280 エピローグ
先の演説も祭開催の報も、王宮は神殿に配慮して言葉を選んでいた。
セアラを派遣したことで湖に参拝しに行くのは既知のこととはいえ、民に向けて王族が〝神〟に言及すれば信仰にも影響を及ぼしかねない。唯一の神を崇める神殿としては遺憾の意を表すだろう。それ以上の対立も見据えて対策を考えてあった。
けれど、改革中で混迷している神殿から公の発言はなかった。
導師の死を巡り、明るみに出た数々の不正。
各地の神殿を総括する立場にある聖都の神殿長は信者や部外に向けて陳謝した。
副神殿長を始めとした者たちは犯した罪で破門され、聖都を追われた。
破門者は神に祈ることも許されず、一切の救いがなくなる重い罰とされる。
セアラの件を訴えた際も王都の神殿が強く異を唱えなかったのは、これ以上の醜聞で事を荒立てたくなかったからだろう。
春祭の直前、諸々の処理を終えた神殿長はその座を辞した。
後任は元の身分に左右されることなく、自薦でも他薦でも構わないが、相応しいと認められる人物を据えるように望まれている。しかも、現神官たちの総意で選出するように言いつけられ、まだ決定していない。
本神殿の礼拝堂も一般に解放されることになった。観光が大きな収入源である周辺は歓迎している。
元神殿長は改めて導師とは何者だったのか知ろうとしていた。
導師は数年に及び各地を巡回しているが、神官の覚書によれば、主張していた慰問先と実際に訪問した所に違いがあったようだ。
導師が列挙した地方、町村名を見れば、決して名声のためなどではなく、真に救いが必要な場所であったことがわかる。
元神殿長は、そこを巡る旅に出ることにした。もちろん当時とは状況が異なるだろう。それでも見えてくる真実があるのではないかと。
その旅路に導師の護衛であったジャックも随行することにした。
自責の念と、治癒士から」世界を見てみるべき」と助言されたことが頭に残っていたため。
また、ほぼ神殿を出たことのない元神殿長を一人で行かせられないと心配している神官を見て、放っておけなかったというのもある。
ジャックに世話されながら、元神殿長も少しずつ自分のことは自分でできるようになっていく。
祖父と孫ほどある歳の差。はじめは主従のような関係であった二人も、次第に打ち解けた。
〝夜明けの日〟以前に大きな災害に見舞われた地や酷く荒らされた町村は、豊かさを取り戻しつつある所もあれば、諦めざるを得ず棄てられた所もあった。
生き残れたのに、命を繋げられなかった者が多くいたという話も聞いた。
予定していた一周目を終える頃、神経質そうだった元神殿長の顔つきはすっかり朗らかとなり、親友のような仲になったジャックに『奇蹟を行使できない私を悪く言う者はなく、共に祈りを捧げると人々は感謝してくれた。だが、自分の方こそ心を救われた』と語ったという。
◇ ◆ ◇
春の祭は王都以外でも大々的に祝う準備が進められた。酒と芸術の町と謳われるケントニス領では、神殿に奉納された絵画が話題になった。
不気味な敵と相対する第一王子を中心に据え、それを補佐する騎士、宮廷魔術師、聖女の絵。
暗い空には輝く防御壁。地には怪しく光る魔術陣。
背後には鋭い爪をギラつかせる巨大な魔物。砕けた岩や踊るような泥、なぎ倒された木々。
目を凝らせば王子に隠れてもう一人いるように見えなくもない。
『新しき英雄』の活躍場面。然るべき立場の者に取材を許されたとしか思えない出来の絵だ。
掲げられたのは〝夜明けの日〟の英雄――剣士、治癒士、魔術師を思わせる三枚の横にあった空欄。並ぶと、元々あったこれらの絵も新しき英雄の肖像に見えてくる。
