37 智を求める者たち
聖都で合流したショノアは口を引き結びやや緊張の面持ちをしていた。その隣にはサラドとは初見の男性がいる。動きやすい服装にマントの留め金に宮廷魔術師団の紋入りブローチをして、身長に対して顎くらいまである先端に大きな玉の着いた杖を手にしていた。薄い青色の目がサラドを値踏みするように見据えている。
「ショノアさま、勝手して申し訳ありませんでした」
「いや、体の調子はどうだ? まだ万全でないのを馬車に乗せてしまい、こちらこそ悪かった」
「いいえ」
「はじめまして。貴方がサラ殿か。私は宮廷魔術師のマルスェイ。後釜はしかと務めるゆえ安心してくれ給え。一命を取り留めたと聞いたが見たところ大したことがないようで何よりだ」
にこやかに握手を求めるマルスェイにサラドも朗らかに応えた。大したことがないと判じたことにセアラはむっとした表情をしている。
「はい。よろしくお願いいたします。ではオレは解任ということでよろしいでしょうか」
「それなんだが…」
セアラがサラドに近付き、袖口をぎゅっと掴んだ。
「私たちはまだまだ旅慣れていません。サラさんが一緒だと…その…心強いです…」
「セアラ…だけど、」
「ショノア様、この任務は四人でなければいけないのですか? 五人では…サラさんも一緒では駄目なのでしょうか」
「いや、俺には任命権はなくて…。だが、サラはきちんと王都へ送り届ける。そこでしっかり療養して欲しい」
サラドに否定の言葉を言わせまいと遮り、必死に訴えるセアラにショノアが困惑しながらもほっとした様子を見せる。ニナの目元に瞬時、緊張が走った。
「どちらにしても、儀式のために今日の夕刻から聖都の街門は出入制限がかります。明日は約束を取り付けた方がいるのでご一緒に行かれてはいかがでしょう?」
「約束ですか?」
「調査内容の件で話を伺いに行くのです。今まで関わってきたから気になるでしょう?」
どうだ、というようにマルスェイが胸を張る。
「わかりました」
広場まで夕べの祈りに行くセアラに請われサラドも付き添った。その隣にはショノアもぴたりと付く。
アンデッドの噂は聖都内では忌み事なのか、兵士が睨みを利かせているためかあまり人々の口に上らない。ただ導師の凄まじい力により倒されたというのは敢えて目こぼししているようだ。
セアラが祈りに集中している間、ショノアはサラドの傍らを保持している。
「その…サラはアンデッドと戦ったのか」
「はい。微力ながら参戦しました」
「! もしやそのために我々から離れたのか?」
「そうなりますね。放ってはおけませんから」
「そうか…」
ポソリポソリと小声で交わされた会話は祈りの言葉にかき消され、周囲に聞かれる事はなかった。
夕食の席に着いた四人掛けのテーブルにサラドが使用していない椅子を引っ張ってきて設置した。いつもなら料理を取り分けて盆に載せニナの元に運ぶが、その様子はない。ほどなくして客室がある階上からニナが降りてきた。サラドはニナにセアラの隣に座るように勧め、自分は先程の半端な席に掛けた。
戸惑うショノアとセアラに、気まずさを誤魔化すようにニナの目つきが一層鋭い。マルスェイは静観している。その雰囲気を物ともせず「じゃあ、いただこうか」とサラドが食事への感謝の祈りを口にし、慌てて皆も口を揃えた。
ニナが食事のために顔の下半分を覆うスカーフを外すと、ソロリと視線が集まり、サッと逸らされた。ニナの左頬に薄らと傷痕があるのを見て皆は全てを察し、詮索することはなかった。
サラドは心底ほっとしていた。ニナを食卓へ誘いはしたが、来てくれるかは確信を持てていなかった。
「やっぱり、肉の方が良かった? 結構、濃いめの味付けが好みだったんだね」
「う、うるさいっ。見るな」
「あはは、ごめんね」
サラドの穏やかな声に食卓は一気に和やかになる。セアラも久しぶりに嬉しそうにふふっと笑い声を上げた。ニナの耳が少しだけ赤い。
「サラ殿は道案内や野営などで貢献されたとか。私もまあまあ旅慣れている方ですので、ご心配なく。枯れ葉に火を付けるのがやっとの魔術の腕前ではさぞ荷が重かったことでしょう」
