272 水属性の守護者 VS サラド
火山島唯一の港と居住地は大雨と荒れ狂う波に襲われていた。桟橋は流され、支柱が数本残っているだけ。
島の中心を背にして立つサラドは、弱った火の精霊がいないこと、その悲鳴も聞こえないことにまず安堵した。
もとより、下位の精霊に対しても精霊界に引き揚げるよう告げ、この島を沈める心積もりだった最高位精霊により、火口で匿われているのだろう。
サラドは右腰に提げたランタンに手を伸ばし、硝子板を外した面を塞ぐようにして、指先で小さな火に触れる。その指がグイグイと押し返された。
武者震いか魔力を奪われる感触に対しての悪寒か、小さな火はブルブルと小刻みに揺れている。
――忘れられない 同じ
王城の隠し部屋で、魔道具である指輪に閉じ込められ、水鉢に沈められ、王都を護るために力を奪われ続けていた火の精霊。
彼はこの守護者が『同じ』だと小さな小さな声で訴えた。
「やっぱり…」
サラドは苦悶でギュッと眉根を寄せる。
「守護者の核になっているのは精霊…なんだね」
古代の魔術師が作り、地中深くに放置し、影を操る魔人がアンデッドとして呼び醒ました『守護者』
『消して』という切なる願いはそこから聞こえてくる。
気配を消したまま、改めて海に目を遣り、海上でとぐろを巻く濁流を観察する。
猛る濁流は瘴気を孕んだ暗い色の水をボタボタと滴らせている。さながら腐った魚。長い髭も、疎らに残った棘のような背鰭も、剥き出しになった上下の歯列も、水龍とは似て非なるもの。
火山島を蝕む瘴気と毒素は空中に吐き出されるだけではなく、ブクブクと白濁した泡をたてて打ち上がる波からも滲み出ている。
鬣の如き飛沫をあげ、波紋が鱗のようにきらめき、悠然と泳ぐ水の最高位精霊を思い描き、サラドは顔を顰めた。
小さな火は興奮して火先から火の玉をポンポンと上げている。
「まだ、まだ出て行っちゃダメだ。啜られて消えてしまう」
サラドの声掛けに自制した小さな火だが、それでもランタンの中でグルグルと回る。火気の強い土地と水属性の守護者の両方から影響を受けて、狂わんばかり。
精霊の苦しさを共感してしまうサラドは火に添えた指を離すことができず、片手で矢筒から一本を取り出した。
更に腰に差した剣を抜く。
〝死〟から授かった、少し反りのある片手剣。不死の気配に白々とした剣身が己の出番を誇示する。
両手が塞がっているため、手袋を脱ごうと端を噛んで引くがうまくいかない。仕方なく、頬に鏃で傷をつけて浮かんだ血を塗りたくる。
腋に篦を挟んで固定し、鏃に片手剣の先で紋を刻む。鏃は獣骨から作ったもので、片手剣の質とも相性が良い。
二つを並べて掴み、剣身に彫られた古代文字に唇を這わせた。
潜めた声で口にするのは鎮魂歌の一節。片手剣の〝死に抗うモノを斬る〟能力を少しばかりでも鏃へと移すように。
(初めて試したけど、うまくいったみたいだ)
仄かに白む骨製の鏃を確認し、片手剣は脇に置いた。
今度は弓を手にする。足で支え、弦を指先で弾いて張りを確認、矢羽根を咥えて舐め整える。
いつも無意識でしている一連の動作をふぅと深呼吸で締め括る。
そこでやっとランタンを塞いでいた手を退けた。指先に食らいつくようにして出てきた小さな火は一気に膨れ上がって大きな山犬を象る。その勢いのまま守護者に突っ込んでいかないように、鼻面を両手で挟んだ。
「聞いて。今からお願いするのはとってもとっても危険なことなんだ」
山犬姿の火は「どんな内容であれ断るはずがない」と伝えるかのように、サラドの頬の血をチロリと舐め取った。
「…ありがとう。水属性の守護者は火の魔力と火の精霊をより強く求める。その動きから核の位置を探し出すから、オレが矢を放ったら、直ぐに離れて。いい?」
火はじっとサラドを見詰め、待ちの体勢をとった。サラドは「うん、直ぐ、だからね」と念を押して、なるべく長くフーと息を吹きかける。炎が鬣のように靡き、気持ちよさそうに目が細められた。更に一回り大きくなった山犬は前足で一度カシッと地を掻き、上半身は伏せて尻を高く上げる。
矢を番え、すう、と息を止めてググッと頬まで引き絞る。弓がしなり、キリキリと弦が鳴く。
それを見て、火の山犬がバッと駆け出す。
漸く火の精霊とサラドに気付いた水属性の守護者はクワッと口を開けた。火気を奪おうと水の流れが口に向けて激しく渦を巻く。山犬の毛並みは乱れ、火先が濁流に飲み込まれて、その姿は狐に、山猫に、と次第に小さくなっている。
「見えた!」
放たれた矢は渦の中心を目掛けて真っ直ぐに飛ぶ。矢に追い付かれる直前に火は小鳥に姿を変じ、上へと逃れると一目散にサラドの元に戻る。
矢は守護者の口を射た後も勢いを失わず、アンデッドである長い胴を裂いて突き進む。カツン…と硬い音がして、矢羽根が揺れた。
矢に核を破壊するほどの力はなくとも、その位置の印になれる。
すぐさま弓から片手剣に持ち替え、言の葉に力を込める。
「我が名はサラド。常世現世の狭間の門を護りし者の盟友なり。命を歪められしものよ、浄化の炎を以て在るべき姿に還れ」
今度こそ火の精霊を喰らおうと、守護者は大口を開けて迫り来る。長い体の奥に『ここだ』と示す矢を納めたまま。
「逃げて!」