「模写をやってみたい」と画材を手に連れて来てもらったテオは、前に見た際も三者の絵に抱いた違和感を形にすべく、その場でササッと四枚のスケッチを描き起こした。
才ある者を発掘しようと、足を運んでいたケントニス伯爵夫人がテオに目を止めたのは偶然の出来事。
「その絵を譲ってくれませんか」と懇願され、テオはサラドの後ろに隠れてしまったが、絵を渡すことは嫌がらなかった。
夫人はテオの才能に惚れ込み、この町で勉強してみないかと勧誘もした。
「テオがしたいようにするといいよ」と言うサラドにテオはしがみつく。
絵のことは学びたい。でも、まだ人が怖い。
「…いろんなところに連れてってくれるって」
他所に出されるのではと不安になり、今にも泣き出しそうなテオをサラドは優しく抱きしめた。
「そうだね。まだ行ってない所がたくさんあるよ」
「その気になったら、いつでもいらっしゃい。待ってるわ」と微笑む夫人にテオは頷きだけ返した。
テオが将来について考えるのはもう少し後になりそうだ。
因みにケントニス伯爵夫人が発起人となり〝夜明けの日〟をもたらした英雄の足跡を、あくまでも『後世のための資料』として纏めた本が完成に漕ぎ着けるのは何年も後。
頒布は仲間内と、しかるべき場所への収蔵のみとする夫人と、大々的に出版しようという御隠居とで一悶着あったのは余談だ。
また、女王へ献本されたのも内緒の話。
その本には様々な絵図も収録されている。その中にテオが描いたスケッチを写した版図があるのをサラドたちは知らない。
まして、『実際の英雄たちに一番近いのはこの絵』と後の研究者が伝えていくことになるなどとは露程も思わないだろう。
◆ ◇ ◆
正式に準男爵となり第一王子専任に就いたショノアの初仕事は街道警備の検討会への出席だった。
王子から意見を求められた時、まず頭に浮かんだのが、港町、王都、聖都を結ぶ主要な街道の安全問題。半年あまりで何度も往復した経験と、自警団員と接して得た情報を踏まえて奏上した。
王子も乗り気で、関係各所の顔合わせが実現したのだ。
街道に面する領主、町の代官、日頃から自警団を支援している名士、自警団の顔役、荷を行き来させる大商など錚々たる顔ぶれが並ぶ。
ショノアはまず会のはじめに、自警団の献身を労う言葉を王子の代弁として述べた。
自警団を有する地域からすれば、前々から要望を出していたのに漸く王宮が重い腰を上げたという見解。
国が主導をと期待する一方、これまで培った手順や知識、技術がすべて国のものにされては面白くないという態度が垣間見える。
自警団の在り方や現状の問題が話し合われた次は、港町の商家や有力者に質問が飛ぶ。
以前にも警備隊の結成を『最強の傭兵』が打診したが、権利問題や金銭問題で折り合いがとれず頓挫している。その草案と締結に至らなかった経緯を参考にすべく、容赦がない。
仮に大筋を引き継ぐにも、人材の確保、育成が議題に加わる。
自警団に所属しているのは基本的に職がある地元民だ。中には専任に志願する者もいるかもしれないが、到底足りない。
一声で人員を集結させ、秩序をもって纏め上げるだけの豪傑はここにおらず、『最強の傭兵』の提案通りに傭兵を雇用しようにも、その傭兵が大幅に数を減らしている。
王宮は傭兵など金でいくらでも言う事を聞く無法者とみなし、権利はないも同然に扱ってきた。他国に渡り市民権を得るのも問題にならない。その結果だ。
英雄の剣士――『最強の傭兵』はもういない。
ガセだと笑う者、嘘だと疑う者、雲隠れしているだけという者もいる。
港町に残る彼の崇拝者と言っても過言ではない傭兵や、各地に根付いた元傭兵はその事について大きな声で話すことはない。けれど、揃いも揃って一部に死の色を纏って悼んでいる。
