279 再会?
春の息吹はまだ遠く感じられるが、町の人々はすっかり浮足立っている。
というのも、国をあげて豊穣を願う芽吹き祭を開催する意向が報じられたからだ。
合わせて、〝夜明けの日〟から十年を迎える節目に行うはずだったが延期された平和祈念式典、それから、此度の危機を乗り越えられた感謝をすべての神に捧げる。
王宮からも酒や食べ物の振る舞いがあるとされ、期待も否応なく増す。言葉通りにお祭り騒ぎとなるだろう。
『新しき英雄』の活躍など明るい話題はあるものの、どこか塞ぎ込んだ雰囲気が払拭しきれていなかった民の関心事は今や祭一色。とにかく春が待ち遠しい。そんな雰囲気があった。
その報せをショノアはまたも王宮外で目にした。
本来は巨大魔物の再襲来はないという結論に至ってからが望ましいのだろうが、発表に踏み切ったようだ。
ショノア以外にも調査している者がいて、充分な検証が済んだからなのかもしれない。それであれば、情報を共有させてくれてもいいのに、とやさぐれてしまう。
果たして、魔人も巨大魔物も討てたのか、退かせただけなのか、そもそも実体がそこにいたのか、今となってはショノアも自信が持てない。それも正直に伝えてあるが、徒に民を不安がらせぬようにとの考えか、王子は演説で『討伐した』と断言している。
幸いにも魔物の被害や目撃の話は耳に入って来ない。このまま平和に春を迎えられますように、そう心の中で願う。
カサリ、小さな物音。
ショノアは知らぬ間に握っていた紙片に目を落とした。そこには隣国の状勢が記されている。
その隣国は食糧難の救援を王国に求めていた。王配の指示で最初は援助に応じたものの、建前のささやかな量。度重なる要求に『こちらには利がない』と打ち切ると、飢えた民を扇動して王国に略奪進軍をさせようとしたらしい。だが、そこに巨大魔物の噂が伝わり、恐れ戦いて撤退。
『こちらの国も天候不順と魔物により厳しい状況』と示した上で、少量ではあるが食糧を送り、戦を回避したというのを、王子から聞かされたばかりだった。
(魔物の存在が役に立つこともあるなんてな…)
『最強の傭兵』はおらず、傭兵も数を減らした情報が知られれば勢いづかせてしまう。
マルスェイにも今得た報を届け、裏を取ってもらいたい、とショノアは考えた。
この紙片を最初に受け取ったのは、巨大な魔物の証言を求めて東に向かおうと、漁村を後にした頃。
几帳面そうな文字を見て、差出人に見当が付いた。そしてまるで気配を覚らせない届け人が誰であるかも。
あくまでショノアの推測だが、ひとりでの任務で荒んでいた心が和らぎ、ほっと息が漏れた。
その後も時折、届けられる紙片には、目にすると良い場所、聞き漏らさない方が良い話、注意すべき人物など、毎回ちょっとした助言が書かれている。
そこからどういった答えを導き出すか、生かすも殺すもショノア次第ということ。
少しずつ、何に注目すべきかわかるようになっている。
王宮が望む、魔物の全容解明や安全の確証という成果は上げられていないが、その代わりにほのめかされた気付きから、例年にない天候による雪崩や地滑りといった災害の警告をすることができた。
ショノアはそれをとても誇りに思えている。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
サラドは使い終えた工具を置いて、仰向けにゴロリと寝転がった。体が冷えていっても、空の淡い青色と薄く広がる雲を見るともなしに眺めている。
「…ディネウ」
返答があるはずもない名前。
「あー、サラド、やっぱりここにいた!」
代わりに声を発したのはシルエだ。その後ろにはノアラもいる。
サラドはのろのろと体を起こした。
