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31 行き違い

 まだ煤の匂いが微かに残る林の中に二つの人影がある。


「そんな心配すんなって。簡単に死ぬようなタマじゃねぇだろ。ほら、あれだ。ここにもいないってことは、どっかで無事でいるってことだろ」


しゃがんで焦げた跡のある地面を丹念に調べているノアラがふぅと深く息を吐く。労うように背中を叩こうとしたディネウの手をノアラはサッと避けた。

ノアラの荷物にはナイフより長く短剣よりも短い剣と、反りのある片手剣、そして陣を刻んだ魔道具の指輪が入っている。どれもサラドが肌身離さずに持っていたものだ。


 焼け落ちた木の根元を中心に削がれた力を補おうとノアラが自身の魔力を変換して地に流し込む。かなり魔力も体力も消耗する力業だ。その昔、あまり魔力のないサラドが身を削っているのを見かねてシルエとノアラも手を貸すようになった。

ディネウもノアラもシルエもサラドのように精霊の声は聞くことはできない。それでもサラドが精霊とどのように関わってきたかは間近で見てきた。

今回の被害であれば大地の力は放っておいても緩やかに回復するであろう。それでも見過ごせずにささやかでもその力を返す。いずれ巡り巡ってノアラにより強い魔力と知恵を与えてくれることを知っているからこそ、感謝と許しを乞う。偉大なる大地にしてみればちっぽけな力だとしても。


「命を抱き育む水の導きがありますよう」ディネウも片膝をついて胸に手を添えた。

ディネウは湖の畔に住み、水の精霊に毎日祈りを捧げているが、なんとなくの勘でこの木にもそうすべきと感じた。子供の頃の自分では到底考えられない行動だが、長い間一緒にいることでサラドに感化された。気まぐれでやってみたところ悪い気は全くしなかったので続けている。


「アイツ、どういうつもりだ? 救援の魔道具を自警団のヤツに預けていったってことは何か危機を察してはいたんだろうが…」


 救援信号の発動に応じ、その魔道具に組み込んだ誘導地点にノアラの空間転移術で来てみれば、そこは山林の町と聖都との間の林で自警団が魔物相手に苦戦している真っ最中だった。使用者によれば魔道具はサラドが渡したらしいが、彼はそこにはいなかった。


魔物は問題なく倒したがその直後、ノアラが住居にしている古代の魔術師が遺した屋敷に魔術反応があったため、ディネウを残して急ぎ転移で取って返した。

そこにはサラドが左手の小指に嵌めていたはずのノアラが作った魔道具の指輪と剣が二本、置かれていた。指輪は壊されていて、それ故サラド自身は移動できなかったのか、魔力の制約が働いたのか、彼自身が残ることを望み大事な武器だけ退避させたのか、わかりかねるが鞘にこびりついた血は彼の身が退っ引きならない状態であることを窺わせた。

ノアラは真っ青になってディネウの元に戻った。


 倒した魔物の後処理を終えてもサラドはそこに駆けつけて来ることはなかった。

救援信号の魔道具を受け取った青年は宿場町付近でサラドに呼び止められたというので、情報を求めて宿場町にも出向いた。うら若き乙女の神官見習いと高貴な身分と察せられる戦士の目撃情報に背の高い使用人が付随していたというのがあり、それがおそらくサラドだろう。一行は修行道の方から来たというのでそちらにも足をのばした。


 次に耳にしたのは聖都の兵士が魔物に操られたという話、林の中の火の気、強い光の目撃談。ディネウとノアラが林で魔物を倒したのとほぼ同時刻らしい。サラドがそちらに向かったとすれば、救援信号に応じられなかったことにも頷ける。

 転移の術は過去に訪れた町の門など座標がしっかりしていたり、魔道具に誘導を組み込んだりしていないと目的の地点には飛べない。活動中の魔物の気配を追うのならともかく、倒された魔物がいた場所を探すのは地道な調査しかない。そのため、ここまで辿り着くのに時間を要してしまった。