小鳥姿の火はサラドの側から離れようとしない。だが、強い力に引っ張られるようにギュンと後方へ飛んだ。尾を引く火玉は火山に消えゆく。
直後、片手剣を水平に構えたサラドはバクリと閉じた口に閉じ込められた。飲み下す勢いにのって、濁流を切りながら印に向かっていく。矢が当たった核には小さなひびが入っていた。思う存分アンデッドの身を斬り、白い輝きを増した剣は鞘に納める。
(なるべく粉々にならないように…)
手首に隠した小降りのナイフを出して核に当てれば、案の定、さしたる抵抗もなく割れた。
核であった光を手に受けて、サラドは右肩の鎖骨近くにそっと押し付ける。
(どうか、どうか、欠片だけでも帰れますように)
濁流は水属性の守護者としての形を失い、バシャリと落ちた。支えを失ってサラドの体も落下するが、海面に叩きつけられる前に風が岸に運んでくれた。
息を整えてサラドが口にし出したのは、意味を成す言語には聞こえない詠唱。懐かしさと愁いのある響きで歌うように。ただ力を具現化するためではなく、深い祈りを込めて。
足元で熾った浄化の炎が海上を奔る。
濁った海の一部分も繰り返し打ち寄せる波によって、徐々に濯がれていく。
終わりを察して、火口から火花が散った。
噴き上がる赤の中には、一際大きな火鳥の姿もある。翼から落ちる橙色の羽根が空中の瘴気に触れて白く輝き、残光はふわりふわりと雪のように舞う。
火鳥はゆっくりと火山島と海上を旋回し、羽を降らす度に収縮し、最後には小鳥になってサラドの肩に降り立った。
「おかえり」
小首を傾げ、グイグイと頭を押し付ける小さな火を労い、サラドも指先で顔を挟んで撫でる。
ほっとしたのも束の間、何の前触れもなく肌が粟立つ。
――サラド、お前の友人が危うい
火の最高位精霊が火急を報せる声。サラドの脳裏に浮かんだのはディネウ。もちろん、シルエかノアラということも否定はできない。
左手の小指にはめた指輪に、手袋越しだが口を近付けた。見えない加工が施されているけれど、確かに感じる繋がりに縋る。リン…と鳴る前に火の最高位精霊が手を差し伸べた。
――引き寄せるのとは違い、お前を他所へ運ぶのは、魔力が乱れた今の状況で安易にするべき事ではない。だが、神殿と神殿の間であれば経路がある。人の身に火の神殿は少々難所だが、どうする?
「お願いします!」
サラドは迷わず即答した。
小さな火は蜥蜴姿になり、サラドの右肩を避けて左胸にヒシっとくっつく。口をパカッと開けると、水の精霊と風の精霊が集まってくる。
「ありがとう、みんな」
正しい使い方ではないが、シルエからもらった薬瓶に口をつけ、半量を含み半量は残して息を止めた。
――では、行け
熱風を突き抜け、渇きと苦しさに喉が締まる。口に含んだ分の薬を無理矢理にでも飲んだ瞬間に、閉じた目蓋でも場所の違いを感じ取った。
そこは水底。
鼻を摘まみ、頭を持ち上げて咥えていた薬瓶を傾け、なんとか残り半量を飲み込む。空気を求め開けた口から出た息がコポコポと泡になった。
小さな火が少しでも濡れないように両手でしっかり包む。
火山島からついてきてくれた水の精霊がサラドの腕を引き、夕陽が射し込む水面を指差すが、衣類が重く絡みつき、浮力があまり働かない。
細波で穏やかに見える湖だが、水底は急流の箇所もある。
手は使えないため、足と体の動きで進もうにも逆に底へと引かれるような力が働く。
小さく弱くなっていく火気に早く陸に上がらないと、と焦りが募った。守りきれないようであればと、体にピタリとつけていた両手を徐々に右肩の鎖骨付近へずらしていく。少し膨らみをもたせた手の中で小さな火が抵抗して、チリリと音がした。
「…ぐ…」
再び、今度は大きくガボリと空気が吐き出され、上へ上へと昇っていく。結構な深さだ。
――みんな、きてー
呼びかけに精霊が集結し、サラドの周りを取り囲む。クルクルと舞い、髪の間をすり抜けたり、頬に触れたり。遊び、楽しんでいると思っている節がある。
――陸に連れて行きたいの
――なんで?
――ヒトは水の中では息がもたないのよ
湖から離れたことのない下位の精霊は人との関わりがなく、その辺の事情に疎い。
――不便ね
――じゃあ、急がなきゃ
流れができてグングンと明度が上がっていく。
「がほっ…はぁ…」
無事に水から這い上がったサラドは空気を堪能した。
手をそっと開く。いつも以上に小さな蜥蜴姿の火が転げ落ち、シュシュッと走った。水辺から距離がとれると不意にピタッと止まり、空を仰いでじっと動かなくなった。
「ありがとう。みんなのお陰で助かった」
――どういたしまして
――また、一緒に泳ぎましょうね
パチャリパチャリと水滴が跳ね上がって、光をキラリと反射する。
「…湖だ…。水の神殿を抜けて来たってことは、やっぱり…」
――来たか
ゴウゴウという激流とサラサラという清流との二重で奏でられる重々しい声。
林の方角から空を水の最高位精霊が悠々と泳ぎ来る。
サラドを見送っていた水の精霊たちが一斉に敬意と喜びで輝きを増し、視界が水光で溢れ返った。
――別れの時間を設けてやる
「…嘘…だ」
信じたくない、が、サラドの前に至極丁寧に降ろされたのは――
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