(懇意の傭兵にはサラドが訃報を伝えて回っていた。救援要請に対しこれまで通り応じられない可能性がある注意喚起も兼ねてのこと。
その悲嘆に暮れた表情と、ディネウ愛用の大剣――他人に触らせることのなかった――を手にしていることが何よりも証拠となり、信じる他なかった。受け入れられるかは別にして)
ショノアも死を匂わせる歌を聞いた時は信じられなかった。
歌の出処となった近衛兵の他にも証言が複数ある。魔物と相討ちとなり、倒れ伏して動かなくなったと。
あの時、惨状となった林を通った際にその姿はなかった。サラドの暗殺、導師の死を思えば、これも何かの事情があってのことではないかと、そうであってほしいと願う。
「英雄のいる王国は安泰でしたのに」
過去の共闘で魔術師や治癒士とも昔馴染みがいるにはいるが、傭兵や自警団に協力的だったのは剣士がいたからこそ。
一部の傭兵から『失敗知らずの斥候』と呼ばれる兄も、傭兵とは名乗らない。
災害や人々の生活や安全に関わる事態であれば積極的に働くが、個人的な損得が絡む仕事を受けることはほぼないと知られている。
困ったように「養父がそうであったように『なんでも屋』でありたいけど…なんでも受けるってわけじゃなくて」と言っていたと証言もある。
「我らが王国には新しき英雄もいる」
その言葉にショノアはドキリとした。
超然とした何かに期待する意識が『英雄』を形作っている気がする。
落とし所を見つけるまでの道程は長い。それまで街道で大きな犯罪や事故が起きないことを願うばかり。
第一王子が参加する段階になるまで、ショノアは各所と連絡を取り合い、問題点や不満を汲み上げて、しっかり務める他ない。
顔合わせの会を終えて、胃を擦るショノアの手に、またも紙片が握らされていた。今回書かれていたのは助言ではなく、慰労と激励の言葉。
約束が果たされる日が近いと予感され、胸を躍らせた。
◇ ◆ ◇
季節を変える風が吹き、待ちに待った春。
種々の出店や催しが其処此処で開かれ、吟遊詩人は競うように『新しき英雄』の勲を歌う。
祭では『新しき英雄』の披露目があり、また平和祈念の式典には〝夜明けの日〟の英雄が招待されていて、新旧揃い踏みが拝めるとまことしやかに囁かれている。いつの間にか『かもしれない』が取れてしまったのだ。
そういった噂が市井だけではなく、王宮内でも流れているのだから、呆れる。
「随分、期待されているようだ。これは、失望させてしまうかもしれぬ。どうだね? ショノアも挨拶するかい?」
「御冗談を」
式典に臨む第一王子がからかう。後ろに控えたショノアは皮肉げにならないように微笑んだ。
王宮は三人が目立つことを望んでいない。今はまだバラバラのまま。
そのうち王宮が理想とする見目で応対も完璧な『英雄』を紹介するとしても、きっとショノアたちではない。
マルスェイはモンアント領で隣国の動きに気を配っているはずだ。春を迎えれば、農作業に追われるためおかしな動きも減るだろうが、食い詰めた農民もいるかもしれない。注意はしておくに越したことはない。
宮廷魔術師たちは若くて遠出の遣いにもほいほい出るマルスェイが一日でも早く戻るように責付いているらしいが。
田舎の施療院に、病の知識がある若い娘がいると早くも評判になっているのをショノアは耳にしていた。治癒士のような力はなくとも、親身になって病の相談に乗ってくれるのだという。
セアラは忙しくとも、あの困ったような笑顔ではなくて、心からの笑顔でいるに違いない。萎縮して肩を丸めていることもないはずだ。
また、春の大祭に合わせて王都へ来ないかという誘いに『大事な祭祀、ここで芽吹きと実りを願います』と丁寧な断りが返されている。