湖縁の手前、湧き水の隣に両開き戸を付けた小さなお堂のようなものが建てられている。中に納めてあるのは大剣の塚。
まるで一対であるかのような設えで湧き水にも柱と屋根が掛けられたが、角度によっては空の色が映り込んで水光が眩しい。
「…ああ、ディネウの剣を祀ったのか。じゃあ、僕もひと肌脱ごうかな」
「僕も」
シルエが塚に守りと祝福を、ノアラが土台に土の術と劣化を防ぐために時間術をかけていく。念入りに。
その間にサラドは端材と工具箱を片付けた。
「よーし。これで勘違い野郎とか不届き者が来ても簡単には触れられないよ」
「うん。ありがとう」
サラドは微笑んだが元気がない。多少なりとも気持ちに整理がついたので、ディネウの剣を湖畔に移したのかと思ったが、そうでもないらしい。
「ディネウ…ディネウ…なん…で…」
またもぐずりと泣き出したサラドに「おう」と忘れもしない声が返された。
「喚んだか?」
「え…、ディネウ?」
空耳ではなく、水の幕に映したようなディネウの姿が宙で不安定に揺らぐ。
「おうっ。なんて顔してんだよ。俺の名前を呼んだの、お前だろうが?」
「え…、だって」
ゆらゆらと歪むディネウの像は首を捻り、サラドはそれをポカンと見上げる。
「ほら~、サラドが見送れずにいるから、化けて出ちゃったじゃん」
「人をお化けみたいに言うな」
「同じでしょ。霊体なんだから」
シルエが両手首の力を抜いてブラリと揺らす。
「ちげぇだろ。えーと…、ナントカってのになるから、その、どうのって…」
「全然理解できてないじゃん。ディネウ、死んだの、わかってる?」
「そりゃ…、わかってるよ。なんか、そン時は悪かったな」
バリバリと後ろ頭を掻く仕草、シルエとのやり取りもいつもと変わらず。
会話をしているうちにディネウの像のぶれは減り、くっきりしてきている。亡くなる前のどっしりとした体型よりもシュッとして、気力体力ともに満ちていた頃の姿に見えた。
「あー、剣、ありがとな。突然、手元に現れて。しかも『格が上がった』とか言われたから何でだって思ったが、こういうことか」
ディネウが塚に目を遣って、照れくさそうに笑う。
「そうか…。それならもっと早くにするべきだったね。ごめん。なかなか踏ん切りがつかなくて」
「いや、ちょうど良かったぜ。魂を馴染ませるだかなんだかっていう期間の修行が一段落したんだ。まだ姿を顕すのがやっと、っていうか、見えてるよな?」
「見えてるよ~。うっすいけどね」
「透けてる」
「そうなのか? どうも、力加減が安定しねぇっていうか。すぐ息が切れちまうし。ガキの頃に戻ったみたいでよ」
「へーぇ、修行ねぇ。てっきりエテールナさんと蜜月を過ごしているのかと思ってたよ」
「はぁ? みっ、み…みみ…」
半透明ながらディネウの顔が真っ赤になり、湯気が昇る。
「ええ~。こんな言葉で動揺するなんて純情ぶってるの? いいおっさんが。それとも図星?」
「うるせっ」と吐き捨てて、ディネウは両腕で顔を覆った。
「なんかよ…。水と一体化して自分の意のままに操るっつう感覚がわからなくてよ。物理的に干渉する力が身につかねぇんだ。
エテールナが言うには『自分たちは魔力の塊みたいなものだから』って。ぎゅっと集中させて弾くって簡単そうにやるんだが」
片手を突き出し「ふんっ」と力むが、ディネウの指先はヘロヘロと形を崩すだけ。
「ほら、だから魔力を意識するのだけでもやっときなって言ったのに」
「多分、力を込め過ぎ」
ノアラが自身の魔力を操ってみせ、「見える?」と問うように首を傾げた。
「えっ? 力いっぱいじゃ駄目なのか?」
「気長に慣れていくしかないね。どうせヒマでしょ」
「時間はあるっちゃあるけどよ。これじゃあ何かあっても脅かすしかできねぇし…。せっかく剣があるなら使えるといいんだけどな」
