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29 兄と弟の再会

 翌朝、ショノアが日課の鍛錬から戻るとサラドは背をもたれかけて寝台の上に座っていた。窓から入る朝陽を浴びて、白髪に赤っぽい橙色の目を伏し目がちに俯く姿は幻を見たような錯覚を覚えた。ショノアの姿をみとめて静かに頭を下げる。

ショノアはすぐにセアラとニナを呼んだ。三人が揃って寝台の脇に並ぶとサラドはもう一度、ゆっくりと深く頭を下げる。セアラが上体を支えて止めさせるまでそれは続いた。

右目はまだ腫れが引かず瞼を押し上げて診ると眼球は赤く濁っていて瞳の色は白濁している。右腕は力が入らないのかだらりと下がったまま。毒の影響が強く残っている。


――ありがとう


ふわりと届く穏やかな言葉。三人はその小さな音の方角を探すように頭を巡らした。サラドが眉を下げて微笑むが「あ、ぐ…」とくぐもった唸り声が漏れるだけで言葉は発せない。

セアラはサラドが目覚めた喜びか、その負傷の大きさが衝撃なのかはらはらと涙を流した。ニナは眉間に皺を寄せ少し目を細めただけで視線を外した。

サラドが荷物を取って欲しいと動きで示す。そこから表面に黒く焼き目を付けた板を出し、指先に水をつけて文字を書く。ゆっくりだが利き手ではない左で器用に、感謝と謝罪の言葉を簡潔に伝えた。更に紙とペンを貸して欲しいとショノアに頼む。

三人が朝食を済ましている間にサラドは宮廷魔術師団宛に手紙をしたためていた。それをショノアに託す。


「…検めても?」


サラドはもちろんというように頷いた。

所々インクを擦ったり、字が震えている箇所はあるものの、怪我で旅の継続が不可能な旨と謝罪の言葉が読みやすく綴られていた。


「…では、預かる。だが…」


サラドは再び板に「自分のことはこの場に残して、出発してくれて構わない」とショノアに見せるように記した。横から覗いていたセアラが悲鳴のような声を出す。


「今は! 体力を戻すことを最優先に考えてください。だから少しでも召し上がって」


野菜スープの具をスプーンの背で潰し、口に運ぼうとするのをサラドはやんわりと断って自分でスプーンを手にする。セアラは少し不満そうだった。



 ショノアは「サラド」と呼びかけてみようとして思いとどまった。

任務を受けた魔術師の代わりである黒髪のサラが探している赤髪のサラドと同一人物ではないかという報告を魔道具で上げた際、翌朝を待たず返答がきていた。今までのどの時よりも反応が早かった。


 〈それと覚られぬよう行動を共にし、折りをみて報告に王都へ戻るべし もし体だけになっても連れて来るように〉


人型の魔物と疑われる件については記載がなく、怪我を労う言葉もなく、『体』という表記はこのまま亡くなったとしてもということだろう。

王宮にとってサラドは一体どんな人物なのか。人相書きを描いた十年前に何があったのか。文官として勤める父や兄なら何か知っているだろうか…。

当初も『もし当の人物を見かけても声掛けなどはせず報告するように』と通達されていたのは逃げられる可能性を示唆しているからだろう。

もし、王宮からサラドを捕らえるために兵士が差し向けられたらその時はどうするのか。その命令をショノアが受けたら。

考えてショノアは愚問だと頭を振った。騎士は王族に忠誠を誓いその力は王国の民のためにある。その命令に背くなどあってはならないことだ。だけども…。




「ショノア様、お願いがあります」


 セアラが言い難そうにショノアの前で身を捩った。


「神殿の施療院にサラさんを連れて行きたいんです。怪我の程度で寄付額がその…それなりの額を用意しないといけないらしくて…。でも、良い神官様に当たればきっと腕や目や喉を治せるのではないかと」

