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36 『魔王』の手がかり

 小型の馬車を用立ててもらい、四人は出立した。御者は下級の兵士が担っている。 

セアラはマルスェイを警戒し緊張していた。サラドの悪口を言う敵とみなしたらしい。そんなことは露知らずマルスェイはにこやかに話しかけ、早く打ち解けようと努めていた。黙していると冷徹にも見えるマルスェイが微笑む様は印象のギャップと、整った見目も相まって普通の令嬢ならば頬を紅潮させたことだろう。セアラは「はい」「いいえ」くらいの返事を小さな声でするのみで、いつもの困り顔の愛想笑いさえも返さない。ニナは変わらず無表情を貫いている。


「それにしても『魔王』なんて噂は耳にしないのに調査とは。何処でその様な話があったのかだけでも教えて頂ければ探す手立てにもなりますものを」

「マルスェイ殿、その、『魔王』と軽々しく口にはしないで欲しい。我々は民の不安を煽らずに調べるべきで、噂を広げるようなことはしてはならないと考えている」

「これは…浅慮でした。申し訳ない」


 途中の小規模な町で泊り休憩を挟み、退屈で体の凝り固まる馬車旅を続け、山林の町へと着いた。

マルスェイは宿の手配を終えるなりそわそわと町中に消えて行った。


「あの魔術師、大丈夫なのか」


普段、報告と必要最低限の受け答えでしか口を開かないニナがポツリと呟く。セアラも同意するようにこくこくと頷いた。

ショノアは御者を務めた兵士を労い、預けた馬に飼葉を用意したりブラッシングをしながら嘆息を吐いた。憧れていた従騎士マルスェイの面影はなく、あるのは宮廷魔術師に対する不信感。


「ショノア様、私は神殿まで夕べのお祈りに行ってきます。ニナは噂を集めに行きました」

「そうか。ありがとう。気を付けて行ってきてくれ」


馬房に顔を出し、頭を下げるセアラにショノアは手を止めて応えた。どんな状況でも朝夕の祈りを欠かさないセアラは真面目で誠実で好感が持てる。彼女が祈る姿は見た人々の心象にも影響を与えているように思う。神殿に属する者がみなセアラのようであれば、ショノアももう少し信心深かったかもしれない。


 馬の世話を終えたショノアも町中に出た。短期間で訪れるのが三回目ともなると行き交う衛兵とも顔が知れ、挨拶をされるようになった。ついでに世間話をすると、先日討伐された魔物がアンデッドとして蘇り、街道や近隣の村に避難勧告が出たという。この町からは離れている場所だったが、馬車で急ぎ引き返してきた者などで一時緊迫したという話だった。


「アンデッド…」

「その為、聖都付近の警戒は物々しく、街門の入門審査は更に厳しくなっているそうです」

「そうか、どうもありがとう。貴重な話を聞けた」

「いいえ、道中お気を付けて」


『あれは、万が一にも骸を利用されないためにです』『不死者――アンデッドとして』

倒した小鬼に対して祈ったサラドはそう言っていた。


(まさか、サラの用事って…)




 高級宿がある区域に向かう幅の広い道で一台の馬車が停車し、その脇にマルスェイがいるのをショノアは目にした。マルスェイが貴族然としたきれいな礼を執り一歩退くと馬車はゆっくりと走り出していく。


「マルスェイ、今のは?」

「ああ、ショノア、今の方はケントニス伯爵夫人。魔術にも理解のある方で、色々と支援してくださっているんだ。信心深い方でもあり、聖都に向かう予定だそうなのだが…」


(支援…パトロンってことか)


馬車旅の中でショノアとマルスェイの間では敬称と敬語は外すことで合意していたが、仲が良くなったわけではない。文官志望から否応なく騎士になったショノアと騎士として有望視されていたにも関わらず全てを捨てて魔術師になったマルスェイでは腹を割るには立場が正反対すぎる。


「ケントニス伯爵夫人からその…『魔王』について吟遊詩人の詩かもしれないと聞けたぞ」

「は? 吟遊詩人の詩?」


『魔王』と口にする時、口元に手を添えてうんと声を潜めたマルスェイは得意気に頷く。これまでたくさんの人に聞き取りをしてきたのに、あっさりと手がかりを得たマルスェイにショノアは軽い嫉妬を覚えた。