塚に手を伸して実物の剣に触れようととしても、スカッと通り抜ける。像も乱れてしまう。
「ほら、サラドも。いつまでも呆けてないで。常人に見えないものが見えるなんて、サラドにしてみれば、普通でしょ」
シルエに肩を叩かれて、サラドもハッとする。再会を喜んでいいのか、死に分かれたことは変わりないので悲しんでいいのか、はにかむ顔が引き攣った。
「ヘンな気ィ使うな。やられちまったのは、まあ、悔しいけどよ。しゃーねぇだろ」
「う、うん。なんかごめん」
「そうだよ~。ディネウはエテールナさんとこの先ずーっと一緒にいられるんだし。本望でしょ」
ディネウが赤くなった顔をふいっと反らす。
「あ、えっと。物理に干渉するって話だったよね。ディネウはさ、剣先ってわざわざ意識してる? 剣を持ったら、手の延長線みたいなもので無意識に扱えてない?」
ぼうっとしていたようで、会話はちゃんと聞いていたらしいサラドが腕に剣を足した長さを手振りで示した。
「ああ、そう言われると、そうかもな」
「それを思い出して、今までと同じように剣を振ればいいと思う」
「あ?」
理解しきれていない顔をするディネウにサラドは「やってみよう」と言って、軽く土を握り固め、投げた。
ディネウが反射的に動く。右手の先が揺れて大剣が顕われ、土団子が弾けて落ちる。
「うん。その調子」
「お? なんか掴めた気がするぞ。もう一回、投げてくれ」
請われてサラドが投げ、ディネウが斬る。慣れてくると、投げる角度や速度変えたり、意表をついたり。ディネウは勘の良さを見せつけ、全てに剣を当てていく。
シルエは欠伸をしたが、サラドも楽しそうな笑顔になっていたので良しとした。
「だいぶわかってきたぜ」
ディネウは満足そうに剣を大きく振って、ブンッと空を震わせる。脆いはずの土団子がスパッと二等分にされるまでに上達した。
「…あ、まずい。もう力が…。最初にしちゃ保った方か…」
頭を押えたディネウの姿がフッと消えた。
「ディネウ」
「…なぁ、もう少し、力が安定したら一太刀くらい浴びせるようになると思う」
呼び止めるサラドの声に応えるように、姿は復活しないが声が届く。
「何かあれば喚べよ? 水がある所なら行けるハズだ。だから、もう少し容量の多い水筒を持ち歩け。いいな」
「うん、うん」
サラドが目を擦る。
「ねぇ、感動的なところ悪いんだけど。僕たちが呼んでもディネウは来てくれるの?」
「あー…。わかんねぇな。ちょっと呼び掛けてみてくれ」
「キャー、ディネウ、助けてー」
シルエがふざけて裏声を出した。
「ほらっ、ノアラもやって」
「えっ。えっと…。ディネウ…」
「声、ちっちゃ」
シルエに突っ込まれ、ノアラが俯く。
「あー、悪いが。サラドみたいに引っ張られる感じはねぇな」
「えー。ダメかぁ。やっぱりサラドの呼び声には魔力が込められているのか。それとも霊的なものが好む何かがあるのか…」
シルエは曲げた人差指でコツコツと額を突いた。ノアラはじっと声がする方角に耳を澄ます。サワサワサワと水面を渡る風の音が撫でる。
「じゃあな。また練習に付き合ってくれ」
「うん。必ず」
残響が空に溶け込んでいくまで、サラドは湖を見続けた。
これは余談。
世界と世界の境目が遠くなり、関わり方や魔力のあり方が今とは異なるくらいになるずっとずっと先の未来で。
神が眠る湖の伝説は語り継がれ、湖畔に佇む二つの小さな社に詣でる人々は多い。
ひとつは病気平癒や子宝を、もうひとつは武芸や勝利を、ふたつ合わせて夫婦和合や縁結びの御利益があるとして。
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