「あとは…聖都内に入ったか。あー、なんか厄介なことになってねぇといいけど」


 ノアラは人との接触も人目に晒されるのも嫌うため町などに行く際はやむを得ない場合以外の常時、不可視の術で自身の姿を隠蔽している。魔術に明るくないディネウはノアラと二人の時は彼の位置をすぐに見失ったり、独り言を喋っているように見られたりと散々な思いをしている。


 ノアラの額からポタリと落ちた汗が乾いた大地に染みをつくる。地面から手を離し、険しく目を眇めた。片手で耳を塞ぎポツリと小さく呟いたノアラの前に現れた濃い紫色の蝶が赤色に明滅しながらヒラリと舞って消える。


「ディネウ、魔物の反応だ」

「えっ? 今度はどこだ?」

「港」

「なんだよ! 急に忙しいな!」


サラドが警戒していた港町の護岸周辺にノアラは魔物の反応を探知する魔道具を設置していた。それが警報を届けている。


「行く」

「待て! いくら何でも魔力の使用過多じゃないのか? あそこは腕の立つヤツもいるし、無理すんな…って、うわっ」


ディネウの腕を掴んでノアラは転移術を発動した。薄紫色の光を残して二人の姿は瞬く間に消えた。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 宿を出立する準備を整え、ショノアは荷物の中で魔道具の筒をちらっと確認した。その後の連絡はまだない。


「セアラ、聖都でやり残したことはないか?」


セアラが聖都でしたのはほぼサラドの介抱だけだ。本来なら神官見習いとして見て回りたかった所もあるだろう。

セアラはふるふると首を横に振った。神殿の外観を見ることはできたし、設備の整った施療院を見ることもできた。何より〝言葉〟を賜ることができた。心残りがあるとすれば、改めて薬のお礼を言えなかったことと、薬草園を見学してみたかったことぐらいだろうか。


「とても良い経験ができました。ありがとうございます」


 数日ぶりに神官見習いの衣服を纏い、杖を握ってセアラがにこりと微笑む。いつも不安気だった少女が一段成長して自信をつけたような清々しい表情だ。

ショノアも常に帯剣だけはしているが、聖都内では物々しくなるため革鎧を装備するのは久々だった。繋ぐベルトの金具をぎゅっと締めると気が引き締まる思いがする。

そこでサラドの装備が気になった。灰色のマントも胸当ても膝を守る長さの革靴も、とにかく身につけていたものはほぼ全て火で駄目になり、今は薄い普通の衣服だけ。荷物に入れてあった大きめの布をマント代わりに器用に頭と体に巻いている。靴も間に合わせで機能的とは言い難い。何より、とても大事そうにしていた短い剣も大切な借り物だと言っていた魔力持ちの片手剣も使い慣れた弓も失せていた。


「サラ…の武器も手に入れないとな」

「そうですね。さすがに丸腰ではいられませんが、でも簡単なもので。後で調達しますから」


伏し目がちに俯いて左の腰元を探るサラドからは寂寥感が漂う。サラドの言う『後』はこの任務から外れた後、を意味しているのだろうと推察しショノアは良心の呵責に苛まれた。山林の町についてすぐに宮廷魔術師と合流できれば問題ないが、なんと言って彼を引き留めたらいいのだろうか。


 街門を抜ける前にサラドは一度だけ神殿を振り返った。顔が綻んだすぐ後に切なそうに目を細める。

馬車が走り出してまだそれほど速度が出ていない頃、街道脇に迷子の件で知り合った自警団の若者と仲間を見かけ、ショノアが手を振った。それに気付いたサラドがペコリと頭を下げる。若者たちは慌てたようにピョコピョコと何度も頭を下げていた。


