルエは『威厳』、ノアラは『魔眼』という眼力の術がある。

元は同じ、発展の途中で魔術と奇蹟に派生したのではないか、と。

その研究の進展のため遺跡である神殿内の書架の閲覧を求めた。


 魔物との戦いに明け暮れていた頃、シルエの治癒と防御の力は周囲から本物の奇蹟と持て囃された。当時、神殿は神官でも見習いでもないシルエを認めることはなく、紛いものの奇蹟と罵り、協力を拒んだ。


 〝夜明けの日〟後、神殿は手の平を返したようにシルエを招いた。サラドとノアラには心配され、ディネウには止められたが、例え罠でも自分が引っかかることなどないと自信があった。目的の本をちょっと見るだけ、と己の力を過信して油断していたのだろう。


 その結果がこれだ。


 何度となく抗って傷を負い、発熱にも苦しんだ。魔力も大幅に制限がかかっている。

隷属から抜け出す術を探りながら、どうせなら従わされるだけでなく立場を利用しようと、養護院や施療院の設立に尽力した。だが軌道に乗ると手を引かされた。

近年、養護院は人身売買の温床にされ、施療院ではまともな治癒もなしに寄付の強要が横行している。才能ある子供に教育の機会を与える施設では育てた人材を逃さないためにシルエ同様に隷属の術が結ばされていた。

許せなかった。救い上げられたと思ったところを落とされた子供達の絶望はいかほどだっただろう。

どんなに阻止しようとしても隷属の術が邪魔をする。


 子供達や多くの非のない神官・見習い達のためにも穏便に解決したいと策を弄していたのも、サラドとの再会でもう待てなくなった。そして本来はアンデッド類に使う裁きの術を改竄し威力も神殿を覆い尽くすほど大きく練り上げた。同時に彼が張った聖都の外枠の結界も、内側の強化も破壊した。自分にできることはこれまでだと、ノアラに隷属された子供達の解放を頼む便りを術にして送った。

悩みと悔いに眠れぬ夜は九年に及ぶ。細く摩耗した精神は限界を迎えていた。


(この現状を知ったらサラドはどう思うだろう。

子供達の不幸を先導していたと誤解されたら? 

違う、僕はそんなつもりはない。

けれど知っていて救えなかったのも事実。

軽蔑するだろうか。

もう弟ではないと、縁を切ると言われたら――。

嫌だ)


 シルエは儀礼用の短刀を掴み、刃先を自身の首に突き立てた。


(悔いても悔いても戻れはしない――もう無理だ)



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