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30 それぞれの思惑

 手を貸そうとするショノアの肩を「大丈夫」と伝えるようにサラドがポンと叩く。終始サラドは俯いたままで、時折咳を抑えるためか口を手で覆っていた。足取り弱く、誰もひと言も話さず宿屋に帰りついた。

寝台に腰を下ろしたサラドは目覚めた後と同じように深く頭を下げた。白髪がふわりと揺れた。


「ご迷惑をおかけしました」


右腕を吊っている布から外し、右目に巻いた布も外し、しっかりとした言葉を発する。


「…治してもらえた…のですか?」

「うん。でもおおっぴらにはできないらしくて」


呆然とした表情で固まったセアラの目から涙が次から次へと溢れ出す。


「ごめんな。いっぱい心配かけて…。ありがとう。みんなのお陰で助かったよ」


目を擦ろうとするセアラの手を止め、サラドが布で優しくおさえた。涙は止めどなく、嗚咽に変わっていく。サラドはセアラに横に座るように促し、「ありがとう」「もう大丈夫だから」と宥めた。

セアラがようやく泣き止む頃、宿に帰って来たニナは回復したサラドを見て、ほんの少し緩めた目を細めた。


「何にせよ、良かった」

「ショノアさま、大事な騎士のマントを汚させてしまい申し訳なく…」

「いいや、騎士の身分を剥奪されていなければまた支給していただける。役に立って何よりだ」


一見すると無地、角度を変えると紋章が浮かぶように地紋が織られている特別製のマントは騎士の誇り。人助けのために使用するのはショノアにしてみれば至極当然だ。その誇りを汲んでくれていたサラドであれば尚更に満足だった。

それよりも彼があの状態で何時それに気付いたのかが驚きで、しかも汚れで使い物にならなくしたことを気に病んでいる。自分の身より周りを優先する彼の人の良さはどこからくるのか。ショノアにはサラドという人物が何者なのかまだ把握しきれずにいた。


 サラドに聞きたいことはたくさんあったが、まだ喉が苦しいのか口数が少なく、質問に対していつもより簡潔な答えしか返ってこない。魔物の特徴についてはいくらか答えたが、導師については答えられることがないようではぐらかされてしまった。ただ先刻会った弟を思い出したのか相好を崩し、それを手で隠していた。


「人の精神に働きかけ操るとは…本当にそんな魔物が…。強い魔術も使う知能がある魔物、そういった種がいたとは話に聞いていたが、この目で見たのに未だ信じられん。だが本当に魔物が放つ炎の威力は凄まじかった。サラ…が身を挺して捕らえていたお陰で魔物が己の術で焼け死に我々は救われたな。感謝する」

「え…? はい、…そうですね」


ショノアは報告書へ魔物について記載せねば、と唸っている。

サラドは改めて偶然とは思えない魔物発生の数々と、苦しむ精霊の声を思い出し苦悶の表情を浮かべた。



「サラさん、たくさん食べないと元気になりませんよ!」

「ああ、うん。そうだね…」


 セアラが特別に注文した肝焼きの皿をサラドの前にドンッと置いた。サラドはそこから一切れとって、独特の香りを漂わす皿をついっとショノアの前に移動させた。


「もっと食べなきゃ駄目です!」

「さすがに何日も食事をしていないのにこれは重いだろう」


ショノアが苦笑してむくれるセアラを宥めた。見習いの服を着ていないと奇蹟の力を行使するとは信じられないほど普通の少女。おとなしく常にオドオドしていたセアラとは思えない表情に思わずくつくつと笑いが漏れる。笑われていることに気付いたセアラはぽっと頬を朱に染めた。

こんなに穏やかな雰囲気の食卓は久しぶりだった。

確かに肝は滋養があるため病後などは是非食したいものだろう。新鮮なものは手に入りにくく、偶々入荷しているのならその機会を逃す手はない。酒との相性も良く、サラドの残り、というより殆どが美味しくショノアの胃に収まった。そういえばサラドは肉や魚よりも野菜などを好んでいるように見える。食べても少量だ。酒を飲んでいるところは見たことがない。


