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38 過去の詩と若き吟遊詩人の詩

 ケントニス伯爵夫人をはじめ、それなりの年嵩であるお茶会のメンバーはもともと智を求めるだけあり〝夜明けの日〟に至る終末の世、当時も各地で起こる出来事に関心を寄せていたし、記憶力も良い。

若い吟遊詩人が歌った『魔王』の詩の一部には聞き覚えがあった。十数年前に歌われ、後に禁じられることになった詩のひとつである。

その頃と状況も情勢も違うが、王命で禁じられたものを広めるわけにはいかない。


「原詩より誇張して言葉も弄っていたわね。…手紙を書くわ。準備を」


 過去、禁じられた詩では『魔術()の如く』という言葉が王族からも不興を買った。現王族は古代王国の末裔で民を導く正統な血筋と謳っているため、連なる者以外をこの国で王と称してはならない。

今回、若い吟遊詩人は『如く』を抜き『魔王』として、よりおどろおどろしくしていた。

ケントニス伯爵夫人は従者の用意した便箋にペンを走らせている。その表情は幾分険しい。

歴史家の女史は聞きながらすぐに書き留めた『魔王』の詩を他のメンバーに見せ、聞き違いがないか意見を求めている。ショノアも急ぎメモを取り出していたが、頭の中で反芻していた詩が散り散りになりそうで焦り字がかなり乱れていた。


 『魔術の王』と歌われたのが英雄の一人である『大魔術師』であるのは疑いようもない。

言葉を選んだのは詩人であって大魔術師がそう呼ぶように指定した訳ではなくとも、傲慢だと批難したり、その内容を鵜呑みにして恐れる者もいる。

英雄たちの活躍が歌われるようになった当初から、好き勝手に歌われ持て囃されることに困惑していた彼らは押し付けられた聖人君子像や独り歩きした噂を否定していた。皮肉にも「自分たちは英雄ではない」と否定すればするほど広まる。国に仕えることを拒否させた一因は、ただの謝意や賞賛ではなく、英雄として持ち上げ利用しようとする貴族から逃れるためでもあったのだろう。


 大魔術師の力は比類ない。大きすぎる力を持つ者が国家の敵にならないよう王宮も大魔術師を囲い込んでおきたかったが、『最強の傭兵』同様に富も名声も欲せず、望んだのは自由。人嫌いという噂もあり姿を暗ませた後は接触することも叶わず、どうか機嫌を損ねないこと、他国に渡らないこと、人々の敵にならないことを祈るしかなかった。

魔物から守って貰えている内は偉大な力でも、一歩離れ平和が訪れれば脅威と畏怖の対象と成り得る。それが魔術という一般人には縁の遠い力であれば理解も及ばず自分とは異なる者として忌避する。神殿が魔術は異端としているのも誤解を助長した。


 人嫌いだといわれる大魔術師が今また『魔王』などと呼ばれていると知ったら?

それを回避しなければという認識をお茶会のメンバーは共有している。


 マルスェイの顔色が優れない。ケントニス伯爵夫人が言う「困ったこと」に彼が一枚噛んでいることはその狼狽え振りからも明らかだった。


「マルスェイ殿、貴方、何か思い当たる節があるようね」

「実は…少し前に大魔術師の情報を求めていたところ、先程の吟遊詩人の…、彼の師匠にあたる方の覚え書きを見つけたのです。彼も初めて発見したようで、走り書きや未完成のものでしたが、厳重に包まれて秘されていました。…その、その中に大魔術師の容姿を描いた詩がありまして…。それを、まさか…」


じっとりと手汗を掻いた指先を絡め意味も無く動かす。答えながらマルスェイは自身でも確信したのかより顔色が悪くなった。


「もしかして…港町で大魔術師を探していた人物というのはマルスェイさま?」

「え? ああ、確かに探していたが…」

「〝夜明けの日〟の英雄『大魔術師』は『藍色の魔導着に金髪で紫の瞳の三十路くらいの男』だと…」

「おやおや、宮廷魔術師マルスェイ殿も大魔術師の容姿を広めるのに一役買ってしまったようじゃの」

「――っ!」

「当時、吟遊詩人から詩を奪うことになっても、制限を講じたのは英雄たちの活動の妨げにならないように、それと身の安全の確保のため王宮が配慮したからです。おわかりでしょう?」


 禁じたのはその名前と詳しい容姿を表現すること。比喩的なものは看過されている。詩を厳密に処断するというよりも、彼らへの無礼は王族が許さないという態度を明示することが大きな目的だった。当時、魔物に対して力を発揮していた彼らにそっぽを向かれ見捨てられることを恐れた故に。


「ですが、やっと得た手がかりで」

「マルスェイ殿、貴方が大魔術師を求めて止まないのは知っていますが、少し考えが足りなかったのではなくて?」

「…返す言葉もありません」


マルスェイは「その容姿を言いふらした者と知れば、大魔術師はより貴方を避けるだろうな」と隠居から慰めるように肩を叩かれて、頭を抱えてしまった。


「サラさん、どうしてそんなに怒っているの?」

「…あんな禍々しいもののように、恐ろしいもののように言うなんて…違う…」


 マルスェイは自分自身がしでかしてしまったことで頭が一杯で、サラドも魔術の心得がある者として『大魔術師』を敬愛する故に憤っているだけなのかと思い込み、彼の様子などさほど気にもとめなかった。


