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33 集結

 地中から蘇ったのは幾日か前に討伐されたと噂になった魔物。巨大な二匹の蛇が絡み合ったような姿――そのアンデッド。

落とされた二体の頭はそれぞれに鎌首をもたげて牙を剥き、絡み合っていた下肢はほどけて併せて四体が独立してうねっている。スッパリと切られていた断面からは滴る血ならぬ毒を撒き散らし、しゅうしゅうと瘴気を充満させた。


(蛇じゃない、これは深海の魚か…。何故こんな林の中に? 裂け目で飛ばされたのか)


鱗に覆われた体には背鰭があり、目の位置よりも深く裂けた口には二重の鋭い歯列が覗く。持ち上がった体から腐った肉塊がボトリと落ちた。そこから白くのたうち回る蛆がわらわらと溢れ出る。


 サラドはじっとその魔物と対峙した。背中を冷たい汗がつつっと伝わり落ちる。ピリッと指先が緊張で痺れた。

サラドひとりではできることは少ない。瘴気が広がらないように竜巻を起こし、とにかくここから移動させないことに専念する。こんなモノが暴れたら村のひとつやふたつ、簡単に滅んでしまう。


(いつまでもつか。…くそっ)


「サラド!」


 呼ばわる声と同時に投げられた物をサラドは無意識にも受け取った。少し反りのある剣身に握り手の保護がある片手剣はサラドがずっと腰に差してしたもの。鞘の古代文字らしき文様が「さあ、抜け」と奮い立たせる。

声から遅れて、薄紫色の光で空中に描かれた魔法陣から二人の人影が躍り出た。

剣を投げ寄越した男は紫色の怜悧な目を眇め、ぼろぼろの魔導着を纏い、金髪を靡かして魔法陣を操る。端正な顔を歪め、大声を発するのは珍しい。

斑がある変わった色の毛皮を腰に巻いた、どっしりとした構えで大剣を握る男が続く。濡れたような黒髪が陣の光を受けて紺色に艶めき、深い青の瞳が状況を疾く判断する。


「ノアラ! ディネウ!」

「おー! なかなかのピンチだなっ」


ディネウが大剣を振るい両断にした一体は暫く動きを鈍らせただけで体数と毒と瘴気を増やす結果となった。肉体の死を既に迎えたアンデッドは動けなくなるまで攻撃を止めることはない。


「あー、ちくしょう! これだからアンデッドはキライなんだよ!」


招集の合図が鳴り交わされ、ざわざわと芝地に自警団の面々が集まりだした。先頭にはニナが息を切らしている。


「なんだ…あれ、前よりでかくないか…」

「無理だ…あんなの、敵いっこない…」


ドロドロとした異様な姿に戦意を失う者、近付き過ぎて瘴気にあたり咳き込む者。


「手出し無用! 一部は外周で見張り、もっと離れろ! あとは避難誘導しろ! こいつは毒を撒く。誰も近付けるな。行け!」

「はい!」


ディネウの掛け声で自警団の面々は村や街道に散っていった。


「ちっとばかし分が悪いな」


ディネウがサラドとノアラに目を向けた。誰ともなく頷き合う。

サラドは片手剣をスラリと抜いた。古代文字の彫られた白々と光る剣身は金属の質感ではない。使い手を選ぶ魔力持ちの剣は軽くて単純な攻撃力は小さいがアンデッドに有効な代物だ。

ディネウは不敵な笑みを浮かべ、じりじりと間合いを詰めた。ノアラがすぅっと息を吸い込み、片手を天に掲げる。


「やめろ! ノアラは魔力消費の殆どない術でこいつが逃げ出さないようにしてくれりゃいい! 帰りの分、温存しとけっ!」


魔力消費量が高く体に負荷がかかっても確実に仕留められそうな術を叩き込もうと構えるノアラにディネウが怒声を浴びせた。

自身の左腕に刃を沿わし今にも肌を切ろうとしているサラドにもビシッと指を突き立てる。「サラドてめぇもだっ!」


「ちと時間はかかるが俺様が動けなくなるまで微塵切りにしてくれる!」


ヌルヌルと迫って体当たり、巻き付き攻撃を仕掛けてくる魔物をディネウは体液だの瘴気だの気にも留めず縦横に切り刻む。ディネウの攻撃範囲内から抜け出そうとする塊をノアラが魔術の土壁で防ぎ、弾かれて戻ったところを切り裂きサラドの方へ飛ばす。サラドは彼の腕力でも一撃で倒せるほどに小さくなった魔物に止めを刺した。片手剣で切られた塊は焼かれたように灰と消える。

一撃必殺のような派手さはないが、確実に削り倒していく。旅立ったばかりの、まだみんなの力が弱く魔物との戦いに苦戦していた頃のような連携。


「はっ このまま細切れにしてやるぜ」


どこか楽しそうにディネウが大剣を振り上げた時、眩い光槍の雨が天から降り魔物の周りに檻を作った。


「理をはずれしものに裁きを 二度と拝めぬ光への渇望に その身を焦がせ」


まるで太陽を呼び寄せたような光と熱がアンデッドを塵ひとつ残さず蒸発させる。無慈悲な閃光は一瞬で何もかもを終わらせた。逃げようのない光だがその場に居合わせた人にとってはやや目を細める程度の痛手しかない。