「聖都に着けば、知識を求め合う有志でのお茶会を迎賓館のサロンで催すそうだ。そこで他の方からも話を伺えそうだぞ。ちなみに、ショノアはこれから何処へ?」

「俺は…そろそろ夕べの祈りが終わるだろうから神殿にセアラを迎えに行こうかと」

「そうか。ではご一緒しても?」

「ああ、構わないが」


『魔王』の噂についての調査が一気に進みそうな気配にショノアは衝撃を受け、くらくらする頭を抑えた。


 開け放たれた扉からは神殿の礼拝所が見える。巡礼中の神官、見習い、観光客も含めての夕べの祈りは最後の一節が唱えられているところだった。

前回訪れた時よりかは人数も少ないが、それでも大勢の中でセアラの後ろ姿は直ぐに目にとまった。姿勢良く一心に祈る姿は彼女自身が発光しているかのように眩い。祈りを終えて人々が立ち去りだしても余韻に浸るようにしばらく祈りの姿勢を保ったままなのもいつも通りだ。


「彼女は実に清廉で良い神官見習いだね。この任務のために急ぎ見習いの修行をしたとは思えないな」

「清らかすぎて、少々危なっかしくはある」

「あとは、えっとニナだっけ? 私は彼に嫌われたのかな。返事もしてもらえず、」

「彼女だ」

「返事もして…え? 彼女?」

「彼女だ」

「…そうか。すまない。失礼なことを言うところだった」

「ニナの寡黙さはあれで通常だ」


ショノアは少しだけ安堵した。ニナを女性と判断したサラドがそれに長けていただけで自分が鈍感なわけではないことが証明された気がして。


 周囲がすっかり静かになって、立ち上がったセアラがショノアに気付き、軽い駆け足で近付くと、周りから歓声のようなざわめきが起こり、何事かあったのかと見回したが二人にはその理由がわからないままだった。



「ケントニス伯爵夫人から同行の承諾を得てきたぞ。夫人と同時期に訪れるなど運が良かったな」

 

 翌日、マルスェイは事も無げにそう言った。

ショノアも前に見かけた吟遊詩人に話を聞けないかと広場に行ってみたが、情勢の変化もあって彼はこの町を既に離れたらしく、何も手がかりは得られなかった。


「魔物の出現で聖都行き続行を反対されていたらしくてな。私たちが護衛に加わるという形で従者を説き伏せてくださった」

「そんな、伯爵夫人を任務に巻き込むような真似は」

「何を言う。利用できるものは最大限に使わねば、望むものは得られないぞ」


 マルスェイは武官系の家に生まれ伝手もない中、魔術を身につけるために東奔西走し、みっともないなどとは言っていられず貪欲にどんなことにも飛びついた。冷徹に見られがちな外見からは想像もつかない魔術への情熱と行動力が今の彼を作り上げている。図太いと言われようと何も恥じ入ることはない。


 ケントニス伯爵夫人の乗る馬車に続いてショノアたちの馬車が走り聖都へ向かうことになった。伯爵夫人の馬車には護衛の私兵も従っている。

聖都に入った後で宿場町にサラドを迎えに行くことにするか、とショノアが思案に暮れていると、ニナがおもむろに口を開いた。


「聖都の街門は今、入門審査が厳しいと聞く。以前に揉めたショノアとセアラは警戒される可能性がある。伯爵夫人とやらと一緒の方が怪しまれずに済むだろう。わたしがこのまま宿場町まで行き、あいつと共に聖都へ入れば問題が少ない」


マルスェイが小声で「こんなに長く喋るんだ」と失礼なことを呟いてもニナは気にした風もない。


「それではニナに負担が」

「面倒ごとは最小限にした方が良い」

「わかった。では頼もうか」

「な、ならっ。私もニナとっ」

「セアラはショノアと一緒の方が問題が少ない」


ニナがサッと馬車から離れ、宿場町行きの乗合い馬車の待合所へ移動した。ショノアに『頼もうか』と言われても信頼されているなどとは小指の先ほども思わないし、そわっともしない。今感じたのはただ安堵だった。単独行動が基本のニナにとっては一人の方が断然動きやすいし精神的な負担も少ない。