「…。セアラが育った田舎でも施療院では寄付が必要だったのか?」


セアラは眉を下げ困り顔で笑む。


「いいえ。寄付は基本必要ありませんが、後からお気持ちをお持ちくださる方はいらっしゃいました。収穫した野菜とか。その時はありがたく頂いておりました」

「野菜か、それはいいな。…聖都は、随分と拝金主義のようだな。いや、セアラが…、全ての地域の神殿がそうではないのだから気にしないでくれ」


 ショノアとしてもサラドが回復する見込みがあるのなら否やはない。

ニナに問うと施療院には「ついていかない」と変わらず聞き込みに出掛けて行った。

当のサラドは行くのを渋りなかなか首を縦に振らなかったが、最終的にセアラの押しに負けた。 

 腫れに効く薬をつけた布で右目を覆い、負担が少なくなるように布を首に掛けて右腕を吊る。ショノアに肩を借りて列に並ぶサラドは息苦しそうに時々咳き込んだ。

サラドの怪我の状態を見て門兵はいい顔をしなかったが、治療済みだからか拒否まではされず、関門を越えられたことにセアラはほっと胸を撫で下ろした。


 施療院は長椅子の並んだ待合室と扉がなく衝立で目隠しをしている施療室が複数並び、扉のある特別室の他に入院ができる部屋と設備が充実していた。

 順番が呼ばれ衝立の内側に足を踏み入れたサラドをひと目見て、担当の神官は顔を引き攣らせた。

〝治癒を願う詩句〟が唱え終わるとサラドは俯いた状態から目を上げることなく頭を下げ謝意を示した。言葉はない。その様子で効果はなかったことをセアラもショノアも覚った。

神官はソワソワと片手の袖口を指先でつまんで引いている。ショノアは漏れそうになる溜息を飲み込み、握手をするように見せかけ神官に硬貨が複数枚入った袋を握らせた。袋の重さに機嫌良く「お大事に」と言う言葉が「これで終わり、帰れ」に聞こえてしまう。


 施療室から退出して待合室の椅子で一旦休むほど消耗しているサラドを見てセアラ無理矢理連れ出したことを後悔した。涙が滲む暗い顔でサラドと入場料に寄付とお金を使わせてしまったショノアに順番に深々と頭を下げる。サラドよりもセアラの方が沈痛な面持ちをしている。

眉尻を下げ上目遣いでセアラに微笑むサラドの表情は「ごめんね」と如実に告げていた。



「お嬢さん、ちょっとよろしいですか」


 神官でも見習いでもない衣服を纏った痩軀の男がセアラに声をかけてきた。油で艶があるように見せているぺったりとした髪と草原のように明るい緑色なのに痩せて落ち窪みぎょろりとした目は迫力があり少々怖い。

その男の背後で「勝手をされては困ります」と聖騎士が諌めるが、ひと睨みで黙らせていた。


「私でしょうか」

「はい。昨日、夕べの祈りに来ていたでしょう? そこで啓示を受けられましたよね」

「えっ?」


昨日はセアラの身に起きた異変に周囲の誰も気付いていなかった。ぎょろりとした目が見透かすようで怖さが増す。


「ああ、そんなに警戒しないで。啓示は珍しいことだから、貴女に祝福があるようにと声をかけただけですよ。授かった言葉をどうか大切に」


「それでは」と胸に片手を当てて礼をし、つま先の方向を変える男の手をサラドがパシリと掴んだ。振り返った顔をじっと覗く。たくさんの情報を処理するように赤っぽい橙色の眼球が小刻みに揺れる。


「貴様、導師殿に無礼だぞ!」


背後の聖騎士に怒鳴られ、サラドは慌てて頭をペコリと下げ、手を放した。

その手を今度は導師がしっかりと掴む。


「お嬢さん、彼は貴女の連れですか? しばらく彼をお借りしても?」

「あ、はい…」


早口で聞く導師はセアラが返事をする前にサラドを支えて立ち上がらせていた。聖騎士は再び「勝手をされては」と諌めるが導師は全く聞く耳を持たない。待合室で受付の業務に当たる神官に空いている特別室は何番か問うている。聖騎士の睨みに口籠る神官に導師が「何番か?」と静かながらに逆らえない声で再度問うと神官は番号を答えた。

サラドを連れて特別室に入る導師をすぐさま聖騎士が追いかけた。もう一人も続く。


「お前たちはそこで待て」


導師が手をピッと払うと聖騎士は肩を震わせた。



「お兄ちゃん!」特別室の扉がパタンと閉じるなり聞こえてきた言葉にそこに居合わせた者、皆が啞然とした。

「え? お兄…ちゃん…?」思わずそうこぼしたのは誰の声だったか。


聖騎士が顔を歪め、導師のいる特別室に向かった。もうひとりの一般兵が「ここで待つよう指示が」と一応、聖騎士の行動を窘めたが、立場も上のため聞く耳など持たず、盗み聞きをするほどにピタリと体を寄せた。




 サラドが唇に人差指を立てると、導師もしまったというように息を飲んだ。扉のすぐ外側に人の気配がある。

サラドが自分の肩口を見るように目線を下げ、唇を僅かに開けると、クルクルと小さな風が起こり、二人の間を八の字を描いて舞う。白色になったサラドの髪がそよそよと揺れるが、整髪油で固められた導師の髪は一筋の乱れもしない。