「いいえ。心配はしていませんよ。ショノアさまの剣筋は真っ直ぐだし騎士としての訓練もしっかり為されている。セアラもこれから治癒の力がどんどん強くなっていくでしょうし、邪なるモノの気配も探れる。ニナの警戒、見張り、情報収集力は言うまでもないので」
「そ、そうか」
サラドの言葉に三人は食事の手をピタリと止め、セアラはもじもじと恥ずかしそうに身を捩った。その後もマルスェイのちょいちょい失礼な物言いにも気を悪くすることもなくサラドはにこにことしていた。
「マルスェイさまは魔術がお好きなんですねぇ」
のんびりと話しちっとも牙を剥いてこないサラドに対し最終的にマルスェイは肩を竦めた。
翌日、ケントニス伯爵夫人を訪ねるために聖都に入ってから初めて広場の奥へと進んだ。警備も篤く貴賓でなければ気安くうろつけない地域だ。
迎賓館の門構えは今まで泊まったどの宿とも違い、豪奢なうえに門番もいる。間違っても客引きをする従業員などいない。
約束を取り付けていることを堂々と告げて入って行くマルスェイにショノアも軽く会釈をして続く。場違いな雰囲気にセアラは気後れし、きゅっと杖を握りしめ、ペコリと頭を下げた。キョロキョロしないように気を付け、ふかふかの絨毯が敷かれた廊下を歩く。サラドは正規に任務を受けた者ではないため、遠慮して最後尾に付いている。
サロンのテーブルには五名の人物が茶を嗜みながら談義に花を咲かせていた。
ショノアとマルスェイが各人と挨拶を交わし、サラドとセアラとニナは壁際に控えた。
ケントニス伯爵夫人は質の良い艶やかな布地ではあるが飾りも少ない立襟のカチッととしたドレスを纏い、姿勢良く椅子に掛け手元の本に目を落としていた。文化芸術に造詣が深く、新進気鋭の学者や芸術家の良き理解者としてその界隈では有名な人物。
他に著作者でもある子爵、豪商の隠居、老学者、書記を務めている歴史家の女史といった錚々たる顔ぶれだ。
「今夜の神殿の儀式に私たちは参加できませんが、いつもは夜ともなれば真っ暗の神殿に夜半まで灯が灯り、宵闇に内側から照らされた色ガラスが輝き、焚きしめられた香が仄かに漂い、そこに厳かな祈りの言葉が響いて、それはそれは神秘的ですのよ。今年はギリギリになってしまいましたが、やはり来られて良かったですわ」
ほほほと上品に微笑むケントニス伯爵夫人は理知的な瞳を柔らかく細め、今夜見られる光景を思い浮かべてほうっと息を吐いた。その姿には熟年ゆえの貫禄と色香がある。
「今日は数名の吟遊詩人を呼んでいますの。其方が望む詩が含まれていると良いわね」
マルスェイが「恐縮に存じます」と頭を垂れる。ショノアがどういうことだろうと首を傾げるとケントニス伯爵夫人は書き留められた書類の束にそっと指を沿わせた。
「今、私たちが協力し合っているのは〝夜明けの日〟の英雄譚を編纂できないかってことなの。吟遊詩人たちの詩は方々で歌われるうちに端折られたり、より誇張されたりと徐々に変化してしまっているわ。詩の作者は一人ではないだろうし、時期の前後も曖昧。まだ人々の記憶がある内に最も真実に近いものを時系列できちんと纏め上げたいの。なるべくたくさんの吟遊詩人から聞き取りをしているのだけど」
「それは、とても壮大な試みですね」
「難航はしていますね。件のお達しによって一時期は歌うこと自体が禁じられたとの誤解もあって失われた詩も多く、吟遊詩人たちの中にはまだ警戒している者もおりますから」
「でもいつか、遙か遠い未来であったとしても、この伝承はきっと役に立つことでしょう」
「実は完璧な英雄譚が存在する、なんてまことしやかな噂もありますがな。禁書扱いだとか」
それから入れ替わり立ち替わり吟遊詩人が通されて詩を披露した。皆、走り書きをしたり、歌を途中で止めて同じ箇所を歌うよう要求したりと、吟遊詩人たちも常ではない雰囲気にタジタジだった。
最近新しく歌われているものについても聞いたが、それらの中に『魔王』が登場するものはない。
今また現れた魔物と『最強の傭兵』の活躍は今後歌われることになりそうな話しぶりだった。
「…そう、求めているものがなかったのは残念ね」
ケントニス伯爵夫人は人気の恋物語の詩を聞くため貴族令嬢の間でお茶会に吟遊詩人を招くのが流行っており、そこで不穏な詩を聞いたという話を小耳に挟んだ事をマルスェイに伝えていた。