 ケントニス伯爵夫人の配慮であの若い吟遊詩人がこれ以上『魔王』の詩を歌うことはないだろう。しかし既に詩を聞いた者から話が王宮まで伝わったために今回の任務になったに違いない。

道理で貴族の、それも過去を知らない若者の間だけの話題であれば、どんなに町で聞き込みしても噂に至らない筈である。


「…今日はこれでお開きにしましょう。今夜の儀式が楽しみね」


ケントニス伯爵夫人は書き終えた手紙に封をして従者に渡した。「ここでのことは内密に」と念を押すように思慮深い瞳で微笑み、ゆっくりと頷いた。



 その日は二番目の壁は閉ざされており、夕暮れには儀式の進行のため広場も人払いがされていた。宿場町まで響く夕べの祈りの大合唱もなく、いつも以上に早く店も閉じられ、町全体が静寂に包まれている。

セアラは夕べの祈りを宿の泊室で行い、その際にふとサラドの怒りを堪える顔を思い出し、彼の心の安寧を願った。

夕食時もこの日ばかりは静かにするのが暗黙のルールらしく、給仕も威勢の良い声はなく、酒の提供もない。メニューも質素なものだけで皆黙々と食していた。昼間の件でマルスェイはまだ頭を抱えたままで、食事を口に運ぶより匙で容器をかき混ぜてばかりいる。無言で食事が進むことにニナは居心地が良さそうだった。


「セアラ、夜の神殿を見たいのであれば声を掛けてくれ。こんな日に何事もないとは思うが、念のため一緒にいよう」


 ショノアに言われていた通り、すっかり夜の帳が下りる頃にセアラは彼の泊室をノックした。いつものセアラならそろそろ就寝する頃だ。ショノアはすぐに返事をして一緒に階下へ降りた。

同じように宿の外には神殿を静かに見上げる人がちらほらいる。ケントニス伯爵夫人が言ったように内側から光り輝く色ガラスに照らされ闇に浮かぶ神殿は美しい。微かに香も鼻孔をくすぐる。

十分にその光景を目に焼き付けたセアラは、彼女の身を案じ付き合ってくれたショノアに礼を言い、泊室に戻った。できれば起きていてこれから聞こえてくるという祈りの言葉を聞きたいとも思ったが、静かに寝台に座して待つことにした。



 その頃、神殿では養護院と教育施設の子供達を除き、神殿関係者は遺跡である本神殿の礼拝堂に一堂に会していた。殆どの者にとって滅多に入ることのできない礼拝堂は全員が集められてもまだまだ広い。

星を象ったモニュメントの前、三段高い場所には中央に神殿長を頂点にして、両脇に副神殿長と高位の神官たちがくの字状に並び、広間の中央には神官、その後ろに見習いがずらりと居並ぶ。聖騎士並びに兵士も当直の門兵・警備兵以外は壁沿いに整列している。もうもうと焚かれた香が煙り、唱和する声は壁を震わすほどに大きい。

 神殿長はこの神官とも見習いとも少しだけ意匠が異なる特別製の杖を導師に差し出す、帰属を促す、受け取られない、という一連を今年もまた繰り返すのかと思うだけで憂鬱だった。

いつもよりも長い祈りの言葉は粛々と唱えられ、儀式は進行していく。

視界の隅に位置する一番端の、見習いよりも奥に背後に護衛を二名控えさせた導師がいる。


「導師ジェルディエよ。前へ」


神殿長に脇の者から特別製の杖が手渡され、胸の高さに両手で水平に持ち上げられた。導師は呼び出しに従い神官らの横を進み出て神殿長の正面の段下に跪く。護衛は脇に退いた。


「導師を特別な位と認め迎え入れたい。この杖を受け取りその身を神に捧ぐ誓いを」


神殿長は嫌々ながらも口上を述べた。頭を垂れていた導師が顔を上げ、真っ直ぐに神殿長を見つめる。痩せた顔、こけた頬、落ち窪んでぎょろりとした緑の目。草原のような明るい緑色の筈が仄暗い。


「その前に質問があります」

「質問? よかろう」

「今の神殿の有り様をどう思われますか」

「ジェルディエよ。ここは神聖な儀式の場ぞ」


導師の後見人でもある副神殿長が神殿長の斜め後ろから声を上げ遮ったが、「よい」と先を促した。


「寄付の強要、賄賂の横行、子供達の人身売買、神殿内で堂々と色を買う堕落ぶり、他にもっと悍ましいものも…。まさか知らぬ存ぜぬとは仰いませんよね? その一員になれと? 神殿の理念とは?」

「何のことだ。誰がそんな不正を…」


導師の声に広間中にざわめきが起こる。中には顔色をなくす者もいて、段上にいる神殿長からはそれがよく見えた。


「ジェルディエ! いい加減にせぬかっ」

「もう言いなりにはならない。例えこの首が締め千切られようとも」

「このっ。儀式を冒涜するこの男を取り押さえよ!」


慌てた副神殿長が声を荒げ、聖騎士の護衛が導師に向かって動いた。


「お借りします!」


導師が神殿長の手から杖をひったくった。それを天に掲げ勢いよく床を突く。ガチッと耳を痛める音が轟いた。


「あくまでしらを切るというのなら、あなた方の神に問おう。その行いに責めある者は心せよ」


音もなく視力を奪う眩い光が闇を貫き神殿を覆った。



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