*シルエ*

*わあ、風の精霊の会話、久しぶりだ。上手くできるかな*


サラドは万感の想いを込めて弟の名を呼んだ。

風の精霊の助けで周囲を遮断し二人の間でしか会話を聞こえなくする術を懐かしむ声に、兄さん、サラド、やっと会えた、会いたかった、嘘、なんで、どうして、等々の言語も飛び交い頭の中が煩雑になる。

ここ神殿では『導師ジェルディエ』という名だが、弟のシルエが落ち着くまでサラドはしばらく待った。


*こんなに痩せて*

*髪が真っ白に…なんでこんな怪我を?*


シルエの爆発した激情が静まり一拍の沈黙の後、聞こえてきたのは互いを慮る言葉だった。


*これは、その、ちょっとドジって。情けないよな*

*見ても?*


シルエはサラドの右目を覆う布を外してその眼球を見る。その様に右目の瞼に添えた骨のような指がピクリと震え、目を眇めグッと歯を食い縛った。そのすぐ後に前触れもなく温かな光がサラドを包む。その熱はじわじわと胸の奥から何の抵抗もなく全身に染み渡り、目元の腫れも動かせなかった腕も潰れた喉も焼き爛れた痕も元に戻し、毒さえ消し去った。白髪だけが体に損傷があった証として残る。


*やっぱり…、やっぱりシルエの術は格別で特別だ!*


サラドはさも嬉しそうに右目に添えられているシルエの血管が浮くほど痩せた手に己の右手を重ねて頬に押し当てた。


*あったかい光だ。少し前にも夢にまで見たくらいに*


「懐かしい」という小さな呟きが術ではなく実際の口から思わず漏れ出た。

その声にシルエも耐えきれず涙が溢れ、また頭の中に雑多な声がこだまする。わー、あー、など言語にすらならないものも今回は多い。


*だって、九年だよ。なんでこんな…*

*シルエはオレに会いたかった?*

*当たり前だよ。なんでそんなこと*

*いや、オレ、過干渉だったからシルエは独り立ちしたいものだとばかり…*

*そんなわけない! 僕が兄さんを嫌がるなんて有り得ない*

*ははっ。ディネウもそんなこと言ってくれていた。シルエに限ってそんなわけないって*


やっと会話が再開できたと思えば時間を費やし過ぎたのか、扉の外の人物が焦れる気配が強くなった。それと同時にシルエが苦しそうに詰め襟の元に指を差し込む。


*シルエ、それは…*

*ごめん、サラド、時間切れみたいだ。また会いに来て。絶対。僕もこの状況をなんとか打破するから*


シルエの身の異変に気付き手を差し伸べようとしたが、彼はそれを遮ってサラドの右目に再び布を巻き、戻らねばならないことを伝えた。


*僕さ、勝手に能力を使うと怒られるから、何もなかった振りして*


二人の間をくるくると舞っていた風がふわりと離れた。

後ろ髪を引かれる思いでシルエは扉に手をかける。顔はいつもの導師としての取り繕ったものに戻していたが口元が少しだけにやけてしまうのを抑え切れず手で覆い隠した。いつも血走っている目も別の理由で赤い。

その後から項垂れてよろつきながらサラドも特別室を出て、ショノアとセアラの元に戻る。


「ああ、そういえば」


導師は振り返って待合室の受付をしていた神官を見遣る。その隣には担当した患者が導師に連れて行かれたことを聞かされた神官もいた。


「まさかとは思うが、寄付など受け取ってはいないだろうな。施療院の理念を忘れたはずもあるまい?」


導師の低く静かな声に神官はビクリと体を震わす。すすっとショノアに近付いた施療担当の神官は腕を下げた位置で隠すようにそっと硬貨入りの袋を返してきた。

ショノアがわざと少し声を張って「いえ、通例に沿った、ほんの志ばかりで」と言うと神官は顔色を悪くした。


 導師の後をついて歩く護衛の聖騎士は苛立ちを露わにしている。その少し後ろに従う護衛のジャックは導師が嬉しさを隠しきれずに口元をピクピクさせる様子を喜ばしく思い、ほっとした。

導師があんな表情を見せたのは初めてのことだ。兄と呼んだ人との邂逅で導師の心が少しでも慰み、良い方向へと転じることを願わずにはいられなかった。



評価いただきありがとうございます

わーい とても嬉しいです!

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