「そうですね。若い頃はまだ…、だんだんと…その」


肝の一欠片をなんとか飲み込んだサラドが照れ笑いで言葉を濁す。

年齢を重ねると脂っこいものは受け付けなくなってくるものらしい。騎士の先輩も従騎士や見習いの食べっぷりを見て羨ましそうに語っていたのを思い出す。それでも彼の食の好みは元々らしい。



 サラドから預かった宮廷魔術師団宛の文と報告は既に送ってある。聖都から王都への文はその政治的な背景から検められる可能性があるため毎回魔道具に頼っていた。魔道具の使用回数の魔力回復もさせなければならない。サラドの体調に問題がなければ聖都を離れ、一旦王都へ戻るべきか、と考えていたところに魔道具の筒に反応があった。


 〈宮廷魔術師をそちらに向かわせる 山林の町にて合流し 共に一度王都へ戻るべし〉


ショノアの胸がざわついた。だが背くことはできない。

聖都での調査は終えて乗合い馬車で山林の町へ移動するのはこれで決定事項だ。

未だ『魔王』の影には追いつけていない。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 聖都の夜が暮れるのは早い。夕べの祈りの後は静かに慎み深く夜を過ごす。灯りも早々に消され、宿や商店の並ぶ地域にも目に見えて(ヽヽヽヽヽ)は遅くまで騒ぐ酒場などはない。観光客は多くとも全体が敬虔な信仰のための町だ。

 聖都では〝夜明けの日〟を祈る式典以外にも様々な儀式や季節の行事がある。歴史的にはそれらの方が長い年月継続されてきたものだ。

今、直近で控えている儀式は遺跡であり総本山といえる神殿に巡礼路を経て辿り着いた神官が、それまで多種の精霊がそれぞれに信仰されていた中で、この光を広めるべく説いたとされる日を祝う祈り。その夜は聖都の神殿に勤める者は本神殿の礼拝堂に集まる。非公開の儀式で前後の日も併せて二番目の壁は閉ざされ、街門の通行も制限される。町の住民も観光客もおとなしくしている他ないが、その厳かさを肌で感じるためにその日にわざわざ訪れる者もいるらしい。

最高位である神殿長をはじめ高位の神官への選任などはこの日に行われる。


 神殿の中で導師は異質な存在である。本来、導師というのは非公式で唯一人の存在。彼を敬う者がそう呼び始めたのがきっかけで便宜上、通称となったが、正確には客人でしかない。神官どころか見習いの修行も受けていない。故に衣服はその位を示すものはもちろん身につけず、杖も所持していない。

だが、その奇蹟の力は誰もその足下にも及ばない。本物の奇蹟と謂われるほどに。

毎年この儀式にて、公に神殿に身を捧げる証をたて、杖を受け取るようにと神殿長から差し出されているが、彼は固辞している。

準備された神官とも見習いとも少し意匠の違う特別製の杖を眺め、今年も同じやり取りをするのか、と神殿長は人知れず溜息した。神殿長個人としては正式な手順を踏まずにこのような特別扱いで導師を神殿に迎えるのは反対なのだが、多数決では圧倒的に肯定派が多い。


 現聖都の神殿長は元王都の神殿長であった。〝夜明けの日〟を跨ぐ終末の世において人々の信認を失った前神殿長からその座を八年前に受け継いだ。聖都の神殿長は全ての神殿の頂点と同義。聖都内からの選任ではなかったのは王族との共生を訴える意図もあったのだろう。王都から異動した時には導師――まだそう呼ばれてはいなかった――が既にこの聖都にいた。名目は遺跡である神殿が所蔵する本の閲覧と勉学のため。

祈りの言葉も〝治癒を願う詩句〟も必要としない、驚異的な奇蹟の力の持ち主。彼が張る防御の結界は、遺跡として古代の防御術に守られていた神殿を強化し、聖都全体どころか付近の街道までも覆った。それだけでも驚きなのに、それを保ち続けている。そんなこと、誰ひとり、神官が何人係りでも適わない。

