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35 宮廷魔術師マルスェイ

 ニナは薄暗い部屋で上官からの詰問に堪えていた。


()で体の自由を奪って放置してきたと? それを信じると思うのか」

「じ、事実です…」

「この機関で嘘を吐いてみせるとは。いつからそんな度胸を身につけた?」


上官は指先でニナの肩を小突いた。軽い力なのに揺れそうになる体に力を入れて、足を踏ん張る。


「528番、お前は何一つまともにこなせない落ちこぼれだが、この任務が成功した暁には正式な部隊員とし、我が主への忠誠が篤いと認め、お前の愛する母と弟の監視を解き自由にすることを約束してやろう」


名前さえ与えず号数でニナを呼ぶ上官の冷え冷えとした声が甘言を囁く。それが真に違えない約束ではないことを嫌というほど知りながらもニナは僅かな希望に縋るように顔を上げた。


「その男を好機があれば殺せ。だが、お前には荷が重かろう。逃がさず王都まで連れて来ることで許してやる」


この部隊では少数精鋭の者を除いて意見や反論は認められない。ニナにできる返答は必然的に諾しかない。身震いしながらもニナは目礼をして上官の下を離れた。

薄暗い部屋で上官はひとり、記憶を手繰り寄せる。忌々しい屈辱的な失敗の記憶。


「我が主を出し抜いて一介の騎士に人捜しをさせるなど。見くびられたものだ。だが、本当にあれがそうだと言うのなら、今度こそは必ず息の根を止めねばならん。あの時は多くの犠牲を払ったからな…」


 王配殿下の懐刀である特殊部隊を束ねる上官は女王陛下の側近が今回の任務に乗じて秘密裏に九年前に失踪した『赤みの強い茶色の髪、瞳は橙のサラドという男』を探すよう命じているのは把握していた。ショノアが上げる報告書も彼ら諜報部の手にかかれば筒抜けである。


 特殊部隊にとっての主君は王配殿下であり、その命令は絶対だ。女王陛下の影となり、暗部を一手に引き受け、王配はあらゆるものから女王陛下を護っている。

 今回の捜索も主に害なく問題とならないのであればと放置していたが、共に旅立った宮廷魔術師の代理が当人であるという情報は捨て置けない。もしも端から計略で宮廷魔術師にすり寄ったのだとしたら、余程の豪胆かとんだ阿呆だ。


 九年前、その男に差し向けた暗殺者の数は五指に余る。相手に捕まる前に自害した者が数名。相手に唆され逃げようとして始末された者が一名。依頼人の元へ戻るよう暗示をかけられ無傷で帰って来た者も二名。ここで正気に戻った隊員の取り乱しようは憐れだった。任務に失敗した暗殺者の末路は厳しい。

どれも一流の腕前だったはず。そんな中、暗殺とは別の方法に切り替えるべきかと苦慮していたところ、さほど期待をしていなかった者が赤い髪の毛束と装飾品を持ち帰って来た。偶々通りがかりの村人が死体に手を合わせ埋葬し始めたため、首は持って来られなかったという報告で、本人を特定するにはやや弱い証拠品だった。


その後、共有はしていないが、陛下側の配下もその場を訪れ、土を掘り起こして死体を確認したという情報も掴んでいる。

悉く失敗をしていたことからにわかには信じ難かったが、実際にその後ぷっつりと各地の街門や関所の監視に該当者は見当たらなくなった。追跡は終了し、問題視はしていなかったが、主の憂いの種になるのであれば、排除するのみ。


 528号と呼んだニナが上手く立ち回れるとは期待していないが、その男が仲間となったメンバーに心を砕いているという報告は受けている。部隊員になりきれない半人前、あれでも少しは役に立つだろうと踏んで送り出した。



 ニナは洗濯場や庭師など古参の使用人がいそうな付近を歩きながら些細な事でも何か情報はないかと耳を澄ましていた。王宮内は部隊の手の者が各所の使用人に扮して紛れているため怪しまれる行動は取れない。

サラドが暗殺対象だったことはほぼ確実。しかもニナが所属する部隊が狙う相手で、改めてニナにも命令が下された。サラドはその事に気付きながらニナに接していたことになる。ニナは眉を顰め、頬を指で擦りその感触を確かめた。


(なに考えてるんだ? なんで助けるような真似を…)


ニナは過去の文献を調べられる立場にない。現時点では軽いお喋りに上るような話題でもない。早々に諦め指定された部屋へと向かうことにした。




 再び呼び出しを受け王宮の一室を訪れたショノアに既に到着していたセアラがほっとした顔を見せた。軽い挨拶以外は会話もないまましばらく待っているとニナが入室して来た。


「ニナか、早かったな。サラはどうした?」

「ニナ! サラさんは?」


ほぼ二人同時にサラドの安否を問われ、ニナは一拍の沈黙のあと口を開いた。


「宿場町で体を休めている」

「なぜ一緒に来なかった?」


首は動かさず目だけがショノアを捉え、ふぅと息を吐く音が聞こえた。


「あの体で数日かかる馬車移動は無理だ」

「平気そうに見えたが…」

「そう見せているだけだ。常人なら立つことも難しいだろう」

「そんな…」

「何日眠っていた? 貴殿は怪我も病気もしたことがないのか」


ニナの辛辣な言葉にショノアは言い淀んだ。セアラがサラドの様子を聞きたそうにしているがニナは黙り、扉を注視した。直後、文官ともうひとりが続いて入って来て、三人は礼を執る。