「なんだよ、いいトコ全部かっさらっていきやがって」


大剣をゆっくりと下ろし、はぁと息を吐く。背筋を伸ばして顔を上げたディネウの視線の先で、ゆったりとした長衣を纏った人物が馬から降りた。

つい先程までいたアンデッドの気配に怯え興奮して前脚を打ち鳴らす馬を近くにいた自警団の青年に頼み、三人の元につかつかと歩み寄る。


「シルエ、久しぶりだな」

「まぁね。間に合って良かった」

「九年振りに会って、それかよ…。可愛くないところは変わらねぇなぁ」


にこにこ顔のサラド、呆れたように嘆息するディネウ、頷くノアラ、サラドにだけ笑顔を向けるシルエ、久しぶりに四人の義兄弟が集結した。


 何事が起きたのか事態について行けずに呆気に取られていた外周を守る自警団がにわかに勝利に沸く。ニナはほっとしてようやく自警団から距離を取り普段通りに影を薄めた。

今にも飛びかかってきそうな自警団の面々をちらっと見て、サラドが手を振るった。たちまち瘴気にも似た霧が四人を包みその姿を隠す。魔物の影響がまだ残っているのかと周囲の面々は二の足を踏んだ。


「問題ない! 調査中だからその場で待機!」


ディネウの張った声が届くと自警団はピシッと姿勢を正し命令を遵守する。

霧の中では四人が気兼ねなくお互いを労い合っていた。


「シルエが一部でも詠唱するなんて珍しいな。ってか何でそんなに痩せてんだ? ちゃんと食ってるのか」

「んー、色々と事情が」

「サラド、髪」

「ああ、うん。ちょっと魔物に捕まって」

「うわっ、本当だ。真っ白じゃねぇか。ちょっとって、なにやってんだよ…。救援信号を受けて来てみりゃ、お前いねぇし。武器を手放すとか、ノアラなんか目茶苦茶心配してたんだぞ」

ノアラはこくりと頷く。

「ごめん。奪われたくなくて」


兄弟水入らずの時間は長くは許されないらしい。シルエが息苦しそうに詰め襟に指を差し込む。


「シルエ! これは?」


怒気をはらんだ声でノアラが首を押さえるシルエの手を掴んだ。ノアラの魔力を受けて、魔術の痕跡が――シルエの首と手首に枷と遠くに繋がる鎖が可視化される。

同じく手を伸ばしかけていたサラドが苦悶の表情を浮かべた。


「隷属の魔術か?!」

「そう…。ノアラにはすぐバレそうだとは思っていたけど流石だな。本当に間抜けだよね。こんな…ね」

「えっ? 嘘だろ、おい。シルエは騙す方で騙される方じゃねぇだろ。まさかそれでずっと神殿に?」

「ディエこそ僕のこと何だと思ってんの? そう…、今は魔物の情報を理由に強引に出て来た。早く戻らないと首が絞まるんだよ。決して死なないぎりぎりまで」

「サラド、手を貸せ。術を遡る」


自嘲気味に項垂れるシルエの首の枷に触れるノアラの手にサラドが手を重ねる。二人の魔力が鎖を遡りその術者を追う。共有された感覚で見えたのは暗闇、鉄格子の檻の中で震える痩せこけた子供だった。彼もまた枷と鎖に繋がれている。

ノアラの紫色の目が剣呑に細められた。


「少し荒業だが無理矢理にでも壊す。痛みがあるが我慢してくれ」

「ははは…痛いのなんか慣れっこだよ…。でも、待って。まだやり残したことがあるんだ。戻らないと」

「‥‥。サラド、壊すのと同時に術者とそれを命じた者に気付かれないよう幻術をかけてくれ」

「わかった。やってみる」


ノアラが細く長く息を吸うと魔力がブワリと膨れ上がった。パキリと音をたてて枷が壊れた瞬間、シルエが声を押し殺して顔を歪めた。ぎゅっと握った拳が震える。鎖がバラバラになっていくのと同時に幻の鎖が形成されていく。