「〝夜明けの日〟の英雄が参列してくだされば、諸国への牽制にもなったのだがな。所在を知らぬというし…」
疑いの眼差しがチラと後ろに投げかけられた。
嘘は付いていない。相変わらず、ショノアからの連絡方法はないのだ。仮令、連絡がついたところでサラドが応じるはずがない。ショノアはそっと嘆息した。
そのサラドたちはといえば、
「大っきな祭も楽しそうだけどね。サラドは王都には行かないでしょ。ノアラは人混みがわかってるから家から出ないし。あんまりごった返していたらテオも心配だよね? それになんだか面倒臭い思いをしそうな気がするし」
ということで、祭りを覗きにも来ていない。それどころか王国にいなかった。
アオが滞在中の国で聞いた言い伝えを「遺跡かも? 参考になる?」と便りにしてくれたのだ。
嫁してきた王妃が連れて来た職人の故郷にまつわるもので、干潮時にのみ現われる島があるという。まるで切り出されたように同一規格の岩が放射状に並び、中央の柱に空いた穴から抜けて射す陽がそれはもうキラキラと美しく。
しかし、決して島には渡ってはいけない。その輝きに手を伸してはいけない。呼び掛けてはいけない。悪いものに魅入られてしまうから。海に食べられてしまうから。
そう、子供の頃から言い聞かされているという。
キラリと目を見張り、読み終わらないうちに転移しそうなノアラの服をシルエがハッシと掴んだ。
「それはもう、見に行く一択だけど。絶対その島、外周に何かしら仕掛けがあるでしょ。一人で行って、腕が吹っ飛んでも知らないよ?」
特別な薬を欲して暴挙に出る者から身を隠すアオと、その護衛でサラドを「兄さん」と呼び慕う傭兵も、そろそろ王国を離れての生活が長くなり気分転換が必要だろう。
テオも生活様式や語感や気候が違う土地で刺激を受けるのも良い。皆で旅立つことにした。
「それにしても、アオさんから人付き合いの仕方も教われば良かったのに」
「一緒にいられたのは本当に僅かな日数だったからね。ボクらは人の機嫌を窺う癖がついているし。ノアラは繊細だもの」
「うっ…」とノアラがたじろぐ。
王国の賑わいから遠くにて。
サラドはぼんやりと空を仰いでいた。つい最近何度も歌った旋律がとても小さくだが鼻歌になって出ている。
風が喜び、歌を運ぶ――
一時期、人気をさらった吟遊詩人が祭りで披露する歌を期待している者は多かったが、それは人気を博しているものとは趣向が違っていた。
朝の訪れを喜び、夜を慈しみ、日々の糧に感謝し、季節の移ろいと共に踊る。
新曲ではなく、古より伝わる自然賛歌は地味な印象で、その時の評価は低かった。
しかし、時間が経ってもその旋律は耳に残り、散歩中に、糸紡ぎの友に、掃除の傍ら、パンを捏ねながら、様々な人が様々な場で口ずさんだ。
歌うとほんわりと幸せな気分になり、些細な煩わしさなら忘れられる。
何年たっても色褪せることなく歌い継がれ、若かった吟遊詩人も円熟期を過ぎ、声に艶がなくなり、息も長く続かなくなった際に請われて歌った時、彼は
「やっと元曲のように歌えるようになりました」
と語ったという。
<了>
本編完結いたしました
お読みいただき本当にありがとうございます
感想 評価 いいね ブックマーク
とてもとても嬉しく、どれほど励みになったことか
( ´艸`)
275話以降は蛇足かなと思う部分も多く
エピローグも分けるには半端で長くなってしまいまして
もっとスッキリとさせたかった…
最後まで書けて、やりきったけど足りない気分でもあります
拙作にお付き合いくださいまして
感謝してもしきれません
ありがとうございました!
(*ᴗˬᴗ)⁾⁾