「お待たせして申し訳ありません。宮廷魔術師のマルスェイと申します」

「マルスェイ殿には正規で任務にあたってもらう」


思った通りの人物の登場にショノアは先行きに不安を覚えた。マルスェイの方もショノアに気付いたようで僅かに体の向きを整え正面に見据えて、握手を求めて手を差し出した。


「これは、リード殿、貴殿がリーダーでしょうか。どうぞよろしくお願いいたします」

「マルスェイ・モンアント伯爵子息、高名な貴殿が加わるということで大変心強く感じております。どうぞ私のことはショノアと」

「…私は廃嫡を申し出、受理されております。ただの宮廷魔術師マルスェイですよ」


マルスェイはショノアを牽制するようににこりときれいな笑みを見せた。

宮廷魔術師団のローブを身に纏ったマルスェイは銀と見紛う淡い金髪に薄い青色の瞳をしている。長さがバラバラの髪が結わいていても解けて顔の輪郭を隠すように流れている。そのせいもあってより細く、鋭利な印象を与える面立ちだった。ショノアよりも幾つか年上の二十代半ばの青年は構成員が初老の人物ばかりの宮廷魔術師団において唯一の若者である。


「これまでにいた者は少しの魔術が使える程度だとか。そのような者を推薦していたなど、我が魔術師団がご迷惑をおかけして申し訳ない。私であれば本来の魔術でもっと役に立ってみせますよ」


自信満々の態度と、サラドを貶める言葉にセアラはむっと頬を膨らます。俯いていた顔を上げ、物申しそうになったところをニナが袖を引き、首を小さく振ってみせる。セアラはハッとしてしょんぼりと項垂れた。



「お互いの認識に齟齬がないようにショノア殿の報告書は私も見せて頂きましたよ。大変読みやすくまとめられていて感嘆いたしました。『魔王』を探すとは随分変わった任務だと、聞いたときは驚いたのですが、これまでの道程では魔物との戦いもあったとか」


 文官に任務の続行を伝えられ、儀礼的な挨拶を交わした後、改めて四人となったメンバーは別室にて打ち合わせをしていた。


「それで、次はどちらに向かわれる予定ですか」


ショノアがちらりとニナを見た。無口、無表情で普段は目線もあまり合わさない彼女が真っ直ぐショノアを見ている。


「任務中に怪我を負った貴殿の前任者が宿場町で休んでいるから、迎えに行きたいと思う。王都へ送り届け適切な治療を受けさせる義務がある」

「宿場町なら聖都と目と鼻の先ですね。神殿で治癒を願っては?」

「…診てもらったのだ」

「ある程度回復してから再度治癒を願うことはありますよ。後遺症を防ぐためにも。どちらにしても好都合です。任務がなければ山林地域に赴きたいと思っていたところなんですよ」

「どういうことだ?」

「あ、ああ…いえ…」


口が滑ったとでもいうようにマルスェイは口籠もった。


「…私欲で申し訳ないのですが、『大魔術師』が山林の町付近での魔物討伐に現れたという噂を聞きかじりまして、どうしても現地で真相が知りたく…」


 マルスェイは休暇を利用した魔術探索の旅から宮廷魔術師団に帰り着き、この任務のことを知った。別の適当な人物を充てるからと反対はされたが、是が非でも行きたいと申し出た。公務で各地へ行けるなどマルスェイにとっては願ってもない仕事だ。


早速、出発準備に取りかかっていたところ、魔物が港を襲った話が飛び込んできた。強い魔物の討伐現場にはマルスェイがどうしても会いたいと願ってやまない『大魔術師』が現れる可能性が高い。

我が儘を承知で出発を遅らせて、港町に向かう許しを得た。その間に任務中の者は一旦王都へ戻るよう指示して貰える事になった。

港町で目撃談がないか探して回ったが、聞いたのは山林の町付近で見た者がいるという噂だった。

最近、港町に戻ってきたという『最強の傭兵』――〝夜明けの日〟をもたらした英雄のうちの一人に『大魔術師』のことを聞くべく傭兵の詰所となっている酒場にも行ったが、一瞥されただけで答えてはもらえず、諦めきれずにいると取り巻きにつまみ出されてしまった。


港町になど来ずに命令通り山林の町へ向かっていればもしかして、と口惜しさに歯噛みした。せっかくの機会を棒に振り意気消沈していたが、任務なら大手を振って行くことが可能だ。


「もちろん、任務には粉骨砕身で臨みますよ」


 ショノアはどうして宮廷魔術師団の者はこうも我欲優先なのかと辟易した。

マルスェイのことは子供の頃から知っている。騎士の家柄に生まれ、ショノアと同じく三男という立場。父も兄二人も騎士で隊長などの要職。ショノアが騎士見習いの頃、マルスェイは既に従騎士で、その実力はお墨付きだった。騎士としての将来が約束されたようなものなのに、ある日突然、廃嫡し、家名を捨てて魔術師を目指した変わり者。その剣の腕前を惜しむ声がある中で、最年少で宮廷魔術師団入りも成した。

望まれる場所があるのに、誰も望まぬ場所へ行くなど理解に苦しむ。ショノアの一方的な蟠りだが共に行動することを不承になるのも仕方がない。


 ニナは、こいつが港町で『大魔術師』を探っていた男かと思ったが、命令でなければ知り得た情報を易々と口にはしないため、『大魔術師』と会ったことなどマルスェイに伝える気は毛頭ない。まだマルスェイが何を求めているのか判断できないままにそれを話したらサラドもいい顔をしないだろう。

ふとそんなことを考え、何故サラドが気にするかどうかなどが頭を過ぎったのか自分でもわからず、首を傾げた。


 王宮を後にする前に文官から魔力の補充を終えた通信用の魔道具の筒を手渡されながら、「例の男は引き留められているそうだな。次は必ず連れ帰るように」と囁かれ、ショノアはゴクリと息を飲んだ。



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