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27 瀕死を救う妙薬

「…ラ、セアラ、セアラ!」


 繰り返し〝治癒を願う詩句〟を唱えるセアラの手を握り、ショノアはそれを止めた。治癒の光はサラドの体を照らすことなくすり抜けていく。

ハッとして口を噤むと目の前の現実に引き戻される。殆ど回復していないサラドの姿。焼けた皮膚も、怪我も、やつれた顔も、老人のような白髪も。

自分の力では助けられない、突きつけられた絶望に指先が震え出す。

何度も奇蹟の力を引き出した弊害で、目眩を覚え揺れたセアラの体をショノアが支えた。


「このままではセアラの体にも障る。もう諦めた方が…。今のサラには奇蹟を受ける力は残されていないようだ。…残念だが、彼はもう」

「駄目っ! それ以上は言っては駄目です。口にしたら本当になってしまう」


全体が炭と化した魔物に比べ、サラドの体は全身がしっとりと濡れ、直前に何らかの術で身を守ったと推測できるが、その命を辛うじて繋ぎ留めたに過ぎず、瀕死の大火傷であることに変わりはない。呼びかけにも反応はなく、浅く不規則な呼吸はいつ止まってもおかしくない。

セアラは泣きながらぐらつく体を起こした。


「背丈より長い、なるべく真っ直ぐの棒を二本、欲しいんです」


セアラの説明に自警団の若者は周辺の木から枝を切り小枝を落としてくれた。マントを脱ぎ、枝から作った棒に結ぼうとしているのを見て、やっとショノアはその意図を理解した。


「担架か。サラは背が高いから俺のを使うといい」


ショノアは騎士のマントを出して簡単には解けないように結びつけていく。


「すまないが、手を貸してくれ」

「もちろんです」


ショノアと自警団の若者でサラドを運び、急ぎ聖都に向かった。



「お願いです! 一刻を争うんです! 入れてください」


 セアラの必死の懇願にも門兵は手を前に出し拒否を示す。街門に並ぶ人数は少なくなってきた時間帯とはいえ、魔物が討伐されたという噂は広がりつつあり、悲痛な声は注目の的となった。


「何事ですか」

「それが…」


 担架に乗せられた怪我人はどう見ても手遅れに見える。奇蹟を求めて重症者を連れて来る事例はたまにあるが、そういった輩は許可しないように神殿の上層部から通達されている。門兵としては「人でなし」という視線に晒され、通したら上司から叱責される辛い立場にある。


「もしこの方を通したことで咎があるなら私が責任を負いましょう。どうぞ」

「ありがとうございます!」


通りがかりの兵士の助力で聖都内に入ったセアラは背後で門兵と兵士が揉めているのも気に留めず、真っ直ぐに二番目の壁に向かう。

だがそこでも同じような問答が繰り返された。


「お願いです! せめて診ていただくだけでも」


 この壁の向こうには施療院もある。

神殿では昔から薬草の栽培や薬の精製は行われていたが、導師の提案で奇蹟の力が使える者はその鍛錬に、使えぬ者は薬の知識や衛生管理の向学のためにと施療院が創設された。神官たちは交代で勤務にあたるが、中には寄付を強要し懐に入れる者もいるのが現状だった。そして、そうした者の多くは自分には手に負えないとわかるとなんだかんだと理由を付けて逃げてしまう。


「聖都には、とても優れたお力をお持ちの、ど、導師様がいらっしゃる、と。どうか、お目通りを」


必死になればなるほど門兵は槍を斜めに構え、通さぬ意思を強調する。

セアラは田舎の神官から聞いた導師という存在の本物の奇蹟の力に縋るしかなかった。


「いくら導師様でもあれじゃあ、なぁ」

「導師様は初期の頃だけで今は施療院には顔を出さないんだろ」

「なんでも高額の寄付をする貴族には往診するらしい」

「なんだ、結局、導師ってヤツも…」


ヒソヒソと声を潜めながらも、人々の会話がざわざわと広がり雲行きが怪しくなる。


「他の方の迷惑にもなる。ほら、離れて」


門兵の対応はつれない。この騒ぎを早々に鎮めて神殿に対する不信を収めたいのだろう。


「セアラ、残念だが…。我々でできるだけの処置をしよう」

「そんな…」


田舎の神官は聖都に導師と呼ばれる、まさに神の使いの顕現のような方がいるとセアラに話したことがあった。施療院や養護院の設立を訴え、各地にもその制度を広め、慈悲深く、恐ろしいほどの力を持っていると。


「セアラ、行こう」


 ショノアは神殿が寄付の額で動くのを知っている。寄付が悪いものではないし、それによってしかと運営され民に恩恵があるのならば、話題のためや権力を示すために貴族が多額の寄付をして導師と呼ばれる人物に接触するのはままあることという認識だ。

そして神殿側も威信を保たなければならない。俗世から離脱した身とはいえ神殿の上層部は貴族出身の者も多い。現在の聖都の神殿長は王配殿下の伯父にあたる方だし、副神殿長も有力貴族出身のはずだ。