「もう、お発ちですか?」

「ああ、世話になった。ありがとう。また何か機会があればその時はよろしく」


口に手を添えて叫ぶ若者に、ショノアも声を張った。手を振って別れを告げる。


「彼はサラ…を聖都に運ぶのを手伝ってくれたんだ」


どんどん遠ざかる人影に対しサラドはもう一度、頭を下げ、手を振った。


 街道の石畳の柄は聖都の領域とその他を分ける如く、暫く走ると何の変哲もない退屈な道に戻った。脇の林はよく手入れがされ、時折花が植えられているのは変わりない。

馬車の中でサラドは膝の上にのせて抱えた荷物に体を預け、目を伏せていた。いつも自然と気配りができる彼が無口だと余計に不調さが際立つ。白髪のサラドはまだ見慣れず、もともとの穏やかさに陽炎のような儚さが加わった。

セアラはちらちらと心配そうにサラドの様子を窺っている。ニナは影のようにじっとして馬車の揺れに身を任せていた。


 山林の町は様子が少し変化していた。魔物が出た影響は大きいようで、聖都に向かう予定だった貴族や豪商は堅実に先の旅程を取りやめ引き返した者も多い。

いざ魔物に襲われたとして、聖都内にいれば安全だが入れて貰えなければどうにもならない。また、聖都は食糧の自給率が低いため、運送が途絶えれば兵糧攻めになってしまう。聖都が観光客など切り捨てるだろうと邪推されるのは過去の因果か。

町の中では衛兵の姿をあちらこちらで見かけ、町の外では自警団が目立たぬよう巡回していた。


「サラ…はその、体力もまだ本調子ではないだろうし、馬車の疲労もあるだろうから、あと数日くらい…ゆっくりしてくれ」

「数日?」

「そうですよ! 休養が一番です」


いかにもわざとらしかったかとショノアは自身の言い回しを自嘲したがセアラが思わぬ助け船を出した。


「宮廷魔術師団の者がこちらに向かうと連絡があったのだ。それまではゆっくりしてくれ」


ショノアは騎士見習いになって以降ほぼ騎士団の宿舎で過ごし実家には寄りつかなかったため、伯爵子息であっても貴族同士の腹の探り合いは得意ではない。文官を目指すのなら大事な要素だろうが学ぶ機会もないままに剣一筋になった。

心中で溜息を漏らし、サラドに対しても言える範囲の事実を明かすことに切り替えることにした。律儀なサラドならば、宮廷魔術師と合流するまで残留してくれることだろう。


「交代ですね。ではお言葉に甘えさせていただきます」

「そんなっ」


セアラの抗議の声にサラドが柔らかく微笑んだ。


前回のこともあり街道寄りの宿から手頃な泊室を確保した。セアラはやや緊張した面持ちだが、部屋に入ってすぐに窓や扉の施錠法を確認している。ニナはそんなセアラを見て苦笑したが、その表情はショノアとセアラに気取られることはない。

 宿の寝台でサラドは良く眠っていた。朝食を軽く口にしただけで昼も起きることなく眠ってばかり。

セアラは心配して時々様子を窺いにきてはしょんぼりとしていた。神殿で治癒をして貰えたとはいえすぐに馬車での移動はかなり負担をかけたのかとショノアも反省している。

その心配を余所にサラドはただ眠っているわけではなかった。寝台で横になっているサラドの姿は幻術で、実体ではない。


(眼球の動き、僅かな呼吸の乱れ、何よりオレの名を口にするときの言い淀み…。ショノアは嘘をついたり、やましさを隠すのが下手だな。やっぱりオレ、まだ捜索されているんだな。死んだとは全面的に信じられていなかったか…。泳がされていたのかなぁ。ちょっと心外だな)


林の中、村と繋がる道をまだ重怠い体で進みながら、サラドは良く手入れのされた木を見上げる。陽の光は程よく地まで届き、蔦が遮ったり下生えの草が足に絡みつくこともない。

木々の間を抜ける風の精霊からは負の感情はなく、ひとまず安堵した。



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