本当に宿場町でサラドが待っているとも限らないし、どの宿にいるかも調べなければならない。

これから半日強は独りでいられることにほっとしてニナは乗合い馬車に乗り込んだ。



「ニナ」


 宿場町で乗合い馬車を降りたニナは頭上から降ってきた己の名前に肩を震わせた。


「いつからそこに? まさか、ずっと」

「そんなわけないよ。オレも今日この町に着いたところ。あと一日後かなと思ったけれど、早かったね」


木の枝から飛び降りたサラドがニナの数歩先に着地した。



 サラドの左手の小指には前と同じく指輪が嵌められている。見た目シンプルな指輪の内側には極小の文字が刻まれ、魔力を溜める小さいが質の良い石も一粒埋め込まれている。ノアラはその指輪の修理とともに強化も試み、その間サラドは彼の住処で過ごしていた。


 ノアラの家は森深くにあり、古代の魔術師が遺した屋敷のため守りは堅固だった。王宮や神殿と比べたら小屋くらいの大きさだが、地下が広く、蔵書もそのまま残されており、古代魔術を繙くに事欠かない。

敷地内には小規模だが薬草や毒草や野菜の畑もあり、家畜化した山鳥が自由気ままに闊歩している。

サラドたちが育った家の環境に近く、町や村からも遠いため人に煩わされる事もない。ノアラにとってはまさに城だった。


 研究を始めると寝食を忘れがちなノアラのためにサラドはたまに訪問しては掃除や洗濯や保存食作りをしている。

畑で育てている糖度の高い根菜をすり下ろし絞り取った液を丁寧に漉し乾燥させれば、ほんのちょっとだが優しい甘みの顆粒が作れる。絞り取ったかすは畑の肥料に加工する。

――こっち、こっち

精霊に誘われて森に行くと、目当ての木もたわわに実っていた。果肉部分は渋味とえぐ味が強く、それを好んで食す特定の獣以外、鳥や森の生き物たちに食べられることはない。だがその種を割って取れる中身がものすごく甘い。それを取り出して、磨り潰し煮出した後乾燥させれば甘味料が作れる。また果肉も別の酸味が強い果物の絞り汁に漬けておくと灰汁が抜けるので、種から作った甘味料でトロトロになるまで煮ればノアラの好物となる。

また、精霊の声を聞いて向かった先では蜂の巣を熊が襲っていた。巣が全滅する前に追い払ったため、蜂蜜も少し分けて貰えた。蜂に刺されてまで熊が求める蜂蜜は栄養価も高い。黄金色の液体を見せるとノアラも嬉しそうに頬を緩ませた。

頭を使うことが多いためかとにかくノアラは甘党だ。干した果物の蜂蜜漬けや木の実を甘く煮付けたものなどを作り、穏やかな気持ちで過ごした。

乾燥はさすがにまだ途中で次に来るまで放置になってしまうけれど。


 宿場町までサラドを転移で送り届けたノアラは不満があるのかやや眉間に力を入れ「絶対に外すな」とサラドの左手の小指を指した。

「あと、シルエにかけた幻術が消えないよう気をつけろ」と言い残してノアラは転移で帰って行った。



 サラドは穏やかに笑んでニナに一歩近付いた。


「ありがとう。お陰さまでのんびりできたよ」

「…。あんたの後任が来て、今は『魔王』の情報が掴めそうだからと聖都に向かった」

「そっか。じゃあ、オレを迎えにニナが来たんだね。それとも殺して来いって言われた?」


飄々としたサラドをニナはただキッと睨む。


「ニナだって命令されるのは想定内だろう? …簡単に殺されるつもりはないけど」

「…聖都へは行くのか?」


サラドは宿場町からも見える神殿の尖塔を遠目に眺めた。


「うん。交代のご挨拶はしないとだね。じゃあ、行こうか」

 


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