ノアラが手を放し、詰めていた息を吐ききった。シルエには枷と鎖に繋がれたシルエの幻が重なっている。


「わぁー。すごーい。視界がなんか二重? 自分がいる」

「シルエ自身に害が及ばないように、隷属されたシルエごと幻にした」


額の前でシルエが触れられないものに手を掠めさせた。本人以外には幻のシルエしか視認できない。

ノアラはシルエの意を汲んだが納得はしていないようで口元がムスッとしている。


「ノアラ。…助かった。ありがとう。自分ではどうやっても崩せずにいたから」

「しおらしいのなんか、お前らしくないぜ。反撃、するんだろう?」

「ディネウに言われなくても。…じゃあ、そろそろ戻らないと怪しまれるから行くね」

「シルエ」


悔恨で顔を歪めたサラドがシルエの手を両手で包んだ。言葉にできない思いの丈が橙色の目を揺らしている。


「大丈夫。兄さんもまた一緒にいられるのを楽しみにしていて」


 導師の表情を取り繕ったシルエが霧から出て行く。馬を預けた自警団の青年の元には聖騎士が張り付き苛々としていた。


「無事、討伐完了した。帰るぞ」


聖騎士の護衛が口を開く前に文句は言わせないと威丈高に振る舞う。

枷から解き放たれ力の制限がなくなったシルエは微かだが異様な気配に敏感に反応し、目を向けた。その先には少し離れた位置でじっと息を殺すニナがいる。なるべく顔全体を動かさないように視界のぎりぎりでそっと振り返り、霧の中のサラドと目が合うと彼が小さく首肯した。ニナに纏わり付く異様な気配をぎょろりとした目で睨め付け導師は真っ直ぐに彼女に近付いた。


それ(ヽヽ)は幼い頃からか?」


顔の下半分を覆うスカーフを指し示されたニナは逃げることも構えることもできない威圧感に震えるしかない。質問の意図はわからなかったが、頷くしかなかった。


「…今は、これくらいしかしてやれない。力を望むな。それ(ヽヽ)は身を滅ぼす」


導師の指先に光が灯り、触れられてもいないのに温かさが頬に伝わる。瞬きほどの出来事にニナは目をしばたたかせた。


「いけません! 導師殿!」

「…黙れ」


諌める聖騎士の護衛に導師が低く静かな声を返す。ぐっと奥歯を軋ませて聖騎士は言葉を飲み込んだ。

導師はすぐに衣を翻し馬に跨った。その背後では霧が晴れ三人の姿も露見している。そこに自警団の面々が歓声を上げ群がっていった。

護衛のジャックは巻いた布から白髪の前髪が少しだけ見える男性を目に焼き付け、馬を走らせる導師と聖騎士を追いかけた。


 魔力を使いすぎて頭痛を訴えるノアラと疲労の色濃いサラド、自警団に引き留められるディネウは、近くの村で一泊して体を休めることとなった。


「ニナ、大丈夫だったか?」

「…それはこっちの台詞…」

「ショノアに付き出すのか」


サラドがいつかのニナの言葉を悪戯っぽくなぞる。ニナはしばらく押し黙っていたが、言い難そうにいつもより更に小声になった。


「三日経ったらあんたを見つけられなくても王都へ報告しに行くことになっている。このままいなくなっても仕方がないと言える。ただ、たくさん目撃されているし、わたしも自警団に接触してしまった」

「一緒に逃げるか? 王都から」

「…。部隊の目はあちこちにある。到底逃げられやしない…」

「ごめん。冗談だよ。そう教え込まれているもんな」

「‥‥」

「ごめんな。正直、かなり疲れてて。今夜は休ませて。ニナもゆっくり休んで」

「…了解」


 村が用意してくれた宴席で馳走になり、ディネウは勧められる酒を次々に呷っている。

ノアラは帽子を目深に被り、立て襟の釦を全て止めて口元を隠し、更にサラドの背後にぴったりと寄り添っている。「人見知りだから、そっとしてやってくれ」とサラドがにこやかに言うと村の人々も気を配ってくれた。

 村人に話を聞くと、怨嗟の声は勘の鋭い者や赤児や子供、役畜などの動物には感じ取れていたらしく、良く眠れない、そわそわと怯え落ち着きがないなどの被害が出ていた。


酒杯を傾けながらディネウがサラドに肉の盛った皿を「ちっとは食え」と差し出した。サラドは取り分けた分をノアラに渡し、皿をディネウに押し返している。


「港にも?」

「そう、なんかこう、ブヨブヨっとした体に胸元くらいまでのでかい牙があって、硬い髭も生えてて。息がすごく臭かったな」

「へー…」

「おかしいな?」

「おかしいよ…ね」


人里での、急激に上がった魔物の発生率は尋常ではない。しかも不死として蘇るというのはあり得ない。経験上それを操る存在を疑うのが普通だった。


「今回のこともあるし、そっちも蘇る可能性を否定できない。できればサラドに一回見て、祈ってやって欲しい」

「そうだね。オレも行っておきたいな。本当はシルエの方が適任なんだろうけれど」

「あー、あいつの場合はもう二度と生かさないって感じだからなー。お前のなら時間がかかっても命の環には還れる、だろ?」

「どうかな。シルエみたいに早く還してあげられた方がいいんじゃないかな」

「あいつの光は暴力だろ」

ノアラがこくりと頷いた。


充分に食事を堪能したサラドとノアラは先に就寝させてもらうことにした。

月が輝く夜に怨嗟の声はもうしない。


――眠れ、眠れ

――サラド、サラド

――休め、休め


精霊の声を子守唄がわりにサラドは目を閉じた。



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