様々な提案をし、数年間は各地の神殿も回って改善の一助を担った。

〝夜明けの日〟をもたらした英雄の一人と噂されているが副神殿長によれば神殿が見出した青年で、英雄とは無関係だと言い、神殿としてもその噂を否定している。

 確かに導師の力は偉大で役に立つだろう。彼の後見人になった副神殿長の手腕もあって寄付額は増え、導師の存在は神殿の権威を更に高めた。


 それでも、と神殿長は悩む。

幼き頃より神殿に身を捧げるために励み、俗世を、生家とその名も捨てた。祈りは欠かさない。だが、何度修行に身をやつしても奇蹟の力は許されず、声を聞くことも叶わなかった。

それ故、神殿長は傀儡に過ぎないと軽んじる言葉も耳に届く。導師を認めないのはその力に嫉妬しているからだと陰口を言われていることも知っている。

では何故、己だったのか。

奇蹟の力を持たない身がその長に選任された意味とは何か。

悩みに悩んで奇蹟の力はなくとも信仰を広め、人々に説き導くことはできる、それが自分に与えられた役割なのだと悟った。

だからこそ、奇蹟の力に頼り、それを至上とすることに疑問を感じている。殆どの者は奇蹟の力は持ち得ないが、それでも救われるべきなのだから。

導師は何故、あれだけの力を持ちながら神殿に身を捧げないのか。そうしないのなら、何故ずっと神殿に居座り続けるのか、それが理解できない。

――疎ましい。神殿で贅を尽くす血吸い虫。力に物を言わせる若造め。

仄暗い気持ちが胸を支配し、それを追い払うように神殿長は祈りの言葉に力を込めた。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 導師ジェルディエは聖都の神殿での名前。シルエでは貴族受けが悪いから、だという。そう名乗れと命ぜられた時には苦虫を噛みつぶしたような気分だったが、今となってはシルエと導師が別人として成立している方が都合が良い。

導師なんて存在、知ったことか。シルエは内心で悪態を吐いた。

 足早に移動してきたのは比較的新しい施設。才能を認められた子供たちに教育の機会を与え支援をしている――表向きには。

机を並べ教師から一般教養を学んでいる最中の所に突入する。子供たちは総じて元気がなく虚ろな表情だ。全寮制のため生活の補助をする役割の夫婦がバタバタと焦った様子で追いかけてきていた。


「お邪魔していいかな。子供たちの様子が知りたくて」


教師は驚きながらも喜んで「どうぞ」と教壇の中央を空けた。入口で止まった世話役の夫婦は当惑しているが、何かを言われる前に目を向けて静かな口調で「問題が?」と問うと肩を震わせて首を横に振った。


「せっかくなので、奇蹟の力をみんなにも感じてもらいたい。集まってくれるかな」


子供たちが遠慮がちに導師の周りに集まった。

目線を合わすために膝を折って「私の体のどこかに触れて」と促すと子供たちはそれぞれ腕などに触れる。遠慮しているのか恥ずかしがり屋なのかいつまでももじもじしている子の手を取りにこりと微笑む。手を繋がれた子供はぱあっと顔を輝かせた。

必要はないが〝治癒を願う詩句〟を唱えると、導師と子供たちが光に包まれた。

その光の中で教師や世話役の夫婦には気取られないようにわざと首元と手首が見えるように衣類をずらす。そこにある痣を目にした子供たちが息を飲んだ。


――今から話すことは周りの大人には内緒にしてね。僕もみんなと同じ。必ず、必ず自由にするから、もう少しだけ辛抱して。


頭に直接響く声に子供たちは歓声を上げそうになるが、賢い子が多く頷くのに留めた。導師は立ち上がって子供たちひとりひとりと握手を交わした。


「導師殿、勝手をされては困ります」


撒いたはずの護衛が追いつき、導師は諦めて「みんな、またね」と手を振った。痩せてぎょろりとした目は微笑んでも怖いだけだが子供たちはにこやかに手を振り返した。


「大変貴重な経験ができましたね。いかがでしたか?」と興奮気味に教師が子供たちに問いかけている声が建物を後にする導師の背にも届いた。

導師が去った後の子供たちは痛みの和らいだ手首をこっそり擦ったり、眺めたりしている。その目には希望が宿っていた。



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