ここで騒動を起こすのは得策ではない。


そこへ心配して駆けつけて来てくれたのは先程、街門でも助力してくれた兵士だった。


「…申し訳ありません。導師様は今、不在です。その…」


だが痛ましそうに担架を見下ろし、酷な事実を告げる。お気の毒ですが、という言葉は飲み込んだ。


「そう…ですか。ありがとうございます。ご迷惑をおかけいたしました…」


やっと諦め意気阻喪としたセアラに門兵があからさまにほっとした。その門兵の様子に兵士は眉を顰めた。


 兵士、ジャックは導師の護衛に任命されて日が浅い。一部からはその登用を反対され風当たりも強い。神殿の養護院出身で、設立されたばかりの頃に保護された。終末の世の影響でジャックと同じ身の上の者は多い。

当時はよく様子を見に来てくれていた導師があんなに痩せ衰えているとは思わず、庶民出身の神官たちがごり押ししてまで彼を護衛に推挙したことを少しだけ理解した。元からの護衛である聖騎士は副神殿長の言いなりで、導師の意思は尊重しない。部屋はまるで牢屋だった。


神殿内の事情はそれなりに知っているつもりでいたが、まさかここまでとは、重症の患者を前に誰も手を貸そうとしないとまでは思わなかった。兵士であるジャックには神官へ奇蹟の力の行使について意見はできない。


導師が神殿の方針を危惧している一端を見た気がする。養護院で簡単な教育を受けただけであまり学があるとは言えないジャックにも、道理に反し導師が望むこととは大きくかけ離れているとわかる。

ジャックを護衛に据えようとした皆は、現状を、あの死人のようになった導師の様相を憂慮しているのだろう。

あの方の本来の姿を知っている者ならば尚更に。

聖騎士の護衛は命ぜられた事もそこそこに導師のもとへ監視に戻っているだろう。ジャックは早く主の元へ馳せ、お守りしようと決意を新たにした。



 とぼとぼと力なく歩くセアラにひとりの神官が近付いてきた。


「せめてその方の魂にお祈りを」


セアラは胸の前で手を組む神官に、髪が逆立つほどの憤怒を感じた。

その手を押し止め「やめて。彼はまだ死んでいない」と叫びそうになったが、神官が組んだ手の中に握り込んでいた何かを渡してきたのに気付き、ハッと息を飲む。


「これは導師様がいざという時のために預けてくださった特別な薬です。できるだけ人目のないところでお使いください。どうぞ、お大事に」


セアラの耳元でこそっと囁やき、両手で彼女の手を包んで短く祈りの言葉をかける。秘密にして欲しいと伝えるように唇に人差指を立ててから去って行く神官にセアラは深々と頭を下げ、ぽろぽろと落涙した。


 サラドの手当てをするため宿屋へ入ろうとした時にも一悶着起きた。宿の者はちらっと見るなり「迷惑だ」と言わんばかりに溜息を吐き、部屋が汚されては困るので外で清拭してから来るようにと断られてしまった。セアラはぎゅっと下唇を噛んだ。


「後で別の宿に移れないか考えてみよう。幾らか違約金は取られるかもしれんが、まあ、それでもあそこに戻るよりは良いだろう」


ショノアが慰めるとセアラはこくんと頷いた。宿屋を出たところでちょうどニナも戻って来た。ニナは担架の上の人物が一見ではサラドと気付かなかったようで興味を示さなかったが、それとわかると目を見開いて動きを鈍らせた。

任務を受けた当初、陰気で無表情だと思っていたニナが今では唯一露出している目元だけでもかなり感情が表れていることにショノアでも気付く。それはサラドがいたからであることも。


 人目を避けられて、水を使って汚れを落とせそうな場所はニナがすぐに探してきた。

セアラはもらい受けた薬の器を両手で包み、少しでも効果が高まるようにと〝治癒を願う詩句〟を唱えた。器の封を切り、傾けて少しずつ中身の液体を体にふりかける。ポタリポタリと注がれた薬はサラドの体を光で満たした。柔らかで淡い光が収まると苦痛に歪んでいた表情、鼓動、呼吸が落ち着いていた。

死から免れたことを感じセアラの肩から力が抜けペタリとその場に座した。


「よ…良かった…」

「驚いた。なんだそれ? すごいな」

「まだ、安心は出来ない。とりあえず水で清めて、着替えと、綺麗な布と火傷に効く薬と…」


セアラがこくこくと頷き「薬と布を用意してきます」と立ち上がった。

自警団の若者が水を、ニナは衣服を取りに、ショノアはその場に残ることになった。


「聖都は水道が完備されていないのだな」

「なんでも遺跡を守るためだそうです」


 大きな町の殆どはこの十年で上下水道の普及が進み、衛生環境はかなり改善された。

聖都は井戸が中心で、水桶を何度も往復して運ぶことになり、汚れた水を廃棄する場所にも気を遣う。


 焼けて汚れた服を刻んで剥ぎ、水で濡らした布で体を拭う。ズルリと焼け爛れた皮膚がずれ落ちる感触にゾクリと身震いがしたが、その下に新しい皮膚が形成されていてほっとする。まだ皮膚は薄く柔らかく、火傷の損傷が残っている箇所もあるため気を付けながら丁寧に作業は進められた。下半身に近付くにつれ、セアラの動きがぎこちなくなった。


「セアラ、ここは俺がやっておこう。薬の準備を頼む」


セアラはこくこくと頷き、飛び跳ねるようにサラドから離れ、薬を練り始めた。


「すごいな。あの火傷が、こんな…。さっきのあれって伝説ものじゃないのか」

「ああ、本当に驚きだな」


「今のうちに報告いいか?」


換えの水を持って来たニナがおもむろに口を開いた。ショノアがサラドは見つかったのに、と疑問に思いながらも「頼む」と促した。



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