〝夜明けの日〟の記憶が殆どない十代そこそこの子供達には少しぞっとする刺激的な詩は新鮮なのかもしれない。
吟遊詩人たちが去った後、お互いの情報を突き合わせああでもないこうでもないと交わされる討議にマルスェイは真剣に聞き入っている。
「それで、マルスェイ殿は大魔術師殿にはお会いできましたの?」
「それが、いつもあと一歩遅いようでして。今回の魔物の出現にも目撃談があるのですが、どうにも傭兵たちにはいつも話をしてもらうことも出来ず…、人伝の噂しか集められませんでした」
マルスェイがガクリと肩を落とした。大魔術師の話はおろか、傭兵団に所属する数少ない魔術師とも話をしてみたいのだが、警戒を露わにされ色好い返事は貰えた例はない。
「あらあら、傭兵さんたちに嫌われているようね」
「不興を買うような何かをした記憶はないのですけれど」
「でも、私たちも同じようなものですね。直接伺えるのが一番ですが、『最強の傭兵』殿には毎度、梨の礫を頂いておりますわよ」
そろそろお開きかという頃、気を引こうとする弦楽器の音色が扉の向こうから聞こえ、従者が「お約束は?」「困ります」と止めている声がした。
この中の誰かに気に入られ援助者となって貰えたらと望み、自己を売り込みに来る者はいて、珍しいことではないらしい。
「少しだけお時間を頂けないかと! 今作の詩は自信があるのです」
ケントニス伯爵夫人はちらとマルスェイに目配せし、「いいわ、通して」と扉の前で騒ぐ吟遊詩人を招き入れた。
「あっ、貴方は…」
入室して来た若い吟遊詩人はマルスェイに「どうも」と素っ気なく会釈をした。改めてケントニス伯爵夫人らに向き直ると、片足を引き、片手は胸に楽器を手にしたもう片手は真っ直ぐに伸ばし仰々しく礼をした。
「お知り合い?」
「ええ、大魔術師を探すための情報を前に頂いたのです」
「そう。では、拝聴しましょう」
その若き吟遊詩人の声は恋の叙情歌であれば蕩けそうな甘く美しい響きだった。
だが、歌い上げられたのはその声に似つかわしくない恐怖を煽る内容の、
月に輝く金髪は獲物を求めて靡き、地の底で眠る紫水晶の瞳は暗い炎を宿し
宵闇を広げたような藍色の衣を纏い、大きな鎌のような杖を手にし、
地を抉る雷を落とし、手の一振りで魔物を殲滅する
圧倒的な魔力で人々を恐怖に震撼させるという――『魔王』の詩
最後の一音を終えた吟遊詩人は手応えを感じながらも、誰もひと言も発しないことに一抹の不安と、「感動しているのでは」という楽観的な期待に揺れる目を周囲に巡らせた。
「その詩は、貴方が創ったのか?」
ずっと壁を背に沈黙を保っていたサラドが一歩前に出た。眉間に皺を寄せ、硬く口を引き結んでいる。滅多にないその怒気にセアラが驚いてサラドの顔を振り仰いだ。そのまま吟遊詩人に詰め寄りそうな勢いに、思わず引き留めるように袖を掴む。
質問が目の前の有力者ではなく、壁の方から聞こえたことに吟遊詩人は怪訝な顔をした。見るとその男は中年の背の高い、決して高級な服装ではない、どちらかと言えば風来坊だったので、お呼びでないと顔を背ける。
マルスェイはその詩の内容に困惑し、宙に手を彷徨わせた後、顔を覆い隠した。
「…貴方、その詩はもう何処かで披露しまして?」
「はい。お呼び頂きましたパーティーで、何か面白いものをと所望された際に」
「その一回だけかしら」
「いいえ、併せて三箇所ほど…」
最初の一回は若い女性ばかりの小さなお茶会で恋の歌を幾つか望まれていた折に。そこで披露した際に反応が良かったため、その後も同じく年若い貴族の集まりで歌うと、確かな手応えがあったために自信をつけ、吟遊詩人は今日この場に挑んだのだった。
「その詩を是非、お聞かせしたい方がいるの。王都へお呼びしても? 勿論、旅費は出します」
「は、はいっ。是非!」
ケントニス伯爵夫人は思案顔を扇で隠し、従者に指示を出している。
「それまではその詩は他所では披露しないと約束してくださらないかしら?」
「はいっ。了承いたしました」
従者に連れられほくほく顔で若い吟遊詩人が去ると、サロンに残った年配者たちは一様に嘆息した。
「困ったことになったわ」